木霊 (TARUSU)
森林施業研究会ニュ−ズ・レター 
No.29 2005.07.27. 08.16追加
Newsletter of the Forest Management and Research Network


森林施業研究会第8回現地検討会及び研修会(長野合宿)

                                  〜第1報〜

「脱ダム宣言と木曾ヒノキ」の今に迫る

   ダムによらない森林整備を打ち出した流域では・・・

   日本三大美林と言われる木曾ヒノキは・・・


脱ダム森林整備

 例年、好評を博している森林施業研究会現地検討会(合宿)の季節が巡ってきました。今年は、長野県の森林と言えば聞こえてくる「脱ダム宣言」の森を主体に、せっかくだから「木曾ヒノキ」という豪華2本立てで実施します。

 平成13年2月に出された「脱ダム宣言」を受け、ダムに代わるものとして流域の森林整備が進められています。今回は松本市にある現地へ皆様をご案内いたします。現地で関わる行政職員の皆様と一緒に現在進めている森林整備をみて頂くとともに、長野県で積極的に進めようとしている「針葉樹一斉林から針広混交林」へ転換していくための技術的な意見交換を進めたいと思っています。

 さらにせっかく長野まで来て頂いたと言うことで、皆さんからのリクエストが多く寄せられている「木曾ヒノキ」の森についてもご案内出来るのではと思っています。

日程: 9月26日(月)から28日(水)

場所: 松本市薄川流域(美ヶ原の南側です)及び木曽郡上松町周辺国有林

宿泊: 9月26日 松本市 藤沢山荘   TEL:0263-31-2123

     9月27日 上松町 民宿さわぐち TEL:0264-52-3422 

集合: 松本市藤沢山荘14:30

(列車でお越しの場合はJR塩尻駅 13:30)

解散: JR上松駅 12:00

内容: 

9月26日(月)

1:現地検討(午後2時30分〜午後5時頃)
    ダムに変わる森林整備が進められている松本市薄川流域森林施業地
    間伐施業地等の現状をご案内します

2:話題提供(午後5時頃〜)
    松本市薄川流域で進められてきた森林整備の概要とこれまでの実績
   (松本地方事務所林務課ほか)

9月27日(火)

1:現地検討(午前9時〜午後2時)
    前日に引き続いて松本市薄川流域で雨量観測試験地ほかをご案内します。

2:長野県の森林を考えるセミナー(午後2時〜午後5時)
  1)針広混交林施業の基本的な考え方について(渡邊定元先生)
  2)意見交換
    針広混交林施業を円滑に進めていくためには。

3:話題提供
 1)木曽ヒノキの資源状況と計画量(伐採)
 2)赤沢自然休養林における管理・利用の現況等

9月28日
 現地検討(赤沢自然休養林)午前9時から12時頃まで
 1)天然更新試験地(木曽ヒノキ林の更新について)
 2)木曽ヒノキ美林(奥千本保存林)
 3)伝統文化への協力(伊勢神宮 御杣始祭現地)


木曽ヒノキ天然林

参加費:未定ですが、全日程参加で16000円程度になろうかと思います。

    参加者には改めてご通知いたします。

参加申し込み:参加希望の方は、以下の担当まで氏名、所属、連絡先、参加日などをご連絡ください。部分参加の場合、参加費が異なります。

申し込みの締め切りは9月10日とさせていただきます。

お願い:合宿中の移動は、車となります。当日会場周辺で道路工事が予定されており、バス等の移動が不可能です。近県の方は、出来るだけ車で来て下さい。足(車)の無い方は、同乗して移動していただきますので、その旨ご連絡いただければ幸いです。

小山泰弘(長野県林業総合センター)
TEL:0263-52-0600(代)  FAX:0263-51-1311
E-mail: koyama-yasuhiro@pref.nagano.jp


台湾森林駆足的見聞記

                     鈴木和次郎(森林施業研究会)

1.       台湾の森林植生を見てみたい!

  以前から仲間内で台湾の森林を見てみたいとの話は出ていたが、いざ実現の可能性を探ってみると意外と困難に気がつく。第一、パックツアーで行く台湾と違って、3000mを越える山岳地帯においそれと踏み入れられるとは思えない。さらに戦後世代にとっては台湾植民地支配の歴史が重くのしかかる。そんな中、昨年、岩手・秋田で開かれた日韓森林生態セミナー(草の根研究交流)に台湾大学林学の名誉教授である郭宝章先生が参加され、台湾林業試験所、台湾大学の受け入れの可能性が高まったこともあり、知人を通じて、台湾林業試験所の研究員に受け入れを打診してみた。その結果、極めて私的な依頼にもかかわらず、試験所と大学関係者が非公式に受け入れる旨の連絡が入った。そこで、かねてより台湾訪問の希望があった3名+1名の台湾訪問のミッションが組まれることとなった。その目的とするところは、日韓にはじまる東アジアの森林・林業研究者の草の根交流の拡大を目指す」としたものの、実質は台湾の森林植生、自然環境に直に触れてみたいというものであった。

2.       出足は順調?

  今回のミッションは日本人3名(鈴木、大住、金指あ)、そしてポスドクフェッローとして日本滞在中のフィリピン大学のBuot氏で、そのうち一名がビザの関係で出国できないというアクシデントに見回れたが、その日のうちに無地全員が出発地の台北に集合することが出来た。台北の中正国際空港に迎えに来てくれたのは台湾林業試験所育林組の陳財輝博士で、陳氏が今回の台湾ミッション受け入れを計画、準備してくれた。陳氏は東京農工大学の博士課程に留学された森林土壌の専門家で、日本語も堪能で、滞在中を通じ、大変お世話になった。一人欠けたまま、まずは空港から一路、台北の官庁街の一画にある林業試験所に向かう。林業試験所は台北植物園に隣接する こじんまりとした4階建ての建物(写真1)で、早速、所長応接室に通される。そこで出迎えてくれたのが、流暢な日本語を話す林淵霖氏。林氏は台湾出身で早稲田大学を卒業、戦後、台湾に帰国、台湾の電力会社に勤め、現在、林業試験所客員研究員でダム上流の森林管理が専門。雑談をするうちに金所長が登場、挨拶を交わす。実は金所長、国際長期生態学研究(ILTER)のアジア太平洋地区の代表を務めており、これまでにも数度お会いし、山を一緒に歩いたこともあり、一応は顔見知りではあったのだが。金所長からは歓迎の意と最終日のセミナーへの期待が示された。


写真1 台北中心部にある台湾林業試験所

3.       ヤマボウシは希少樹種!

  翌朝、台湾2日目、ホテルの前には台湾林業試験所と台湾大学林学科の車が迎えに来ていた。林業試験所は陳氏を案内者として全行程に同行、車の運転を試験所の職員がかってでてくれた。一方、台湾大学は当初、助教授の邱祈榮博士が同行する予定であったが、所用により同行できず、助手の五木氏(実は五木はあだ名で、彼が森林学科の所属し、その漢字「森林」が5つの木から成り立っていることから来ているという)と丁氏が案内に立ってくれた。2台の車は、台北名物のバイク集団(通勤者の群れ)に囲まれて、一路、東海岸に向かった。訪台組の4名、最初の台湾旅行とあって、もの皆珍しく、車の窓から身を乗り出すが、その風景は漠としてとらえどころがない。途中、映画「非情城市」の舞台となった基隆、九价をかすめ、太平洋を臨みながら、東海岸を南下し、東北角(半島の意味?)に到着、ビジターセンターで東北海岸国家風景区の自然環境を紹介する展示を見学した。その中で、台湾に大きな被害をもたらした先の台風の際、海岸部に流れ着いた流木を使った台湾芸術家による作品の展示が目を引いた。その流木の多くは台湾ヒノキだという。その後、宜蘭を経由し、内陸の山間部に入っていった。員山から主要国道をそれて、急な斜面を一気に登り海岸山脈に入ると木性シダ(ヘゴ)が目立ち始め、周囲は常緑広葉樹二次林となるが、樹種は全くわからなかった。途中、宜蘭大学の学生2名と合流し、とある道教の祠に着いた。ここで、見せられたのが台湾の希少樹種ヤマボウシである(写真2)。台湾に自生するヤマボウシは日本産ヤマボウシの変種(Cornus kousa var. chinensis)で、この地域には50−60本が自生するのみの希少樹種であるという。学生の一人が木に登って取った花を着けた枝は確かにヤマボウシそのものであった。現在、台湾では植物生態学者が中心となり、全国の植生図の作成に当たっているという。宜蘭大学の学生たちもこのプロジェクトに動員され、日々、野外に出て調査を続けているとのことで、希少樹種にも関心があるとのことであった。


写真2 宜蘭県の保護樹木に指定されているヤマボウシ

  学生たちと別れ、林業試験所福山試験林に向かう。海岸部から一気に1000mほどを登ると山間部の平坦地にたどり着く。その風景は、まるで岩手県の北上山地そっくりで、のどかな農耕地が続いていた。主にショウガの栽培が行われているという。さらに車は山奥へと進み、もはや人家が見られなくなり、周囲は密度の高い森林地帯へと入っていった。いよいよ奥まった高台に福山実験林の建物が見えてきた(写真3)。


写真3 林業試験所福山支所の管理・研究棟

4.       雷雨と蝉しぐれの福山

  この福山試験林は、山頂部付近にタイワンブナ(Fugus hayatae)が分布する阿玉山(1420m)の南東側に位置する集水域の一画1097haを有し、1986年に開設された。実験林内には、この地域の代表的な自然植生(クスノキ、オガタマノキなどの常緑広葉樹からなる低地温帯林)の他、台湾の代表的な森林植物を集めた植物園が整備されており、教育や研修を目的に一般公開されている。ただし、見学に際しては事前申し込みが必要で、利用者数の制限もされている(1日400名以内)。実験林本部への挨拶の後、早速、河川沿いに整備された樹木園を見学した(写真4)。おりしも、台湾は雨季(梅雨)に入り、この季節特有の午後の夕立に見舞われた。そんな中、豪雨も雷もものともせず、樹木園の見学に向かったのだが、近くの避雷針に落ちた雷にはびっくりした! 植物園には、台湾の低・中標高に分布する66科441種以上の植物が分類群ごとに整備され代表的な樹木種を見ることも出来る。この日も、宜蘭大学の学生たちを実験林のガイドが案内する光景が見られた(写真5)。私たちは、時間的な制約もあり、主に台湾の代表的な温帯性針葉樹の区画を見ることになった。台湾のスギ、ヒノキなど見て回ったが、どうしても樹木園サイズでは実感がわかず、明日からの現地見学に期待が持たれた。それにしても、このすさまじい蝉しぐれ、妙に神経を逆なでする様でいて、台湾に来たのだということを実感させられた。


写真4 溜池周辺に整備された樹木園



写真5 地元大学生に対する野外教育

  1時間ほどの散策後、雨があまりにもひどくなったこともあり、引き返し、研究棟に隣接する展示館に立ち寄り、一般見学者用に福山を紹介するビデオを鑑賞した。その晩は実験林内にある施設に宿泊することになったが、その施設の立派さに驚かされた。福山実験林は単に教育・研修を目的とするばかりでなく、この地域の自然森林植生の基礎的総合調査も行われているようで、今回は見学できなかったが、50ha規模の長期生態学的研究のためのサイトも設けられ、研究が継続されているという。こうした研究を支えるものとして、このような施設が整備されているものと思われた。うらやましい限りである。

5.       吉野スギ人工林地帯を行く

  翌朝、福山を出発し、宜蘭を経由して台湾ヒノキの天然林で有名な棲蘭を目指す。台湾の東西を結ぶ横断道路の一つであるその名も東西貫通公路を蘭陽渓沿いに遡る。遠くに3000mを越える脊梁山脈の峰々を望めるが、その距離はまだまだ遠い。棲蘭から山道に入り、本日の最初の目的地である棲蘭森林遊楽区に入る。まず最初にこの地域の国有林を管理・経営する栄民森林保育事業管理所棲蘭山工作区の事務所に立ち寄り、当日の案内に立つ主任の林進龍氏、宜蘭大学の陳子英副教授そして昨日の二人の学生と落ち合う(写真6)。なかなか複雑なのだが、この地域の国有林は国軍退除役軍人組織(公的機関)によって経営されてきた。つまり、退役軍人の再就職の受け皿として林業組織が設けられたようで、この地域の森林開発(伐採)と植林が担ってきたのだという。ただし、現在は事業量が減少し、組織だけが細々と残されているとのことであった。事務所を出て、車はいよいよ監視ゲートから林道に入る(環境保護のため林道への侵入は厳しく制限されている)。林道は未舗装ながら、緩やかな勾配でよく整備されており、その周辺にはスギの人工林が広がっている。聞けば、これらは吉野スギで、成長、品質が良いとのことで1970年代から盛んに導入され, 天然林(主にヒノキ)の伐採後に植林されたとのことである。台湾で吉野スギとは意外な感じもするが、日本における拡大造林が一段落した後、生産過剰の苗木が台湾に流れ込んだとも言えなくもないようだ。ただし、現在、台湾では天然林の伐採が全面禁止され、日本のスギについても、当初期待したほどの成長も見られなかったことから、帯状皆伐により在来種への切り替えが行われているとのこと。周辺のスギ人工林を見る限り、さほど問題は無いように思われたが、幾分樹高が低いようにも見えたが、気のせいだろうか?それにしても急峻な地形に谷底から尾根部までよく植えたものである。


写真6 棲蘭山工作区前での記念写真(前列右端が林主任)

6.       霧の中の台湾ヒノキ

  林道を登り、高度が上がるにしたがって、天候は急激に悪くなり、周囲はガスがかかり、雨脚も強くなってきた。そんな中、ところどころにヒノキの巨木が現れる。ほとんどが伐り残しや尾根部の保護樹帯で、この辺は日本の高海抜地の拡大造林地と同じ、食い散らかした後のようでやりきれなくなる。車列がとまり、神木園に着いた。標高およそ1600m、台湾の植生帯では中標高の山地帯に位置し、温帯性針葉樹を主に、常緑、落葉広葉樹との混交林を形成している。神木園は紅檜(Chamaecyparis formosensis)の巨木園で、樹齢400年〜2000年の巨木がその樹が更新した時代の歴史上の人物の名を持ち残されている(写真7)。その数51本、例えば、王陽明神木、萌芽1472年、樹高39m, 胸高直径1.2mといった具合である。何となく、屋久島の屋久杉ランドを思い起こさせる。林氏の説明によれば、この神木園は、この地域の巨木林の姿を少しでも後世に残し、展示する目的で開設されたもので、現在は一般の観光客にも公開されているという。ただ、残念なことに、この林は神木以外の樹木の多くは伐採され、その樹下にはヒノキが植林されており、本来紅檜林の姿を見ることが出来ない。その神木の一本の前で、宜蘭大学の陳子英副教授は、紅檜には他の樹木が取り付き、共に成長する姿を見ることできるとし、紅檜とともに成長するヤマグルマとシマサルスベリについて説明してくれた(写真8)。


写真7 神木園の紅檜(Chamaecyparis formosensis)の大木



写真8 紅檜に取り付くヤマグルマ、シマサルスベリ

  次に台湾ヒノキの天然林に向かう。台湾にはヒノキ属が2種分布し、一種は紅檜で、もう一種が台湾扁柏(Chamaecyparis obutsusa var. formsana)である。紅檜は形態的にも生態的にも日本のサワラに類似するとされ、天然には中間斜面以下に分布し、台湾扁柏は日本のヒノキ同様、尾根部を中心に分布するという。恐ろしいほどの急峻な斜面を削り取って開設された林道(写真9)を進み、尾根部に張り付くように生育するヒノキの天然林をたどり着く(写真10)。台湾扁柏の天然林は伐採が進み、尾根部に極わずか残されているためか、意外と樹高も低く、巨木も見られない。急傾斜地にあるためか、皆伐・新植は行わず、もっぱら天然更新施業をとっているとのことだが、現在は、天然林が禁伐になったことにより、そうした施業も行われなくなった。林床には岩石が堆積し、コケ型やシダ型林床で倒木更新が一般的だというが、天然更新が成功しているとの話はなかった(写真11)。今回、見学したヒノキ天然林は、いわば伐採跡の残骸で保護林は他の場所にあるとのことだったが、残念ながら時間の関係上、そこに行くことは出来なかった。 


写真9 恐ろしいようなガレ場に開設された林道



写真10 急傾斜地に成立する台湾ヒノキ(Chamaecyparis obutsusa var. formsana)の林分



写真11 ヒノキ天然林の伐採跡地、天然更新を期待するが・・・・

7.       梨山(サラマオ)の悲劇

  昔懐かしい山泊事業所風の休憩小屋で昼食をとった後(写真12、13)、宜蘭大学の陳子英副教授らと別れ、一路脊梁山脈の分水嶺を目指す。


写真12 滅び行く事業所兼宿泊所



写真13 事業所内での昼食

台湾ヒノキのある棲蘭森林遊楽区は、いわば台湾の雪山山脈の裾野で、横断道路を一気に登ってゆくと植生に変化が見られる。台湾の自然環境は中央部に雪山山脈(北部)と阿里山山脈(南部)の二つの山帯からなる脊梁山脈によって大きく二分され、東部海岸は西部に比して多雨多湿であるという。横断道路をいったん登りきって標高2000mの南胡大山(3740m)の登山道口に着く(写真14)。この南胡大山は雪山山脈の最高峰で、山頂まで往復4−5日かかるという。同行の五木氏は台湾大学山岳部のモサでいつでも案内するというが、相当きつそうだ。付近は、周辺は乾燥地帯にあって頻繁に山火事に見舞われ、一面アカマツ林(Pinus taiwania)が広がり,一部にアベマキが介在する(写真15)。


写真14 南胡大山(3740m)の登山道口



写真15 大規模な山火事跡、アカマツが更新する

山火事や伐採を免れたところ(主に尾根部)にはコウヨウザン(巒大杉 Cunninghamia lanceolata var. konishii)やツガ(鐵杉Tsuga chinensis)が見られる(写真16)。さらに山間部を進むと一気に視界が開けてくる。雪山の麓に広がるサマラオ渓谷である(写真17)。


写真16 残存する広葉杉(C. lanceolata var. konishii)の大木



写真17 一面、果樹園と化したサラマオ(梨山)渓谷

この地域は台湾山岳民族(タイヤル族)の中心的な居住地域で、東西貫通公路のほぼ中間地点に位置し、現在は梨山と呼ばれている。なぜ、梨山なのか?それはこの地域がかつて台湾のナシの一大生産地であったことから来ているという。そのナシも実は植民地時代に日本から持ち込まれた二十世紀ナシなのだという。現在はリンゴやモモなどの果樹の一大生産地で、斜面という斜面は、ことごとく開発され、果樹園が谷底から尾根まで一面の果樹畑が広がっている。実は途中の車の中で、林業試験所の陳氏が「台湾の山岳植生は無残な状況にある」としきりに嘆いていたが、まさにそうした状況がサラマオ渓谷にはあった。確かに、こうした果樹栽培が山岳民族の生活の向上に役立ったのは事実のようで、道路沿いには現代風の家屋が立ち並び、かつてのサラマオ社(別名桃源)と呼ばれた面影はどこにも残っていないという。しかし、その結果、もたらされたのはすさまじいばかりの自然破壊で、森林は失われ、豪雨の際は土砂災害が頻発し、農薬による水質汚染も深刻化しているという。さらに問題なのは、こうした果樹栽培が実は先住民の手から平地民(漢民族)の手に渡ってしまっているということであった。台湾の山岳地帯はほぼ全域といってよいくらい国有地である。先住民はこの国有地における狩猟権や耕作権を有しているのだが、近年、この土地権が平地民に流れ、開発に拍車がかかっているのだという。そこで、台湾政府は東西貫通公路の補修を極力行わないという強硬手段に打って出た。つまり、サラマオ地区へのアクセスを悪くして、開発にブレーキをかけようというものである。その結果、道路事情は極めて悪い。梨山の高台に立ち、谷底を指差す五木氏は、あの川に絶滅危惧種サラマオ鱒が棲んでいるといった。2000mを越える山岳地帯とはいえ、亜熱帯に位置する台湾に陸封型のサクラマスが生息すると聞かされて驚いたが、この渓相を見て納得できるものがあった。何とか生き延びてもらいたいと思った。

8.       ビデオで見た合歓山の森林と草花

  時間は押し迫ってきた。暗闇が迫り、がけ崩れが随所に見られる危険極まりない山岳道路を五木氏は車を飛ばす(路端の電信柱に時々「南無阿弥陀仏」と貼ってあるのが怖かった!)。高度は3000mを越え、稜線で出た。タロコ渓谷への分岐点である。夕闇の中、一瞬、タロコ大渓谷が垣間見えた(写真18)。すごい!山荘の食堂で夕食をとったのち、当夜宿泊する特有生物研究保育中心高海抜試験站に向かう。センターは、台湾の希少な野生生物の研究と保護を目的とする研究機関で、この合歓山に高海抜試験地がある。試験地は3000m付近にあり、太魯閣(タロコ)国立公園のビジターセンターと併設して設けられている。早速、主任の?国祥氏を交えて、合歓山の自然や国立公園の実情などを聞く。ところが、私といえば、あまり経験のない高標高に一気に移動したことと寒さのために頭痛が激しく、話も聞けず早々に寝室に引き上げなければならなかった。


写真18 落鷹山荘からみる夕暮れのタロコ渓谷

翌朝、快晴を期待したが、無残にも周囲の風景は雨交じりの霧に覆われ、ほとんど何も見られない。試験地の建物の周辺を歩いて、辛うじてモミやトウヒの亜高山帯針葉樹林が見られた(写真19、20)。


写真19 特有生物研究保育中心高海抜試験站



写真20 モミ(冷杉Abies kawakamii)の亜高山帯針葉樹林

隣接の国立公園管理事務所で、合歓山周辺の自然と四季の草花のビデオを見る。なるほど、晴れていれば、こうした風景が周辺に見られるのかと思いながらも、無念さが募る。ちなみに、台湾の植生帯区分では、2000m付近までがヒノキ、スギなどの温帯性針葉樹林、それ以上がツガ(鐵杉Tsuga chinensis var. formosana)・トウヒ(雲杉Picea morrisonicola)林(冷温帯針葉樹林)、3000m付近までがモミ(冷杉Abies kawakamii)の亜高山帯針葉樹林、そして3200m以上になるとササ(Yushania nittakayamaensis)型からなる高山草地植生となる。もっとも、高山帯のササ型植生は、火入れの影響が強いのではないかという説もあるようだ。周辺に咲き乱れるであろう高山植物の代表格は、シャクナゲ類で、そのほか、ツガザクラ、キキョウやリンドウ、ウスユキソウなど日本でおなじみの高山植物の仲間が数多く見られる。しかし、なにしろ霧の中である。さらに残念なことは、折角、?氏の道案内で登頂を目指した台湾100名山の一つ合歓山(3417m)を濃霧と強風のために断念せざるを得なかったことである。脊梁山脈の分水嶺、武嶺(佐久間峠)は観光客でにぎわっていたが、そこにたつ記念碑には複雑な気持ちにさせられた(写真21)。ここは大正初期、植民地統治下台湾で、抵抗するタロコ渓谷の先住民を武力制圧しようと植民地軍警2万人がこの峠に陣を構え、軍事攻撃を展開した場所であり、これによって多くの先住民が犠牲になったのである(写真22)。


写真21 観光客に賑わう武嶺



写真22 太魯閣戦役の説明板

9.       霧社事件の舞台はリゾート地

  武嶺から横断道路を脊梁山脈の西側に下り、標高が下がるにつれと標高1300m付近で、植生は再び常緑広葉樹の森林地帯に突入する。途中、調査に入っている台湾大学のもう一人の助手と合流。次に案内されたのは、一つの集水域数1300haまるまるが保護されている天然林で、主な構成樹種はアカガシ亜属(Cyclobalanopsis)の樹種である(写真23)。保護林内には多数の固定調査区が設定されており、森林の動態モニタリングが実施されているという。横断道路をさらに霧社方面に下った見晴らしのいい高台の駐車場に止まった。そこに望遠鏡とGPSを設置し、空中写真を広げて、現在、台湾大学が他の大学と協力し、分担しながら取り組む、台湾の植生図の作成プロジェクトの手法の説明を行ってくれた(写真24)。基本はプロットによる林分調査(植生調査)であるが、実際的には急峻な台湾の地形とアクセス道路が存在しないなど現地調査が困難な場合が多く、空中写真の判読が重要であるとのことであった。合流した助手はこの地域の植生に精通しており、彼のような経験がないとなかなか正しい植生の判読は難しいのだという。


写真23 常緑ガシの保護林、モニタリングが行われている



写真24 植生図作成の方法を説明する台湾大学助手の五木氏

台湾を旅行していると、どうしても植民地支配下の歴史の舞台を避けて通ることが出来ない。高台から見下ろす渓谷は、霧社事件の舞台となった地域である。1930年、警察の強権的な先住民政策(差別と労役)に耐え切れなくなった先住民が蜂起、駐在所などを襲って日本人130名を殺害した。これに対し総督府は軍警を投入、徹底的な鎮圧をはかり、多くの先住民が犠牲となった。そうした悲しい歴史を持つこの地は、今や瀟洒なホテルやペンションの立ち並ぶ避暑地となっている。霧社の市街地で昼食をとった。急に空模様が変わり、激しい雨が降りしきった(写真25)。この地で、台湾大学の助手たちと別れる。五木氏は数日後に博士論文の審査を控えているという。こんなに私たちのために時間を割いてしまい大丈夫なのだろうか?と心配になる。


写真25 霧社事件の記念碑

10.   檳榔(びんろう)を食す!

  霧社からさらに道路を下り、埔里の町に入る。陳氏が突然、車を檳榔屋の店先に止め、店主と何やら親しげに話しながら、何かを受け取り、私たちに食べてみろという。檳榔である。口に入れ、噛んだとたん何とも言えぬ渋みが口に広がる。とっさに吐き出してしまう。聞けば、陳氏がこれから行く林業試験所蓮華池支所に勤めていた際、バス停の前にあったあの店の主人と親しくなり、よく檳榔をもらったのだという。檳榔には2種類ある。一つは檳榔の実(Beatle nutsというヤシの仲間)を二つに割り、その間に石灰その他でつくったペーストを入れ、コショウの花序を挟んだもの、もう一つはそれをさらに檳榔の葉でくるんだもので、こちらはさらに強烈なものだという。檳榔はいわばタバコのような嗜好品で、Bout氏によればフィリピン、東南アジアに連なる文化だという。一種の覚醒作用、清涼作用があるため、台湾では長距離の運転手が好んで口にするとのこと。そのため、その売り方にも独特な風俗が見られる。つまり、国道沿いに立ち並ぶ檳榔屋は客をひきつけるために、若いキャッチガールなみのコスチューム姿の女性が透明ガラスで囲われた売り場で檳榔を売っているのである(写真26)。一方、この檳榔、深刻な環境問題を引き起こしている。檳榔栽培がお金になるところから、森林が伐採され、檳榔畑に切り替えられ(現在50万ha、人工林面積より広い)、森林の水土保全機能が大幅に低下し、土砂災害を拡大しているのだという。現在、檳榔栽培は厳しく規制されているというが、問題は深刻のようである(写真27)。しかし、私たちには“檳榔文化”を理解するのは難しいように思われた。


写真26 台湾の主要な道路沿いに立ち並ぶ檳榔屋



写真27 檳榔の栽培が水土保全上に及ぼす影響も調べられている(蓮華池支所)

11.   衰退する台湾林業

  そうこうするうちに、私たちはこの旅行の最終目的地の蓮華池支所にたどり着いた。蓮華池支所は、4ケ所有る林業試験所の支所の一つで、主に育苗、造林、水門試験などを行っている(写真28)。総面積461haの試験地のうち182haが杉木の人工林で占められているが、台湾林業の衰退を反映し、どこかの国と同じように、試験・研究から取り残され、十分な手入れが行われずに放置されているという(写真29)。


写真28 蓮華池支所の正門



写真29 保育間伐もされず放置されたコウヨウザンの人工林(蓮華池支所)

台湾の人工林面積は40万haで、主な造林樹種は日本から導入されたスギや中国大陸から持ち込まれたコウヨウザン(巒大杉 C. lanceolata var. konishii)などであるという。しかし、国内で消費される木材の実に99%が海外からの輸入木材である。その理由として、人件費の高騰と材価の低迷から林業経営に対する意欲が失われ、さらに国民の森林に対する意識が木材生産から環境保全へと大きくシフトしたことがあげられるという。これまでの台湾林業は天然林の伐採として進められてきた。しかし、現在、天然林の伐採は原則禁止され、伐採後に植林したスギなどの針葉樹人工林も、期待したほどの成長が見られず、林業からの全面的な撤退が進んできたのだという。中でも深刻なのは放置された人工林で、陳氏は、専門は違うが育林技術の研究の必要性を痛感するが、そうした研究に取り組む研究者は少ないという。いずこも同じか!

12.   物静かなセミナー

  翌日、一路台北に戻った私たちは、林業試験所でセミナーに臨んだ。折角の機会なので、日本そしてフィリピンの森林・林業研究を紹介してほしいとの林業試験所の金所長の要請にこたえたもので、セミナー室には金所長をはじめ試験所の研究員、台湾大学の五木氏(後から五木氏の指導教官の邱祈榮助教授も駆けつけてくれた)、民間企業の研究員、林淵霖氏などが参加してくれた。今回は日本の研究紹介ということで、私が奥日光千手ケ原の長期生態学研究、金指さんが希少樹種の保全生態学的研究、大住さんが日本林業とくにスギを中心とする人工林施業の歴史、Boutさんが日本とフィリピンの里山生態系の比較研究を発表した(写真30、31)。それぞれの話題は、台湾の森林・林業研究共通するところが多く、意見や質問が飛び交う激しいセミナーとは異なり、物静かな中で意見交換が行われた。なかでも、面白かったのは、花粉症問題で、台湾にもスギやヒノキが自生し、また、日本のスギが植林されていることなどから、“花粉症”問題が深刻化しつつあり、森林管理上、何か方策はないだろうか?という質問であった。なるほど、スギ花粉は日本だけの問題ではなかったのか!と認識を新たにした。


写真30 日本の林業史について話題提供する大住氏



写真31 日本、フィリピンの里山比較について話すBout氏

13.   巨大な屋久島=台湾

  こうして6泊7日の台湾旅行は終わった。台湾の森林植生の印象を一言で言えば、それは“巨大な屋久島”、“大き目の四国”といったところだろうか。標高を二倍にし、面積を広げれば何となく想像できる。つまり低地にシイ・カシ林(もっとも台湾では本来亜熱帯林があるはずなのだが)、山地帯に入って温帯性の針葉樹と落葉広葉樹の混交林、亜高山帯の針葉樹林、そして高山帯のササ原。もっとも、台湾の植生の多様性は、面積が広く高低差が大きいことから四国や屋久島の比ではないかもしれない。林業試験所の陳氏は山地植生の荒廃を嘆いていたが、それでもその自然環境には驚嘆させられる。本当によく残されていると思われた。しかし、わずか数日の主要幹線道路の周辺を見る旅で、台湾の森林や林業をどれほど理解できたかといえば、心もとない。私たちは台湾の山岳地帯をほんのわずかかすめ通ったに過ぎない。しかも、今回は台湾の北半分で、阿里山山脈に足を踏み入れることも出来なかった。是非とも、次の機会にさらに奥山に足を踏み入れてみたいものである。

14. 志向草根的日韓台間森林・林業研究交流

  今回の台湾訪問の目的は、もちろん、台湾の森林を見てみたいという好奇心が大きな動機付けとなっているが,大義名分としては、これまで草の根交流の一環として行ってきた「日韓森林生態セミナー」を極東・東アジア地域に拡げたいとの目的を持ったミッションで、多少なりとも台湾林業試験所、台湾大学、宜蘭大学の研究員と交流が持てたことは、そのための大きな前進といえた。日本と台湾には植民地支配という拭いがたい歴史があり(写真32)、そのことに加えて、中台間の関係がことをさらに複雑にしている。近いが故の歴史的な関係と利害、そして見えてしまう国情、 それが見えていて当たり前のはずのものを見逃す結果となっている。台湾と日本の自然環境、なかんずく森林植生はその典型であるといっても過言ではない。私たちは、自分の国の自然植生を自国のみで完結して考え勝ちである。しかし、極東の地図や書籍を前に客観的に考えれば、韓国のみならず、台湾においてさえ共通して分布する樹木種があり、そこに成立する森林や生物相の共通性、類似性、そして、それぞれの独自性、固有性があることに気付くはずである。そうした東アジア地域で、森林のあり様を考えていかなければ、大きな間違いを犯すことになる。互いの国の情報を持ち寄り、また相互に訪問し、実情を知ることは森林・林業の研究に極めて意義が多いと思われる。そして、私たちはこれらを草の根的に実践していきたいと考えてきた。今回の台湾訪問中に会った台湾林業試験所や大学の関係者は、異口同音に、多くの日本の林業研究者に台湾に来て、台湾の森林・林業を見てもらいたい、研究者同士の交流を深めたいと言っていた。私たちもそれを望み、また、それほど共通する自然環境、問題を持っていることを改めて知る旅でもあった。今回のミッションを受け入れ、お世話くださった台湾林業試験所、台湾大学、宜蘭大学の皆様に、この場をかりて改めてお礼申し上げる(写真33)。


写真32 台湾の植民地支配を象徴する旧台湾総督府、現在は総統府として使われている



写真33 森林施業研究会の手拭いを広げる宜蘭大学の陳福教授と学生、そして林主任




ドイツ「黒い森」の林業見聞録


「黒い森」地方の景観


第3回 「オンリーワン」を目指す製材工場の経営者

               森林総合研究所 正木隆

■ 日本の林学教育を憂える


本題に入る前に一つ。

先日、このドイツの調査で通訳をしてくださった池田さんから、「正木さんの レポート、読んでますよ」というメールをいただいた。このようなサイバー空間 の場末に書いているレポートも、世の中には意外と読んでくださる方が多いと いうことなのだろうか。これはやはり、下手なことは書けないなぁ、と改めて 緊張した次第。なお、池田さんも現在「山林」誌上でドイツ林業に関するレポー トを連載されている。ぜひそちらも読んでみてください。

さて、そのメールの中で池田さんから、第1回目の林業連盟の記事の内容につ いて指摘されたことがある。私はその記事の中で「林業作業員は大学で正規の 専門トレーニングを受け・・・」と書いた。池田さんによれば、大学というよ りは職業専門学校、あるいは実業学校と考える方が妥当でしょう、ということ だ。ただし池田さんは、「知識レベルからいえば日本の大卒者と対して変わら ないか、または上をいっている」、とも付け加えられていた。

なるほど確かに、日本の林学科を卒業しても、林業経営の即戦力になるとは思 えない・・・。今や、林学会が森林科学会となり、林業技術が森林技術となり、 林学科が森林科学専攻科となった。今後、「学」や「技術」がますます現場か ら離れていく予感がするのは、私の杞憂だろうか。

前置は終わろう。本題に入る。


■ ドイツの製材所は今

前号(28号)での林家の報告に引き続いて、今号では川下の製材工場を視察した 様子を報告する。

今、日本には、約1万の製材所がある。一方、現在のドイツには約 1500 の製材 所があり、全体で 1600万 m3 の製品を生産している。日本に比べる とかなり数が少ないが、これはドイツで製材所の大規模化がすすんで、小規模 工場が淘汰されたためである。

しかし、小規模な工場もまだ残されている。今回訪問したのも、黒い森地方で 生き残っている、そんな小規模工場の一つである。


■ 製材業も「選択と集中」が重要だ

それは、 Bad Rippoldsau-Schapbach という村にあるシュミット製材工場。黒 い森では規模が小さい部類の工場である。しかし、小さいとはいえ、谷にそっ て延々1kmの敷地に一つの工場が続いており、圧倒されるものがあった。

我々を出迎えてくれたのは、ラルフシュミット氏。この工場は、彼がもう一人 の兄弟と二人で経営している。

このシュミット氏、前回紹介したフレック氏よりもかなり物静かな感じだが、 なかなかどうして、秘めたるパッションはものすごい。昼に訪れた我々を相手 に熱心に説明をしてくださり、あたりが暗くなって従業員が帰宅してもなお、 なかなか説明をやめようとしない。静かなる情熱に溢れた好人物、という印象 だった。



工場の経営者、シュミット氏(中央)。
彼の説明は延々ととどまるところを知らない。


彼の工場は、年間 15000 m3 の原木を仕入れ、そこから12000 m3 の製品を生産しているという。これは、歩留まりにすると80%。 佐々木社長曰く、「歩留まりが異常に高い。日本だと 55 〜 60 %が普通だ」。 おそらく材積の計算の仕方が日本と違うのだろうが、詳細は結局わからかなかっ た。ちなみに、加工量としては、山佐木材と同じくらいだとか。年間の売り上 げは 250万ユーロというから、日本円にすると、年間の従業員一人当りの売り 上げは 2000万円強である。なかなか立派な数字だ。

原木は、工場の周囲 30 km の範囲から集めているというから、そんなに広い範囲 ではない。まさに、黒い森から得られる材でなりたっている工場だ。扱ってい る樹種はモミとトウヒのみで、ブナやマツは扱わない。黒い森の材ならなんで もよし、とはしていない。企業として選択と集中を意識している、という印象 をもった。

m3 あたりの仕入れ価格は、トウヒで 66 ユーロ、モミで 61 ユー ロでモミの方が 5 ユーロ安い。日本円にすると、それぞれ約 9000 円と 8300 円である。なお、この 価格のうち、 4 〜 6 ユーロは森林から工場までの輸送費だから、林道端での価格 は、それぞれ約 8300 円と 7600 円。前回のフレック氏の山林から出てくる材の売 り値が 6100 〜 11400 円だったから、それと整合している。


■ 市場競争で生き残るために

従来の工場の仕事は、まず伝統的な建築を手がける大工さんから個別の注文を 受けるところからはじまる。それは長さも太さもさまざまな非規格品であり、 大工さんから相当細かい注文がつけられる(下図)。製品は多少コストがかか るがあえて乾燥して、出荷しているそうだ。この従来からの仕事については、 この工場は、他の小規模な工場と比べて、比較的うまくいっている方であると いう。しかし、やはり新しい設備の大きな工場とは、真正面から太刀打できな いらしい。



大工さんの個別注文に応じて生産した長さも規格も不揃いの製品


それに、このやりかただと注文から出荷まで4週間かかる。また、こういった 伝統的な建築マーケットも今後縮小していくだろう。やはり、今までのやりか たを変えない限り、小規模工場は淘汰されて行く、というのが彼の見方だ。

そこで彼は、これからの経営を見通して、二つの柱を立てている。

一つは付加価値の高い「オンリーワン」製品を作るということ、そしてもう一 つはスピード生産だ。前者は「構造あらわし」の伝統工法に使うための、大径 でかつ柾目の美しい構造材である。後者は注文を受けてから数日で出荷できる という特急生産だ。さらに、彼の工場では、小規模であることのメリットを活 かしてきめこまかい対応を実現し、顧客満足度を高めようとしている。(ちな みに「オンリーワン」は彼が言ったわけではなく、彼のビジネスに対する印象 を表現するため、私が用いた言葉である)

現在、12000 m3 の製品のうち、2500 〜 3000 m3 は 上にのべた高規格品の構造材で、これを工場から約 50 km の範囲の大工さん に売っているという。彼曰く、こういう小規模な工場で高規格材を作っている のは珍しく、普通はこの10倍規模の工場で作っているのだとか。しかしだか らこそ、この工場の他にはない強みとなっているのであろうと推察した。

彼が作っているのはKVHとよばれる高規格材。柱や梁が家の中から見えるよう にする、南ドイツ地方の伝統的な建築に使うものだ(日本の「構造あらわし」 と同じようなもの)。一般に m3 あたりの価格は、人目にみえる 箇所に使える製品であれば 320 〜 330 ユーロ、人目にみせない製品であれば、 270 ユーロあたりが相場でる。しかしこの工場では、いい部材を2枚張り合わ せて太い柱として使える大径の製品を生産している。これであれば、 m3 あたり 420 〜 440 ユーロで販売することができるという。こ れはかなり収益性は高い。

彼の工場での大径構造材の作りかたは以下のとおりである。




この技術によって、四方柾目の構造材が生産される。丸太の表面にある割れを 隠すこともできるし、細いものから太いものまで、顧客の望むとおりのサイズ の製品を提供できるメリットがある。そしてこれをフィンガージョイント(下 図)によって継ぐことにより、いくらでも長い製品を生産することができる。 私のような素人の目には、これで強度は大丈夫なのかいな、と思うのだが、佐々 木社長によれば、これで十分な強度があるという。



フィンガージョイントを利用して糊で継いでいけば
いくらでも長い製品が作れる


このようにして、柾目が表面に見えるように貼りあわせ、フィンガージョイン トで継いだ構造材は、白い糊を使っていることもあって、ほとんど継目はわか らず、あたかも無垢の大径材のような外観を呈する。私は実物を見たが、なる ほど、いかにも付加価値の高そうな製品だ。これこそが、他のどこも真似でき ない、彼の工場の「オンリーワン」製品だ。まさに、彼の工場のコア・コンピ タンスである。(下図)



角材と角材を貼りあわせるための装置



フィンガージョイントでどんどん継いでいく装置




これが彼の工場の「オンリーワン」製品。規格も揃っている。
あとはこれを巨大かんな機(佐々木社長曰く「でかい!」)にかけて
仕上げる。


もちろん、これが彼の工場のすべてではない。従来どおりの生産ラインも残し ている(下図)。しかし、現在のスタンダードから比べると古い機械ばかりで あり、レベルは低い、とシュミット氏は冷徹だった。



以前からの生産ライン



■ 木材の目利き

彼の工場では、冬に伐採された木材を、水をかけて分散貯蔵している。春や夏 に伐採された木材は、樹液で材の色が悪くなるので、高級材にならないのだと か。このへんは、日本の状況と同じか。

ストックされた原木は、細かい需要に応じて製材にまわされる。コンピューター で注文と在庫を管理しており、それに基づいて原木を丸太にする。

前回の記事で述べた通り、材にはA〜Dまで等級がある。それを見極めるのがオ ペレーターの重様な役割りの一つだ。(どうやら、山での判断とは別に、工場 で新たに判定しなおすようだ)。この工場のオペレータも、機械で丸太をグラッ プするやいなや、瞬時にその品質を判断し、それに応じて丸太の細断長を変え、 等級別に分類していた(下図)。製材工場の生産スピードや製品の質は、かな りの部分ここに依拠しているように思った。これは、マニュアルがあれば誰に でもできる、というものではない。経験がものをいう世界だ。



丸太の等級を判断して分類していたオペレーター。
こうしてみると、まるで丸太と会話しているようだ。


この工場では、 3000 m3 の製材を貯蔵することができる。扱って いる規模こそ小さいが、工場の敷地面積が広いので、このような貯蔵が可能と なっている。また、このこともあって小規模なこの工場が生き残れたのだ、と シュミット氏は語っていた。


■ 川上と川下のコンフリクト

この工場では、モミとトウヒしか扱っていないことは既に述べたとおりである。 しかしどうやらシュミット氏は、モミがあまりお好きではないようだった。理 由をきくと、節が多い、割れ目が多い、年輪幅が変化している箇所(おそらく 被陰されていた個体が光環境の好転で成長が突然に改善した箇所)で割れが生 じやすい、などの欠点があるのだとか。今はモミをトウヒよりも 5 ユーロ安 く買っているが、本音をいえば、もう 10 ユーロくらい安くしてほしいと言っ ていた。(ちなみに同じ黒い森のモミ材を、日本はほぼ倍の価格の130 ユーロ で輸入しているとか)

ところが、最近は川上では近自然林業型林業を押し進めており、今後は造林さ れたトウヒよりも、天然に更新するモミ材の供給が増すことが予想される(第 1回の林業連盟の記事を参照)。しかし、川下では、トウヒの方が好まれる。 この嗜好は、シュミット氏に限らない。川下の顧客はとにかくトウヒを買いた いのである。

このように黒い森では、川上での「いい山」をつくろうとする動きと、川下で のニーズとの間で、ミスマッチが生じはじめている。今後この問題をどのよう に解決して行くかは、注視してみたい。日本でも、伐期に達したスギをどう利 用するか試行錯誤するなど、すでに同じような問題をかかえているように思う。

そういえば、前号のフレック氏を訪問したときも、モミよりもトウヒの方が高 いということだった。天然のモミよりも、拡大造林したトウヒの方が高く売れ ている、ということだ。スギを拡大造林した日本からすると、ちょっと羨まし い話かもしれない。


■ 日本人の価値観は日本人のものだけにあらず

それにしても、ドイツ人も日本人と同じ様に、家の中で木の質感を大切にする という価値観を持っていた。「木の文化」は日本だけのものではない。木のぬ くもりを愛するのは、日本人も欧米人も同じということだ。無節の柾目が好ま れる、という点からみても、日本人とドイツ人に違いはない。木材の用途にか ぎってみれば、日本の市場が世界的に見て特殊ということは、ないのかもしれ ない。



まるで合掌造りのような黒い森地方の古い民家。
私が行ったときは屋根のカヤ(?)の葺き替え中だった。
内部でも、木材がふんだんに使われている。


端材の利用もそうである。彼の工場では、切り落とした四隅の材や中央部の材 も、なんらかの製品にして出荷しているそうだ。シュミット氏の言によれば、 大規模工場ではチップにしてしまうような部材も製品にしているとか。そうし てもなお余ってしまった端材については、木粉またはチップにする。それらの 質がよければパーティクルボード用の材料や紙パルプとして出荷し、残りは 400 kw の発電用に使っている。この電力は稼働時間の変動の大きい大型機械 の電力の補完にもちいるそうだ。電力を買うより安いからだ。一方、ライトや 乾燥器など、稼働時間の変動の少ない機械は買った電力で動かしていた。

つまり、ものを大切にする価値観はドイツにもしっかりとある、ということだ。 「もったいない」という言葉は日本特有のものだが、概念としてはドイツにも ある。むしろ、最近の日本の方が「もったいない」ことばかりしていている。 しかもまったく恥じるところがないから、困ったことである。切捨て間伐など はその最たるものだ。佐々木社長によれば、たとえ細い間伐材でも、川上での 生産をとりまとめ、まとまったロットで供給されれば、川下の工場で「売れる」 製品に加工できる。それができるだけの技術革新がすでに実現している。佐々 木社長はつねづね、原料(細い間伐材)の供給体制が整えば、いつでもそれを 加工するための設備投資をためらわない、と語っている。川下での技術革新を 知らぬは川上ばかりなり。ドイツにおける川上と川下の情報コミュニケーショ ンを日本はもっと学ぶべきだろう。


■ すぐれた経営者の条件とは?

彼は生き残りのため、設備投資にたいする意欲も盛んだ。製材業は、基本的に 装置産業である。競争力の維持のために、設備投資は不可欠だろう。今、彼の 工場では、 16 m の材を蒸気乾燥する機械をもっており、年間 6000 m3 の製品を乾燥することが可能である。しかし、彼はこれをあと 2000 〜 3000 m3 ほど増強したいと考えている。また、新しい真 空乾燥装置の導入も考えているという。

彼の言によれば、今は決して景気はよくないという。一般の日本人の常識では、 ここで設備投資を控えるところだろう。しかし、今景気が悪いということは、 これから先、景気が上向く可能性が高いということだ。今のドイツの木材産業 の不景気は、日本のような構造的なものではなく、景気循環論的な不景気だろ う。ならば、将来の「そのとき」にしっかりと儲けるため、不景気の今こそ設 備投資をおこなうことは、経営のセオリーだ。だが、それは勇気のいる決断で あることも事実。その勇気をもって行動できる彼は、優秀な経営者に違いない。 彼が経営者でいる限り、シュミット工場はこの黒い森で生き残っていくことだ ろう。

余談ながら、1990代、シリコンサイクルの谷間に日本の半導体メーカーが投資 を控えたとき、韓国の半導体メーカー・サムスンは逆に投資額を二倍に増やし た。その結果、サムスンは日本の半導体メーカーからシェアを奪い、いまや日 本メーカーが束になっても勝てない強力な企業になってしまった。

日本人は、ドイツ人・韓国人よりもはるかに資本主義について無知である。考 えてみれば、林業も護送船団方式だったために、国際競走力を失ったのかもし れない。だとすれば、国産材が輸入材にシェアを奪われたのも当然だったのだ。

それはともかく、シュミット氏は景気のよくない中、独自の製品を開発し、積 極果断な設備投資をおこない、大規模工場との競争に生き残ろうと必死に知恵 をしぼっていた。一時機の景気の動向に一喜一憂せず、なんとしても収益をあ げようとしている真摯な姿勢。彼と同業者でもある佐々木社長がつぶやいた一 言が忘れられない。

「彼は経営者の鏡だ・・・!」

■ 余談

見出しのとおり、以下はシュミット氏とはなんの関係もない余談である。

林業のシステムの切替えは、日本が遅々として進まないのにたいして、ドイツ やスウェーデンなどの諸国はどんどん先に進んでいる。上流のとりまとめなど、 ドイツで着々と進んでいる林業の構造改革が、日本でもその重要性は認識され ているのに、実態はなかなか進まない。見ていてイライラしてくるのだが、そ れにしても一体、どうしてこうも遅いのだろうか。そんな中、私は、最近ドイツで 作られた映画の評判をきいて、過去に対するこだわりの強弱に起因しているの ではないか、という仮説をもった。

その映画は、ヒットラーを主人公としたものである。彼が自決の前にすごした 14日間を映像化したものだ。この映画について、過去を美化していると怒っ ているユダヤ人も多いときいている。それは当然だろう。しかし、ユダヤ人が 反発するとと知りつつ、映画化してしまうドイツ人の度胸はスゴい。

過去の人間の行為について、「事実」はあっても「いい」「悪い」というのは ない。それは個人の価値観の問題である。「絶対にいい」はずもなく、「絶対 に悪い」はずもなく、いろいろな解釈や意見があっていいはずだ。だが例えば この日本で、東條英機大将を悲劇の英雄として好意的に描くような映画が作成 される可能性は低い。この国の言論界を横から眺めていると、過去を少しでも 美化することにたいして強烈な有言・無言の圧力が常にあるように思う。その 意味で、日本は戦後60年間、一貫して保守的だ。

その点、ドイツの方が日本よりも先に、過去へのこだわりを捨てはじめている ように思う。保守的とか頑固者とか言われるドイツ人の、意外な切替えの早さ を見るような気がする。すなわち、それまでの仕組みや価値観を御破算にして、 まったくリニューアルしてしまう能力だ。外国からの不評などお構いなし、で ある。一見気難しそうなドイツ人だが、実は楽天的でアッケラカンとしている のかもしれない。歴史認識の問題と林業の構造改革の問題。まったく異質の問 題にみえる両者だが、案外と根っこの部分で共通点がある、というのが私の仮 説だ。

さらに余談の余談だが、先日、中国で流通関係のビジネスを長年にわたって手 広く展開している日本人経営者と話をする機会があった。彼は、いわゆる反日 感情なるものは日常の中で感じないと言う。彼は、「先日の反日運動は「官製」 のものだろうし、そういうものすらもやがてなくなっていくと楽観している」、 と語っていた。相手が気にしないものを、われわれがいつまでも気にするとい うのは、相手からみれば不可思議なことかもしれない。だが、反省心を長く忘 れないというのは、日本人の誇るべき美徳の一つであると思う(皮肉ではな く)。ついでにいえば、林業の改革がなかなか進まないのも、流通の中間業者 を簡単に切り捨てられない、日本人の優しさのゆえであるかもしれない。



今後の報告については以下のとおりである。

30号: 工務店、住宅メーカー
31号: 州立林業試験場

(・・・続く)


<編集後記>

ある人からパンフレットを渡され、どう思うかと聞かれた。見れば、それはJRの旅行案内で、今、流行の世界自然遺産「白神山地」への旅行募集なのだが、その中身を見て驚いた。エコツーリズム「ブナの学校」青森校、秋田校とあり、その講師陣たるやかつて白神山地のブナ林の保護運動の先頭に立つと自認していた御仁や伝統的マタギなどなど(涙と感動のNHK番組「プロジェクトX」でも取り上げられた)。彼らが案内人となり、白神山のエコツーリズムがJRによって企画、募集されていた。その2泊3日のツアーは豪華な宿泊施設に泊まり、白神の里を味わい(なぜかフランス料理も)、世界遺産の周辺の観光地を散策し、伐り残されたブナの大木を見て、白神山地を遠望するというもの。さらにブナの植樹活動までついている。確かに、白神山地の自然環境を案内する上で、彼らが適任者と言えなくも無いが、JRによって企画され、運営されるエコツーリズムは、何かJRの商業主義の片棒を担いでいるようで、割り切れないものが残る。屋久島にしろ、白神山地にしろ、世界自然遺産の指定後、観光客が押し掛け、自然環境が悪化しているとの指摘がある。身近に大自然と触れてみたいという気持ちが理解できないでもないが、本当の自然環境には厳しいものがあり、容易に人を寄せ付けないのが本来の姿。お気軽なエコツーリズムで、自然を理解したがごとく錯覚させることが、本当に自然環境の豊かさを知り、その重要性を理解することに結びつくのだろうか?ブナの植樹がブナ林の再生につながると錯覚させるような行為は、世界自然遺産とは無縁のように思われるのだが。いったい、エコツーリズムって何だ?!(狢)

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