林学会の消滅に際し、森林にまつわる保続と林学の継承を考えよう!
第10回森林施業研究会シンポジウムに参加を!
明治期、近代林業経営の黎明期に、その学問的後ろ盾となったものが“ドイツ林学”で、当時の林学の先人たちは、ドイツ留学で得た知識をひたすら翻訳し、日本の林業経営に導入しようと試みた。その中核的な思想が“収穫の保続”である。基本的には森林資源(蓄積)の保続=領主・国家財産の維持と収益の確保を狙ったものであるが、今日の森林の持続的経営・管理に通じるものがある。そのための思想・技術が林学の原点である。森林の保続は、単に蓄積・収穫の保続に止まらず、多面的諸機能の維持も求められ、それを実現するための思想、政策、科学、技術そして人材が必要となる。そして森林の経営・管理が長期に及ぶところから、これら分野の保続が強く求められる。にもかかわらず、森林経営・管理の原則であった“保続理念”は、その時代時代で、いいように解釈され、今日、それぞれの分野、局面で破綻寸前の状況にある。今こそ、林学の原点に立ち返り、森林の保続を真剣に考える時かもしれない。
集会名:森林施業研究会第10回シンポジウム
テーマ:森林の保続−資源・機能・技術そして人−
話題提供:
(1)森林資源の保続 石橋 聡(森林総研・北海道支所)
(2)森林機能の保続 中村太士(北海道大学)
(3)大学演習林における技術の保続・継承 酒井秀夫(東大富良野 演習林)
(4)国有林現場における技術の保続・継承 高橋武夫(元北海道森林管理局函館分局)
主催:森林施業研究会
日時;3月30日(水) 午前9時〜12時
連絡先:森林施業研究会事務局
大住克博(森林総研関西支所)osumi@ffpri.affrc.go.jp
長池 卓男(山梨県森林総合研究所)nagaike-zty@pref. yamanashi.lg.jp
今年もやるぞ!全国交流会(総会)
シンポジウムの前日、29日に、恒例の森林施業研究会の総会兼全国交流会(簡単に言えば宴会)を開催します。今回の開催地、札幌(北大)は、研究会発足のきっかけを作った場所で、今年は研究会発足10周年にも当たり、林学会もついに消滅した。林学会が消滅しようとも、林学をやり続けよう!林学を継承するのは、森林施業研究会である!との意思の下、ネットワークの拡大を謀議しましょう。
場所:七福神商店西口店
札幌市中央区北5条西7丁目JR高架下
地図をクリックすると拡大図がでます。
TEL:011−221−0006
日時:3月29日 午後6時30分より
参加費:5000円(学生3000円)
参加希望者は交流会幹事まで、10日前までに申し込みをお願いいたします。
交流会幹事:中川昌彦(北海道立林業試験場)
e-mail. nakagawa@hfri.bibai.hokkaido.jp
Tel:01266-3-4164
2004年日韓交流セミナーの記録
関 剛(森林総研東北)・Lim, Jong Hwan(林 鐘煥;韓国山林科学院)
さる2004年9月12日から16日にかけて、岩手・秋田両県において日本・韓国の森林研究者を中心とする交流セミナーが行われた。参加者は途中参加も含めると25名(日本:16、韓国:5、台湾:2、フィリピン:2)で、日韓というよりは東アジア森林研究者交流セミナーといった状況であった。本稿は、初秋の本州北部の森林を舞台に行われた意見交換・親交の様子についての記録である。
なお、本文を関、写真記録をLimが担当した(写真5、6は関)。
9月12日 顔合わせ
秋雨前線の雲がかかる空の下、JR北上駅に十人ほどの参加者が集合した。本日の宿泊場所は北上市ふるさと体験館である。レンタカーに分乗した一行は奥羽山脈麓の丘陵地を西に向かい、夕闇があたりを覆う中、目的地に到着した。グラウンドの端に立つ体験館はかつての小学校だったそうだ。のどかな田園地帯にたたずむさまは、参加者にとって「ふるさと」という雰囲気だったかもしれない。
体験館には北上駅以外のルートからも参加者が集まり、部屋割りの後にさっそく夕食となった。この日の夕食では自己紹介の場がなかったので、互いの出身や何語での会話がよいかを確かめながら賑やかに話題に花を咲かせていた。
一方、主催者側の関心事は今後2、3日の天候であった。当初の予定では13日がカヌマ沢の現地検討会、14日が焼石岳登山であった。天気予報をみていても予定は決まらず、主催者は取りあえず明日登山を敢行する場合も考慮して、携行する食料を買い出しに出発した。
翌日の準備も整ったところで、話題提供の場が設けられた。一つは大住氏(森林総研関西)によるイランの落葉広葉樹林について、もう一つはLimによるブラジル・アマゾンのLTER試験地についての紹介である。イランの森林については、ブナを始めとする巨木が湿潤な気候の下で林冠を形成していること、強風による攪乱の影響が小さく家畜による採食の影響が大きいことなどが紹介された。なお、この話題の詳細な内容については森林施業研究会のホームページに紹介されている。アマゾンのLTER試験地については、雨季・乾季が明瞭な環境に試験地が設けられていること、国際的な長期観測試験地のネットワークの下でタワーによる気象観測をはじめとする環境測定が続けられていることなどが紹介された。
9月13日 焼石岳登山
当初の予定ではこの日にカヌマ沢の現地検討を行うはずであったが、2、3日間の天気予報を参考に検討した結果、焼石岳登山を行うことになった。参加者は当日参加のみの宗原氏を加えて、総勢19名であった。鈴木氏や台湾からの参加者ら3名は平泉等の文化財を見学することになった。
体験館を出発する頃には曇っていた空も徐々に晴れ間が増した。一行は焼石館前の駐車場で宗原氏と合流、10時前にはつぶ沼登山口に到着した。カラマツ造林地の登山口から登り始めて落葉広葉樹の二次林を通り、中沼のあたりでブナ林にたどり着いた。そして、銀名水と名付けられた清水の湧くところで昼食・休憩、しばし語らうことになった。
登山道沿いに広がる落葉広葉樹林は、日韓研究者間のコミュニケーションに格好の材料となった。例えば、ササの林床である。林床に広がっていたチシマザサは多雪環境を象徴する植物であるが、韓国の研究者からはチシマザサの林床が江原道の森林に印象が似ているという感想が聞かれた。かつて筆者が交流セミナーの際に歩いた江原道の森林では、スズタケが林床に広がっていた。スズタケは日本では太平洋側で優勢なササなので、筆者は当時、その森林が少雪環境である印象を持った。そんなことを思い出すうちに、気がつくとササ談義が始まっていた。このような話題の他、木の芽食、堅果食など、山の幸をめぐる話題も盛り上がっていた。
銀名水のあたりから上では、雪崩など雪の影響もあってか高木が少なくなり、見通しがよくなっていた。やがて一行は平坦地に到達、先ほどまでの無風状態から一転して風の吹き付ける中を歩くこととなった。このあたりは、ミヤマナラやミネカエデなどの落葉広葉樹の低木がいわゆる偽高山帯の景観を形成していた。
止む気配のない風を受けながら歩き続け、一行は山頂直下の泉水沼とよばれる小さな湖沼のそばに着いた(写真1)。ここでしばし相談。今から山頂に行くと下山時には暗くなるかもしれないので、休憩後引き返す案も出たが、結局希望者のみが山頂を目指すことになった。韓国からの参加者は5人全員が登頂、日本組も女性3人を中心に5人がガスの中の山頂に立った(写真2)。山頂は泉水沼よりもさらに風が強かったが、時折ガスの切れ目から下界の景色も見えた。やがて、登頂組・待機組は合流して一路登山口を目指した。あと少しで登山口というところでにわか雨も降ったが本格的な天気の崩れにはならず、全員が無事に下山した。
宿に着いてからは、海外からの参加者の歓迎会が行われた。参加者全員が英語で自己紹介を行い、飲み物の力も借りてさらなる懇親を深めた。
懇親会の後には、セミナーとして二つの話題が提供された。最初に、酒のつまみというわけではないが、マツタケの人工栽培についての話題が成松氏(岩手県林業技術センター)によって紹介された。次いで、八幡平地域や焼石岳における積雪環境と亜高山帯・偽高山帯の植物群落の分布についての話題が、杉田氏(森林総研東北)と関によって紹介された。マツタケの人工栽培の話題では、菌床栽培の困難なマツタケが子実体形成する条件やそれに基づく栽培方法の検討状況が示された。積雪環境における植生の話題では、対象地域の植生図の他、積雪が針葉樹の稚樹定着に及ぼす影響など現在進行中の研究データなどが示された。
9月14日 カヌマ沢渓畔林試験地現地検討とセミナー
前日に焼石岳登山を終えた一行は、少し脚の痛みを感じつつもカヌマ沢渓畔林試験地に向かった。午前10時頃の段階では穏やかな晴れ。ここで星崎和彦氏(秋田県立大)による試験地の概要説明があった。カヌマ沢渓畔林は不安定な地表が土石流などの大きな攪乱を受ける場所である。河川に影響を与える森林として、その動態・維持機構解明を目指した長期的な研究が続けられている。試験地の設定目的等の説明を聞いた一行は、沢の右岸側の落葉広葉樹林を斜めに下りて試験地内部に入った。
試験地内では個体識別した樹木の肥大成長が追跡調査されているが、一本の幹にいくつものタグがついているところで現地説明と議論が始まった。カヌマ沢は多雪環境であるために、胸高部位につけられたタグはしばしば損傷する。少雪地域からの参加者、特に韓国からの参加者にとってはそのような積雪状況は頭に浮かびにくかったようだ。積雪期の状況に想像力を働かせながら説明者・参加者は効率よく正確なデータを取る方法について議論を深めた。
やがて一行は試験地の本体ともいうべき、氾濫原に着いた。ここで、星崎氏によって試験地の地表攪乱履歴について説明を受けた(写真3)。試験地は1988年に設定が開始されたが、最初の地形測量を行っている途中で土石流が起こったこと、その後も1998年の豪雨によって流路が変わったことなど地形変化をともなった攪乱の履歴が説明された。
写真3 星崎氏の説明を聴く参加者
そんな激しい地表変化を続ける環境にあっても氾濫原には巨木が存在していた。特に、複数の幹が株立ちしたカツラは人が入れるほどの空間をともなうものまであり、参加者の関心を集めていた(写真4)。
試験地での議論は盛り上がり、出発時刻は予定よりも繰り下がった。このころになると、曇り空に強い風が吹き始めて、少し寒さを感じるほどであった。焼石岳登山とカヌマ沢試験地検討会の日程交換は正解だったといえよう。
写真4 カヌマ沢氾濫原のカツラ大木
午後からは温泉施設「焼石クアパーク・ひめかゆ」を会場にして話題提供が行われた。タイトルと演者は以下の通りである(順不同)。
Buot, I.E. Jr, (University of the Philippines at Los Banos, Philippines): The Philippine mountain landscape vegetation.
郭 寶章(Kuo, P-C.), (Taiwan University, Taiwan): Forest vegetation and forestry in Taiwan.
Lee, C-B., (KFRI, Korea): Relationship among specific leaf areas and sizes of Quercus serrata, Carpinus laxiflora, Carpinus cordata in Kwangneung Experimental Forests.
Lim, J-H., (KFRI, Korea): Research status on ecosystem change in Kwangneung Experimental Forests.
Park, C-R., (KFRI, Korea): Preliminary results on the interaction networks among plant, insects and birds in Kwangneung Experimental Forests.
Kang, Y-H., (KFRI, Korea): Forest rehabilitation trends and soil characteristics after fire at the Samcheok LTER site in Korea.
Shin, S-C., (KFRI, Korea): Fire history in the pine forests of the east coast region of Korea focused on Samcheok LTER site.
Hoshizaki, K.*, Suzuki, W., Osumi, K.., Takahashi, K. and Masaki, T. (*Akita Prefectural University, Japan): Introduction to Kanumazawa Riparian Research Forest: stand structure and a case study on Aesculus regeneration.
Suzuki, W. (FFPRI, Japan): Geographic distribution and floristic composition of Salix hukaoana stands.
Buot氏、郭(Kuo)氏は、それぞれフィリピン、台湾の植生について垂直分布を中心とする解説を行った。Lee氏、Park氏、Limは韓国・Kwangneung(光陵)長期観測試験地における研究結果について、Kang氏、Shin氏は韓国東海岸で山火事が頻発しているSamchuk(三陟)長期観測試験地における研究結果について発表した。また、星崎氏は午前中に見学したカヌマ沢渓畔林の構造とトチノキの更新様式について、鈴木氏はユビソヤナギの分布と保護をめぐる現状について発表した。
Buot氏・郭氏の発表内容は、日本列島と同様に海洋性気候が卓越する条件での植生の分布を中心としていた。このため、温度条件が及ぼす影響についての考察が多かった。
Kang氏、Shin氏による山火事の話題は、温度とは別の環境要因、すなわち水分条件の重要性を示唆する内容であった。山火事は春先の乾燥が激しいと規模も大きくなりやすい。両氏の研究のうちShin氏の研究は、火災後も生存していた個体に残る痕跡(fire scar)をマーカーとし、年輪年代学的手法によって火災の歴史を復元するものであった。同じ場所で何度も起こる山火事が乾燥の激しさを象徴しているようであった。
Lee氏、Park氏、LimのKwangneungについての発表は、それぞれ異なる視点によるものであった。Kwangneung長期観測試験地は二酸化炭素フラックスや物質循環など生態系の長期的観測を重視した試験地である。樹木の個体群動態を長期観測している日本のいくつかの試験地とは設置目的が異なることが感じられた。一方で、個々の研究者がこうした試験地を利用して植物と動物との相互関係など、個別の課題を研究している状況もうかがわれた。
星崎氏、鈴木氏の発表は方向性が異なっていたが、冷温帯多雪地帯における河川環境と樹木との関わりを扱う内容であった。カヌマ沢での現地検討の直後における発表だったので、参加者は渓畔林・河畔林について考えを深めていったことと思う。
個々の発表内容は多様であったが、垂直分布のような温度条件をめぐる話題と山火事や河川のように水分条件・水環境にかかわる話題があったことで、東アジアの森林の成立する環境について複眼的に考える機会となったのではないだろうか?
話題提供・夕食後は飲み物持参で三々五々集まっての語らいとなった。前日の晩、韓国からの参加者は発表の最終調整を行っていたらしいが、本日はめでたく発表も終わり、リラックスそのものであった。
9月15日 高齢スギ林を目指す旅
前日の現地検討会は人為的な影響の少ない条件での植物群落を対象としていたが、この日は秋田県北部に残る高齢・高樹高のスギ林が対象であった。岩手県南部から秋田県北部への移動はちょっとした旅となったが、道すがら目に映る景色はよい観察材料であった。
宿泊場所「ひめかゆ焼石館」を出発した一行は、国道397号線を西進して秋田県に入り、十文字インターチェンジから湯沢道路、秋田自動車道を北上、五城目インターチェンジで一般道に入って上小阿仁村へと北東に進んだ。この日の最終目的地は二ツ井町にある、「仁鮒・水沢スギ植物群落保護林」である。
この日の旅で一行が最初に観察したのは、奥羽山脈の岩手県側・胆沢川上流部の渓谷である。このあたりは豪雪のために国道が冬期間閉鎖される。胆沢橋付近の峻険な山々は、雪崩や積雪匍行のためかあちこちで地肌を見せていた(写真5)。森林が成立しているところでは、ブナなど広葉樹の樹冠があちこちでこんもりと盛り上がるようにみえた(写真6)。霧がかかる日に訪れたら山水画の風景にみえそうな場所であったが、この日は青空で空気も澄んでいた。参加者は多雪地帯の広葉樹林の景観を眺めてはカメラに収めていた。
写真5 雪崩後が残る、胆沢川上流部の斜面
写真6 胆沢橋から見た胆沢川上流の森林
そのような景色も県境を越えると一変した。秋田県側では脊梁山脈の奥までスギの造林が進んでいて、同じ山塊とは思えない景色であった。県境をはさんだ土地利用のあまりの違いを見て、海外からの参加者のみならず、国内の参加者も驚いていたようである。
奥羽山脈を下り高速道を北上し始めると、主催者も予想していなかった景色が展開した。秋田県内陸の丘陵地はスギの人工林やコナラなどの二次林が多く分布しているが、9月中旬であるにもかかわらず、多数の樹木の葉が褐色に変色していたのである。もっとも顕著だったのは五城目町でみかけたケヤキで、葉が変色しただけではなく、ほとんどの葉を落としている木さえあった。葉の変色の原因は、8月から9月に襲来した台風によって運ばれた海水と推測されていることを星崎氏が教えてくれた。
上小阿仁村での昼食・休憩後、14時過ぎであろうか、一行は目的地の群落保護林に到着した。保護林の入り口で、星崎氏が「天然秋田スギ」と呼ばれるスギの高齢林が成立した過程についての研究事例を説明した。氏は歴史的に続いたと推測される森林への人為的な影響について触れるだけでなく、近年の遺伝的なマーカーを使用した研究により、無性的な増殖がスギ樹幹数の増加に寄与している可能性についても紹介した。
星崎氏の説明後、保護林内の遊歩道を巡る現地検討会となった。保護林は1991年9月28日に襲来した台風によって多数の個体が倒れる被害に遭った。また、この台風時に地表面の崩壊によって多数の木がまとめて滑り落ちた場所もあった。被害後、かつての細い小道は遊歩道として整備され、その遊歩道も苔むして落ち着いた雰囲気を出すまでになった。一方、被害を受けていない個体は何ごともなかったかのように高くそびえていた。参加者は樹高50mに及ぶ樹冠を見上げたり、林分の様子を撮影していたりした。そして、「日本一高い天然スギ」を前に集合した(写真7)。
検討会終了後、星崎氏ら秋田県立大の3名はここで「セミナー本隊」と再会を期して秋田への帰途についた。一方、本隊一行は奥羽山脈・八幡平の秋田県側中腹にある後生掛温泉を目指して再び車中の旅を開始した。
スギ人工林が広がる丘陵地帯や稲刈り準備が進む田園地帯を過ぎ、後生掛温泉に到着した時には薄暗くなっていた。温泉の裏側には火山活動が見られる観察路がある。一行は、暗闇が訪れるまでの短い時間、湯気を立てている地表面むき出しの谷や気泡が次々に浮かんでくる沢など火山景観を楽しんだ。
山あいの温泉を楽しんだ一行は、山の幸を囲んでの送別会に臨んだ。海外からの参加者に対しては、主催者側から岩手県の伝統工芸品が贈呈された。今後も親交を深めようという参加者のスピーチが続き、懇談は盛り上がった。そして、別室に集まっての語らいは夜遅くまで続いた。
9月16日 八幡平で解散
セミナーの最終イベントは、八幡平アスピーテラインを秋田県側から岩手県側へ抜ける途中での植生観察である。この日の出発は午前7時、温泉の駐車場は真上に青空が見えるのに全面日陰、肌寒さを感じる状況であった。それだけに空気が澄んでいることが予想され、もしかしたら多くの山々が見えるのではないかと期待された。
一行は蒸の湯(ふけのゆ)駐車場で八甲田山・岩木山方面の遠望を楽しんだ後、アスピーテライン山頂(見返り峠)駐車場に向かった。峠の上空は風もなく、穏やかな晴れであった。峠付近からは岩手山をはじめ、雲海に浮かぶ早池峰山などを遠望することができた(写真8)。参加者は八幡沼や八幡平頂上付近を散策し、思い思いに景色を楽しんでいた。
写真8 見返り峠付近からみた岩手山(後方は早池峯山)
峠の頂上から八幡平山頂にかけては海抜1500〜1600mほどで、樹高の低いアオモリトドマツ群落と多雪・風衝の影響を受けている広葉樹低木・チシマザサ群落が広がっていた(写真9、10)。雪が少ない(あるいは全くない)地域からの参加者は、積雪や風が植物群落に及ぼす影響について「地元組」の参加者に質問し、植生の成立過程について想像をめぐらせているようであった。
写真9 八幡平東側の、吹き溜まりができる斜面(後方右側は秋田駒ヶ岳)
写真10 八幡平頂上付近にて
八幡平山頂付近の景観を楽しんだ後、一行は針広混交林が広がる樹海ラインを走り、岩手山を遠望できる駐車スペースで再会を期して解散した。
まとめにかえて
1999年9月に韓国・智異山で始まった日韓交流セミナーは2004年で5回目を迎えた。その間、お互いが暮らす自然・文化・社会環境について共通点や相違点を見いだし、参加者それぞれが自分の日常を見つめ直す機会を得たのではないかと思う。そして、何より参加者間で親交を深めていったことがよい収穫であったろう。そして今年度、セミナーに台湾やフィリピンなどから新たなメンバーが加わった。今後のセミナーでも多様なメンバーの交流が進むことを期待したい。
今回のセミナーでは、岩手・秋田両県をぐるりとまわる旅となった。長旅の中、現地検討会・セミナーの進行にご協力いただいた参加者のみなさんに感謝したい。そして、森林総研東北支所のメンバーを含め、セミナーを支えていただいたみなさんに御礼申し上げる。何より、今回の交流セミナーで事務局をつとめられた大住克博氏は韓国側スタッフとの連絡を緊密になされた。今回のみならず、これまでに信頼関係を築かれた氏の並々ならぬ努力には敬意を表したい。
今後もセミナーを通じて参加者間の友情が深まることを期待する。
参加者(abc順、一部日程参加を含む)
Buot, Inocencio E.、櫃間 岳、本郷 美佐緒、星野 大介、星崎 和彦、星崎(安部) みどり、石井 敦子、金指 あや子、金指 達郎、Kang, Yung Ho、郭 寶章(Kuo, Pao Chang)、郭 中慧、Lee, Chang Bae、Lim, Jong Hwan、Luna, Amelita C.、宗原 慶恵、中田 理恵、成松 眞樹、大住 克博、Park, Chan Ryul、関 剛、関口 和美、Shin, Soo Cheol、杉田 久志、鈴木 和次郎
ノー。林分内で将来の収穫木とないうる立木を決め、その周囲 のみを集中的に間伐することが特徴である。立木の本数は、針 葉樹のばあい200本/ha、ブナのばあい100本/haが基準だ。立木 の成長を邪魔しない細い木は放置しておくという。
ノー。景観や水土保全など、森林の多面的機能については、とくに 考慮されていない。それにかんする監督・指導は営林署の業務でお こなわれている。また、日本のように森林を機能で細かくゾーニン グして管理することもない。これはおそらく、ドイツの場合もとも とそこに野生で優占していた樹種を造林樹種としているために、林 業によって環境が改変されたという実感がわきにくいからだろう。 そのために、森林の機能面についてそれほど神経質にはならないの ではないか。
<編集後記>
憂鬱な季節が今年もやって来た。スギ・ヒノキ花粉の季節だ。昨年の不作に加え、夏季の高温で花芽の形成が促進され、観測史上、最大の花粉飛散量が予測されている。その量は、前年の数十倍、例年の数倍に達するだろうと言われ、新たな発症者の増加が心配されている。巷では、やたらスギやヒノキを植えてきたツケが回ったのだから、伐ってしまえと都会人を中心に声が上がり、林野庁は雄花の着かない品種の開発や間伐などで花粉量を減らすと防戦一方である。それにしても、どうしてこれほど大量の花粉が撒き散らされているのか?育種関係者はその原因の一つに「こもりタネ」があるという。すなわち、戦後、木材生産力を飛躍的に増強しようとした大造林時代に、苗木の大量生産が求められ、系統や品種に係わらず手当たり次第に種子を集めたことに原因するという。つまり、女子供が子守をしながらでも(差別する意図はありません)スギ・ヒノキの種子を集められると言う例えのごとく、安易に、大量の種子を着けた個体から種子をかき集め、苗木を生産し、植林したのだ。その結果がこの大量の花粉量に反映していると言うのだが。林野庁は、当初、花粉対策として、間伐効果を宣伝した。しかし、結果は間伐により花粉の減少は確認できず、次は着花量の多い樹木を選択的に間伐する方針を打ち出した。定性間伐や定量間伐(密度管理)が、列状間伐だの帯状間伐だのと事業実行上の都合だけで否定された挙句、今また“着花量”を指標とする選木まで飛び出し、さぞかし林業現場では困っていることだろう。ところで、これは何種間伐というのだろうか?(狢)