木霊 (TARUSU)
森林施業研究会ニュ−ズ・レター 
No.25 2004.9.13.
Newsletter of the Forest Management and Research Network


丹沢合宿の案内−神奈川県丹沢山地の現地検討会(丹沢合宿)に参加を!

森林施業研究会恒例の現地検討会がこの11月、神奈川県の丹沢山地で開かれます。今回のテーマは「森林認証」です。速水林業が日本で最初の森林認証を獲得して、はや4年が経過しました。その後、各県、各森林組合も獲得したり、それに向けて動いています。森林認証獲得後に何が変わったのか、また何が課題なのか、そして獲得すべきなのかなどを議論する機会にしましょう。現地検討は、日本で最初に事業部門と試験研究部門が一緒になった神奈川県自然環境保全センターの取り組みを中心に現地見学します。是非とも、現地検討会(丹沢合宿)に参加されることを呼びかけます。丹沢合宿の日程・内容は次の通りです。

第二次世界大戦末期、軍部の伐採要請を拒み、守られた丹沢考証林

1110日(水)

宿泊:民営国民宿舎「丹沢ホーム」(TEL:0463-75-3272)

午後2時集合
現地検討(3時〜4時30分)
(1)札掛周辺の森林(人工林、モミ林)
夕食(午後6時〜7時)
自然環境保全センターの設立経緯と丹沢大山総合調査の紹介
       羽太博樹(自然環境保全センター企画情報課)
県有林事業の紹介 杉谷祥志(自然環境保全センター県有林部森林整備課)
シカ保護管理事業の紹介 永田幸志(自然環境保全センター自然保護公園部野生生物課)

懇親会(午後9時〜)

1111日(木)

宿泊:民営国民宿舎「丹沢ホーム」(TEL:0463-75-3272)

現地検討(午前9時〜午後4時30分)
(1)堂平の高齢級人工林試験地(シカ高密度生息地での下層植生管理、広葉樹導入試験)
(2)天王寺尾根のブナ林衰退試験地
(3)丹沢山周辺の植生回復試験地(植生保護柵)
(4)丹沢山の気象観測試験地
(5)丹沢三峰のシカ影響試験地
(6)堂平の土壌流防試験地

セミナー(午後7時〜10時)「森林認証」について、林業技術協会、及び各県から取り組み状況を報告

懇親会(午後10時〜)

1112日(金)

現地検討(午前9時〜12時)
(1)三ノ塔の崩壊地復旧試験地
(2)よもぎ平の水源林整備地(ケヤキ林・スギ林)

12時解散

参加費:(宿泊・食事・酒代こみ):2泊3日で、およそ16,000円 学生14,000円

交通手段:合宿中の移動は車となります。近県の方は出来るだけ車でお出でください。電車で来られる方は、13時30分に小田急線秦野駅南口に集合してください。宿泊地まで公用車を出します。

注意事項:11日(木)は標高差600m余りの山歩きとなります。山歩きできる装備(足回り、防寒着、手袋など)を準備してください。

参加申し込み:参加希望の方は、以下の担当まで氏名、所属、連絡先、参加日、交通手段(車or電車)などをご連絡ください。

田村 淳(自然環境保全センター)TEL:046-248-0974 FAX:046-247-7545

E-mail: tamura.7qh1@pref.kanagawa.jp

申し込みの締め切りは宿泊予約の都合により1010日とします!

<海外レポート>

イラン、カスピ海南岸の森林

                         大住克博(森林総研関西支所) 

1.森林国イラン

 イラン北部のカスピ海地方の森林を垣間見る機会を得ました。日本ではあまり知られていない地域なので、その素晴らしい自然を紹介しましょう。

 イランは国土の南西部と北部にそれぞれザクロス、アルボルスと呼ばれる、3000〜4000m、時に5000mに達する大きな山脈を持ち、その間が広大な高原地帯になっています(図1)。国土の大半は乾燥地帯ですが、ザクロス山系には地中海系植物群によるナラを中心とした疎林が、そしてアルボルス山系北面のカスピ海に面したユーラシア系のよく発達した夏緑林が見られます。今回ご紹介するカスピ海南岸のユーラシア系夏緑林は、国土の1%強を占めるに過ぎませんが、それでもイランは国土が広いのでほぼ200万haに達します。カスピ海南岸は、意外なことに大変温暖で、年平均気温は15〜17℃、かつ湿潤で年降水量は1000mm前後で山間部では2000mmに達します。これは、台風に伴う集中豪雨がないことを考えれば、数字から受ける印象以上に湿潤なのではないでしょうか。この気象統計値を見ればお分かりのように、気候風土は西南日本とよく似ています。いや、山の雪を見れば、日本海側北陸か山陰地方かもしれません(写真1)。

図1

写真1

農業も水田による稲作が中心で、他にも柑橘類、茶、養蚕が盛んです(写真2:S.Y.サーニ「イラン国と人々」より)。

写真2

ここではイランの風土についての一般的イメージ、乾燥地、遊牧民、オアシスの灌漑農業など(写真3)はすっかり修整を迫られることになります(写真4)。

写真3写真4

このような環境をもたらしているのは世界最大の湖、あるいは内海であるカスピ海の存在です。日本列島とほぼ同じ面積をもつこの湖は、気温の変化を和らげるとともに、この地域で夏季に卓越する北風、冬に卓越する北東風をとおして、大量の水分をカスピ海南岸にもたらします。ちなみにアルボルス山系南面の年降水量は200〜300mm程度で、テヘランから北へ国道を走ると、わずか数時間のうちに、この極端な降雨傾度に対応して、峠をはさんで植生が地中海系草本と潅木に覆われた荒原(写真5;写真6・7地中海系草本の花々。野生のチューリップが多い。)から湿った森林(写真8)へとすっかり入れ替わる様子が観察できます(図2)。

写真5写真6写真7写真8

図2

このようにカスピ海南岸は、この地域の民族にとっては中央アジアから西アジアにかけての広大な乾燥地帯に孤立した豊かで巨大なオアシスであり、生物にとっては、東アジアと欧州を結ぶ地点に残った避難キャンプであるといえます。

2.多様性の高い天然林

 この地域の森林植生は、オリエントブナで有名ですが、他にもカエデ、ハンノキ、シデ、トネリコ、ニレ、シナノキ、コナラ(クヌギ節)属の樹種などが分布し、東アジアほどは種数がないものの、ユーラシアの冷温帯広葉樹林の典型的な組み合わせが見られます(写真9)。

写真9

特産種としてはマンサク科のParrotia persicaがあり、また東アジアとの関連ではケヤキ、サワグルミ属の分布が注目されます。これらは、第三紀に発達した北半球の植物群が、造山運動により周囲が乾燥化する中で、この地域に遺存したものと考えられています。この地域の夏緑林は前述のように日本の夏緑林の種構成とよく似ているのですが、その一方で、垣間見た限りでもいくつか相違点を指摘することができます。第一は、モミ、トウヒ、マツなどのユーラシアに一般的な針葉樹樹種を欠き、針葉樹林帯が形成されないことです。針葉樹はイチイ、ネズコ、イトスギネズの仲間が単木的に、あるいは石灰岩植生として分布するのみです。第二には、気候的には十分温暖湿潤な低標高域(稲、柑橘類、茶畑、枇杷が栽培され、ナンヨウスギや多くの東アジア産照葉樹が植栽されている)でも、照葉樹林にあたるような常緑樹林を欠き、山地林と同様の夏緑林が連続していること、そして第三には林床を含めてササ類を欠くことです。これらは大変興味深い点で、おそらくこの地域の地史的な影響を背負っているものと考えられます。

写真10

標高800m以上はオリエントブナ林が発達しています(写真10)。この下限標高が人為撹乱によるものなのか、環境要因によるものなのかはよく分かりません。オリエントブナは大変巨大で樹高50m、胸高直径1.5m以上に達し、しかも通直です(写真11・12)。

写真11

写真12

樹冠にサルオガセが下がる様子がしばしば見受けられたことから、この標高帯は雲霧帯に当たり、実際には降水量で示される以上に湿潤なのではないかと思われます。水分ストレスの少なさと、さらに加えれば台風のような熱帯低気圧が来襲しない地帯であることが、このような巨大な広葉樹林の発達を可能にしているのかもしれません。ブナ林は基本的に少数の林冠木の枯死に伴うギャップ更新によると考えられています。撹乱を受けたところには、カジカエデに似た葉を持つカエデ(Acer velutinum)やハンノキ(Alunus subcordata)、トネリコ(Fraxinus excelisor)が多く成立します。これらは寿命も短め(150年ほど)で撹乱依存種と考えられていますが、樹高はブナと同様に非常に高くなります。クヌギの仲間(Quercus castaneifolia:写真13)もしばしば混交しますが、これはブナよりも長命なようで、時に胸高直径3m以上に達します。

写真13

下層植生は、場所により樹高数mに達する針葉樹のような姿のツゲが繁茂することもありますが、一般には発達が悪く、低木層を欠き林床層も低く押さえられています。これを光環境や立地に解釈を求める説明もありますが、一見したところでは、林内放牧による摂食の影響が強いものと思われました(写真14)。しかし、林冠ギャップではキイチゴ(Rubus hyrcanus, 写真15)、クサソテツ(日本と同種)が繁茂し、先に挙げたツゲと並んで、ブナの更新阻害要因となっています(写真16)。

写真14写真15写真16

 山間の小さな谷筋は、ブナを中心とする山腹斜面と同様な森林で覆われていますが、やや大きな林冠が開くような渓流沿いには、渓畔林といえるような森林が見られます。主な構成種は先にブナ林における撹乱依存種として挙げたカエデ(Ac.velutinum)やハンノキ(Al.subcordata)、トネリコ(F. excelisor)、ニレ(Ulmus glabra)、イタヤに似たカエデ(Acer cappadocicum) などが引き続き渓畔域にも優占し、さらに渓畔種としてサワグルミ(Pterocarya fraxinifolia)(写真17)やヤナギ類(Salix spp.)などが見られます(図3)。

写真17

図3

このうち、最も先駆的なのはやはりヤナギ類とハンノキのようで、日本と同様に新しい氾濫原に若齢一斉林を形成しています(写真18)。それ以外は低位以上の段丘上に多く、そのような場所の林床は、やはりキイチゴが繁茂しています。渓畔で見られる種のうち、多くは山腹斜面の森林のギャップや林道脇にも見られるものですが、ヤナギ類とサワグルミは渓畔域に限られているようでした。さらに下流域の大きな川の周辺にはケヤキ(Zelkova carpinifolia)やポプラ(Populus caspica)も出現します。

写真18

3.用材林管理

 このような豊かな森林地帯を抱えて、意外にもイランにはかなり「林学」が根付いています。「林学」の対象は、半乾燥地帯の潅木林や紅海沿岸のマングローブ林など地域によって異なるようでしたが、尋ねたカスピ海沿岸ではもっぱらブナとナラの用材林としての管理でした。同行した大学、森林草地研究所、国有林といった所属の人々の間で盛んに交わされたのは、「近自然管理」と呼ばれる日本でいうところの非皆伐施業でした。例えば画伐から択伐まで、伐採が作り出す林床の光環境と、天然更新した稚樹の成長、それを阻害する下層植生のコントロールの関係などです。さらに、木材生産のみでなく、生物多様性などの公益的機能の重視しようということなど、今、北米から東アジア、欧州、さらにイランまで、世界中で同じ話が席捲していることに感慨深いものがあります。

一方、針葉樹人工林は、半乾燥地帯に欧州アカマツなどが植えられているのを除いて、ほとんど見ることはありませんでした。これは、今回連れて行っていただいた北海道道立林業試験場の寺澤さんの指摘ですが、現在はドイツ系林学の影響がかなり強いと思われるイランで(アメリカとは国交が無いこともあるか)、針葉樹の拡大造林が行われなかったということは、確かに謎です。我々日本人から見れば、この緯度でこの温度と降水量であれば、まさしくスギの適地と確信するのですが。

4.里山

さて、二次植生、二次的景観、イランの「里山」についても、少し触れようと思います。稲作のような生業や植生が類似していることから、森林と人との関係も類似し、日本の里山のような森林が存在することが期待されたのですが、実際の様子は若干異なっていました(写真19・20)。

写真19写真20

まず日本の薪炭林のような地際で伐採した萌芽林があまり多くありません。主流は地上1m以上の高さで萌芽させる頭木更新か、樹冠の上部まで枝を下ろしたシュレッディングです(写真21)。

写真21

これらは、林内放牧による家畜(牛や羊)により萌芽枝が食害されることを避け、また、林床に光を導入して草を繁茂させるための方法で、ヨーロッパなどに広く見られる里山管理手法です。これは道理で、カスピ海地方は気候や植生、稲作こそ日本と類似するものの、周囲を牧畜文化に囲まれた中にあって畜産も盛んで、林内放牧(といっても日本で見られるような鬱閉した森林内の放牧ではなく、草地と樹木が混在したより開放的な景観と想像されますが)も伝統的に強度に行われてきました。なお日本では、牛はブナの更新を阻害する下層植生、特にササ類を食べ退行させるので、林内放牧が八甲田や八幡平の広大なブナ二次林成立に貢献してきたことが知られています。カスピ海地方でもオリエントブナ林の更新に、林内放牧は何らかの影響を与えているような気がしてなりません。

このような人と森林の関係の違いは、「里山林」の景観の違いにも影響を与えているようです。カスピ地方では、浅い山でも大木からなる深深とした森林に覆われていることに、強い印象を受けますが、これらの大木を見ると、多かれ少なかれ、ほとんどの木が枝おろしを受けていることに気づきます(写真22)。

写真22

イランでも過去数十年、森林の保全管理が強化され、以前に比べて林内放牧なども制限されるようになったそうですが、もともと枝下ろしされた大木が放牧地に存在していたために、短期間で深深とした印象を与える森林が回復したのかもしれません。一方、日本では、一旦皆伐された後の萌芽一斉林から出発しているため、「保全された里山林」の景観も、おのずと違ったものになっているのではないでしょうか。

もう一つ、渓畔林にも関連して、日本には無いサワグルミの萌芽林をご紹介しましょう。これは山よりの川沿いの村で見られたもので、水田の周囲の生垣としても使われています(写真23)。

写真23

ちなみに農地周辺の生垣は、一般には家畜の侵入を防ぐためのものであることが多いので、牧畜と稲作の複合したこの地域ならではの景観と言えるでしょう。用途を聞くことはできませんでしたが、サワグルミ以外のハンノキなども同様に生垣に組み込まれていることから、特にサワグルミに特別な用途があるわけではなく、立地的に多く分布し、萌芽力も強いことを利用しているものと考えられました。

5.おわりに

今回はイランの一部を、わずか3日間垣間見ただけですが、その自然環境の傾度の大きさと、そこに成立する植生、そして人々の文化の多様性は、大変興味深いものでした。いわゆる景観生態学的な研究にとっても格好のフィールドになると思われます。一方で、イランの一般の人々やその社会は、決して我々の感覚からかけ離れたものではなく、ごく普通で常識的なものに感じました(写真24)。

写真24

少なくともテヘランやカスピ海沿岸では、メディアを通して流布しているイメージ、宗教的熱狂といったものとは程遠い雰囲気で、人々の風貌や服装も含めてどちらかというと地中海的かもしれません。治安もこれらの地域では一般的に良好なようです。豊かな文化遺産(写真25)、西洋庭園の源流でもある庭園(写真26)と美しい自然にあふれ、機会があれば訪ねる価値は十分にある土地だと感じています。

写真25

写真26

<森の声・人の声>

ブナ林に手を出す森林ボランティア

                    新国 勇(福島県只見町) 

 森林ボランティアが脚光を浴びています。手入れが行き届かない山林を救おうと、全国各地の山にボランティアが入って活動しているようです。ボランティアを受け入れる地域も、山林がよみがえり、都会からの交流人口が増えると一様に歓迎ムードです。わが町にも数年前から森林ボランティアが訪れるようになりました。年2回、1回50人前後のボランティアが全国から集まります。越後山脈直下の山奥の町に、身銭を切ってまで山野の手入れに来ていただけることは、たいへんありがたいことです。

 しかし、ひとつ気にかかることがあります。それは、森林ボランティアがブナ林の下草刈りをしていることです。ブナ林の中の低木や下草を刈って、奥まで見通せるぐらいにしてしまいます。参加したボランティアは、ブナ林の下草を刈ったことで森が生き返ると信じているようです。地元の住民の中にも、たいへんきれいになりよかったという人がいます。まるで、散髪してさっぱりしたとでもいう感じです。自分たちのした行為は、森林に活力を与え、衰退した森をよみがえらせると思い込んでいるのです。

 しかし、ブナ林をよく観察したら、どんなことになっているか気づきそうなものです。ブナ林は、本州の冷温帯地域を代表する原生的な森林です。極相に達したもっとも安定した森林であり、自然林とも天然林ともよばれています。状態のよいブナ林では、草本層・低木層・亜高木層・高木層という4層構造からなっているということは、森林生態学の常識です。草丈30〜80cmくらいのミヤマカンスゲなどからなる草本層、その上部には高さ1〜3mほどのユキツバキやアブラチャンが茂る低木層、さらに高さ5〜10mのイタヤカエデ・コシアブラからなる亜高木層、そして最上部には高さ15〜25mのブナの高木層があります。それは光を求めて競合した結果、階層構造が生まれたといえます。さらに、草本層や低木層には、多様な樹木の稚樹や幼樹もたくさん生えています。そのような構造をもった森林を、ヤブのように見ているわけです。邪魔に見える木を取り除いてやれば、ブナ林はもっとよい森林になると考えるのでしょう。しかし、ブナの子どもたちやほかの樹木もきれいに刈り取ってしまって、永久にブナの森が維持できるのでしょうか。下層の樹木や草がなくなってしまうことで、林内の日照、湿度、風の状況もまったく変わってしまします。ブナ林の下草刈りが、その森を破壊する行為だとは考えないのでしょうか。

 
「水際まで迫る只見のブナ林」

 どうして、こんなことを平気でしてしまうのか。それは、第一に「森林は管理しなければダメになる」という漠然とした認識をもっているからです。本来、下草を刈り、間伐を行うべきは、スギやヒノキなどの人工林や里山とよばれるナラなどの二次林です。それがブナ林という天然林まで拡大して解釈してしまうのです。つまり、人が手を加えてできた人工林や二次林と自然のままの天然林とを区別しないで同じ森と考えていることに問題があります。第二には、「山が荒れている」というのは、採算がとれなくて放置されたスギ林や生活様式の変化によって人間の手が入らなくなった二次林なのであって、天然林たるブナ林の多層構造まで荒れていると勘違いしていることです。確かに人工林や二次林は、ササがはびこり、つるがまきついて荒廃しています。まっさきに手を入れるべきは、そのような森林であって、ブナ林ではありません。

ブナ林の下草刈りが無意味だということを、誘致している担当者や行政関係者に何度も話しをしましたが、ほとんど通じません。「ブナ林だって、手入れすれば、りっぱな林になる」「下草がなくなってきれいになったのに何がわるい」「町をあげて交流人口の増加を推進しているのにとんでもない」など、こちらが妨害行為でもしているかのような言い草です。議論になると、「これだけたくさんあるブナ林の中で、すこしぐらい認めてやってもいいじゃないか。一生懸命やってくれているのだから」「ブナ林だって、すこし前までは、人が入って炭を焼いたりしていた。裏山のブナだって、二次林なのだから問題はないだろう」、さらには「ブナにあこがれて集まるのであって、雪で曲がったスギ林では魅力がなくてボランティアは集まらない」とまで言い出します。森林ボランティアに限らず、一般の人たちも森林に関する誤解があります。草原の中に林立するヨーロッパのブナ林が美しい森の典型であって、日本のように植生豊かな森林はよくない森だと思う人が多いのです。人の管理が行き届いた人工的な森林が理想的な森だと錯覚しているようです。実は、多層構造からなるブナ天然林がもっとも生物多様性に富んでいるのですが、そのことは意外に知られていません。

 森林ボランティアは、日本の山の将来を案じて集まってくれている方々ではないでしょうか。その純真な人たちにブナ林の下草を刈らせておいて将来どうなるのでしょう。良かれと思ってやったことが、いずれはとんでもないことをしたといわれる日がやってきます。それは、森林の救済を信じて活動している森林ボランティアの心を踏みにじるものです。ボランティアの人たちがかわいそうです。そして何よりもブナの森にとって被害甚大です。

 いま、森林ボランティアの募集では、広葉樹の下草刈りとしています。しかし、広葉樹に人気があるからということではなく、本当に下草刈りや間伐が必要とされているのはどんな林なのか、もっとよく議論していただきたいと思っています。

わが町のブナ林は、いま国内屈指の規模と原生度をもつ地域として注目を浴びています。ブナを誇る町が、ブナ林の下草刈りをするボランティアを受け入れているということは、たいへん恥ずかしいことであるということに気がついてほしいのです。ブナの将来より、交流人口が増える経済効果の方が優先するような情勢の中、孤軍奮闘の日々を送っています。

 

リレー・エッセイ「林業・森林管理の現場から」(3)

切り株に腰を下ろし、100年先を考える

                         某森林管理署 某森林事務所 森林官T、S

1.技術者として −社会の役に立つ仕事人になりたい−

最近の林野の傾向なのでしょうか? 私は異業種の水商売(注:接客業ではないですよ!)からこの職場に入ってきました。当初は下水処理関係の職場などを模索していたのですが、水を沢山使う所は[人口が多い=都会]が多く、緑のない東京での生活に飽き飽きしていた私は、地方での仕事を中心に探すようになりました。

当時の就職戦線は、超氷河期の一歩手前といった時期だったと記憶しています。仕事を選ぶ基準として「公共性が高く」「出来るだけ田舎」で「自分の技能が生かせる職場」と捜し歩いたのですが、なかなか良い返事がない中で何の気なしに受けた国家公務員III種が受かって、トントン拍子に公務員になっていました。

登山が好きだった私は、地元の八丁池周辺などが国有林であることを知っていましたし、木材が環境負荷の少ない優れた資源であることも承知していました。

地元自慢ではないのですが・・・八丁池周辺はすばらしい環境で、5月の石楠花が咲く頃、八丁池の周りをピンクのリングが包む様子はまさに神秘的であります。晩秋のブナ林を歩くと、乾いた落ち葉のシャリシャリと言う音と、凛とした静けさ、空気・・・寒さに耐え生命が息吹をじっと凝らしている、そう言った生命感が感じられる山です。

裾野には木材生産のためのスギやヒノキの山々が広がり・・・そのような山々を作り管理する・・・うおぉぉぉ〜〜、こりゃ理想の仕事ではないですか!!

下水処理は曝気槽(ばっきそう)の中のミクロな生態系を管理する地味な仕事です、それに比べて地域の生態系までも左右する林業はまさにマクロコスモス! I先生は黄昏時に何時間も実験室の曝気槽の滞留や汚泥を観察していました。マクロな世界を管理するのに何時間も付きっきりで対話するI先生をも上回るもの凄い技術者達が国有林にはいるものだと思っていました。

入局した当時は、国有林の凄腕技術者になってやる、そういう意気込みでした。

2.小役人化 −思考の停止−

局から最初に配属されたのは、I県にある県北の営林署でした。第一印象は「木の畑」、山に木の畑が広がっている!! そんな場所でした。林業を学ぶには最適な環境であるにもかかわらず、職場に蔓延する伝統的な考えに徐々に洗脳され、私は考えることを止めてしまいました。

3.職場での転機 −「けったいな人たち」との出会い−

誤った考えによって歪んでしまった私は仕事をする活力や将来目指すべき(山・人生・・・etc)ものを見失っていました。そのような中で私は、K市にある国有林ではちょっと毛色の違う事務所へと送られて・・・出会ってしまうのです、けったいな人たちに。

その事務所での3年間は最初に思い描いていた国有林の技術者たちの姿がありました。

その3年間で多くの技術者や研究者と出会い、また多くの山を見る機会が与えられ、その山の将来を考え、討論する・・・そのような時間が与えられました。

今、現場の仕事を考えるとき、この3年間の蓄積が多くの柔軟な思考を支えていてくれる、そう思うときがあります。

しかし、そこで得られたものは完璧なものではないと思っています。60年で伐期を迎える山は、今私がこの手で植えても、私はその収穫に立ち会うことは出来ないでしょう。私が30年間休みなく山のことを考え、私の後輩がまた山のことを30年考える、その後輩が始めてその実りに立ち会うことができる。それが林業技術・林業技術者としてのあるべき姿だと思います。そのようにして技術や山が継承され今に至っているのですから。

100年の山なら何年考えなくてはならないのでしょうか?

 私は再び、多くの事を学び、山を理解したいと思うようになりました。

「100年の山を100年考える」

4.最近現場で思うこと −迷走する職場と技術者たち−

とても残念なことがあります。ほとんどの国有林に「100年の山を100年考える」そういう思考の技術者がこの職場に少なく(昔から少数派だったのでしょうか?)なってきている。ということです。

山に手を入れるなら、もっと慎重に考え議論しなくてはならないと思います。しかし、今は「金になるから」「事業量を上げなくては」と言った考え・・・何の理論も技術もそれにはありません。初回間伐の列状間伐化や間伐率30%への引き上げ、高齢級林分の扱い方など議論が十分に必要なものが「やれというので」と言う理由で業務が決定し進んでゆきます。

どのような山を作っていくのか? それを議論し、もっとも現地にあった適切な方法を選択していく、それが技術であり山作りであると思います。ところが、結局は何がしたいのかはっきりしないまま「とりあえずやってみて問題が起こったときに考えれば良いのでは」 と言う考えで山作りをして本当に良いのか? まさに迷走状態です。

 現場を守っている職員も高齢化が進み、業務の請負化が進んでいます。現場職員は言います「俺たちがこの山を作ってきたんだ」。その技術と山は彼らの先輩たちから受け継がれて現在に至ります。その流れさえ「金がない」と言う理由で断ち切られようとしています。

請負の作業員は言われたとおりの仕事はしますが、将来の山を考えてまでは仕事をしてくれません。請け負い代金に「将来のことを考えて施業する」代金は含まれないので、当然といえば当然でしょうか? 仕事はどうしても経済性優先で、荒っぽくなってしまいます。これには非常に大きな問題があるように感じます。それとも私たちが細かい注文をつけないから悪いのでしょうか?

「あ〜、ここを間伐するとは特に小型のバックホーを使ってね。搬出機はXXは絶対駄目だからね、沢に機械入れる?あっこから入れるでしょ。あ゛あ゛〜、そこ広葉樹は切らないっ!なるべく下木に被害のない様に!あっ、そこさらさない!!伐根はなるべく見えないように処理して・・・云々」ここまで言えれば技術者として100点なのでしょうか?

「そもそも、ここを被害木処理するのは問題じゃないのか?」と言う議論が最初からなかった? そのような視点で見る技術者がもういない? それとも・・・まったく問題と感じていない? そうは思いたくないけれど、半ば故意的に?

南会津は他人事ではありません。

5.希望 −自分と後輩たちに−

散々えらそうな事を沢山書きました。私はまだ入ってから10年もたたない平職員ですし、I県以外の職場に行ったことがないので狭い視野での話です。しかしこれはだけは実感しています。

国有林の持つ技術の深さは計り知れないものがあるということ。技術を持っている人たちはその発揮すべき場所を固定観念に囚われ見出せないでいるだけなのです。K市での3年間の経験がそれを気付かせてくれました。

現場の職員の声を良く聞いてみてください。言葉は違うけれど研究者とまったく同じことを話しています。技術者と研究者はその表現方法の違いこそあれ目的は同じなのです。

ですから、「現場の職員の声を良く聞く」これが大切だと思います。30年以上その現場で山を見ていますから、適切な意見を聞けるはずです。そしてあとは私たちが色々な人たちの話を聞く中で、良く山と対話することだと思います。

日々の業務に追われ、山と対話する時間が疎かになりがちだと思いますが、一つここは伐根に腰を下ろして、将来のこの山の姿を想像してみたらいかがでしょうか?

あなたならどう育ててゆきますか?

さあ育てより大きくより豊かに!!

「思索にふける場所は用意されている」

<編集後記>

国立公園内の園地で、森林管理署の職員と昼食をとっていると、一匹の貧相なノラ犬が現れた。このノラ犬、この地域では知る人ぞ知る有名な犬たちの一匹で、その名も「ブチ」。近年、日本各地でシカの個体数が爆発的に増加する傾向にあり、農林業被害が拡大、その対策に手を焼いているのが実情である。この地域でも有害駆除による個体数管理に加え、公園内の自然植生を保護しようと全長10数キロに及ぶシカの防護柵を設置してきた。しかしながら、劇的な効果を生むまでには至らなかった。そのような中、これら三匹のノラ公が思わぬ働きをすることになった。すなわち、冬季の越冬シカを共同でシカ柵のネットに追い詰め、狩りをするのだという。過去2年間で捕ったシカの頭数は230頭とも240頭とも言われている。シカの保護管理にあたる行政担当者は、この成果を無視できず、このノラたちの成果を、ついに有害駆除の実績に加えることにしたと言う。絶滅したオオカミの再導入なくして、シカ問題の根本的な解決はないと主張した人たちもいるが、人間に見捨てられたノラ犬たちが今やこの地域の生態系の頂点に立っている(狢)。

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