木霊 (TARUSU)
森林施業研究会ニュ−ズ・レター 
No.14 2001.10.12
Newsletter of the Forest Management and Research Network

2001年現地検討会(富山合宿)報告

            豊田信行(愛媛県林試)
 森林施業研究会の第4回現地検討会及び研修会が、平成13年8月29日〜8月31日に豪雪地帯の1つである富山県中新川郡立山町他で「雪国の多様な森林管理を考える」をテーマに開催されました。出席者は、会員約40名であり森総研及び都道府県林業試験研究職員がメインでした(写真1)。以下は、検討会の概要と最も南から現地検討会に参加した私の若干の感想である。

検討会は、9件の発表と5件の現地検討があった。


     (上の画像をダウンロードする:436k)
8月29日

 宿泊が立山少年自然の家という場所柄、夕食にアルコールはなく、夕食前にあいさつ(渡邊代表と高野富山県林試場長)のあと、プレゼミ2件と夕食後発表4件があった。

プレゼミ

(1) 富山県の環境と地帯区分:石田 仁(富山県林試)
(2) 富山県のスギ品種:松浦崇遠(富山県林試)

 立地区分と最大積雪深、これとスギ人工林の関係について、林業の中心は最大積雪深1.5m未満の標高400mであり、最大積雪深1.5〜2.5mでは、根曲がりが多発し、これを越えると、経済林として不可能である。また、雪害に遭いやすいスギ品種と成長特性について発表があった。

 室内セミナー1日目

 (3) 雪国の森林づくり 小谷二郎(石川県林試) 

 (株)日本林業調査会から出版された豪雪地帯林業技術開発協議会編の「雪国の森林づくり」―スギ造林地の現状と広葉樹の活用−について、概要説明があった。多雪地帯においてスギ不成績造林地があり、問題となっていると言うことを認識すると共に、研究成果により、広葉樹の混交に活路を見いだしつつあると思われた。決して、落葉広葉樹林帯の森林管理が照葉樹林帯に比べ、有用な広葉樹が多いため、林業としてよりやりやすいものではないことを、認識した。

 (4) 冠雪害からスギ林を守る 嘉戸昭夫(富山県林試) 

 冠雪害とスギ林について、葉量と着雪量に一定の関係があること、クローンにより着葉量が異なること、着葉量の差(葉が多い系統)が着雪量の差につながり、冠雪害の被害率につながることの解説があった。また、クローンによる曲げヤング率の差も冠雪害の被害率につながることの解説があった。

 長年にわたるスギと雪に関する地道な研究の成果と感心した。

 (5) 林業地における水辺域管理の提案と実践 鈴木和次郎(森林総研) 

 生態的回廊としての水辺管理区域での伐採、路網、植栽を禁止することによる水辺林保護・造成による持続的な森林管理と生物多様性の確保について提案があった。このなかで、関東森林管理局のモデル林では、1)広葉樹コンテナ苗の植栽とマルチング処理、2)広葉樹苗は樹下植栽せず自然の攪乱に近い小面積皆伐地に植栽している旨の説明があった。この本件ではスギ・ヒノキ壮齢林の強度間伐後に樹下植栽する事例が多く、これに対する小面積皆伐による更新に対しては意見の対立があった。今後研究事例を積み重ねる必要があるだろう。

 

8月30日

現地検討1日目(富山県上新川郡大山町有峰地区)
 (1) 有峰東谷スギ造林地の実態と施業(写真2)

 豪雪地帯におけるスギ拡大造林地の一事例として、スギ不成績造林地、スギ−広葉樹混交林、スギ−植栽ブナ混交林、同下刈省略によるスギ−ブナ−広葉樹混交林を現地研修した。

 林学会等で発表は見聞きしていたが、正に「百聞は1見にしかず」であり愛媛で想像した不成績造林地とは規模・質が大きく異なっていた。「一斉人工林施業を地域の事態に適応させて実施する」とはよく聞く言葉であるが、現地は過去の事態があまりに画一的なものであったことを示していた。特に治山事業で実施中という成長不良スギ−植栽ブナ混交林については、あまりに丁寧に下刈りされた林床と、点在する植栽木の組み合わせが奇異に感じられ、天然更新するウダイカンバを育成するという視点を理解した。それにしても豪雪地帯におけるスギ不成績造林地のスギの成立と成長がこんなに悪いとは。

 西南日本の人工林の問題は、たとえれば「優良可不可」の判定のうち可の林をどうやって良や優という森林にもっていくかであるが、ここは不可の林をどうするかが問題となっていた。

 (2) 有峰西岸のカラマツ―広葉樹混交林施業 

長期モニタリング中のカラマツ−広葉樹混交林である。元採草地であり、ミズナラ、シラカバが点在した荒れ地にカラマツを人工植栽し、その後もシラカバやミズナラ、シナノキ等の侵入があった森林との説明があった。現況の森林も立派であるが、機会を捉え、毎木調査や植生調査をし、支障木の樹齢調査を積み重ねてこられた、富山県林試諸氏の先見性に感心した。

 (3) 猪の根低ダム群と水辺林管理 

 有峰ダムに流入する河川のうち、河川幅が広く渓床勾配が比較的緩い場所に設置された低ダム群工法について、現地視察した。 立地条件さえ整えば、1つの選択肢であろう。

 (4) ブナ林の構造と更新

 1箇所は、土捨て場に天然更新した森林について、カバノキ・ヤナギ科の高木性樹種とブナ、アカイタヤ等の高木性樹種の定着と伸長状況を視察した。
もう1箇所は、長期モニタリング調査中の1haのブナ林であり、蓄積330m3の見事な森林であった(写真3)。

 この林には、一同感心した。落葉広葉樹林帯で、約200年を経過すれば立地条件が良ければこんな林になるという事例でした。

室内セミナー2日目
(1) とやまの木で家をつくる会の活動と成果 草島すなお(富山県高岡農林事務所)
地元産のスギを用いた家作りに、行政が参加して行っている会の活動と、設計、伐採、製材、施行の流れで行われており、3件の実績紹介があった。問題は参加者全員にメリットがある仕組みをどう作るかであろう。

(2) 広葉樹の造林地に下刈は必要か? 横井秀一(岐阜県森林科学)

 ケヤキ人工造林地において下刈作業中の誤伐が多いことから、通常下刈と下刈省略試験地の実績報告があった。植栽木をきちんと仕立てるためには下刈は必要であるが、誤伐をなくすという今後の研究方向とあわせ、有用な広葉樹が侵入する林地であれば、下刈の省略も選択の1つであることを示していた。

(3) 長野県における「森林(もり)と水プロジェクト」小山泰弘(長野県林総センター) 

 田中知事の「脱ダム」宣言をきっかけとして、松本市入山辺地区に建設予定の大仏ダムの建設が中止され、これに代わり「緑のダム」で流域を維持管理するとの方針により作成された「森林と水プロジェクト」第一次報告と今後の予定について説明があった。 検討時間のない中でのトップダウンにより作成された報告書ではあるが、注目すべきは、今後洪水防止に主点をおいた森林管理モデルの実態を継続して検証していくという姿勢であろう。

(4) まとめ 渡邊定元代表(立正大) 

 現地検討会は、本や写真で得た知識より、さらによくわかる。この点で本会は有意義であった。樹木の種特性は、不明な点があまりにも多い。1つ1つ解明していく必要がある。との総まとめがあった。 現地研修の大切さは、正にその通りであり、1日目の室内発表を聞いての理解と、2日目の現地研修を見ての理解は、全く異質なものであったと言うことです。 一方で、スギで不成績造林地になったから、針広混交林に誘導するだけでは、長期ビジョンがない。今後森林をどう誘導するのか、真剣に考える必要があるとの提案もあった。

 

8月31日 現地検討その2 

(1) マイスター事業協同組合 

 前日室内セミナーのあった「とやまの木で家をつくる会」の作業現場である。

(2) 中田さんのスギ林と林業経営 林業家 中田市郎

 中田氏の所有森林を視察した。周辺のボカスギとカワイダニスギを見ていると、まるで宮崎か大分などの林業地にいるようであった(写真4)。丘陵地帯とクローン林業のなせる技か。

 この林業不景気にスギ人工林を活かす方策を、お互いに見つけたいものである。

 

富山合宿に参加して(意見と感想)

不安も多かったが・・・・

               中田理恵(静岡県林業技術センター)

森林施業研究会富山合宿に思い切って参加したものの、行政の仕事が長かった私は、場違いな所にきてしまった、やっていけるだろうか、と不安でした。しかしセミナーが始まり現地検討会に参加していくうちに、なんて恵まれた状況なのだろう、と思いはじめました。

あらかじめセミナーを行い、次に現地検討を行うスタイルは、雪害による根曲りの杉など初めて見るという程度の私でも理解しやすく、勉強になりました。下刈りとウダイカンバの関係、不成績造林地など、講義を受け現地に行くことにより実感をもつことができたと思います。

また、参加者は試験研究機関、行政、大学、森林管理署、森林組合と多彩でした。普段あまり接することのできない方達とお話でき、それだけでも勉強になりました。皆さん森林施業に関心の高い方ばかりで、林業に希望のない発言に慣れてしまっている私には、話題も新鮮で視野が広がる思いでした。

やはり参加してみるものです。調査法から森林・林業に関する考え方まで様々な刺激を受け、いろいろな面で得るものの多い三日間の集中講義でした。事務局をはじめ富山県林試、参加者の皆様、ありがとうございました。森林施業研究会の方達は、太古の森林のように(?)懐の広い方達ばかりでした。これをお読みの皆様、特に行政職の方々、一度は参加されることをお勧めします。

 

不成績造林地の将来を考える機会となった

                    小谷二郎(石川県林業試験場) 

森林施業研究会のシンポジュウムには,何度となく参加させていただいていますが,現場での研究会には初めて参加させていただきました。今回は,不成績造林地の現状と広葉樹の更新や針広混交林化,さらに水辺林に関する現地検討会が行われるということで,大変楽しみにして参加しました。期待通り,現地での検討会は大変勉強になりました。活発な意見も出され,参加メンバーといろいろな情報交換も出来たのは良かったと思います。  

不成績造林地の問題は,今後どのような目的を持って維持管理するかが課題だと思いますが,造林地内での広葉樹の侵入・再生メカニズムを知る上では大変な成果だと思います。現段階で,混交林化のめどが出来たというところも重要だと思いますし,林業的な扱いがどの程度可能なのかといった問題も富山では一部実証されたことも十分参考にすべきだと思います。私自身としては,いずれにしても広葉樹林施業の確立をもう少し進めていかなければ,その答えも出しにくいのではと考えています。まずは,豪雪地帯での拡大造林の阻止が一番の問題かと感じています。

この研究会では,セミナーが5時から9時までびっしりと行われたのも,大変関心しました。発表者もさることながら,熱心に聴講させた方々にも感服しました。渡邊先生のコメントは,いつものことながら的確で大いに参考になりました。また,富山林試の方々のスギの育種・雪食崩壊・冠雪害・ブナ林等の天然更新の発表も研究の充実ぶりがよく伝わった内容であったと思います。水辺林も今一番重要な課題で,鈴木さんのご説明や低ダム群の現地検討は,今後研究を進めていく上でいろいろな想像力をかき立てられた気がしました。「富山の木で家をつくる会」のお話や現地での見学も大変勉強になりました。とにかく,大変盛りだくさんの3日間で林業の理論から実践までの研修を受けたような気がしました。施業研究会が今後益々盛況に行われますことを心から期待しております。最後になりましたが,今回お世話いただいた富山県林試ならびに関係の方々に心よりお礼申し上げます。

 

脱ダム宣言以降の長野県の取り組みに興味を持った

               草島すなお(富山県高岡農地林務事務所)  

 今回、長谷川幹夫さんから、「とやまの木で家をつくる会」の話をしてほしいという依頼があり、この研究会に参加させてもらった。私自身、常々、行政と試験研究機関の連携が不十分と感じていたので、このような機会を与えていただきとても感謝している。私の報告が、今後の試験研究に少しでも生かしていただければ幸いである。私も、行政の立場から様々な疑問点を積極的に試験研究機関へ投げかけていきたいと思っている。

 さて、セミナーの中身に関しては、長野県の小山さんの話題提供に関し、考えさせられる点が多々あった。長野県の林務サイドでは、このたびの知事の脱ダム宣言に関して、かなり戸惑っておられるように感じた。こんな時こそ、待ってました、とばかりに科学的データに基づいて、森林整備の方向を極めて冷静に提案できないものか?これは長野県だけの問題ではなく、国、県を含め全国共通の課題といっていいのではないか。

 我が国には保安林制度の中に水源涵養保安林がしっかりと位置づけられている。また、森林の公益的機能を列挙するとき、決まって水源涵養機能を声高らかに唱えてきた。にもかかわらず、である。渡邊会長が発表のあとに、過去のいくつかの試験・研究内容を参考にするようアドバイスされていたが、もしそれがなければ、過去の優れた研究成果も活用されなかったのであろうか。林野庁の保安林セクションは今も保安林面積を拡大することに躍起になっているが、もっと、目的をはっきりさせ、科学的データを体系的に積み上げて事に当たる必要があるのではないか。

 様々なニーズに的確に対応できるよう、共通の目的を持って行政と試験研究機関が協力していくような体制づくりが望まれる、という日頃の思いを益々強くした3日間だった。

 

百聞は一見に如かずの思い

              中島章文(森林総研関) 

 今回初めて森林施業研究会の合宿に参加しました。日頃,都市近郊・里山の竹林を対象に仕事をしているため森林施業の現場を訪れる機会がなかなかありません。参加者皆さんの真剣な議論に触れ大いに刺激を受けるとともに,現地を訪れ改めて百聞は一見に如かずの思いを強くしました。私が以前勤務していた中部森林管理局名古屋分局管内では,御岳山麓(裏木曽)の亜高山帯針葉樹林がかつて大規模に伐採された後ササ生い地化し,その跡地の更新問題が長年の課題になっています。木曽・王滝では湿性ポドゾル地帯での木曽ヒノキ更新技術確立のための三浦実験林が1966年に設定され,現在も継続調査が行われています。高海抜地帯,多雪地帯などの厳しい自然条件下での天然更新等の森林施業技術の開発には,長期間の現地での適用試験と長年の観察による情報収集が重要になります。富山県林試の皆さんの日頃の研究成果と現地の取り組みに触れ大変有意義な合宿になりました。このような現地検討会を開催していただいた幹事の方々に感謝するとともに,林家等の実務者や国有林技官にとっても有意義な検討会であると感じました。

 

點鳳山のモンゴリナラ林訪問記
 
−第3回日韓合同森林生態セミナー参加報告−
                 正木 隆(森林総合研究所東北支所)

 9月24〜27日に第3回日韓合同森林セミナーに参加した。内容は主に、東海岸のモンゴリナラ林やアカマツ林での現地検討会と夕方以降のセミナーである。私にとっては、初めての韓国だった。観光でいつでも行けるようなところは、実はたいして面白くない場合が多い。しかし、今回のように、韓国人の研究者とともに韓国の森林を訪れる機会は滅多にない。そんなわけで、参加を決めた次第である。日本側・韓国側の幹事の方にはなにかとご迷惑をかけたことと思う。この場で謝意を表したい。

 それでは以下、韓国で見聞きしたことを報告する。

1.現地検討会とセミナー・・・日記風に
9月24日 日本〜Seoul〜Jindongri

 集合指定は13:00に仁川国際空港である。今回の私のフライトは、行きも帰りもユナイテッド航空の成田発着。アメリカでのテロのことが頭に浮かぶ。テロリスト何するものぞ、死はもとより覚悟の上と腹をくくり、飛行機に乗る。しかし、武運拙く?私は無事に韓国に降り立ってしまった。空港で韓国林業研究院の林柱勲氏が出迎えてくれる。他の参加者は無事だろうか?案じていると、一人がトラブルに巻き込まれていたことが明らかになった。日本側の幹事の大住氏が、関西国際空港でのトラブルにより急遽来られなくなってしまったのである。日本側の幹事が不在となり、旅の前途はどうなるのだろうか?不安と期待に胸を膨らませつつ、参加者一同、韓国側の用意した大きなバスに乗り込み、空港を発った。

 車窓から外を見ると、仁川空港付近は干潟となっており、その上がアッケシソウで赤く染まっていた。なかなか美しい。日清戦争の当時、仁川から上陸した日本軍もこの干潟とアッケシソウを見たのだろうか。

 サッカーワールドカップの予定会場を横に過ぎ、45分ほど走るとバスは市内に入っていった。どこを見ても日本人と同じような人が歩いている。だけど、どこを見ても暗号のようなハングル文字しか見当たらない。なんとなく混濁した気持ちになる。

 14:00、まずは最初の訪問地、韓国林業研究院(KFRI)に着く。会議室で山林環境部長ら数名の管理職と会見する。当初の予定では部長らもツアーに同行されるはずだった。しかし、国の監査の予定が突然入ったそうで、セミナーへの参加の予定を急遽キャンセルされ、最終日の会食にのみ参加されることになった。さぞかし残念であったことだろう。部長殿の「大いに研究の議論を交わすとともに、文化面にもぜひ関心を持って日程を愉しんでいただきたい」という言葉が印象に残る。ぜひとも韓国の森林と文化を多角的に味わってみたい、という思いを新たにして建物を出た。

 16:00、日韓メンバーのほとんどが前述のバスに乗り込み、私は旧知の親友・ソウル国立大学の金坂基氏の車に乗り込んで、初日の目的地Jindongriを目指して出発した。ソウルから東に向かって韓半島をひらすらに横断する。道中の風景は、日本の里山によく似ている。唯一の違和感は、スギがまったくないことだ。途中で見た大河は美しかった。護岸は一切されていない。自然の川はやはり気持ちのよいものだ。こういう光景はもう日本には少ない。

 韓国の道路はよく整っている。高速道路が無料だというのも素晴らしい。この分でいけばすぐにでも目的地に着くのではないか、と思っていたら、それは甘かった。すっかり暗くなっても目的地はなお遠いようでバスはひたすらに走り続ける。やがて人家の灯りも稀になり、ついには荒れた未舗装の狭い道路となった。バスは暗やみの中を激しく揺れながらゆっくりと進む。「いつ着くのだろうか?」「実は道に迷っているのではないだろうか」と、みなの顔に不安と乗り物酔いの表情が浮かぶ。それでも、ようやくJindongriに着き、一同安堵する。時刻は21:15。予定を3時間オーバーしていた。

 その日の宿である山小屋(Jindongri Folk House)で、さっそく夕食となる。夕食後は韓国側の研究者に翌日の現地検討会のオリエンテーションをしてもらうはずだった。しかしさすがにその余裕はなく、夕食を済ますとそのまま飲み会に突入、0:00頃にはみな床に就いた。

9月25日 Jindongri〜Mt.Jumbong〜Osek

 7:00起床。小屋の辺りを見回すと、カラマツ(日本と同じLarix kaempferi)の植林地に囲まれていた(標高約700m)。8:00、朝食。朝食を手早く済ませ、本日の、否、本セミナーの最大の目的地であるMt.Jumbong(點鳳山)を目指して、9:00、小屋から直接歩き始めた(写真1)。本日以降、森林の解説はもっぱら、日本語堪能・声の大きい忠南大学の金聖徳先生がして下さった。金先生は横浜国立大学の宮脇先生のところに5年間ほど滞在されたことがあるそうで、韓国内のみならず日本の森林のことにもよく精通されている方である。

 途中、アカシデの学術参考林に立ち寄る。ここのアカシデは韓半島の北限のアカシデだそうだ。傾斜が緩やかで土壌未発達の岩礫の上にアカシデがカエデ類やツツジ類を混じえて生育している。ここは、崩壊土砂が堆積した場所だろうか?いや、それよりも周氷河地形の雰囲気に近い。この気候帯では耐陰性の強いアカシデの林が極相である、という金先生の説明を受けた。しかし、果たしてそうだろうか?私が見た限りではアカシデの実生・稚樹はそれほど多くなかった。クレメンツの用語にそって言えば、「土地的極相」という方がまだ妥当かもしれない。日本でもアカシデは妙な立地のところに生育している場合がある。むしろ日本の研究者はアカシデよりもオオヤマレンゲを見つけて喜んでいた。大峰山を除いて日本では稀なこの種が、本日の行程の至る所で見ることができたのは、我らの望外の幸せだったか。

 10:10、アカシデ林を後にして歩き始める。まもなく、この山の中で暮らしているリーさんとその家族(奥さんと小さいお子さん二人)が、案内人として合流。リーさん一家は、北上山地タイマグラの廃屋農家で民宿を営んでいる奥畑さん一家に、顔も生活も似ている、と思った。それはともかく、一同、いよいよモンゴリナラの原生林を目指して、沢沿いに歩き始めた。

 最初のうちは、二次林が主体の景観である。金先生に伺ったところ、日韓併合の頃までこのあたりの森林は禁伐で、野生のトラも棲んでいたが、植民地時代に日本が毎年500万立米の伐採を36年続けて、多くの原生林が失われたという。今では大型獣も棲んでいない。この伐採が当時の日本国内の伐採に比べて異常に多かったのか?それとも日本でやるのと同じ感覚で伐採をおこなっただけなのか?それは私にはよくわからない。ただ、私が日頃見ている日本の東北地方の冷温帯林に比べると、樹木の成長や、森林の回復速度はなんとなく劣っているように感じた。おそらく森林の人為干渉からの自然治癒力はそんなに強くないであろう。

 道中の樹木の組成は、日本の森林に似ている(後述)。けれど何か違和感を覚える。何だろうか?その一つは、日本と比較してササが少ないことである。背丈の低いスズタケがたまにパッチ状に生えているだけだ。二つ目は、沢沿いを歩いているのにあまりシダ類を見かけないことである。ナライシダ、シラネワラビ、ミヤマベニシダなど数種は見かけたが(同定は鈴木和次郎氏による)、たいした種類数ではない。三つ目は、ブナとスギがないことである。私が日頃研究している東北地方の森林では、至る所ブナとスギである。ブナやスギの壮齢林は恵み豊かな雰囲気を伝えてくれる。しかし、そのような雰囲気が韓国のこの森林からは感じられない。全体に渇いた雰囲気だ。金先生に尋ねたところ、この地の冬の最深積雪は約1m。それでも韓国では最も雪の多い地域だという。ここらあたりに日韓の植生を分けるポイントがありそうだ。

 日韓研究者の隊列はさらに沢沿いを歩く。目立った植物は、ヤチダモ似のFraxinus mandshurica、チョウセントネリコと呼ばれるFraxinus rhynchophylla、サワシバ、ミズキ、オヒョウ、オノオレカンバ、Tilia amurensis、ハリギリ、タラノキ、チョウセンゴヨウなどである。 カエデの種類も豊富だ。ミツデカエデ似のAcer mandshuricum、テツカエデ似のAcer ukurunduense、樹皮の赤いミネカエデ似のAcer tschonoskii var. rubripes(チョウセンミネカエデ)、チョウエンミネカエデに似ているがやや葉の大きいAcer tegmentosum、樹皮の青いAcer barbinerve、などがあった(写真2)。

 以上のように、日本の樹木と同じものや、一対一で対応するような近縁種が多く生育し、日本の森林とあまり変わりのない組成であった。一方、日本の渓畔林に普通のトチノキ、サワグルミ、カツラなどは見当たらなかった。なぜかはわからない。

 歩道脇にチョウセンモミ(Abies holophylla)の大木(直径85cm、樹高36m)を見た。葉の先端は二裂しておらず、触ると痛い。このモミは沢沿いの平坦地に純林を作らずに生育する、と金先生から説明された。そういえば、チョウセンモミを見かける頻度が高い。「きっとこのモミが当地の渓畔林の維持機構に重要な役割を果たしているのだろう」。渓畔林を専門的に研究されている崎尾氏とそんな会話を交わす。しかし、この日の後半になって、チョウセンモミは尾根沿いにも相当の密度で生育していることがわかった。このモミは渓畔樹種というものではなく明らかにジェネラリストである。この地域の代表的な渓畔樹種はFraxinusに属する数種なのかもしれない。

 途中、Fraxinus mandshuricaの幹に白ペンキで番号が書いてあるのを見かける。樹形など素性のよい個体を登録しておき、種子を採取するための措置だ。韓国では1980年代から、マツ類の造林一辺倒から広葉樹造林に切り替わりつつある。ちなみにFuraxinus mandshuricaは5000本/haで植栽し、直径は20〜30cmで収穫するそうだ。「予想」伐期は70年とのこと。本当の伐期はその時にならないとわからないだろう。韓国での長期的な施業試験が日本のように頓挫しないことを祈る。

 さらに道を進む。いよいよ、太くて高齢のモンゴリナラが出現し始めた。金先生がかつてこの地のモンゴリナラから成長錘でコアを採取し樹齢を調べたところ、200年が最高樹齢だったそうだ。我々が歩いていた谷は交通不便で伐っても容易に搬出できないため、植民地時代やそれ以降もナラの原生林が伐られずに残ってきたのだという。しかし、200年といっても直径はせいぜい60〜70cm程度である。日本のブナやスギのような堂々たる大木は見当たらない。モンゴリナラは大木になれないのだろうか?それともあと数100年もたてば堂々たる姿になれるのか?その辺は私には判然としなかった。

 私は、ナラがこんなに多いのは山火事のためだろうと思った。しかし、金先生の言うには、山火事はこの谷では少ないそうだ。そうは言っても、中径でサイズの揃ったモンゴリナラの広い林分もあり、過去の何らかの大きな攪乱があったことを想像させる。過去の攪乱は、山火事でなければ何だったのか?それとも、森林の更新を喚起するような山火事は稀にしか起こらず、稀であるゆえに研究者の観測になかなかひっかからないのであろうか?森林動態に関する以上の疑問点は、韓国の森林研究者の解明すべき今後の課題であろう。

 13:00頃、谷から尾根に上がる。時間の遅れが危ぶまれたが、山頂へ行くことに決し最後の登りに取りかかった。さきほどとは違うモミの仲間、Abies nephrolepis(トウシラベ)が見られるようになった。このモミの葉は二裂していて触っても痛くないし、樹皮もアオモリトドマツに似て白滑である。他には、樹齢1000年にも達するイチイも生えている。林業研究院の方が、イチイの盗伐があるので困っている、と言っていた。低木層にはクロフネツツジが繁っている。亜高山のような様相だ。

 地質は風化した花崗岩のように見える。そういえば、仁川周辺もソウル周辺もすべて花崗岩の山だった。写真で見たことのある、ちょっと昔の尾張瀬戸の山に似ていると思った。これは韓国北部の山に共通する特徴なのかもしれない。

 いよいよ斜面は急になってきた。みなで息を切らしつつ足を運ぶ。そしてついに、14:45、標高1424mの點鳳山の頂に到達した。みなで快哉を叫ぶ。非常に気分がよい。一同揃って記念写真を十数枚も撮る。あいにく雲が低く、目の前に聳えているはずの空木山は裾野しか見えない。北朝鮮との境界の山もあまりハッキリとは見えず、展望の点では少し残念だった。でもここは(そして途中も)、普通の観光旅行ではまず来ることのない場所である。充実感はひとしおだった(写真3)。

    (上の画像をダウンロードする:348k)
 あとは暗くなる前に下山するだけである。今まで登ってきた谷の方向ではなく、山頂から反対側の方向へ、本日の宿地、温泉の湧くOsaekを目指して尾根を降っていくことになる。しかし下山口までの標高差は約1100mで、しかも地形図を見るとなかなかの急斜面だ。難儀しそうである。一同、金先生を先頭にできる限りのスピードで降り始める。その金先生が早い早い。「翔ぶがごとく」という表現がピタッリくる。我ら若者と張り合っていたのだろうか?きっとそうに違いない。

 途中のやせ尾根で休むと、ゲンカイツツジが下層に繁っている。標高でツツジ類の組成が変わるようだ。ちなみに、このゲンカイツツジは以前は、北朝鮮の国花だった(ちなみに現在は、前述のオオヤマレンゲ)。森林の上層は、立派なアカマツ林。日本人にはどこか懐かしい光景だ。韓国でもザイセンチュウ被害は生じているが、ここまではまだ北上していないので、見事なアカマツ林を楽しむことができる。

 休憩後、依然として急な下りが続く。私は、鳥取県の三徳山の修験道を思い出した。しかし、ついに山道も終りを告げて舗装路にたどり着く。下山口だ。そこから舗装路を20分ほど歩き、本日の宿泊地であるOseak Green Yard Hotelに到着した。時刻は18:00。しかし、予定では15:00にホテルに着いているはずだったのである。ということで、夕食をさっさと済ませ、温泉に入る暇もなくセミナーに突入した。

 本日のお題は6つ。日本側からは大阪自然史博の塚越氏や埼玉県農林総合研究センター森林支所の崎尾氏ら、韓国側からByung Chun Lee氏ら、合計6人が23:00まで話題提供を行った。正直言って私は疲労で睡魔に襲われ、内容があまり記憶に残っていない。しかし、手元にはモンゴリナラの成長速度の値のメモが残っている。それによると、0〜50年生時のモンゴリナラの胸高直径の連年成長速度は1.5mm/yr、50〜100年生時では1.0mm/yr程度である。この値を、私が調べている岩手県のブナ林のデータと比較してみよう。そのブナ林でのブナの連年成長は、直径20cm前後で10mm/yr程度、直径40〜100cmで6mm/yr程度である。ミズナラの連年成長は、直径20cm前後で10mm/yr程度、直径40〜120cmで2〜5mm/yr程度である。このように比較すると、やはり韓国のモンゴリナラは日本のブナ林の主な構成樹種よりも成長がかなり遅いと言える。

9月26日 Osek〜Kosung〜Daekwalyung

 この日の午前中は、東海岸近くの山火事跡地に設定された長期観測試験地を見学した(写真4)。

宿から現地までは、前日の登山の疲れを癒すべく朝鮮人参ドリンクを飲みながらのバス行となった。数時間で試験地に到着する。ここは元々、マツタケを生産しているアカマツ林だったが、1996年に3000haという記録的な面積の山火事が発生した。1997年から植林などで復興を目指していたところ、2000年に再び山火事に襲われてしまったという。現在、見渡す限り荒涼とした風景に成り果てており、青くて美しい海と際だったコントラストをなす。山火事の原因は2回とも、軍隊の射撃訓練の誤射だったそうだ。

 余談だが、韓国の研究者の言葉の端々に、軍隊に対する一抹の嫌悪感が感じられたような気がする。私は、韓国の軍隊が海岸線に蜿蜒と鉄条網を附設して北朝鮮の侵入を水際で防いでいることや、空港でパトロールを行っている様子を見た。どちらかというと私は、軍隊が国民をちゃんと守っていることに頼もしさを感じると同時に、日本の現状に鑑みて羨ましさを覚えたのだが。まぁ私の気のせいかもしれない。以上、余談。

 さて、この山火事跡地でのアカマツ植林はコンテナ苗と直播きを併用している。コンテナ苗の活着率は90%と高い。また、民有林ではできるだけ早く土砂の流亡を抑えたいため、同時に樹液を採取するため、シラカバを植えている。カシワ、モンゴリナラ、コナラ、ナラガシワが萠芽してくるので、苗の周りは下刈りされている。周囲にはマツムシソウなどが生えており、いかにも山火事跡地という感じであった。一部でクロフネツツジが季節外れに狂い咲きしており、日本人研究者を喜ばせていた。

 国有林の山火事跡地では、火事後放置した区と植林した区にそれぞれプロットを設定し、植生の変化、昆虫相、土砂の流出に関する観測が継続されている(その結果の一部は担当研究者の林氏によって夜のセミナーで発表された)。

 13時過ぎには試験地を後にし、洛山の寺の見学(まるで三陸海岸の松林にいるようだった)やレストランでの食事を経て、21:00には宿となる山小屋に到着した。時間が時間だけに、例によってすぐさまセミナーとなった。

 

 本日のお題は4つ。中でも韓国側の林氏の山火事に関する発表がやはり興味深かった。土壌のエロージョンは山火事後最初の3年間に集中するなどのデータにも意味があったが、特に、山火事の広がる速度が時速917mだったというデータに私は驚いた。日本の山火事のデータは知らないが、やはりこんなに速いのだろうか?発表後、韓国には防火帯というものはないのか、という質問が日本側から出たが、国有林と民有林が入り組んでいるため、なかなか難しいということだった。

 23:00にはセミナーを終え、その後は一同酒を酌み交わしつつ、「飲み会セミナー」となった。日本と韓国の研究者、みな大いに語り合い、議論した。残念ながら(?)、あまり険悪な雰囲気にはならなかった。みなさん、歴史認識の話など意識的に避けたのだろうか?私は待ちかまえていたのに。

9月27日 Daekwalyung〜Seoul

 この日はSeoulに戻る日である。朝食後バスに乗って出発した。途中、高速道路で標高800mの峠を通過する。Abies(種類は聞かなかった)とシラカバが風致用に植えられてもいるが、牛を飼うための草地も広がっており、東北地方で言えば早坂高原の雰囲気にどことなく似ている。焼き肉の国・韓国に来て4日目だが、初めて牛の生産地を見たわけである。韓国では凶牛病は大丈夫なのだろうか?

 昼食後、他のメンバーはLTERサイト(Long-term Ecological Research Site)を見学に行ったが、私はフライトの都合上、そこでメンバーと別れ、ソウル経由で仁川空港へ行き22:00頃に日本へ無事戻った。

2.韓国の文化と森林

 旅をしていて最も印象に残り、かつわかりやすい文化は食文化である。韓国においても森林と密接に関わった食文化を目にすることができた(写真5)。以下、今回の旅で目にしたものを列挙する。

●ドングリ:韓国ではドングリを「トトリムク」という餅のようなものに加工して食している。點鳳山の下山口でも各家ごとに、コナラやモンゴリナラのドングリがおおきなタライに集められていた。10日間ほど水にさらすそうだ。日本では、山陰・山陽地方、四国地方、岩手県では今でもたまに見られるが、それよりももっと当たり前のようにドングリを食しているように見えた。

●クリ:釜飯の具に入っていた。山の中でもクリの木を何本か見かけた。

●イノシシ:日本と同様、珍重している。點鳳山へ登る途中でも猪の痕跡をたくさん見た。

●ハリギリ:若芽を食するだけではなく、鶏肉を似るときにハリギリの若い枝を一緒に入れ、臭味消し・香り付けに使っているそうだ。今後、韓国の重要な造林樹種になるかもしれない。

●タラノキ:日本と同様、若芽を食する。

●カノツメソウ:山菜として食用にしている。

●マツタケ:焼酎に漬けてマツタケ酒にしている。飲んでみたが特にマツタケの芳香が感じられるわけでもなく、日本人からするともったいないような気もする。

●オノオレカンバ・シラカンバ:樹液を採取して飲む。山火事跡地にシラカンバを植栽したのも収入が得られるからである。

●菜食:毎食たくさんの小皿にそれぞれ異なる野菜が盛られていた。韓国と言えば焼き肉のイメージがあるが、意外と菜食主義だと思った。エゴマの葉、若くて青い段階のカボチャ等、日本ではあまり食べることのない野菜も多く口にした。トウモロコシのどぶろくの美味であった。

以下、その他雑感である。

●建築:韓国にも木材を日本風に組んで建てられた家があったが、それは古い家に限られているようだった。田舎の最近の家はもっぱら煉瓦等で造られており、木材は脇役のように見受けられた。おそらく、よい木材が枯渇したことによるのだろう。ひょっとしたら、地震もそれほど多くないのだろうか?

●仏教:韓国の研究者から、人口の半分以上が仏教徒であると聞かされた。ちょっと信じられなかった。なぜなら、東条英機ら日本の昔の軍人に対する韓国の最近の言動を見ていると、仏教的な「だれでも死ねば仏になる」という思想よりも、「墓を暴いてまでも恨みを晴らす」ような儒教的な思想の根強さを、感じるからである。日本において神道と仏教が癒合したように、韓国においては仏教と儒教がかなり融和しているのではなかろうか?なお、林氏に尋ねたところでは、韓国でも日本と同様、山や木に霊魂が宿るという考え方があるそうである。これも私には意外であった。

●山のマナー:私は、韓国は日本や中国よりも教育が厳格であるというイメージを持っていた。でも、山のマナーは日本と同様に悪い。點鳳山はメジャーな登山ルートからはずれていると思うが、それでも登山道からちょっと離れた水飲み場に紙くずや何やら容器類が捨てられていた。こういうだらしなさ、自然に対する無責任さは東洋人に特有のことなのだろうか?ちょっと悲しい。

 現在の韓国の森林構造は、上記の他、焼き畑や、陶磁器作成などの文化活動に伴う森林利用(土壌採取や薪採取など)が大きく影響しているはずである。しかし、私は今まで韓国に関して、その方面の知識をあまり持ち合わせていなかった。それゆえに、帰国後今回訪れた森林について振り返える時、どこか腑に落ちないものを感じる。何か本質的なものを見落としているような気がしてならないのだ。日本においても、歴史や文化を知らなければ森林のことを理解できないのと同じである。しかし、これでモチベーションはできあがった。今回の経験は、今後私が韓国の森林・文化・歴史のことを知っていくための、よい基盤になったと思う。

3.終わりに

 今回は、なかなかハードなスケジュールだった。登山もなかなか手応えがあったし、宿に着いても、風呂や休憩の間もなくセミナーとなった。私が帰国した日の晩も、エンドレスですさまじかったことだろう(写真6)。

このことについて、現地で今回いろいろと手配してくださった林柱勲氏や成周翰氏は、ご丁寧にも私にお詫びの言葉を述べてくださった。しかし、それは日本人も韓国人も同じ条件である。別に気にされることではない。それよりも、あれだけの旅のアレンジには大変な苦労を伴ったことと思う。林氏や成氏をはじめとする韓国の林業研究院の皆様に心から感謝の意を表したい。

 忠南大学の金聖徳先生や学生諸子には韓国に森林についていろいろと教えていただいた。旧友・金坂基氏には初日に車に乗せていただいただけでなく、最終日にはご丁寧にも手土産をいただいた。また、林業研究院の金宣憙女史にはわざわざ車で空港まで送っていただいた。金女史は仁川国際空港に行くのは初めてだったそうで、道に迷いそうになりながらも、なんとか踏ん張って無事空港に送り届けていただいた(空港に着く直前に「まるで外国に来たみたい!」とおっしゃった言葉は忘れない)。もちろん、日本側の幹事である大住氏や、同行した日本の研究者の皆様にもいろいろとお世話になった。本当に多くの皆様のおかげで旅を無事に終えることができたと思う。深く感謝したい。

<編集後記>

世界貿易センタービルへのテロ攻撃が世界を震撼させた。アメリカはイスラム原理主義勢力への報復戦争を叫び、西側の同盟国とされる国々は、いち早く集団的自衛権の発動を宣言し、わが日本国も「旗を見せろ!」との要求に、自衛隊の海外派兵に向けた法制度の整備に着手している。こうした動きを見ると、イスラム原理主義者のみならず、「自由と民主主義」の国々、人々もふくめ世界が狂い、終わり亡き世界戦争の渦へと突き進んで行くような気がしてならない。20世紀は戦争の世紀と呼ばれ、世界戦争と大量殺戮が繰り返されてきた。新世紀には、そうした時代との決別を誓ったはずではなかったのか。戦争がどのような大義名分を持とうが、最大の人権侵害、環境破壊であることは言うまでも無い。世界は、今また、狂い始めたのだろうか?(狢)

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