中川昌彦(北海道立林業試験場)
第116回日本森林学会全国大会の分科会として第10回森林施業研究会シンポジウムが「森林の保続−資源・機能・技術そして人」と題して札幌市の北海道大学で2005年3月30日に開催され、様々な職場や団体から約120名の参加がありました。簡単に報告します。
最初に代表の鈴木和次郎氏(森林総合研究所)が、森林の保続について、その条件は、成熟した森林資源、保続を可能にする経営システム、保続のための技術及び保続を行う技術者・労務者であると紹介し、4人の話題提供者を紹介しました。
森林総合研究所北海道支所の石橋聡氏に、長年の北海道の天然林における研究から森林資源の保続について話題を提供していただきました。
石橋氏は、一律な収穫量の決定方法、選木の問題(良木選伐)、ササの密生、伐倒集材時の損傷木の発生、更新補助作業が不十分なこと、風倒時の木材の増産などから、北海道の天然林は量的質的に悪化して保続経営は不可能となり、資源の収奪を終えた現在、木材生産を行うことはほぼ不可能となっていると紹介しました。石橋氏は、今後北海道の天然林における森林経営の保続のためには、収穫量の一律決定は排除し実測に基づいて決定すること、更新が不良な林分における更新技術の開発及び理念と科学的根拠に基づき政治経済に左右されない政策判断が必要であると結論付けました。
会場からは、国有林の天然林施業についてこれほど体系立ててかつ冷静に分析した報告はめずらしく、たいへん貴重な報告であったとの感想がよせられました。
北海道大学の中村太士氏には、森林の機能の保続について話題提供をしていただきました。
中村氏は、森林の機能とは、失って初めて気づくものであり、森林施業によって森林の機能を上昇させることはほとんどできず、むしろ低下させていることが多いので、森林施業は生態系を完全に壊さない程度にとどめる必要があると紹介しました。森林の機能を保続させるためには、流域単位で森林の配置の理論が必要であり、渓畔林や平地の原生的な広葉樹林など人の手を加えると機能を保続することが困難となるような森林については、流域単位や道全体で保護区を設定するなど土地利用の戦略が必要であると述べました。森林の機能の保続についてまとめると、機能は失って初めて気づくという認識が必要であること、森林の機能を低下させない範囲で社会経済活動をする必要があること、自然林は手を加えずに自然の推移にまかせることで最高の機能を持っていると認識する必要があること、樹木は再生できるが土壌の再生には数千年かかるので土壌を保全する必要があることの4点があげられると結論づけました。
東京大学北海道演習林の酒井秀夫氏には、大学演習林における技術の保続・継承と題して話題提供をしていただきました。
酒井氏は、北海道演習林で行われている林分施業法という天然林施業について、天然更新が可能なところは択伐林分とし、10〜20年の回帰年、伐採率15〜17%の択伐を、後継木がないところは補植林分に区分し、伐採率30%の群状択伐と補植を、形質不良木がほとんどを占める林分は皆伐林分とし、わずかにある優良広葉樹は残すが他の形質不良木は皆伐していると紹介しました。また、更新問題に対処するための取り組みとしてエゾマツ、トドマツ、アカエゾマツなどを演習林の母樹から採種して育苗していること、地かきの後ブルドーザーで溝やマウンドなどの微地形をつくるとトドマツ、ウダイカンバ、エゾマツ、ダケカンバなどがマウンド部分に更新することを紹介しました。そして、森林の保続のためには調査に基づく施業が不可欠であり、資源調査に大半の労力を割いているが、職員数が減少する中で調査の省力化と精度の向上が課題となっていると述べました。
NPO「もりのつち」の高橋武夫氏には、道南の国有林における長年の天然林施業の経験から、国有林現場における技術の保続・継承について話題提供をしていただきました。
高橋氏は現場のようすについて、森林調査簿の更新や伐採や造林の事業に携わる中で、林業、森林施業の技術、森林の見方・考え方、森での生活技術などを身につけていくことができたが、最近の事業量の減少や業務の外部委託により全てを体験することはできなくなってきたこと、また現地調査の実行が困難となり、個々の現地や現場には必ずしも最適ではない方針の一律適用や他分野での方針の盲目的な追従となってきていることが危惧されると紹介しました。そして、森林施業の技術が育ちそして伝えられていくためには、現場での想像力を育て、また技術が欲しくなる人や欲しくなる状況をつくることが必要であり、そのためには、森林調査を委託せずに自らやれる体制を整えること、計画や手引きの策定は現場で行うこと、現場での試験を継続し記録保存して活用していくこと、研究者と現場の対話形式の情報交換を行うことが必要であると結論付けました。
4人の方々による話題提供の後、総合討論が行われました。
北海道における天然林施業の方針としては、収奪により木材生産を行うことができなくなったところがほとんどであるが、森林の保続を前提とした天然林施業が可能な森林や、そのような森林に戻せるところもあるのではないかという質問がありました。これに対して石橋聡氏は、全体の2〜3割では持続可能な森林経営が可能と思われ、また保続が破綻したところでも適切な森林管理を行っていけばいつかは再び木材生産を行うことができるようになる森林が多数あるので森林の再生に取り組む必要があると、中村太士氏は、地域によって樹種構成や成長量には大きな違いがあり、それをもとに地域森林計画などのマスタープランにおいて、森林経営を行う林分と保護区とに区分する必要があると、酒井秀夫氏は、貴重な自然が残っているところは制限林として施業を行わないようにしており、施業を行っている林分でも林況調査をして森林の保続を行っているが、調査労務の簡素化が課題であると、高橋武夫氏は、過去には保続的な施業が不可能であるために現場の判断で禁伐としていたところでも、法的な保護区となっていなかったため、その後施業が行われるようになってしまった林分があると回答しました。また、会場からは、国有林では森林の保続の単位が大きくなっておりそれに基づいて小班単位で伐採量の指示があること、同じ道内で同じ施業を行ってもその後の森林の遷移は地域によって大きく異なるため地域ごとに森林の取扱い方法を考える必要があることなどの発言がありました。
森林の機能の保続について会場から、スギを伐採したあとの放置林分が増えており斜面の崩壊や土砂流出が危惧されるがどのように対処すればいいかとの質問がありました。これに対し中村太士氏は、急勾配のところでは皆伐を避け、谷間などは伐採しないなどの地帯区分が必要であると回答しましたが、一方で会場からは、民有林では土地の所有者の意向により、渓畔林や河畔林でも必ずしも禁伐にはできないとの情報がよせられました。
森林施業研究会顧問の渡辺定元氏は、森林の機能については技術的な対応が可能であり、原生林よりも択伐林でクマゲラの生息数が多くなるなど人間の活動によって森林の機能の維持・向上につながっている場合があると発言しました。中村太士氏は、1つの機能だけに特化せず森林の全体の機能を維持するために、原生的な森林を手本にした管理が必要であると回答しましたが、人間によって管理されている二次林に依存している希少種が多い例などがあり、森林施業を行うことによって失われてしまう機能を持っている原生林や河畔林など特定のところだけを保護区として設定するべきであり、それ以外のところでは森林施業を行っている中で森林の機能を保続することが可能であるとの意見も出され、活発な議論が展開されましたが、結論には至りませんでした。
総合的な意見として、現在の森林管理は保全機能だけの保続が目的となっているが、木材生産機能をどうやって保続するかもとても重要であるとの発言が会場からありました。
長年現場を経験してきた高橋氏は、研究者の姿が現場から消え、研究者と連携が少ないことも森林の保続の上で問題であること、その解決方法として、研究者は現場の相談相手となり対話という形で語れる機会が必要であるとお話されましたが、これこそ森林施業研究会の目指す姿であり、深い共感を覚えました。今回の話題の中から研究者の方々が、保続を前提とした森林の再生のためにどのような研究が必要とされるのかのヒントを見つけていただき、いずれ研究成果を現場にお返ししていただければ幸いです。
高橋まゆみ(北海道大学農学研究科 博士課程一年)
「森林の保続」というテーマに惹かれ、第10回森林施業研究会に参加させて頂きました。私は森林生態学、特に渓畔林の生態と流域の管理について研究を行っていますが、森林学会、森林施業研究会ともに今回が初めての参加でした。森林学会では流域管理や自然再生について各研究発表を聞き、学会最終日の森林施業研究会で林業の現場のお話をお聞きすることが出来たのは大変有意義でした。
参加する前は、研究会も10回目となると参加者のレベルも年々上がり、初参加の私がついて行くのでは大変なのではないかと思っていましたが、最初に石橋聡さんが保続性の原則や択伐、整理伐について説明をして下さり、森林施業に関する知識の少ない私にとってはその後の議論を聞く上で非常に助かりました。高橋武夫さんの講演での国有林技術者が技術を身につける機会が少なくなっているというお話はショックでしたが、最近読んだ本の中でも同様に「多様な樹木の生態と環境条件との関わりを豊富な経験を通じて知っている技術者の減少が少なくなっているのは大きな問題ではないか」(中静2004:森のスケッチ 東海大学出版会)と指摘されており、日本の森林資源を保続するためには林業技術を継承するための体制を維持することも大切だと感じました。高橋さんの講演は、どうして技術を習得する機会が減ったのか(調査事業のコンサルへの委託、研究者との提携の減少、試験地などの解除など)、技術継承のために何が必要か(森林調査に参加する、森林施業の計画に責任を持つなど)について具体的な例を挙げて説明してくださり、単に危機意識をもつだけではなく、これから何が出来るのかを考える事が出来ました。
大学院生の私にとってはこれから林業技術者、研究者の方々に教えて頂くことが多いと思いますが、森林施業研究会という交流、勉強の場があることは大変恵まれています。これからも参加させて頂き、自分の研究成果を実践でどう生かすことが出来るのかを考えていきたいと思っています。
水田展洋(宮城県林業試験場)
「森林の保続」というテーマに興味が惹かれ、初めて参加させていただきました。たいしたことは述べられませんが、自分の思うところを書いてみたいと思います。
今回は、森林資源の保続、森林機能の保続、森林技術の保続という3つの切り口で4人の方々から話題提供がありました。
私の取り組んでいるスギ人工林の間伐技術を通してこれらのことを考えてみると、森林資源の保続(この場合は林分の持続的な生長と考えていますが)を図るためには間伐などを適切に実施する必要があり、場合によっては作業道を開設して重機を入れることもあります。しかし、森林機能の保続(水源涵養機能や土砂災害防止機能)という側面から見ると、無理な作業道の開設は土砂災害の引き金になる可能性もありますし、間伐の方法を誤れば森林資源の低下につながりかねません。
今回のシンポジウムで話題提供のあった森林資源の保続も森林機能の保続も、有効な解決策のひとつは施業技術であり、行き着くところは森林技術の保続(現場の方々の技術力)なのだろうかという印象を持ちました。
しかし、気になるところとしては、これらの問題は研究サイドのみで対応できるものではなく、行政の担当者や実際に作業を行う方々と情報を共有し、ともに取り組まなければ解決できないだろうということです。森林資源の保続を図るにしても、森林機能の保続を図るにしても、実際に作業をするのは現場の方々であり、我々がいくら議論を重ねてもそれが現場に伝わらなければ意味がありません。
私はここ数年林学会大会に参加させていただいているのですが、参加者の肩書きを見てみると大学や森林総合研究所の方々が大半で、都道府県の研究機関からの参加者がわずかにいるくらい、行政担当の方々や実際に現場で働く森林組合、事業体の方々の参加は皆無といってもいいのではないでしょうか。
森林施業を考えたときに、現場の意見は欠かすことができません。研究者だけでなく、さまざまな立場の人が参加し、議論できる場があるといいなあ、と思う今日この頃です。
今安清光(高知大学農学部 技術専門職員)
今回はじめて森林施業研究会シンポジウムに参加しました。
参加しようと思った理由は、「大学の」という文字があったので、参加したような訳です。
私は、あまり難しいことは考えませんが、適地敵木敵施業と、その時代の考え方、たずさわるリーダーにより変わっていくと思います。
複層林を進める人、皆伐を進める人、列状・帯状・郡状皆伐等を進める人、どのような施業にせよ、人工林ということには、変わりはないと思います。
人工林は、やはり人が最後まで面倒をみるつもりで育てることが大切だと考えます。私もまだまだ、修行の身ですので語るにはまだ早いと思いますが、今考えることは、先人が苦労して植えた杉、檜を立派に育てていく為にどのようにすればと考えます。
また、天然林は出来るだけ自然のままにして行ければと思います。
大学は、教育研修の場として、さまざまな林をつくっていく事をひとつの目的としていますので、国有林とか、民有林とは、また違った考え方になると思います。
今回この研究会に参加して、幾つかの考え方があるなと思いましたし、まだまだ色々な考え方があるのではないかとも思いました。
最後に、森林施行研究会が、益々発展することをお祈りいたします。
矢部浩(鳥取県林業試験場)
森林施業研究会へは4度目の出席となります。過去、様々な議論をお聞きし、自らの勉強不足を痛感するとともに、有意義な勉強の場とさせていただいています。今回のシンポジウムも楽しく拝聴しました。今回、「森林の保続」を巡る問題に関して、現場技術の保続・継承の問題についての報告があり、特に高橋氏の報告を興味深くお聞きしました。
氏は報告の中で「現場力」という表現を使われ、その維持・継承を訴えておられましたが、県における林業行政の場においても同様のことがあるように思われます。
近年、行政改革により、既存事業の改変、新規事業の立ち上が次々と行われています。それら多様な事業の実施にあたり、技術職員が事務処理に忙殺され、事務職員化しているところをみると、将来に一抹の不安を覚えます。高橋さんもおっしゃっていましたが、技術は、現場に出かけ自らの目で判断し、経験者から伝達・指導されながら身に付けなければなりませんが、皆、自分の手がける業務が手一杯で技術の伝達まで気が回りません。現場に出て目を肥やす機会も少なくなっているように思います。いまのツケが後々の林業行政に響くことのないよう、また、技術の裏付けのない事業など立ち上げないよう、日々、現場力を研鑽し続ける必要性を痛切に感じました。
齊藤哲(森林総研・九州)
このシンポジウムには時間の許す限り毎回参加させてもらっています。今回は「森林の保続−資源・機能・技術そして人−」というテーマで研究機関・大学・国有林に所属の方々が話題提供をされておりました。個人的には人材の保続という点に興味というか不安・危機感を抱いており,今回話題提供された方々の中では,国有林にて現場を生き抜いてこられた高橋武夫氏のお話を大変興味深く拝聴させて頂きました。 高橋氏は,技術・人の保続について「現場力」という言葉を用いて表現していました。印象的な言葉でした。
私も研究に携わるものとして,現場を知る必要性を強く感じております。外国では,現場でデータ収集を行う調査員・作業員とそのデータを解析する研究員との間で仕事の分化が進んでいる(研究員はあまり現場にはいらない?)ところもあるようですが,自然を読む感覚を養ううえでも研究者は現場に頻繁に入り,現場をよく知るべきだと思います。しかし,ある現場のことについては,その土地の方々(森林管理署・事務所の方や土地の所有者など)にかないませんし,それらの方々から得られる情報は,調査・研究を進めるうえで非常に参考になります。そういった「現場力」のある方々の存在は心強いものです。
しかし,現実をみますと,例えば国有林に関しては,管理する森林管理署の職員が往時の1/3(?)に減らされています。しかも,現場をよく知る土地の作業員が大幅に削減され,充分手をかけられない状況とも伺っています。先日,訪ねたところでも,そこで一番長い方が近々定年を迎えられ,その山に詳しい代わりの方があまりいない状況だそうで,そこの森林官も「この山に一番詳しい方がいなくなると困るんですよねぇ。」などとこぼされていました。
講演された高橋氏は「現場力をつける」と,前向きな提言をされていました。実際に人員が減らされる中,そうした提言が実現可能かどうかの見通しなど,シンポジウムの中で伺ってみたいと思いましたが,自分の頭の中では否定的で暗い方向ばかりに思考がいってしまい,頭が整理できずに時間切れとなってしまいました(中村太士先生と渡邊定元先生が議論を戦わせている間もそんなもやもやしたものが頭の中を支配していました)。
後日,シンポジウムの感想を依頼され,今こうして書いていながらもやはり,人材の保続については不安をぬぐいきれません。高橋氏の提言が活かされる方向に進むことを切に願うばかりです。
私にとっては,現場の方々との情報交換はもっと親密にすべきとの反省とともに,やはり人・技術の保続は重要な,しかも深刻な課題だという思いを強くしたシンポジウムでした。
中村太士(北海道大学農学研究科・森林管理保全学講座)
森林施業研究会への参加は、今回が初めてでした。もちろん講演したのも初めてです。日本森林学会が北大で開催されていましたので、全体の公開シンポジウム等の準備や自身の発表準備、事務的な仕事に追われ、また連夜の飲み疲れで、講演内容も体調も最悪でした。お聞きにきてくださった聴衆の皆さんに本当に申し訳なく思っております。今後はこうした講演をしないように充分に時間をとって準備し、若手の頃の初心を忘れないようにしたいと思います。どうか、お許しください。
そういう私の発表にくらべて、最初に講演された森林総研の石橋さん、さらに林野庁技術者O.B.の高橋さんの発表は、「保続とはどうあるべきか」について、それぞれの立場から整理された内容が述べられ、私のこれまでの考え方を確認し、再構築する上で大変有意義な内容でした。お二人のご努力に、心から敬意を表します。
私自身は、ここ数年、日本の天然林、人工林管理はどうあるべきかについて、いろいろと考えてきました。その内容の一部は、施業研究会代表でもある鈴木和次郎さんに勧められて、林業(森林)技術にも書いてまいりました。林学会が森林学会に変わったことに代表されるように、「林学−森林を木材生産しながら環境保全する学問」が、時代とともにすたれていくことを憂いていました。施業研究会もそうした危機感から発足した研究会だと思っています。
私は、森林生態系のみならず河川や湿地などの水域生態系にも強い関心があり、特に人がいかに管理していくかに力点を置いた研究をしてきました。そこで気づいた重要なことは、社会・経済的背景も含めた歴史観であり、自然資源管理に対する謙虚な姿勢です。今回お話した「機能の保続」でも強調したかったことは、機能を理解した歴史は森林の破壊からであり、機能劣化の原因が、森林を人間の都合の良いように解釈したおごりにあると思えるからです。長期間維持されてきた自然林の維持機構は、すべての仕組みがわかっていない(未来永劫にわからないと私は思っている)人間にとってまさに手本であり、その仕組みを真似ながら、仕組みが壊れない程度に資源を収穫する考え方が大事であると思うからです。河川も工学分野が橋や道路と同じに扱ってきて、日本の川は自然資源を失い水路になりました。同様に、森も農業的に経営することによって多くの機能を失いました。川も森もNatural Resources であると理解することが出発点で、その上でいかに管理するかを考えることが重要だと考えます。昨今のCO2吸収に特化した森林機能論は、再び間違った方向で管理を誘導するのではないかと心配しています。
もう一つの論点は、空間スケールでした。森林が木材生産の畑として理解された歴史が、森林管理を林分単位でしか考えず、流域やランドスケープレベルでいかに管理するかという視点と技術を忘れさせたように思えます。これも、今後新たな施業技術として発展させなければならないと思っています。広域の立地区分(地位等)データを、どの程度精度よく集められるかが鍵だと思います。
以上、つたない感想でした。
酒井秀夫(東京大学大学院農学生命科学研究科北海道演習林)
森林施業研究会に恥ずかしながら、はじめて参加させていただきました。いうまでもなく森林は存在自体、景観などの環境として、また水土保全等、公益的機能を発揮しておりますが、重要な生活物資である木材を生産してはじめて人類にとって森林の森林としての価値が増します。今回「保続」をテーマに4名の方の話題提供がありましたが、会場の皆さん食い入るように発表を聞かれ、質疑も時間が足りないほどに内容の深いものでした。
林業にこだわることの意義、重要性について、冒頭趣旨説明と確認がありましたが、最後の国有林現場の技術の保続・継承が考えさせられました。国有林は優れた技術者集団を有していたと思いますが、その現場から伝えたいこと、そして提言が、今後の技術の保続の核心をまさについていると思いました。「現場が留守になると技術がたえる」は現代社会のもろさでもあります。
施業研究会のシンポジウム前日、恒例の研究会総会・交流会が札幌駅近くの会場で開かれ、話題提供者をはじめ全国(宮崎から北海道まで)から30数余の参加者が集まりました。今年で10周年を迎える研究会は、「林学の消滅」を乗り越え、今後とも施業研究=林学の王道を共に歩んで行くことを確認、更なるネットワーク拡大を目指すこととした。そして、10周年を記念して作られた「まだ、林学をやっている!」手拭いが顧問の渡邊定元氏より参加者に配られた。その後、交流会に移り、何がなんだか分からなくなってしまった。おそらく、有意義な時間が過ごせたのではないかと思われる。最後に、今年の強化合宿(現地検討会)の受け入れを表明している長野県林業総合センターの小山氏から合宿への参加の呼びかけがあった。なお、今回の交流会の準備その他は北海道林試の中川昌彦氏(写真3)に担当いただきました。紙上を持ってお礼申し上げます。
森林施業研究会は、発足10年を記念して、メーラーの恒続林思想の主張をあしらった手拭いを作成しました(図参照)。研究会の活動・主張に共感する人は是非とも、手拭いを身につけ、日々の研究・林業活動にお役立てください。事務局に連絡をいただければ、400円(制作費原価)+カンパでお譲りいたします。
高齢で密な人工林 | 天然更新択伐林 | |
---|---|---|
ランクAの生産比率 | 2% | 1% |
ランクBの生産比率 | 50% | 30% |
ランクCの生産比率 | 40% | 20% |
ランクDの生産比率 | 8% | 49% |
造林コスト | 大 | 小 |
総合的な経済性 | 不利 | 有利 |
ランク | モミ | トウヒ |
---|---|---|
A | 今回は不明 | 140ユーロ |
B | 82.5ユーロ | 87.5ユーロ |
C | 47ユーロ | 54ユーロ |
「林学」がついに消滅した。思い起こせば10年前、林学会大会が今回と同じ北海道大学で開催された際、「林学」の中核をなす造林関係の発表会場は、屋根裏部屋のような小さな会場に追いやられ、参加者も10名前後と低調を極め、「林学」終焉を強く予感させた。危機感を持った有志が渡邊定元氏を代表に担ぎ、森林施業研究会を発足させ、林業・森林管理に貢献する「実学としての林学」の継承・発展を目的に、これまで研究者・森林管理者・林業者のネットワーク化を計ってきた。その後、林学の危機が叫ばれる中、大学では「林学科」の「森林科学」への名称変更、改組が進み、林学会も流行の「あり方懇」的検討が行われ、ついに「林学会」は「森林学会」へと変貌し、「林学」は公式に消滅した。結果、「林学」を引き継ぐものは、唯一、森林施業研究会のみとなった。しかし、「林学」の“本道(王道)”、“正当性”をいくら主張しても大して意味はないし、同志たちもそのつもりもないと思う。要は研究会活動が、日本の森林を育て、活力ある林業の発展に少しでもつながることを望むだけだ。あと数年頑張ってみるか!? <怠け者の狢>