木霊 (TARUSU)
森林施業研究会ニュ−ズ・レター 
No.16 2002.5.8
Newsletter of the Forest Management and Research Network

泥仕合、罵りあいはひとまず回避されたが・・・・・

―第7回森林施業シンポジウム(「脱ダム宣言」と森林整備)報告―

塚原雅美(新潟県森林研究所)・中田理恵(静岡県林業技術センター)

森林施業研究会(代表:渡辺定元)主催の第7回森林施業シンポジウムが、第113回日本林学会大会(新潟大学)の最終日(4月4日)に開催された。

今回のシンポジウムは、テ−マを「脱ダム宣言」と森林整備として、大学および都道府県の研究者により4つの話題が提供された。

1.「脱ダム」宣言の背景と構想 大熊孝(新潟大)

2.長野県「森と水プロジェクト」の概要(長野県林業総合センター)

3.流域の森林整備における技術的課題 柳井清治(北海道工業大学)

4.荒廃林地再生の課題  相浦英春(富山県林試)

 

1. 「脱ダム」宣言の背景と構想 大熊孝(新潟大)

大熊氏は、まず従来のダムが過大に積算されている問題を指摘した。

特に技術的問題としてダム計画の基礎となる河川砂防技術基準(案)とその運用の仕方に問題があるとした。

 

(以下専門用語などわかりづらい点が多かったので技術指針等にしたがって補足整理した部分があります。誤解があるかもしれないので講演者に確認してください)。

 

「同基準によると、ダム規模は、防御する洪水の想定総雨量(計画雨量)と、防御地点での流量推移(基本高水)を定め、それがダムなしで防御できる流量(計画高水)を超えないよう計画される。計画雨量は計画規模(技術指針では一級河川の場合150年に一回。ただし講演者は100年に一度という表現を用いています)内の降雨総雨量から統計的に求められる。基本高水(流量)は、過去の洪水の雨量を計画雨量に引き延ばし、その引き延ばし率を1時間毎の雨量にかけて計算される。しかしこの引き延ばし率を用いると、降雨パターンによっては、実際の過去の洪水のピ−ク雨量、ピーク流量に大きな誤差が生じる。そのため引き延ばし率は二倍以内に制限されている。こうして引き延ばして求められた各洪水のピーク流量が実際にその値内におさまる確率をカバー率といい、50%でいいことになっている。しかし、一級河川では一般的に安全を見て60〜80%のものが採択される。」

これら計画雨量および流量の推定過程での操作にくわえて実際の降雨量の計測値自体も精度が低いものであり、計画雨量および基本高水流量はいくらでも操作できる値であると指摘した。そして常に過大に計算される傾向があるので場合によっては二倍近くになるため、現状のカバー率はほとんど100%になっており、150年に一回の災害に備えるつもりのダムが、300年に一回の規模になっていると考えられるとの意見を述べた。

このように、安全性は非常に高いが、計画規模が過大なダムが建設される背景について、カバー率の低いダムは国土交通省で認可しないこと、住民の同意が得られないことなどを指摘。各地で起こっている論争は、ダムを建設するか否かということになりがちであるが、計画規模の点検こそが重要、実際に200年に一度の大洪水が起こった場合、ダムがあっても役にはたたないので、逃げるしかないと考えられ、住民は災害の受忍限度をさだめるべきである。そのために住民との話し合いが重要、との提案した。

また、計画規模の他にも、ダム計画には景観上の問題、土砂処理の問題があると指摘。土砂処理に関しては、当然おこりうる問題であったにもかかわらず無頓着にダム計画を進めてきたため、日本にあるほとんどのダムは自動的に排砂できない構造であり、そのため多大な経費をかけて取り除いている、景観上の問題も深刻にとらえるべきであり、これらに目をそむけてきたことは、河川工学にたずさわるものとして反省するべき点であると述べた。

最後に、「洪水調節は上流のダムだけでなく川下でも管理することを視野に入れる必要がある。国土交通省は計画高水位を1mでも超えたらその堤防は壊れたも同然という立場をとっているが、日本では洪水が計画高水を超過する継続時間はせいぜい2〜3時間なので、その間堤防が決壊せずに耐えられる構造にすればよい。スーパー堤防や土層強化などそのための工法も開発されており、破堤しない構造にしない構造にすれば洪水はおきないだろうと考えられるので、住民との対話を進めながら流域全体で災害管理を考えるべきである」と結論づけた。

 

1. に関する質疑

Q1森林に洪水調節機能についてどのように考えるか。

A1期待したいし、個人的には経験上感じている。しかし数字にうまくでてこない。

Q2 数量化できないのは、研究が不足しているのか、数量化が不可能なくらい要素が複雑なのかどうかんがえるか。

A1 おそらく研究が不足していると考えられる。

その他意見:洪水調節機能はともかくとして、利水の観点からのダムの必要性はあるのではないか。

 

2.長野県「森林と水プロジェクト」の概要(長野県林業総合センター)

小山氏は長野県の「脱ダム宣言」に端を発した大仏ダム(松本市)の中止と、それにともない発足した林務部での取り組み「森林と水のプロジェクト」について、「「コンクリートのダム」に換わる周辺森林の「緑のダム」の科学的機能評価法の検討とそれを利用した流域の総合的な治水対策立案を目標としている」と紹介した。

氏は同プロジェクトの対象地域を、大仏ダム計画地の上流約4千ヘクタール、現況の57%がカラマツで占められ、所有形態も多岐にわたる森林であるとし、そこを施業により降雨の貯留能の高い豊かな土壌をもった森林にしてゆきたいとの旨をのべるとともに、そのための目標林型を、災害に強い「壊れにくい森林」であるとした。

また、「壊れにくい森林」を実現するために、現有のカラマツ林の広葉樹林化、針広混交林化を図る、針葉樹林は間伐によって豊かな林床植生をもつ長期育成林を目指すとより具体的な整備目標に触れ、施業の担い手については補助対象を限定せず、やる気のある森林所有者、NPOなどを優先的に採用し、年間9000万円を5年わたって同地域に投下、機能の維持と増進をはかっていくと述べた。

しかし、現有森林の水分貯留量の指標は未開発のため、現状では森林土壌孔隙量を用い概算しており、今後は施業効果を検証するために試験地を設定し、流出雨量の変化等をモニタリングしてゆく予定であるとの展望を述べた。

最後に、プロジェクトの発展のためには、中心的に運営してゆける人材の育成が重要であるなどの課題を述べた。

 

3.流域の森林整備における技術的課題 柳井清治(北海道工業大学)

柳井氏は、河川への土砂流出の検討から、森林だけでなく流域全体で環境を考える必要があるとした。

その一つとして、河川へ流入する土砂の供給源は、傾斜地では林道、作業道が斜面上の水道を遮断し大きな土砂供給源となっていると指摘、地形条件にあわせて森林にもどすためのなんらかの修復が必要であると述べた。

他方、下流域では耕地の侵食による河川への土砂の流入が問題となっており、渓畔林をある程度の林帯幅をもって残すことが有効な対応策となり得ると提案した。

そして、以上のような点から、水源涵養など森林の公益的機能の高度発揮にとりくむためには、林業だけではだめで他の産業もとりこんで流域全体の多面的な土地利用を考えてゆく必要性を強調、より機能の高い自然林業への展望を述べた。

 

4.荒廃林地再生の課題  相浦英春(富山県林試)

相浦氏は、ブナの天然林を伐採、スギを植林した林分に発生した崩壊の富山県内の事例と植生回復の取り組みについて発表した。

 

以上の提案をふまえ総合討議でも活発な論議が行われた。

柳井氏の林地の作業道は使用目的を完了したら林地にもどすべきという意見に対しては、路網は有益なものであり、路面に盛土して林地にもどそうとすることはより不安定な土砂を増やすことになるので有益ではないという意見が行政の林道技術者の立場から出された。それに対して、柳井氏は地形状況によると思うが北海道では縦横無尽に林道が入っている森林があり、そこで崩壊が起きているためと考えを示した。これら議論に対して渡辺定元氏は、みずからの路網整備の経験から、38%もの急斜面でも路網の勾配を5%以内にゆるく設計し雨水を蛇行させて浸透させることにより、急傾斜地でも路面を雨水が流下することのない水源涵養路網をつくることができると述べた。

長野県の取り組みに対しては、さまざまな立場から問題点が指摘され、活発な議論が行われた。

林業関係者からは「広葉樹、混交林の方が水源涵養機能が高いと決めつけるのはおかしい。『どういう方向で整備を進めるべきか』という課題を『いかにお金を投下すべきか』という問題に変質してしまっているのではないか」という意見があり、それに対して小山氏は「放置状態のカラマツ林で被害(冠雪害?)が多発しており、そのような被害の起きにくい森林の造成が目的なので、無理に混交林化しようとしている訳ではない。基本的には現状の機能を維持することが第一目的であって、森林整備によって少しでも向上すれば良いというような立場だ」と述べた。

水文学の専門家の立場からは「森林の持つ雨水の貯留効果を森林土壌孔隙量に求めるのは無理がありすぎる。専門家に意見を求めて欲しい」「森林に流出の遅延効果があるのは植物が水を吸って基本的に土壌が乾いているため、大雨が降ったときは森林によって流下量、ピーク流量を下げる効果があると考えられている。間伐などにより植物の密度が減れば流下量が増えるというのが水文学の常識であり、現在計画されている試験では期待通りの結果はでないと考えられる」「水問題には洪水対策と渇水対策の両極面があり、洪水対策にはより多く水を消費するスギなどの針葉樹の方が有効で、渇水対策についてはその逆という考え方が必要だ」など、専門的な意見が相次いだ。

それに対して小山氏は、この報告は一時報告であって決定ではない。さまざまな取り組みをとうして検討してゆくつもり」と応えた。

これらの意見交換から、行政的、政治的判断は常に科学的な証明をする前に意志決定をしなくてはならない問題があるが、現実的には、そのことは容認しつつ、より質の高い判断をくだすための知識、技術の提案をその都度してゆくことが研究者サイドに求められる態度であること、そのためには森林・林業の専門家だけではなく、河川・砂防工学と一体となった新しい森林の機能評価への取り組みが必要であることが確認された。

最後に渡辺定元氏は、非常に研究の課題かが必要な分野であり、これらとりくみを予算化に活かし、研究課題として取り組んで欲しいとまとめた。

(参加者の感想・意見から)
「軽んじられる業界」からの脱却?

                  柿澤宏昭(北海道大学)

 いつもは「本業」の林業経済学学会と重なっているため出席できなかったのですが、今回はテーマにひかれて、浮気して出席させていただきました。

 まず印象に残っていることは、脱ダム宣言と森林整備という刺激的なタイトルに対していずれの話題提供者の方も、データと根拠に基づいて話をされていることでした。これは当たり前のことなのですが、当たり前のことが当たり前におこなわれていないのが現状で、森林政策に関わる人々、さらには一般市民にこうした話を伝えていくことが重要と感じました。

 私は社会科学が専門なので、その立場でシンポジウムを聞いて考えたことは以下の点です。

1. 研究と森林政策・管理の現場がつながり始めている。

2. この背景には、自然資源管理の枠組みをめぐる社会的・制度的な大きな転換と、行政への厳しい目がある。

3. 以上のような状況の中で研究者のスタンスが問われている

これまでの木材生産を中心とした政策のなかでは、人工林管理の技術体系は完成されたとものとされてきていました。また公益的機能の発揮は、保安林政策でお茶を濁してきました。そして大量の補助金をつぎ込むシステムの中で、政策が客観的に評価されることもなく、林業・林産業に対して形を変えた補助金を次々と投入することによって問題を解決しようとしてきました。それゆえ「研究」の出番はほとんどなく、そこに今回のシンポジウムの趣旨にも書かれている「軽んじられるわが業界」といった状況が生じてきたのだと思います。

こうした状況は大きく変わりつつあります。第1にあげられるのは、今回の「脱ダム宣言」にみられるように自然資源に関わる政策体系が大きく変化しつつあることです。第2に指摘できるのは財政危機、そしてこれまでの政治・行政への不信感から、政策に対する評価の目が厳しくなってきたことです。地方自治体では客観性を重視した新たな政策を競争で打ち出してきています。

すでにお手本とするものはなくなっているのであり、いくら待っていても上から有効な政策・方針が下りてくるという状況ではないのです。手探りでこれからの森林政策や森林管理の方向性を見つけていかなければなりません。

  以上のことは研究者の出番が大きく開かれていることを意味するとともに、その責任がより重要となっていることを意味しています。事実を基礎にした森林管理という当たり前だが今までほとんど無視されてきたことが、今必要とされているのですが、これは研究者なしには不可能なことです。私たち研究者がこれにどのように関与していくか考えることが求められているわけです。長野県の取り組みは、行政と研究者(さらにはこれから所有者の人々も入ってくるわけですが)が共同して、調査・研究を進めつつ資源管理を行う一歩を踏み出したといえ、これからの森林管理の一つのモデルを示していると思いました。

 一方で、研究と現場はそのまま簡単に接合できるものではなく、必然的に社会・経済的な状況を合わせて考えていく必要がありますし、「科学的」であればそれでよいというわけではありません(例えば流出抑制だけを考えた「珍奇」な施業法が提唱されるといったことが出てくるかもしれません)。単なるデータの提出者、専門知識の提供者だけにとどまらない役割を、行政・市民・事業者の人たちと共同作業の中で果たしていかなければならないわけで、そこで「わが業界」として、あるいは研究者個人としてきちんとした戦略をもつ必要があることを痛感しました。

 最後に意見なのですが、ますます本質的な議論が求められる中で、午前中だけで4スピーカーに議論というのは難しいと思います。今回のシンポジウムの議論も一日かけてやったらもっといろいろな論点が出てきて、議論が発展したのではないかと思いました。

 シンポジウムの趣旨からだいぶ外れたコメントになってしまいましたが、大変刺激的で、考える機会を与えていただいたことに感謝いたします。

 

人は川とどうつきあっていくべきなのか
                  蒔田 明史 (秋田県立大学)

 「脱ダム宣言と森林整備」と題したシンポジウムに参加させていただいた。森林にダムの代わりが務まるのか?端的に言えば、これがこのシンポジウムを通じてのテーマであったように思う。

 私は京都に生まれ育ったこともあり、学生時代(はるか20数年前の事ですが)から、琵琶湖の開発・環境問題に関わってきた。そうした経緯もあり、ダム問題には以前から関心があった。今回の脱ダム宣言は画期的なことであり、多くのしがらみの中で、このような宣言を出すことができたのは、あの個性的な知事だったからこそであろうと思っている。脱ダム宣言自体は知っていたものの、現実に長野県でどのような政策展開が行われようとしているのかについては詳しく知らなかったので、本シンポジウムでの長野県林業総合センター・小山さんのお話は大変興味深かった。急展開に現場サイドで苦労されている様子もかいま見られて、臨場感のある報告だったと思う。現実に森林の機能評価を行うためには、まだまだ様々な問題があるだろうが、少なくとも『現実問題』として、森林の価値やあり方を考えようという動きが生まれてきたことは良いことだと思う。

 ただ、その一方で、このシンポジウムを聞いて、何か満たされない想いが残ったことも事実である。それはなぜかというと、「なぜダムはダメなのか」「ダムの功罪は?」と言った観点の議論が欠けていたからではないかと思う。学生時代に、ダム問題に関連して、四国のある河川沿いの村を尋ねて地元の人に話を聞いたことがある。その川はかつてはアユ釣りで有名な川であった。しかし、ダムが出来て以来、川の濁りがひどくなってアユは住めなくなったという。小学校で子供に川の絵を描かせたところ、生徒が川を赤茶色や黒っぽい色に塗るのを見て先生が驚いたという話を聞き、衝撃を受けたことを今でも覚えている。脱ダム宣言に絡んだ問題で、上流の森林を単なる水貯めとして評価するだけで良いのだろうか。もっと川を巡るトータルな議論をする必要があるのではないだろうか。今回話題提供された新潟大学の大熊さんは、河川工学者であると共に、川の歴史を中心に自然と人や社会との関係性を研究されてきた方でもある。今回のお話は技術的な点が中心であったように思うが、「川はどうあるべきなのか」「我々は川とどうつきあうべきなのか」といった観点のお話を大熊さんからもっと引き出すことができれば、議論はさらに深化したのではないだろうか。ちょっと残念であった。

 現在のダムの機能を固定的に捉えて、上流域の森林にその肩代わりをさせようとするのは、森林に対してちょっと気の毒な気がする。ダム問題は、中・下流域も含めた流域全体の環境設計の中で議論していくべき問題である。流路のあり方、河畔のあり方、洪水への対処法、そして、人と川とのふれあい方、そうしたものを含めて、日本の川のあり方をもう一度考えてみる必要があるのではないだろうか。そして、そうしたトータルな議論の中で、流域の森林の機能評価をしていくべきだと思う。ダム問題は、結局「人は川とどうつきあうべきなのか?」という問題だと私は考えるが、いかがであろうか。

 

森林施業研究会シンポジウム「脱ダム宣言と森林整備」に参加して
                  蔵治光一郎(東京大学演習林)

私は,森林と水の関係の科学的解明(森林水文学)を専門分野としている大学の一研究者であると同時に,長野県知事の脱ダム宣言と,それに対する国土交通省や民主党の動きを興味深く見守っている一市民である.本研究会のシンポジウムに参加したのは初めてであったが,タイトルに惹かれて参加した.

講演された先生方のお話や議論は,たいへん興味深いものであった.

大熊先生は,土木工学の立場から,ダムの高さを決める確率洪水流出量の決め方について問題点を的確に指摘された.ダムの高さは,それが決まるとコンクリート量,水没面積,付替え道路などの規模が決まる本質的要素である.発電や灌漑などの需要が減少し,水が余りぎみの現状では,ダムに期待される主な役割は治水(洪水防止)であり,ダム高さは,既往大雨記録から計算された確率最大降水量と時間変動パターンの引き伸ばし,貯留関数法による瞬間最大流出量によって決めること,その計算の中には安全側,安全側にたつあまり,必要以上に規模の大きい計画となる場合がありうることが指摘された.洪水防御のための安全率と,ダム計画の規模,それに伴う環境破壊,投入される税金とはトレードオフの関係にあることを,下流の流域住民にすべての情報を開示して十分説明しながら合意形成をはかっていくことが必要である.このように言うのは簡単だが,実際は極めて難しい.現実問題となっている地域では,国土交通省,都道府県,住民,それぞれ血のにじむような努力をされているのだろうと推察する.それが長野県の小山さんのご報告にも現れていた.トップの決断は不可欠だが,現場を動かすことは,トップが思うほどたやすくない.

 小山さんの報告は,トップの決断に対して,その実現に努力されている様子が切実に伝わってきた.しかし研究者の立場からは,近年の森林と水の関係についての長年の研究成果が反映しきれていない,という印象を受けたことは否めない.これは行政の不勉強ではなく,むしろ研究者の方に責任があると考える.近年の森林と水の研究者は,自分たちの研究成果が森林管理,森林施業に反映されるなどとは考えもせず,専門家のための専門的研究に邁進し,行政や市民の方をまったく向いて来なかった.突然,風向きが変化しても,専門的知見を行政や市民が利用できるような形で翻訳された資料を提示できるわけがない.しかし,日本における森林と水の研究の歴史を紐解くと,岡山県のため池の集水域の造林にあたって,森林が水を消費するのか,森林が水を増やすのかという論争が,そもそも研究が始められた動機であることがわかる(蔵治,2001).現代の科学者は,まるでそのことを忘れたかのようであり,謙虚な反省が必要であると考える.今後,研究者も変わっていくことを,自戒も込めて期待したい.長野県の場合は,信州大学農学部の研究室が対応するとのことで,安心して今後の経緯を見守りたい.

 柳井先生も指摘されたように,木材生産のための森林管理,森林施業の技術は存在しても,水土保全のための森林管理,森林施業の技術は存在していない.それは,そういう観点で誰も研究したり技術開発を行って来なかったからである.未来のニーズを見通せた者は誰もおらず,当面のニーズがないことは研究してこなかった.ここへ来て急にニーズが発生しても,すぐには対応できない.相手が森林である以上,森林管理,森林施業の技術の確立,体系化には長い時間がかかる.さらに科学的厳密さを求めるならば,ある施業法が確かに水土保全のためによいという実証が必要である.それには途方もない時間がかかる.問題によっては現象が非常に微妙で,そもそも,現在の科学レベルで本当に検証できるのかさえ,わからない.しかし,現実は待ってはくれない.相浦さんが示したような,画一的施業の結果出現した現実の森林は,今後どうするつもりなのですかと我々に訴えているように見える.

 ダムの機能を森林整備によって代替できるのか,ということを論じることが本シンポジウムのテーマの1つであったと思う.ダムの機能は多岐に渡り,森林の機能はもっと多岐に渡ることは明らかで,それらを代替できるかどうかを論じること自体に無理があることは否めない.例えば,森林(とそこを流れる渓流)は多くの人間の心にやすらぎを与えるが,ダムをみて安らぎを覚える人は稀であろう.またダムは発電できるが森林は発電できない.比較できないことを前提として,仮に洪水防止という一点にのみ注目すれば,乱暴にもダムと森林の機能を比較することができる.

 森林は,他の土地利用,例えば牧草地,田畑,ゴルフ場などと比較して,洪水防止機能において各段に優れている.なぜなら,洪水防止のために必要なことは,洪水前にできるだけ流域に存在する水を消費して流域を乾燥させておくことであり,森林は他のどのような植生よりも水を多量に消費するからである.森林は雨が多く,水が余っているようなところにしか,存在しないことは,世界の気候図と植生図を見比べれば明らかである.山のほとんどがすでに森林に覆われている日本は,国土交通省のホームページに書いてあるとおり,すでに洪水防止機能を十二分に発揮しており,それをさらに強化する余地は少ないことは間違いない.しかし,木材生産を度外視して税金を投入できるという納税者のコンセンサスが形成されるのなら,現状の森林をさらに水を消費するような形に誘導するような施業は考えうる.広葉樹よりも針葉樹,樹冠が閉鎖するような密植,枝打ちをせずに,葉量を多く,といったことになろう.しかしこのような施業がいくら洪水防止のために良いといっても,他の機能のことを何も考えていない画一的な発想であることは明らかである.森林と水の関係一つとってみても,洪水を防止する観点からは水消費量の多い森林,渇水を防止するためには逆に水消費量の少ない森林がよいというトレードオフの関係が存在する.いわんや森林の多岐に渡る機能を考慮すれば,何が適切な施業なのかという問いに万人が納得する答は出ない.これは特定分野の研究者が現実対応をサボっていたというようなスケールの問題ではなく,森林と人間のかかわりにおいて必ず発生する本質的な問題である.この状況で意思決定しなければならない行政が負わねばならない責任は極めて重い.

 以上の議論は多少乱暴なところがあり,例えば洪水防止といったときに,年間の総量だけでなく大雨の季節性を考慮しなければいけないが,専門的になるのでここでは省略する.最後に強調しておきたいことは,森林と水の関係を解明しようと考えている研究者はたくさんいて,彼らの多くはこの問題に積極的に貢献したいと考えているということである.本シンポジウムをきっかけとして,研究者,行政,市民の間のネットワークの輪が少しでも広がれば幸いである.

 引用文献

蔵治光一郎,森がもどり水がもどる時間,科学(岩波書店)71, 57-66, 2001(1月号)

 

脱ダムと森林涵養の接点
                  有田博之(新潟大学)

 今回のテーマが「脱ダム宣言と森林整備」ということで、田中長野県知事のブレーンとして「脱ダム」宣言の作成にも関与されたと思われる大熊教授の講演に期待して参加しました。このとき、資料として配付された「脱ダム」宣言を読み返し、全体としてよく練られた文章だという印象を改めてもちました。「長野県においては出来得る限り、コンクリートのダムを造るべきではない」という文言はやや唐突ですが、知事の意図を強く感じさせます。この点が、政治的関心を呼び起こしているのは、今日の広範なダムについての議論・状況の中では当然のことと思われます。

 こうした背景の下でシンポジウムの議論を聞いたのですが、展開は私が予想したものとは幾分落差がありました。大熊さんの論点はダムが過大に計画される傾向がある、すなわちもう少し小さなもので十分ということであり、林学分野の方の論点は森林の保水機能評価や林道の管理等に関するもので、双方に接点を見いだすのは困難でした。

 私が期待した論点の一つは、「脱ダム」宣言における考え方はどのようなものであるのかを技術的観点から示し、森林の機能をどのように評価し位置づけたのかを知りたいということでした。森林を緑のダムとして位置づける議論がありますが、こうした論点はどのように扱われたのかが紹介されていたなら、今回の他の報告ともかみ合ったのではないかと思われました。また、長野県の「森林と水プロジェクト」報告では、森林の洪水防止機能に関する調査は保留可能量の評価に特化していましたが、レジュメには「河川流量の平準化」機能という観点も示されています。洪水防止に関して言えば、防災上の関心が先ずピーク洪水量をどこで吸収・緩和するかにあるとするなら、森林の土中を移動する水をフローとして捉え、ピークカットに寄与する機能を評価する等の観点があっても良かったのではないかと後で振り返って思いました。これは、議論の中で大熊さんが下流の堤防を嵩上げすることでピーク流量を河道で補足すれば、ダムに期待されている機能と同様の効果を得ることも出来ると話しておられたこととも対応するのではないでしょうか。「脱ダム」宣言と現場での作業に多少の「ずれ」を感じたのは私だけでしょうか。

 期待した第2の論点は、林学の分野では洪水防止機能をどのように捉えているかということでした。緑のダムなんて言われても迷惑だといった観点もあるのかと、ややヤジ馬的な関心もあったのですが、そうした不真面目な発言はなく、己の軽薄を恥じました。しかし、長野県の担当者の方の奮闘ぶりを聞いていると、論点整理もこれからなのだろうと思われました。門外漢の無責任な印象は、ここで技術的な隘路となるのは森林の多様性であり、良好な森林形成が洪水防止機能を高めると言っても個別の流域について定量的に把握するのは困難ではないかということでした。もしそうなら、「ダムに代替する森林」という模式が出来あがると、当面つらいかなあと傍観する次第です。

 今回のテーマは、私の仕事に関しても刺激的でした。私の仕事は農業土木・農村計画研究ですが、ここではダムは先ず第1に農業用水を確保するための利水施設であり、地域エネルギーの転換施設(近年ではマイクロ発電による電力を地域振興に利用しようという動きもある)でもあります。今回のダムと森林・防災の関連についての議論は、農業用ダムと農地・利水あるいは地域資源利用における議論にも多く共通するように思われました。しかし、こうした問題を検討する場合、全てのダムは不要であるという断定は生産的とは思えないし、同時にダムありきという立場も容認されないでしょう。

 今日、求められていることは、地域あるいは流域全体をどのように管理し、良好な環境を作り上げるかという観点から、資源管理のトータルな戦略をどう作り上げるかということについての議論ではないでしょうか。私は、地域管理という概念がこうした課題を議論する上で有効と考えています。地域管理とは、大まかに言って、地域を単位として、生産・生活・環境のあるべき相互関係を模索・調整し、これにもとづいて資源管理を総合的に行うものです。ここにいう資源とは、水だけでなく森林、自然、文化・伝統、土地利用、労働力等を含む包括的なものです。ダム、森林管理、農業対策等は手段としての選択肢の一つであり、役割も多様な対策と組み合わせて評価されるべきでしょう。田中知事には、政治スローガンは「脱ダム」(?)であっても、手法としては「地域管理」を目的とした計画行政の積極的位置づけに重心をおいていただきたいと願っています。

 

「釣竿片手に、堰堤の前で考えたこと」をシンポジウムで考える

                  成松眞樹(岩手県林業技術センター) 

 現在の私の研究内容は菌根性きのこの生態と栽培で、いわゆる森林施業の本流からは少し離れてはいるが、それでも豊富な話題とエキサイティングな議論を楽しみに、ここ数年参加させて頂いている。普段のフィールドは研究対象きのこの性質上、尾根筋(特にアカマツ希望)ではあるが、無積雪期の休日には雫石辺りの渓畔林に潜り込み、渓流で竿を振ることが多い。そこでは行く手を遮る巨大な堰堤に怯えながらもその堰堤前後の溜りで魚を狙い、スギの作り出す木陰に毛鉤を落としていたりする。日頃から「建設の必要性や規模を算定する際の根拠は何か?また妥当か?」「ダムは有効に機能しているのか?」「有効に機能しているダムの代わりを森林は(どこまで)担えるのか?」について興味が有り、今回のシンポジウムに参加した。

 新潟大学の大熊先生の話しを聴き、特に治水目的のダムについて、その設置/規模算定根拠となっている流量算定モデルにかなりの曖昧さが存在する事を認識した。この曖昧さが行政サイドに都合よく利用された時、色々な問題が起きているように思える。曖昧さの中に存在する(であろう)究極の一線を求める議論と共に、許容線を引き下げる議論と、大熊先生のおっしゃるところの「高級車ではなく大衆車でも、普段乗るには不便が少ない」思想の普及が必要ではないだろうか。堤防の嵩上げによる洪水への対応も今後進めていくべきだとの意見には納得である。河口域或いは流域に広大な湿地帯や河畔林、無人の広野が広がる国は別として、川に近接して人が住んでいる我が国では、独自の治水対策が論じられるべきだと思う。

 では、森林にその機能を求める事は可能なのか?森林は公益的機能を有し、実際に現行の民有林森林簿にも機能区分の欄がある。それらの機能が高まる様に施業により誘導をしていく…と、最近よく聞く事では有る。比較的小さな集水域単位での施業−水文特性の関係に関しては演習林等で研究されているが、長野県林総セの小山泰弘氏が発表された事例は、・複数種類の群落構成・多様な地形構成・そして複数の所有者を対象に、複数の目標林相を設定している点が興味深い。森林整備や、今回設定された施業エリアに対する下流部住民の意識の変化についてのモニタリングも興味が有るところである。また、県に身を置く者として、部局間での連絡調製の苦労は察するに余りあるものがあった。全国的な先進事例として、現在行っているWEBでの情報公開を今後も継続して欲しいと思う。新潟駅までの帰路、氏と話す機会が有った。「とにかくやってみなければ始まらないので」との言葉が印象的だった。

 水源涵養機能の向上を目指して実際に森林整備を行う際には、さしあたり目標とする林が用材生産林のそれとは異なる場合も当然予想される。また、施業そのものが悪影響を与える場合も有り得るのは、濁流を溯ったらそこは各種工事現場だった… を通じて経験的に知るところで、こうした流出土砂の流入が河川の生態系に及ぼす影響も懸念されているところである。用材林造成目的の大規模かつ集約的な施業には道が不可欠だが、水源林整備は必ずしも大規模集約的に行う必要が有るのだろうか?環境への負荷が少ない施業法が注目されているが、流域の河川生態系への配慮も必要であると思う。また、柳井先生らによる、間伐材を利用した淡水魚棲息好適環境造成技術の開発は興味深く、これも森林整備の一部分を担う技術と言えよう。

 富山県林試の相浦英春先生の講演は、残念ながら他セッションとの関係で十分に聴く事が出来なかったので、申し訳ありませんが感想を控えさせて頂きます。

 今回の講演を通して、この分野には水文・生態(陸圏・水圏)・植生・生理・地質…等々の様々な学問分野が関係し、敢えて言えば「環境」そのものである、という事実に改めて気付かされた。今後は各分野での研究成果をクロスリンクさせた、日本型ノウハウの構築が大いに期待されるところである。

 今回も色々と考えさせられる事が多く、有意義なシンポジウムでした。

リレー・エッセイ「林業・森林管理の現場から」(2)
「生涯森林官!」の心積もり
                  某森林管理署 某森林事務所 森林官 T,H

1,スギ・ヒノキの違いって?

 某森林事務所の森林官になってから3年目になりますが、就職した時の自分と比べるとずいぶん成長したな〜と思います。普通科の高校を出て、親父の料理屋の跡継ぎになろうと決めていましたが、母親の薦めもあってとりあえず受けてみた国家公務員3種の林業職に受かってしまい(一生懸命勉強して入った方すいません・・・。)当時の東京営林局に入局したときはスギとヒノキの違いも分からないほどでした。環境問題に関心がある程度だったので、こりゃお門違いの職場を選んでしまったなと思いました。

2,森林官という転機

 森林管理署というのは、若い人とりわけ若い女の人が少なく、おまけに田舎暮らしのオンパレードで、いつやめてやろうかといつも思っていました。しかし2年前に初めて森林官になり、一国一城の主となってから、自分の中で仕事に対する姿勢が変わってきました。研究機関に働くAさんを初めて知ったのは、森林官の会報みたいなものに「今の森林官は山が嫌いで、休日になると都会に行ってしまう。そんな山に無関心な森林官が多いから国有林は良くならない」みたいなこと(ちょっと大げさかも)が書いてあり、当時の私としては、実態を知らない人間がなんてことを言うんだ!一度あったらかみついてやろう。と心に誓っていました。しかし今では、業務研究発表で知恵を貸していただいたりと、無くてはならない存在になっています。そんなこんなで、Aさんや、森林技術センターのBさん、某森林官のK・Hさんなど、森林施業に情熱を持った人たちとの出会いが、自分の仕事に対する姿勢を変えてくれました。

3,私の管轄する国有林

 某森林事務所では、2つの市の合計約2,600haを管轄しています。A山系の南端に位置し、穏やかな山が多く比較的林業の盛んな地域です。しかし森林管理署の知名度はゼロに近いです。なにをしているかも良く知らないためか、森林で働く人だから森林のことについては何でも知っているエキスパートだと思っている人が多いようです。5年間の研修をなんとなく受けて、森林官になった自分にとっては、ちょっと待ってくっちょ!ということが何度かありました。

4,開かれない国有林

 某森林官も言っていましたが、うちの職場で業務研究発表というのはなすりつけあいでしかなく、余計な仕事を持ってくるなという人がほとんどです。日常の業務が忙しいからということもあると思いますが、国有林を良くしたいという情熱のある人が少ないように感じます。偉そうに言えませんが、私はせめて自分の管轄している国有林だけでも良くしたいと思っていますし、農林水産技官という名に恥じないような知識を身につけたいと思っています。うちの職場では画一的な仕事が好まれていて、新しいことに取り組むことを嫌う傾向があります。皆伐跡地の更新にしても、100年先の山の将来が、自分たちの手で決まってしまうのに、前世樹がスギだからスギでよかっぺと言った具合です。自分も判断できる知識や経験がないので、頭を悩ますときが多いですが、林業に7年しか携わっていない人間が山の将来を決めるというのはシステム自体が間違っていると思いますし、それだけ森林施業というものを軽んじているということではないでしょうか。また、森林管理署の人間は森林総研などの研究者が嫌いです。うちの国有林に勝手に来て、勝手に試験して勝手に訳の分からない装置を設置してという具合にめっぽう嫌っています。お互いのコニュニケーションが足りないという理由だけで本当にもったいないです。広大なフィールドを持つ国有林と膨大な知識を持つ研究者が、良い意味でお互いを利用しあえたら、どれほど日本の林業や森林に貢献できるのかと思うと、ほんともったいねーなーと思います。

5,気持ちは生涯森林官でありたい

 自分の職場の悪口をかなり言ってしまいましたが、現場作業員である基幹作業職員の人達の中には、技術の向上を目指し、自分の仕事に誇りを持っている人はたくさんいます。

たくさんの人に国有林を知ってもらうために努力している人、職員が働きやすいように努力する縁の下の力持ちといった人達はたくさんいます。本当に日本の森林、林業を良くしていくのは、霞ヶ関ではなく実際現場に接することができる人だと思います。そんなはかない夢をあきらめず、自分の仕事にこだわりと誇りと情熱を持ち続けていたいと思います。森林官の仕事ってやろうと思えばいくらでもあるし、勉強する気持ちがあればいくらでも学ぶことのできるすばらしい環境です!

 今、Aさんの影響をうけてかうけていないか分かりませんが、水辺林の造成について職場内での研究発表でやろうと思っています。広葉樹施業は国有林ではまだ浸透していないので、同じような研究をしている方はたくさんいますが、自分が勉強したいというのもあって取り組む予定です。機会がありましたら、あつかましくも、みなさんのご指導を受けたいと思っています。また自分は国有林内部の人間ですので、国有林に対する批判や意見を聞かせていただければありがたいです。

<編集後記>

ある林業技術者の集まりの中で、「林地残材は産業廃棄物か?」ということが話題となった。林業が産業活動である以上、そこから生み出された残材は明らかに産業廃棄物と解釈されるのではとか(確かに植木の処理は産廃扱い)、木材を焼却すればダイオキシンが生産されるのだから、「産廃」として処理されるのではとか、納得の行かない論議が続いた。現実には、林道開設に際し、出てくる伐根(林道廃棄物)を集め、粉砕処理し、焼却することまで行われている。処理費用は、1m2当たり1万数千円がかかるという。地球温暖化対策の中で、森林をCO2の重要な吸収源と位置づけながら、お金とエネルギーをかけて、CO2を放出するのも理解できないし、低コスト化にも反する。まして、林業廃棄物(林地残材)は、林地の地力維持にとっても極めて重要である。木材の焼却がダイオキシンの発生に結びつく(?)というのであれば、なおさらである。(狢)

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