木霊 (TARUSU)
森林施業研究会ニュ−ズ・レター 
No.27 2005.02.16.
Newsletter of the Forest Management and Research Network


林学会の消滅に際し、森林にまつわる保続と林学の継承を考えよう!

第10回森林施業研究会シンポジウムに参加を!

 明治期、近代林業経営の黎明期に、その学問的後ろ盾となったものが“ドイツ林学”で、当時の林学の先人たちは、ドイツ留学で得た知識をひたすら翻訳し、日本の林業経営に導入しようと試みた。その中核的な思想が“収穫の保続”である。基本的には森林資源(蓄積)の保続=領主・国家財産の維持と収益の確保を狙ったものであるが、今日の森林の持続的経営・管理に通じるものがある。そのための思想・技術が林学の原点である。森林の保続は、単に蓄積・収穫の保続に止まらず、多面的諸機能の維持も求められ、それを実現するための思想、政策、科学、技術そして人材が必要となる。そして森林の経営・管理が長期に及ぶところから、これら分野の保続が強く求められる。にもかかわらず、森林経営・管理の原則であった“保続理念”は、その時代時代で、いいように解釈され、今日、それぞれの分野、局面で破綻寸前の状況にある。今こそ、林学の原点に立ち返り、森林の保続を真剣に考える時かもしれない。


集会名:森林施業研究会第10回シンポジウム

 テーマ:森林の保続−資源・機能・技術そして人−

 話題提供:

 (1)森林資源の保続 石橋 聡(森林総研・北海道支所)
 (2)森林機能の保続 中村太士(北海道大学)
 (3)大学演習林における技術の保続・継承 酒井秀夫(東大富良野 演習林)
 (4)国有林現場における技術の保続・継承 高橋武夫(元北海道森林管理局函館分局)

 主催:森林施業研究会

 日時;3月30日(水) 午前9時〜12時

 連絡先:森林施業研究会事務局
  大住克博(森林総研関西支所)osumi@ffpri.affrc.go.jp
  長池 卓男(山梨県森林総合研究所)nagaike-zty@pref. yamanashi.lg.jp

今年もやるぞ!全国交流会(総会)

シンポジウムの前日、29日に、恒例の森林施業研究会の総会兼全国交流会(簡単に言えば宴会)を開催します。今回の開催地、札幌(北大)は、研究会発足のきっかけを作った場所で、今年は研究会発足10周年にも当たり、林学会もついに消滅した。林学会が消滅しようとも、林学をやり続けよう!林学を継承するのは、森林施業研究会である!との意思の下、ネットワークの拡大を謀議しましょう。

 場所:七福神商店西口店
     札幌市中央区北5条西7丁目JR高架下

地図をクリックすると拡大図がでます。

 TEL:011−221−0006

 日時:3月29日 午後6時30分より

 参加費:5000円(学生3000円)

参加希望者は交流会幹事まで、10日前までに申し込みをお願いいたします。

交流会幹事:中川昌彦(北海道立林業試験場)

      e-mail. nakagawa@hfri.bibai.hokkaido.jp

            Tel:01266-3-4164


2004年日韓交流セミナーの記録

                    関 剛(森林総研東北)・Lim, Jong Hwan(林 鐘煥;韓国山林科学院)

 さる2004年9月12日から16日にかけて、岩手・秋田両県において日本・韓国の森林研究者を中心とする交流セミナーが行われた。参加者は途中参加も含めると25名(日本:16、韓国:5、台湾:2、フィリピン:2)で、日韓というよりは東アジア森林研究者交流セミナーといった状況であった。本稿は、初秋の本州北部の森林を舞台に行われた意見交換・親交の様子についての記録である。

 なお、本文を関、写真記録をLimが担当した(写真5、6は関)。

9月12日  顔合わせ

 秋雨前線の雲がかかる空の下、JR北上駅に十人ほどの参加者が集合した。本日の宿泊場所は北上市ふるさと体験館である。レンタカーに分乗した一行は奥羽山脈麓の丘陵地を西に向かい、夕闇があたりを覆う中、目的地に到着した。グラウンドの端に立つ体験館はかつての小学校だったそうだ。のどかな田園地帯にたたずむさまは、参加者にとって「ふるさと」という雰囲気だったかもしれない。

 体験館には北上駅以外のルートからも参加者が集まり、部屋割りの後にさっそく夕食となった。この日の夕食では自己紹介の場がなかったので、互いの出身や何語での会話がよいかを確かめながら賑やかに話題に花を咲かせていた。

 一方、主催者側の関心事は今後2、3日の天候であった。当初の予定では13日がカヌマ沢の現地検討会、14日が焼石岳登山であった。天気予報をみていても予定は決まらず、主催者は取りあえず明日登山を敢行する場合も考慮して、携行する食料を買い出しに出発した。

 翌日の準備も整ったところで、話題提供の場が設けられた。一つは大住氏(森林総研関西)によるイランの落葉広葉樹林について、もう一つはLimによるブラジル・アマゾンのLTER試験地についての紹介である。イランの森林については、ブナを始めとする巨木が湿潤な気候の下で林冠を形成していること、強風による攪乱の影響が小さく家畜による採食の影響が大きいことなどが紹介された。なお、この話題の詳細な内容については森林施業研究会のホームページに紹介されている。アマゾンのLTER試験地については、雨季・乾季が明瞭な環境に試験地が設けられていること、国際的な長期観測試験地のネットワークの下でタワーによる気象観測をはじめとする環境測定が続けられていることなどが紹介された。

9月13日  焼石岳登山

 当初の予定ではこの日にカヌマ沢の現地検討を行うはずであったが、2、3日間の天気予報を参考に検討した結果、焼石岳登山を行うことになった。参加者は当日参加のみの宗原氏を加えて、総勢19名であった。鈴木氏や台湾からの参加者ら3名は平泉等の文化財を見学することになった。

 体験館を出発する頃には曇っていた空も徐々に晴れ間が増した。一行は焼石館前の駐車場で宗原氏と合流、10時前にはつぶ沼登山口に到着した。カラマツ造林地の登山口から登り始めて落葉広葉樹の二次林を通り、中沼のあたりでブナ林にたどり着いた。そして、銀名水と名付けられた清水の湧くところで昼食・休憩、しばし語らうことになった。

 登山道沿いに広がる落葉広葉樹林は、日韓研究者間のコミュニケーションに格好の材料となった。例えば、ササの林床である。林床に広がっていたチシマザサは多雪環境を象徴する植物であるが、韓国の研究者からはチシマザサの林床が江原道の森林に印象が似ているという感想が聞かれた。かつて筆者が交流セミナーの際に歩いた江原道の森林では、スズタケが林床に広がっていた。スズタケは日本では太平洋側で優勢なササなので、筆者は当時、その森林が少雪環境である印象を持った。そんなことを思い出すうちに、気がつくとササ談義が始まっていた。このような話題の他、木の芽食、堅果食など、山の幸をめぐる話題も盛り上がっていた。

 銀名水のあたりから上では、雪崩など雪の影響もあってか高木が少なくなり、見通しがよくなっていた。やがて一行は平坦地に到達、先ほどまでの無風状態から一転して風の吹き付ける中を歩くこととなった。このあたりは、ミヤマナラやミネカエデなどの落葉広葉樹の低木がいわゆる偽高山帯の景観を形成していた。

 止む気配のない風を受けながら歩き続け、一行は山頂直下の泉水沼とよばれる小さな湖沼のそばに着いた(写真1)。ここでしばし相談。今から山頂に行くと下山時には暗くなるかもしれないので、休憩後引き返す案も出たが、結局希望者のみが山頂を目指すことになった。韓国からの参加者は5人全員が登頂、日本組も女性3人を中心に5人がガスの中の山頂に立った(写真2)。山頂は泉水沼よりもさらに風が強かったが、時折ガスの切れ目から下界の景色も見えた。やがて、登頂組・待機組は合流して一路登山口を目指した。あと少しで登山口というところでにわか雨も降ったが本格的な天気の崩れにはならず、全員が無事に下山した。


写真1 泉水沼からみた焼石岳



写真2 焼石岳山頂にて


 宿に着いてからは、海外からの参加者の歓迎会が行われた。参加者全員が英語で自己紹介を行い、飲み物の力も借りてさらなる懇親を深めた。

 懇親会の後には、セミナーとして二つの話題が提供された。最初に、酒のつまみというわけではないが、マツタケの人工栽培についての話題が成松氏(岩手県林業技術センター)によって紹介された。次いで、八幡平地域や焼石岳における積雪環境と亜高山帯・偽高山帯の植物群落の分布についての話題が、杉田氏(森林総研東北)と関によって紹介された。マツタケの人工栽培の話題では、菌床栽培の困難なマツタケが子実体形成する条件やそれに基づく栽培方法の検討状況が示された。積雪環境における植生の話題では、対象地域の植生図の他、積雪が針葉樹の稚樹定着に及ぼす影響など現在進行中の研究データなどが示された。

9月14日  カヌマ沢渓畔林試験地現地検討とセミナー

 前日に焼石岳登山を終えた一行は、少し脚の痛みを感じつつもカヌマ沢渓畔林試験地に向かった。午前10時頃の段階では穏やかな晴れ。ここで星崎和彦氏(秋田県立大)による試験地の概要説明があった。カヌマ沢渓畔林は不安定な地表が土石流などの大きな攪乱を受ける場所である。河川に影響を与える森林として、その動態・維持機構解明を目指した長期的な研究が続けられている。試験地の設定目的等の説明を聞いた一行は、沢の右岸側の落葉広葉樹林を斜めに下りて試験地内部に入った。

 試験地内では個体識別した樹木の肥大成長が追跡調査されているが、一本の幹にいくつものタグがついているところで現地説明と議論が始まった。カヌマ沢は多雪環境であるために、胸高部位につけられたタグはしばしば損傷する。少雪地域からの参加者、特に韓国からの参加者にとってはそのような積雪状況は頭に浮かびにくかったようだ。積雪期の状況に想像力を働かせながら説明者・参加者は効率よく正確なデータを取る方法について議論を深めた。

 やがて一行は試験地の本体ともいうべき、氾濫原に着いた。ここで、星崎氏によって試験地の地表攪乱履歴について説明を受けた(写真3)。試験地は1988年に設定が開始されたが、最初の地形測量を行っている途中で土石流が起こったこと、その後も1998年の豪雨によって流路が変わったことなど地形変化をともなった攪乱の履歴が説明された。



写真3 星崎氏の説明を聴く参加者

 そんな激しい地表変化を続ける環境にあっても氾濫原には巨木が存在していた。特に、複数の幹が株立ちしたカツラは人が入れるほどの空間をともなうものまであり、参加者の関心を集めていた(写真4)。

 試験地での議論は盛り上がり、出発時刻は予定よりも繰り下がった。このころになると、曇り空に強い風が吹き始めて、少し寒さを感じるほどであった。焼石岳登山とカヌマ沢試験地検討会の日程交換は正解だったといえよう。

写真4 カヌマ沢氾濫原のカツラ大木

 午後からは温泉施設「焼石クアパーク・ひめかゆ」を会場にして話題提供が行われた。タイトルと演者は以下の通りである(順不同)。

Buot, I.E. Jr, (University of the Philippines at Los Banos, Philippines): The Philippine mountain landscape vegetation.

郭 寶章(Kuo, P-C.), (Taiwan University, Taiwan): Forest vegetation and forestry in Taiwan.

Lee, C-B., (KFRI, Korea): Relationship among specific leaf areas and sizes of Quercus serrata, Carpinus laxiflora, Carpinus cordata in Kwangneung Experimental Forests.

Lim, J-H., (KFRI, Korea): Research status on ecosystem change in Kwangneung Experimental Forests.

Park, C-R., (KFRI, Korea): Preliminary results on the interaction networks among plant, insects and birds in Kwangneung Experimental Forests.

Kang, Y-H., (KFRI, Korea): Forest rehabilitation trends and soil characteristics after fire at the Samcheok LTER site in Korea.

Shin, S-C., (KFRI, Korea): Fire history in the pine forests of the east coast region of Korea focused on Samcheok LTER site.

Hoshizaki, K.*, Suzuki, W., Osumi, K.., Takahashi, K. and Masaki, T. (*Akita Prefectural University, Japan): Introduction to Kanumazawa Riparian Research Forest: stand structure and a case study on Aesculus regeneration.

Suzuki, W. (FFPRI, Japan): Geographic distribution and floristic composition of Salix hukaoana stands.

 Buot氏、郭(Kuo)氏は、それぞれフィリピン、台湾の植生について垂直分布を中心とする解説を行った。Lee氏、Park氏、Limは韓国・Kwangneung(光陵)長期観測試験地における研究結果について、Kang氏、Shin氏は韓国東海岸で山火事が頻発しているSamchuk(三陟)長期観測試験地における研究結果について発表した。また、星崎氏は午前中に見学したカヌマ沢渓畔林の構造とトチノキの更新様式について、鈴木氏はユビソヤナギの分布と保護をめぐる現状について発表した。

 Buot氏・郭氏の発表内容は、日本列島と同様に海洋性気候が卓越する条件での植生の分布を中心としていた。このため、温度条件が及ぼす影響についての考察が多かった。

 Kang氏、Shin氏による山火事の話題は、温度とは別の環境要因、すなわち水分条件の重要性を示唆する内容であった。山火事は春先の乾燥が激しいと規模も大きくなりやすい。両氏の研究のうちShin氏の研究は、火災後も生存していた個体に残る痕跡(fire scar)をマーカーとし、年輪年代学的手法によって火災の歴史を復元するものであった。同じ場所で何度も起こる山火事が乾燥の激しさを象徴しているようであった。

 Lee氏、Park氏、LimのKwangneungについての発表は、それぞれ異なる視点によるものであった。Kwangneung長期観測試験地は二酸化炭素フラックスや物質循環など生態系の長期的観測を重視した試験地である。樹木の個体群動態を長期観測している日本のいくつかの試験地とは設置目的が異なることが感じられた。一方で、個々の研究者がこうした試験地を利用して植物と動物との相互関係など、個別の課題を研究している状況もうかがわれた。

 星崎氏、鈴木氏の発表は方向性が異なっていたが、冷温帯多雪地帯における河川環境と樹木との関わりを扱う内容であった。カヌマ沢での現地検討の直後における発表だったので、参加者は渓畔林・河畔林について考えを深めていったことと思う。

 個々の発表内容は多様であったが、垂直分布のような温度条件をめぐる話題と山火事や河川のように水分条件・水環境にかかわる話題があったことで、東アジアの森林の成立する環境について複眼的に考える機会となったのではないだろうか?

 話題提供・夕食後は飲み物持参で三々五々集まっての語らいとなった。前日の晩、韓国からの参加者は発表の最終調整を行っていたらしいが、本日はめでたく発表も終わり、リラックスそのものであった。

9月15日  高齢スギ林を目指す旅

 前日の現地検討会は人為的な影響の少ない条件での植物群落を対象としていたが、この日は秋田県北部に残る高齢・高樹高のスギ林が対象であった。岩手県南部から秋田県北部への移動はちょっとした旅となったが、道すがら目に映る景色はよい観察材料であった。

 宿泊場所「ひめかゆ焼石館」を出発した一行は、国道397号線を西進して秋田県に入り、十文字インターチェンジから湯沢道路、秋田自動車道を北上、五城目インターチェンジで一般道に入って上小阿仁村へと北東に進んだ。この日の最終目的地は二ツ井町にある、「仁鮒・水沢スギ植物群落保護林」である。

 この日の旅で一行が最初に観察したのは、奥羽山脈の岩手県側・胆沢川上流部の渓谷である。このあたりは豪雪のために国道が冬期間閉鎖される。胆沢橋付近の峻険な山々は、雪崩や積雪匍行のためかあちこちで地肌を見せていた(写真5)。森林が成立しているところでは、ブナなど広葉樹の樹冠があちこちでこんもりと盛り上がるようにみえた(写真6)。霧がかかる日に訪れたら山水画の風景にみえそうな場所であったが、この日は青空で空気も澄んでいた。参加者は多雪地帯の広葉樹林の景観を眺めてはカメラに収めていた。

写真5 雪崩後が残る、胆沢川上流部の斜面

写真6 胆沢橋から見た胆沢川上流の森林


 そのような景色も県境を越えると一変した。秋田県側では脊梁山脈の奥までスギの造林が進んでいて、同じ山塊とは思えない景色であった。県境をはさんだ土地利用のあまりの違いを見て、海外からの参加者のみならず、国内の参加者も驚いていたようである。

 奥羽山脈を下り高速道を北上し始めると、主催者も予想していなかった景色が展開した。秋田県内陸の丘陵地はスギの人工林やコナラなどの二次林が多く分布しているが、9月中旬であるにもかかわらず、多数の樹木の葉が褐色に変色していたのである。もっとも顕著だったのは五城目町でみかけたケヤキで、葉が変色しただけではなく、ほとんどの葉を落としている木さえあった。葉の変色の原因は、8月から9月に襲来した台風によって運ばれた海水と推測されていることを星崎氏が教えてくれた。

 上小阿仁村での昼食・休憩後、14時過ぎであろうか、一行は目的地の群落保護林に到着した。保護林の入り口で、星崎氏が「天然秋田スギ」と呼ばれるスギの高齢林が成立した過程についての研究事例を説明した。氏は歴史的に続いたと推測される森林への人為的な影響について触れるだけでなく、近年の遺伝的なマーカーを使用した研究により、無性的な増殖がスギ樹幹数の増加に寄与している可能性についても紹介した。

 星崎氏の説明後、保護林内の遊歩道を巡る現地検討会となった。保護林は1991年9月28日に襲来した台風によって多数の個体が倒れる被害に遭った。また、この台風時に地表面の崩壊によって多数の木がまとめて滑り落ちた場所もあった。被害後、かつての細い小道は遊歩道として整備され、その遊歩道も苔むして落ち着いた雰囲気を出すまでになった。一方、被害を受けていない個体は何ごともなかったかのように高くそびえていた。参加者は樹高50mに及ぶ樹冠を見上げたり、林分の様子を撮影していたりした。そして、「日本一高い天然スギ」を前に集合した(写真7)。

 検討会終了後、星崎氏ら秋田県立大の3名はここで「セミナー本隊」と再会を期して秋田への帰途についた。一方、本隊一行は奥羽山脈・八幡平の秋田県側中腹にある後生掛温泉を目指して再び車中の旅を開始した。

写真7 「日本一高い天然スギ」の前で


 スギ人工林が広がる丘陵地帯や稲刈り準備が進む田園地帯を過ぎ、後生掛温泉に到着した時には薄暗くなっていた。温泉の裏側には火山活動が見られる観察路がある。一行は、暗闇が訪れるまでの短い時間、湯気を立てている地表面むき出しの谷や気泡が次々に浮かんでくる沢など火山景観を楽しんだ。

 山あいの温泉を楽しんだ一行は、山の幸を囲んでの送別会に臨んだ。海外からの参加者に対しては、主催者側から岩手県の伝統工芸品が贈呈された。今後も親交を深めようという参加者のスピーチが続き、懇談は盛り上がった。そして、別室に集まっての語らいは夜遅くまで続いた。

9月16日  八幡平で解散

 セミナーの最終イベントは、八幡平アスピーテラインを秋田県側から岩手県側へ抜ける途中での植生観察である。この日の出発は午前7時、温泉の駐車場は真上に青空が見えるのに全面日陰、肌寒さを感じる状況であった。それだけに空気が澄んでいることが予想され、もしかしたら多くの山々が見えるのではないかと期待された。

 一行は蒸の湯(ふけのゆ)駐車場で八甲田山・岩木山方面の遠望を楽しんだ後、アスピーテライン山頂(見返り峠)駐車場に向かった。峠の上空は風もなく、穏やかな晴れであった。峠付近からは岩手山をはじめ、雲海に浮かぶ早池峰山などを遠望することができた(写真8)。参加者は八幡沼や八幡平頂上付近を散策し、思い思いに景色を楽しんでいた。

写真8 見返り峠付近からみた岩手山(後方は早池峯山)

 峠の頂上から八幡平山頂にかけては海抜1500〜1600mほどで、樹高の低いアオモリトドマツ群落と多雪・風衝の影響を受けている広葉樹低木・チシマザサ群落が広がっていた(写真9、10)。雪が少ない(あるいは全くない)地域からの参加者は、積雪や風が植物群落に及ぼす影響について「地元組」の参加者に質問し、植生の成立過程について想像をめぐらせているようであった。

写真9 八幡平東側の、吹き溜まりができる斜面(後方右側は秋田駒ヶ岳)

写真10 八幡平頂上付近にて

 八幡平山頂付近の景観を楽しんだ後、一行は針広混交林が広がる樹海ラインを走り、岩手山を遠望できる駐車スペースで再会を期して解散した。

まとめにかえて

 1999年9月に韓国・智異山で始まった日韓交流セミナーは2004年で5回目を迎えた。その間、お互いが暮らす自然・文化・社会環境について共通点や相違点を見いだし、参加者それぞれが自分の日常を見つめ直す機会を得たのではないかと思う。そして、何より参加者間で親交を深めていったことがよい収穫であったろう。そして今年度、セミナーに台湾やフィリピンなどから新たなメンバーが加わった。今後のセミナーでも多様なメンバーの交流が進むことを期待したい。

 今回のセミナーでは、岩手・秋田両県をぐるりとまわる旅となった。長旅の中、現地検討会・セミナーの進行にご協力いただいた参加者のみなさんに感謝したい。そして、森林総研東北支所のメンバーを含め、セミナーを支えていただいたみなさんに御礼申し上げる。何より、今回の交流セミナーで事務局をつとめられた大住克博氏は韓国側スタッフとの連絡を緊密になされた。今回のみならず、これまでに信頼関係を築かれた氏の並々ならぬ努力には敬意を表したい。

 今後もセミナーを通じて参加者間の友情が深まることを期待する。

参加者(abc順、一部日程参加を含む)

Buot, Inocencio E.、櫃間 岳、本郷 美佐緒、星野 大介、星崎 和彦、星崎(安部) みどり、石井 敦子、金指 あや子、金指 達郎、Kang, Yung Ho、郭 寶章(Kuo, Pao Chang)、郭 中慧、Lee, Chang Bae、Lim, Jong Hwan、Luna, Amelita C.、宗原 慶恵、中田 理恵、成松 眞樹、大住 克博、Park, Chan Ryul、関 剛、関口 和美、Shin, Soo Cheol、杉田 久志、鈴木 和次郎




ドイツ「黒い森」の林業見聞録


「黒い森」地方の景観


第1回 林業連盟って何?

                              農林水産技術会議 正木隆

■ いざ、ドイツの黒い森へ

 私は2004年の10月25日から11月3日にかけて、ドイツのシュヴァ ルツバルト地域の林業を視察する機会をえた。長伐期林業に関する 共同研究を富士通総研からもちかけられ、その一環として林業が産 業として成立しているドイツの黒い森一帯を調査したのである。訪 問したのは、川上の林家から、川下の住宅メーカーに至るまで、木 材のサプライ・チェーンを構成する企業(個人林家含む)、木材ユー ザー、そして研究機関である。

 本稿では、その中から私の印象にのこったことを紹介したいと思 う。しかし、たくさんあるので一度では書ききれない。そこで、数 回にわけて、ドイツ林業の見聞録を書いてみたい。

 ただし、帰国してから本を読んだところ、「なんだ、すでにここ に書いてあるじゃないか」、とようなこともいくつかあった(山縣 光晶氏の論考など)。自分の無知が恥ずかしいところではあるが、 まぁ自分の備忘録もかねて、施業研究会のページをお借りして報告 してみようと思う次第である。

 第一回目の今回は日本の森林組合に似て非なる組織、「林業連盟」 についてである。

■ バーデンの盟約

 本題にはいる前に今回の調査メンバーを紹介しようと思う。

 今回の調査に同行したのは、主導者である富士通総合研究所の梶 山恵司さん、森林経理学者でフライブルク大学にも留学経験もある 神崎先生、そして鹿児島の山佐木材を経営されている佐々木社長の 3人である。経営の観点からは梶山さんや神崎先生、造林や生態学 的な見方については小生、木材利用やマーケティング関係について は佐々木社長、というぐあいに、川上から川下まで専門的に見るこ とのできる、バランスのいい陣容だったと思う。

 ちなみに、この森林施業研究会について常日頃思っていることだ が、この研究会は、川下に関するところが手薄ではなかろうか。ど んなに森を育て伐採したとしても、それがユーザーの望む木材でな ければ、売れ残るだけである。この研究会は、そもそものきっかけ からいって造林学・生態学の立場が色濃くでており、それはいたし かたないことだと思う。しかし、いつまでもそのままにしていては、 単なる自己満足に終り、林業に何も貢献せずにおわってしまうので はないか、という危惧をいだくことがある。

 話をもどす。上の3人の他に、もう一人忘れてはいけない人がい る。現地で通訳をしてくださった池田憲昭さんだ。この方は、フラ イブルグ市で通訳や執筆業などをされている。なんと実はフライブ ルグ大学の林学科で修士を取得された経歴の持ち主なので、一般の 日本人通訳には難解なドイツ林学用語もわれわれに正確に伝えてく ださった。今回の調査では本当にお世話になったと感謝している。

 以上のような陣容だから、どの企業を訪問しても、森林・林業の あらゆる立場から質問がでてくるわけで、私としてはその質問自体 をきくだけでも相当の刺激があった。

 今回の調査団は、日本の林業をなんとかしたい、という思いで一 致した。われわれは、有名な温泉保養地バーデンバーデンで杯をか わして互いに誓いをたてた。あくまでも「もうかる日本林業」を追 求しよう、と。


バーデンバーデン駅のレストランにて。
左から、通訳の池田さん、山佐木材の佐々木社長、
そして富士通総研の梶山さん。


■ 黒い森の第一印象

 移動にはレンタカーを利用した。運転はすべて梶山さんがしてく ださり、内心恐縮するとともに、そのタフさに感心したしだいであ る。

 シュヴァルツバルト(ドイツ語で「黒い森」の意)は、地形的には 北上山地のようえあった。ただし、生育しているのは、ドイツトウ ヒやヨーロッパモミ、ヨーロッパブナの3種がほとんどである。ナ ラ類やマツ類はあまり多くなかった。

 どうやら、ドイツの林学ではこの3種さえ覚えておけばよさそう である(池田さんもそれには同意)。日本でいえば、スギ、ヒノキ、 アカマツみたいなものか。一部には、ダグラスファーの造林も、成 長が早いという理由で造林されているが、これは日本でいえばカラ マツみたいな位置付けだろうか。

 それにしても、車で移動していると、丸太をつんだトラックとよ くすれちがった。街道沿いには小規模な製材工場も散見された。い かにも林業のさかんな地域という雰囲気にあふれていた。

■ 黒い森中部林業連盟(FMS)を訪問する

 11月28日の朝、とある小さなホテルのレストランで、黒い森中部 林業連盟(Forstwirtschaftliche Vereinigung Mittlerer Schwarzwald、以下FMSと略す)のプリンツバッハ氏にあい、説明を 受けた。


説明をしてくれるプリンツバッハ氏。実は
最初の風景写真はこの方からいただいたもの。
一番手前は神崎先生。


 このFMSは、私有林や自治体の加盟する組合である。設立された のは1966年だ。最初の規模は小さかったが、今は41の地区や場所を とりまとめる組織となり、会員数は個人・法人含め3700人に達っし ている。

 対象となる森林面積は合計で76000haで、蓄積は(枝も含んで) 345m3/haとなっている。平均の伐採量は 7m3/haだそうだから、年間に蓄積の約2%を伐採してい ることになる。その結果、生産される原木は33万m3で ある。haあたりにすると3.4m3だから、原木からの歩留 まりは62%といったところだ。

 さて、FMSの主な役割・特徴は以下の4つである。

  1. 市場との調整

  1. 個人の取引きをまとめて大口の取引きをおこなう

  1. カスタマーは製材工場

  1. 連盟加入の林家の技術および経営上のコンサルタント

 以前はこういう仕事は営林署がやっていたのだが、ドイツの財政 が厳しくなり、営林署では対応できなくなってきたので、こういう 組合組織が結成されるようになってきたそうだ。北ドイツにも似た ような組織があるが、黒い森地域では、この連盟のみだという。

 ちなみに黒い森の森林構成であるが、大きくみて、

  1. 国有林(実際は州が所有)

  1. 自治体の公有林(バーテンバーデン市、フライブルグ市など)

  1. 100〜200ha以上の面積の森林を所有する私有林(貴族・王族の家系)

  1. 100ha未満の小規模林家(黒い森の南部に集中)

にわけられる。これらのうち、FMSは(4)の小規模林家を網羅してい るとのことだ。

 プリンツバッハ氏曰く、「この連盟に加入していると、20haの森 林を所有していれば森林経営が可能となり、林業で家計の40%以上 をまかなうことができる。さらに、35haの森林を所有すれば、家計 を林業で100%まかなえる」。日本の実態をあたりまえに思っている と、にわかには信じがたいことである。これは本当だろうか?と思 う。子供のいない若夫婦のような家族ならば可能なのだろうか?一 つには、この地方では、基本的に林家は農業を兼業しているためだ ろうとは思う。

■ FMSの組織構造

 森林連盟の構成だが、各地区に代表と事務局をおき、そこから2 名が選出されて全体会議を構成し、そこから執行委員会(Executive Comitee)〜事務局(Office)をへて、連盟としての意思決定がおこな われる。また、大学教授や産業界の人間からなる専門委員会 (Adviser)も組織され、適宜諮問するようだ。

 この連盟の所属会員が社員となって、2001年に設立された有限会 社がある。その会社が連盟に加入している会員の木材の販売経営を 一手にひきうけている。会社としての収入は手数料のみである。お およそ、m3あたり0.5〜1ユーロ=70〜135円が相場だ (1 ユーロ=135 円として計算)。なぜこのような会社をつくったかとい うと、製材工場の規模が年々変化しており、それに対応するためだ。

 製材工場は、1976年の時点では年間取扱量が2万m3 以下の工場が全体の95%だったのだが、2001年には10万m3以上を扱 う工場が半分をこえた。このような市場の変化に対応するために、 機動的かつ柔軟に対処できる販売会社を設立したのだ。

 この会社の業務は、

  1. 木材の価格変化など市場動向の調査

  1. カスタマー(上述のとおり製材業者のこと)と大枠での年間契約をおこなうこと

  1. 小規模林家の伐採木を束ねてカスタマーに販売すること

  1. マーケヒングのコンセプトを作成し市場を開拓すること

  1. 伐採・搬出・計測・支払いなどのロジスティクス(物流管理)を迅速におこなうこと

の5つである。

 最後の(5)のロジスティクスに関しては、ユニークな仕組みでお こなっていた。会員の森林所有者が伐採をおこなったら、携帯電話 でその場で連盟に連絡を入れる(木材は林道端につまれる)。伐採量 が確定すると、連盟は製材業者に連絡し、それを受けた業者は現場 へ木材を引き取りにいき、その場で材積や品質を計測し、相応する 金額を連盟に支払う。連盟はこの金額から手数料を引き、林家に配 る、というシステムである。なお、測樹のときに製材工場が不正を はたらかないよう、公的機関によるチェックがおこなわれているそ うだ。


林道端で製材業者に運ばれるのを待つ木材


■ FMSはどのように役立っているか

 ドイツ人がこのような組織をつくったのは、「木材の有利販売」 をおこなうためである。

 上にのべたように製材工場が大型化したため、零細な林家では相 手にされなくなってきた。そこで、小規模な所有者をとりまとめて 一定規模の供給を安定的に確保し、同時に輸送コストも削減できる ため、製材工場からみれば安く、森林所有者からみれば個別に交渉 するよりも有利な価格で、木材を売買することが可能になっている。 顧客と年間契約を結ぶことにより、林家の収益も予測可能となり、 安定した経営ができる。  ちなみに、林道端でのm3あたりの価格は、

だそうだ。なお、品質の定義やそれぞれの生産量の比率は、後日、 製材工場の見聞録であらためて報告する。

 この価格自体は日本と大きく変わるものではない。しかし、ドイ ツでは、日本とちがって林業が産業として成立している。経営で大 切なのは売りあげではなくて利益である。ドイツでは、その利益を あげるために、コスト削減やマーケティングといった経営努力を必 死におこなっている。

 しかしちょっと考えれば、これは何も特別なことではない。「経 営」としてあたりまえのことである。そのあたりまえのことをして こなかったのが、日本の林業であろう。上の価格をみてほしい。重 ねて言うが、日本の木材価格はとくに安いわけではない。国際価格 からいうと、実は標準価格といってもいい。日本の木材市場はグロー バル市場なのだから、グローバル価格に収斂するのは当然のことで ある。ならば、品質をさげずにコストを削減する努力をしなければ ならない。それなのに、林野庁・議員・林家の人から聞く言葉は、 「木材価格が以前に比べてさがってしまったので、もうからない」 という言葉ばかりだ。それでは、経営者失格である。企業にたとえ れば、社会・顧客・株主・社員などにたいする責任を放棄している。 この観点からすれば、低収益を木材価格のせいにしている経営陣は いっせいに退陣すべきなのである。

 考えてもみてほしい。日本では、伐採した木材を原木市場にとり あえず運びこんでよしとはしていないか。それでは、原料の確保の 見通しを必要とする大口の顧客(製材工場)から見放されて当然だ。 誰でも、安定して供給される外材の使用に走ることだろう。

 日本林業においては、原木市場にたよるかぎり、川上の生産効率 をいくらあげても、製品がだぶついて価格を押し下げ、結局はもう けが出ないであろう。顧客のニーズを常にマーケティングによって 把握し、それに見合った製品を供給すれば、日本でも、もうすこし 林業ももうかるのではなかろうか。たとえば、渡邊定元先生の、対 数正規分布則を基本にした列状間伐理論は非常にすぐれていると思 うが、日本中のだれもがそれを真似て実行したたら、似たサイズの 間伐材が供給過剰となり、価格がさらに下ってしまい、経営を圧迫 することだろう。具体的な顧客を設定してそのニーズを把握する、 あるいは新たなマーケットを創造する努力をしなければ、いつまで たっても日本の林業は再生しない。

■ 施業の現場にて

 インタビューのあとは、会員の所有する実際の山に連れていって もらった。そこは所有規模約50haの森林だった。

 ここにかぎらず、黒い森の森林のほとんどは、トウヒの一斉造林 地である。これは、日本でスギ人工林だらけになっている状況に似 ている。そして、トウヒに混じって、天然のモミやブナが混交して いる。

 しかし施業のコンセプトは日本とは大きく異なる。黒い森での森 林管理の基本は「近自然型」、すなわち、いかに自然の型に近い林 型に誘導していくか、を課題としている。ドイツにおいても日本と 同様、1980年代までは、皆伐一斉造林が主流だったが、今はそれは やめ、皆伐はせずに、択伐をする決まりになっていて、伐期は100〜 120年とされている。ただし、わたしは、自然の森林というものは、 小規模で頻繁な攪乱と、大規模で稀な攪乱の組み合わせで成立して いると考えているので、小面積一斉皆伐をみとめないこの施業体系 は「近自然」ではないと思う(ただし、施業としての合理性の評価 は別)。


FMSのある会員の所有林。
話にはきいていたが、本当に林床に何もない。


 連盟に加入している林家では、ハーベスタとフォワーダーを使う スタイルが約2割、チェーンソーとクレーン(orトラクタ) を使う スタイルが約8割となっている。トラクタは牧草地管理や雪かきに も使うので、誰もが所有している。

 なお、ハーベスタを使う林家でも、急斜面はチェーンソとトラク タを利用して材を出し、林道端でハーベスタで丸太にする。最近は 勾配60% でも作業できるハーベスタが開発され、少しずつ普及して いるようだ。


チェーンソーで伐られ、搬出されるのを待つ材


林道端に積まれた材。
真っ直ぐで針葉樹のように見えるが、実はブナ。


 作業は二人一組でおこない、一人一時間で小径木 0.5m3を生産(4m3/ 日・人)。平均の搬出コ ストはm3あたり約20ユーロで、これは連盟への手数料 も含んでのものらしい。

 ついでながら専属の作業員をやとうと、時給30ユーロだそうだ (約4000円)。週の労働時間は40時間なので、月160時間とすると、 税込の月給は4800ユーロ(約65万円)となる。かなりいい額だ。これ の理由は、林業作業員は大学で正規の専門トレーニングを受け、国 家資格を取得した人間しかできず、専門技術職として身分と給料が 保証されているからである。これはドイツのマイスター制度の名残 りであろう。ドイツの若者からすれば町ではたらくよりはよほど収 入がよく、ドイツ林業では、日本でみられるような3Kのイメージ はまったくない感じだ。

 ただし、こういう専属作業員をやとえるのは大規模林家のみであ り、小規模な林家は、お父さんが自分で生産をおこなう。すなわち、 基本的な管理(間伐・枝打ち)は所有者が自分でおこなうのが普通で ある。自らの所有する森林がお金になるからこそ、それを管理する インセンティブがはたらくのだろう。日本からみればうらやましい ことだ。ただし、近頃は後継者不足もちらほらと見られるようにな り、隣の林家に管理をお願いしたりアウトソーシングする動きもで てきているみたいだ。

■ 一問一答・ドイツの森林施業

 以下、一問一答形式で山のようすを語ってみよう。

★間伐は、日本のような密度管理か?

ノー。林分内で将来の収穫木とないうる立木を決め、その周囲 のみを集中的に間伐することが特徴である。立木の本数は、針 葉樹のばあい200本/ha、ブナのばあい100本/haが基準だ。立木 の成長を邪魔しない細い木は放置しておくという。

★天然更新が主流か?

イエス。更新はもっぱら天然更新による。30〜40年の人工林でも天 然更新させるというのだから、日本からみれば信じられない。日本 はこの点で不利ある。たしかに樹木の成長に適した高温・多湿なの だが、それは同時に草本にとっても好ましい環境であり、日本での 天然更新は、いや、人工造林後の下刈りでさえ、どうしてもコスト がかかってしまう。ついでながら、日本の米作りが高コストなのも、 高温多湿のせいで草本の除去や害虫の駆除・防除がたいへんなため だとか。

 日本の人工林経営においては、更新コストをいかに下げるか、と いうことがおおきな課題になるであろう。その意味で、長伐期とい うのは一つの答えである。たとえば、40年伐期の森林を120年伐期 に延長すれば、単純計算で更新コストは1/3になる。しかし、長伐 期にはそれにともなうさまざまなリスクもある。また、120年で伐 採したとしても、その後の更新コストを低く抑える技術の開発もお こたってはならない。長伐期林業には、研究者が解決しなくてはな らない課題がまだ多い。

★林業機械は組合所有か?

ノー。日本の森林組合と異なり、連盟はハーベスタなどの機械を所 有していない。基本的に、林家の個人持ちである。ただし、独り占 めするわけではなく、所有者間で賃貸をおこなっているそうである。

★国から補助金は出ているのか?

イエス。林道・作業道の開設にさいして補助が受けられる。ドイツ の施策として、林道・作業道密度はhaあたり50〜60mが求められて いるが、このような道は一般市民の保健休養にも使われることから (いかにもドイツらしい)、開設費用の60〜80%を補助金でまかなう ことができる。ただし、間伐や造林の補助金はないようだ。

 林道について考えると、日本では、小規模林家がまとまることが あまりないため、効率的な林道の開設が難しい。どうも日本の林家 は林内に道を入れることを、本能的に嫌っているように感じられる。 しかし、作業道開設によって確実に「もうかる」ことが理解できれ ば、森林利用の分野でしばしば推奨されているような林道配置が、 机上の空論ではなく、役に立つ場面がでてくるのではなかろうか。


網の目のように開設された林道

★連盟は森林の木材生産以外の機能を考慮しているのか?

ノー。景観や水土保全など、森林の多面的機能については、とくに 考慮されていない。それにかんする監督・指導は営林署の業務でお こなわれている。また、日本のように森林を機能で細かくゾーニン グして管理することもない。これはおそらく、ドイツの場合もとも とそこに野生で優占していた樹種を造林樹種としているために、林 業によって環境が改変されたという実感がわきにくいからだろう。 そのために、森林の機能面についてそれほど神経質にはならないの ではないか。

■ バイオマスはどうとらえられているか

 市場の動向調査は、この森林連盟の役割の一つだったが、連盟で は今後ボード用の木材需要が伸びるという予測をたてている。また、 これからは木質バイオマスも視野に入ってくるのではないかと、注 意をおこたっていない。

 こういう話をきいてあらためて思うことは、木質バイオマス生産 も結局は既存の林業の範疇内である、ということだ。現在林業経営 がうまくいっていない(伐採して利益を得ることが難しい)のだから、 原木丸太が木質バイオマスにとってかわったところで、産業として は成立しない。それはすなわち、バイオマス社会などこない、とい うことを意味する。

 環境の研究に関心をもち、バイオマス利用に将来性を感じている 学生諸君でこれを読まれている人がおられたら、ここでぜひとも強 調しておきたい。森林の利用によってエネルギー問題など環境問題 を解決しようと志すならば、何よりもまず、この国の林業をたてな おすことが必要だ、ということを。



 林業連盟の訪問記は以上である。次回は、こういう森林連盟に加 入していない小規模林家を訪問したときの見聞録を紹介してみたい。

(続く・・・)



<編集後記>

憂鬱な季節が今年もやって来た。スギ・ヒノキ花粉の季節だ。昨年の不作に加え、夏季の高温で花芽の形成が促進され、観測史上、最大の花粉飛散量が予測されている。その量は、前年の数十倍、例年の数倍に達するだろうと言われ、新たな発症者の増加が心配されている。巷では、やたらスギやヒノキを植えてきたツケが回ったのだから、伐ってしまえと都会人を中心に声が上がり、林野庁は雄花の着かない品種の開発や間伐などで花粉量を減らすと防戦一方である。それにしても、どうしてこれほど大量の花粉が撒き散らされているのか?育種関係者はその原因の一つに「こもりタネ」があるという。すなわち、戦後、木材生産力を飛躍的に増強しようとした大造林時代に、苗木の大量生産が求められ、系統や品種に係わらず手当たり次第に種子を集めたことに原因するという。つまり、女子供が子守をしながらでも(差別する意図はありません)スギ・ヒノキの種子を集められると言う例えのごとく、安易に、大量の種子を着けた個体から種子をかき集め、苗木を生産し、植林したのだ。その結果がこの大量の花粉量に反映していると言うのだが。林野庁は、当初、花粉対策として、間伐効果を宣伝した。しかし、結果は間伐により花粉の減少は確認できず、次は着花量の多い樹木を選択的に間伐する方針を打ち出した。定性間伐や定量間伐(密度管理)が、列状間伐だの帯状間伐だのと事業実行上の都合だけで否定された挙句、今また“着花量”を指標とする選木まで飛び出し、さぞかし林業現場では困っていることだろう。ところで、これは何種間伐というのだろうか?(狢)



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