木霊 (TARUSU)
森林施業研究会ニュ−ズ・レター  No.34 2006.9.20.
Newsletter of the Forest Management and Research Network


森林施業研究会第9回現地検討会(三重合宿)のお知らせ
森林施業研究会・雲南合宿報告
第6回日韓合同森林生態セミナー旅行記
IUFRO 異齢林研究集会(Uneven-aged silviculture research group “Natural disturbance-based silviculture: Managing for complexity”)に参加して2
編集後記

森林施業研究会第9回現地検討会(三重合宿)のお知らせ

 森林施業研究会恒例の現地検討会を、今年度は三重県で行うこととなりました。ヒノキ大径材生産施業を行い、紀伊半島では数少ない発達した常緑広葉樹林も残る伊勢神宮宮域林、全国に先駆けてFSC認証を取得した特色ある森林施業を行う速水林業など、高品質柱材を生産してきた尾鷲ヒノキ林業地を見学します。奮ってご参加下さい。


神宮林御造営用材生産ヒノキ人工林施業地

○日時:平成18年11月1日(水)〜3日(金・祝日)

○テーマ:伊勢神宮の森と尾鷲ヒノキ林業

○場所:
・宿泊とセミナー会場:
1日目(11月1日)
民宿ヤマト 
〒519-0609 伊勢市二見町茶屋 JR二見浦駅前
TEL 0596−43−2215 FAX 0596−43−4515
http://www.h4.dion.ne.jp/~m-yamato/index.htm

2日目(11月2日)
語らいの里 噺野
〒519-2703 度会郡大紀町滝原
TEL 0598−86−3061 FAX 0598−86−3700
http://www.ma.mctv.ne.jp/~katarai/

・現地検討会:木材コンビナート ウッドピア松阪(松阪市)、伊勢神宮宮域林(伊勢市)、吉田本家山林(度会郡大紀町)、速水林業山林(北牟婁郡紀北町海山区)、浜口林業山林(北牟婁郡紀北町紀伊長島区)

○主催:森林施業研究会(代表:鈴木和次郎)

○参加費:全日程参加で19000円程度の予定です(1泊2食×2+2日目の弁当等)。
(参加者には改めてご通知いたします。部分参加については、個別に相談してください。)

○スケジュール
11月1日水曜日 
 14:30 近鉄伊勢中川駅集合(電車で来られる方は、こちらでお願いします。)
 14:50 ウッドピア松阪駐車場集合(自動車で来られる方は、こちらでお願いします。)
 15:00 ウッドピア松阪 現地検討会(1.5時間を予定)
 16:30 宿泊地へ移動
 17:30 宿泊地「民宿ヤマト」着
 18:00 夕食
 19:30 開会挨拶とセミナー(2〜3時間を予定)
・「三重県の森林と尾鷲ヒノキ林業(仮題)」島田博匡(三重県科学技術振興センター林業研究部)
 そのほか森林管理・林業技術に関する研究発表と討議

11月2日木曜日
 ( 朝食 )
8:30 「民宿ヤマト」発
  9:00 伊勢神宮宮域林 現地検討会(4.5時間を予定)
     内宮神域の森、御造営用材生産ヒノキ人工林施業地、発達した常緑広葉樹林
    (途中移動と昼食[弁当]) 
 14:30 吉田本家山林へ移動
 15:30 吉田本家山林 現地検討会(1.5時間を予定)
     FSC森林認証を取得した林業経営、利用間伐の作業現場、高齢人工林など
 17:00 宿泊地「語らいの里 噺野」着
 18:00 夕食
 19:30 セミナー(2〜3時間を予定)
・「吉田本家山林部の林業経営(仮題)」吉田正木(吉田本家山林部)
そのほか森林管理・林業技術に関する研究発表と討議
 
11月3日金曜日(祝日)
 ( 朝食 )
8:00 「語らいの里 噺野」発
9:00 速水林業 太田賀山林 現地検討会(2時間を予定) 
     環境に配慮しつつ、生産性が高い林業を行う特色あるヒノキ人工林施業地
 11:00 浜口林業山林へ移動
 11:30 浜口林業山林 現地検討会(1.5時間を予定)
     尾鷲ヒノキ柱材生産育林体系を基本としたヒノキ人工林施業地
 13:00 解散
解散地最寄り駅のJR紀伊長島駅発名古屋方面行き「特急南紀6号」は14時14分発、松阪着15:10、名古屋着16:18です。

○ 注意事項など
◎ 集合場所から、現地及び宿舎等への移動は、参加される方と開催事務局が用意した普通自動車の分乗でお願いします。近県から参加される方は、車でのお越しを歓迎します。ただし、現地検討会会場は、林道の走行がありますので、四輪駆動車などですと、なお大歓迎です。

◎ 参加者にはあらためて詳しい集合場所(11月1日)を連絡します。

◎ 利用可能な公共交通機関のHP
 JR東海(鉄道):http://www.jr-central.co.jp/  
 近鉄(鉄道):http://www.kintetsu.co.jp/
 三重交通(バス):http://www.sanco.co.jp/

◎ 都合によりスケジュールを変更する可能性があります。あらかじめご了承ください。

◎ 参加申し込みは、氏名、所属、連絡先(住所、TEL&FAX、E-mail)、参加日、参加交通手段(車でお越しなら、予定車種、運転手を除いて何名乗車可能か?)、集合場所を明記の上、次の担当者宛にE-mailもしくはFAXで、お願いします。

◎ 締め切り日は、平成18年10月6日(金)とさせていただきます。

担当:
島田 博匡
三重県科学技術振興センター林業研究部
〒515-2602 三重県津市白山町二本木3769-1
TEL:059-262-5352 FAX:059-262-0960
E-mail:shimah03★pref.mie.jp(★を@に書き換えて送信してください)


森林施業研究会・雲南合宿報告

                              埼玉県農林総合研究センター
                               森林・緑化研究所
                                          崎尾 均

 2006年7月31日から8月8日の9日間、渡邊定元森林環境研究所長を団長とする森林施業研究会雲南視察団の一員として中国雲南省の森林や農村地域を視察する機会を得た。今回の視察の名目は、前研究会会長渡邊先生の立正大学退職記念旅行であったが、時期が熟せず延び延びになっていた。出発のわずか1ヶ月前に視察団の事務局長の大住さんからメールで今回の旅行の案内が届いた。あまりに急であったが、雲南省の山奥などこの機会を逃したら二度と行くことができないと思い、周囲の合意形成はともかく申し込んだ。ただ、おおよその日程はわかっているものの、具体的にどのような場所を見学できるかについては最後までわからず、現地に着いてのお楽しみであった。
 視察団のメンバーは10歳代から70歳代まで老若男女14名であった。雲南省での受け入れは以前東京大学大学院に留学して学位を取られた和愛軍博士で、9日間のスケジュールの計画から旅行中の通訳まで対応していただいた。
 団長を始め関東地方からの参加者は7月31日に成田から出発し、広州を経由して夜11時頃に昆明空港に到着した。空港には和さんと運転手の王さんがわざわざ迎えに来てくれた。
 翌日8月1日はマイクロバスで500kmの強行軍であった。この時は、施業研究会の苦行合宿が9日間続くとはだれも予想しなかった。実に、毎日ホテルに到着するのが夜の10時という日が続いたのである。よくまあ、誰も倒れずに最後まで頑張ったものと思う。王さん運転のマイクロバスで市内の雲南大学、雲南師範大学などの正門を通りながら、ベトナムに通ずる高速道路に入り一気に南下した。昆明は園芸が盛んで、しばらくの間は周辺は一面ビニールハウスが広がっていた(写真1)。ただ外国種の取り扱いが多く、これからは省内の資源を生かした園芸が課題と言うことであった。農業は稲作、トウモロコシが多く、土壌は真っ赤なラテライトである。植栽されている樹木はユーカリ類や雲南松(Pinus yunnanensis)が多い。これらは植林だけでなく航空機から実播されたものもあるという。



写真1 延々と広がる園芸用ビニールハウス

 玉渓市周辺には自然植生はほとんどなく、ヒマワリ、稲、トウモロコシ、タバコが栽培されている。高速道路の路肩でマンゴウなどの果物を売っていたのには驚いた。元江が近づくと、リュウゼツラン、バナナ、パパイアなどが畑の周辺に、道路沿いにはギンネムが出現し始めた。元江で高速を降り、昼食を取った。地元の食材をふんだんに利用しており、アヒルの脚の煮付け(写真2)、蜂の子の唐揚げ(写真3)、唐辛子と野菜の煮付け、蕪で包んだ餃子、キノコの炒め物、魚のスープ、ピーナツの炒め物、肉のスープなどであった。どれも唐辛子の味がきいて辛く、食べたあと汗が噴き出してきた。

写真2 アヒルの脚の煮物
写真3 蜂の子の唐揚げ

 雲南省の森林率は49.01%で焼き畑農業は禁止されているものの、西双版納の一部では行っている。化学肥料も一部使用しているそうである。墨江あたりではコノテガシワの植林も増えてきた。思茅松(Pinus kesiya var. langbianensis)も見られる。お茶で有名な普耳の手前で高速道路を降り、新元江に沿って北上する。川の氾濫原はほとんどが水田として利用されている(写真4)。この途中標高1550m付近で、最も南に分布するカバノキ属である和西南樺(Betula alnoides)を道路脇で確認できた(写真5)。今回の渡邊先生の視察の目的の一つは、この樹木を確認することであった。枝を折るとミズメとよく似たサルチルサンメチル様の香りがはっきりとした。

写真4 河川沿いの水田
写真5 和西南樺(Betula alnoides

 8月2日宿泊地景東での朝食は、素麺のような細い麺と平たい麺に揚げパンである。豆乳とヤギらしい乳もでる。ゆで卵に饅頭、そのほかは香菜、ネギ、ごま、醤油、塩などの薬味である。びっくりしたのが味の素でこれらの調味料とともに塩のように小皿に盛っておかれていたことだ(写真6)。各自、好みの味付けをできる食事のとり方である。

写真6 朝食のメニュー

 この日は、標高2500mの哀牢山周辺の自然保護区に向かう。この自然保護区は1986年に設定され、1988年に国家クラスに昇格した。この保護区は世界最大級の常緑広葉樹林である。動植物も多く分布し、哺乳類67種、鳥類343種、植物種1482種が確認されている。中国科学院哀老山森林生態系統研究所は1981年に設置された。一般に自然保護区には国家、省、県、市のクラスがあり、下の自治体で調査し計画したものが、順次申請によって国家クラスにまで昇格していく。しかし、設定することによって様々なコストがかかるとともに、開発が制限されるなど、地元の住民の合意が得られない場合など問題を抱えていることも多い。この哀老山の自然保護区は6県にまたがっており、景東県の自然保護局のスタッフは73人で、他の5県のスタッフはおのおの10人程度である。林道沿いには思茅松(Pinus kesiya var. langbianensis)が多く分布しており、木の幹をV字状に削って透明のビニールの容器で受けて松脂を採取していた。
 太忠周辺の農村の景観は、棚田に代表される日本の農村の景観とよく似ている(写真7)。違いと言えば、バナナや幹の先端がしなだれる形態を持つ牡竹(Dendrocalamus membranaceus)が民家の近くに点在して分布していることである。

写真7 農村の景観
写真8 シャクナゲの花

マイクロバスを降りて徒歩で研究所に向かう。最初に真っ白な大輪のシャクナゲを見る(写真8)。この種は低木ではなくて一本のしっかりした主幹を持っており日本のシャクナゲとは全く樹形が異なっていた。周辺はうっそうとした常緑広葉樹林である(写真9)。希少種の水青樹(Tetracentron sinense)、マテバシイ属のLithocarpus xylocarpus、大きな球果をつけた5葉の華山松(Pinus armandi)が見られる。しばらく行くと湿原になり、イシモチソウ、アカバナ、サクラソウ類が見られた。サクラソウはクリンソウの仲間と思われ、花序の下から何段かの花が次々と咲いていた。このときは先端に最後の花が残っていた。

写真9 哀老山の常緑広葉樹林
写真10 哀老山森林生態系統研究所


 中国科学院哀老山森林生態系統研究所(写真10)の一室で、所長の劉玉供さんに哀老山自然保護区について説明を受けた。中国科学院西双版納植物園には西双版納熱帯研究所とこの哀老山研究所がある。哀老山は2002年に中国生態系統研究ネットワークに入って、長期生態系モニタリング、普及、試験的モデル作りを行っている。保護区の中には1000?の原生林があり、年平均気温11.0度℃、年降水量は1931mmである。ここに1?の長期観測プロットが設置されており、毎年測定を行っていると言うことであった。優占種は木果石櫟(Lithocarpus xylocarpus)で騰沖考(Castanopsis remotidenticulata)がそれに続く。華木荷(Schima sinensis)、紅木荷(Schima wallichii), 紅花木蓮(Manglietia insignis), 米飯花(Vaccinium mandarinorum)、七裂楓(Acer heptalobum)、細花冬青(Ilex micrococca)も見られた。
 林床はササ類(Sinarundinaria nitida)が茂っており、落葉層も分解が早いのかそれほど厚くない。ツチトリモチの仲間も見られた。プロットの奥は二次林になっており、萌芽している個体が目立った(写真11)。近くに、炭焼きがまのあとと見られる石積みがあった。過去にはこの森は薪炭林として利用されていたらしい。

写真11 常緑広葉樹の二次林
写真12 Betula alnoidesの前で


 渡邊先生が探し求めていたBetula alnoidesの林冠木が一本、常緑樹林の中に立っていた(写真12)。天空を眺めると、その木の部分だけ、淡い黄緑色の空が開けていた。樹皮を見るとかなり大きく横に広がった皮目が特徴的であった。それから、尾根の植生を観察した。ここには丸い葉の倒卵葉石櫟(Lithocarpus pachyphylloides:写真13)が若い堅果をつけていた。またリョウブ・ハナヒリノキ・シャクナゲ類や華山松(Pinus armandi)が分布していた。


 写真13 Lithocarpus pachyphylloides


 帰りも徒歩で研究所から自然保護局の事務所に向かったが、あとからトラックが一人ずつ拾って来てくれて、最後は満員になってでこぼこ道を揺られながら事務所に戻った(写真14)。

写真14 トラックの荷台で移動
写真15 豚をつれたイ族の老婦人

 帰り道でイ族の豚を連れた老婦人に出会った(写真15)。みんなで写真を撮らせてもらう。運転手の王さんは上等のカメラでポーズまで注文をつけて何枚も撮影していた。

 8月3日は景東県から大理市へ移動である。周囲の山々は以前畑であったところにマツの植林を行ったようだ。これも退耕還林政策の結果と思われる。川沿いの氾濫原の部分が水田になっており、山腹はトウモロコシとタバコ畑になっている。河川敷では砂利採取が行われている。途中の南潤市周辺は盆地となっている関係か、フェーン現象のため雲南省の中でも乾燥した地域であり、年降水量は500mm程度であるらしい。しかもこれらの雨は6〜9月の夏に集中して降る。南潤イ族自治県林業局に到着後、局長の焦点さんの案内で山泥石流生物生態防治(山地治山)現場に向かう。日本流に言えば、生態系に配慮した土石流防止工事現場であろうか。局の森林管轄面積は11万?で、降水量が小さいために、乾燥し植林が難しいと言うことであった(写真16)。ここは標高1400mである。以前土石流が出た場所と言うことで、流域全体に植林が行われている。生態系に配慮した工法と言うことで、コンクリート工作物は入れずに植林を主体にした整備となっている。植栽樹種はユーカリとマツ類である。事業が始まってからはそれほどまとまった雨が降ってないから、今のところ、この事業が成功したように見える。普段は水が流れていないため渓流の真ん中まで家が建設されている。しかし、一旦大雨が降ればひとたまりもないであろう。このような自然工法を行う場合は、その流域の危険区域内にはできるだけ人家などの保全対象物を建設しないことが重要である。災害は忘れた頃にやってくる。この植林地内にはリュウゼツラン(剣麻 Agave sisalana)やウチワサボテン(仙人掌 Opuntia monacantha)が見られた(写真17)。リュウゼツランは植えられたものかも知れないが、ウチワサボテンは自生?していると言うことであった。それだけこの地域は乾燥していると言うことだろう。

写真16 南潤の山泥石流生物生態防治現場
写真17 ウチワサボテンも見られた


 昼食後、普耳茶の製造工場で休息を取る。ここで製造の工程を見学させてもらう。発酵させた葉を選定し、型に入れて圧縮し、固形化する。それを棚にならべて乾燥させ(写真18)、最後は紙の包装紙に包んでできあがりである(写真19)。ここのお茶はかなり有名な製造元で高級茶を製造しているとのことであった。

写真18 固めた茶を乾燥させる
写真19 一つ一つ紙で包装する

 大理には国家クラスの保護地域が2カ所ある。大理では胡桃の生産が盛んで、胡桃(Juglans cathayensis)林が150万ムー(10万?)あり、日本にも輸出している。向こう3年間で、生産量を倍増しようと言う計画である。中国最大の胡桃の生産地を目指しているとのことであった。

8月4日、大理からメコン川上流域の剣川を経て、今日の目的地の自然保護区である老君山の九十九龍譚に向かう。途中の道路沿いにはハンノキ(Alnus nepalensis)が多く見られた。標高2175m付近では、ウバメバシ類とマツ類の混交林が見えてくる。そのうちに道端にはシャクナゲ類が出現してくる。標高2600mぐらいの老君山景区管理所付近では、モミ、トウヒ、ツガ、シャクナゲなどの亜高山帯の樹木とアラカシ類などの暖温帯の樹木が同じ地域に分布していた。また、日本では暖温帯に分布するウバメガシ類(Quercus pannnosaQuercus auifolioidesQuercus rehderianaQuercus longispica)などが亜高山帯に出現するのが雲南の特徴である。日本の森林の垂直分布では、標高が高くなるにつれて暖温帯林から冷温帯林、亜高山帯林となっており、それが常識と思っていたのだが、ここでは暖温帯からいきなり亜高山帯に森林が変化し、カエデ類などの冷温帯林の構成要素やパイオニア種であるヤナギ類は渓流際などに混交していた。また樹木にはサルオガセ類などの地衣類が付着し、亜高山帯の景観を呈していた。
 標高3000mぐらいからは雲南カラマツ(大果紅杉)Larix potaninii var. macrocarpaが出現し始める。九十九龍譚景区入口以降は、ウバメガシ類やアラカシ類は見られなかった。3700m付近では、モミ(Abies forrestiiAbies georgei)、トウヒ(Picea brachytyla var.complanataPicea likiangensis)、ツガ(Tsuga dumosa)が多く、下層はシャクナゲ類が多い。九十九龍譚管理所はほぼ富士山の山頂に等しく、今回の参加者の中には。軽い高山病にかかる者も現れた。元気のある者は、針葉樹林の中を30分程度散策した。高木はモミ、トウヒで下層にはシャクナゲ類が密生していた(写真20,21)。シャクナゲ類の中でも日本で見られるようなブッシュ性のものから、胸高直径が30cm、樹高が7−8mの高木性の樹種まで様々な種類が見られた。ここからは、氷河地形が見られ、はっきりとしたモレーンが斜面に見られた。この周辺の森林は、立地によって大きく異なっており、渡邊先生の解説によれば、モレーン岩砕地ではシャクナゲ類の種が異なり、それらが林冠木を形成するのに対して、土壌の形成された立地ではトウヒを林冠木とし、それに続いてモミ、ツガが階層を構成する。また、広葉樹ではBetula utilis が二次林として侵入し、その林床にはタケが侵入しているということであった。

写真20 九十九龍譚の景観
写真21 亜高山帯の林相

 久しぶりに亜高山帯の森林風景を満喫し麗江に向かう。今日の宿泊場所である森龍大酒店は元々林業局の所有であったが、今年キノコ会社が買い取ったホテルである。さすがに、キノコ会社だけあって、夕食はキノコづくしとなる。メインの鍋料理は店員がすべて調理から盛りつけまでするので、いっさい鍋には手をつけないようにと注意された。鍋には様々なキノコが入れられ、その中にはマツタケも惜しげもなく煮込まれた。

 8月5日は、映画「単騎、千里を走る」の舞台になった石鼓鎮を流れる金沙江を見学した。この河川は長江の上流にあたり、石鼓鎮で大きくV字形にカーブする長江第一湾がある。この河川にはヤナギ類が河畔林を形成していた。この河畔林は洪水防止のために植栽されたものという。

写真22 金沙江の屈曲部(長江第一湾)
写真23 中央のお椀がマツタケの煮物

 ここから、支流の沖江河に沿って上流に向かう。石頭村役場で小休止の後、玉龍納西族自治県石頭村天然林保護工程管理所を訪問する。ここでマツタケや様々なキノコ、山菜をふんだんに使った昼食をとる(写真23)。料理方法はちがうものの、日本の山村の料理と食材がほとんど同じであることに驚いた。この旅行では雲南省を南から北上してきたわけだが、食材も味付けも北に来るに従って日本の料理に近づいてきた。この周辺のマツ林からはマツタケがたくさん取れる。近くで採取されたマツタケも見せてもらう。この周辺の人たちはマツタケをあまり食べないと言うことであるが、それはマツタケの価格が非常に高いから、売ったほうが得だと言うことであった。
 昼食後、中日合作三江並流生物多様性保護中心(日本経団連共同事業)中国緑促会の開所式を行った(写真24)。このセンターは経団連自然保護部会がNGO「東京大学緑色文化国際交流促進会」(会長和愛軍)に資金を提供して作られた。この周辺は自然保護区となっており、伐採が禁止されている。自然環境にとっては良い反面、地域の持続可能な発展からはマイナスの点も含んでいる。

写真24 生物多様性保護中心の開所式
写真25 丸太橋をわたる

 ここからさらに上流にさかのぼり、標高2450m周辺の森林はウバメガシ類、リョウトウナラに、渓畔林樹種のサワグルミ(Pterocarya delavayi)が交ざってくる。このサワグルミはシナサワグルミではなく、日本のサワグルミのように奇数羽状複葉である。本流から支流の林道にジープに乗り換えて入る(写真25)。丸太で数日前に拵えたという橋である。

写真26 老君山の択伐された渓畔林
写真27 更新したサワグルミの稚樹

 
写真28 択伐の伐根や残材が見られる


 標高2550mの地点で択伐された渓畔林を観察する(写真26)。この渓流周辺の森林はヤマナラシ(Populus yunnanensis)、サワグルミ、トガサワラ(Pseudotsuga forrestii)、ネズミクルミ、ツガ、アベマキなどが高木層を形成しており、中層木はイタヤカエデ、ミズキ、ニレ(Ulmus tonkinensis)、ウリカエデ、雲南紅豆杉(Taxus yunnaensis:国家1級保護植物)、三尖杉(Cephalotaxus fortunei)などから形成されている。また、Fraxinus suaveolensも分布しており、日本の冷温帯の渓畔林と種構成でも景観においても非常に似ていた。林床は草本植生で被われており、輪生状のシダ類も豊富であった。また、渓流際の新しい堆積地には樹高2−3mのサワグルミ(Pterocarya delavayi)の稚樹が密生しており、最近一斉に更新したことが窺われた(写真27)。この渓流周辺では1998年に揚子江流域で大洪水が起こるまでは伐採が続けられており、あちこちに直径数十センチほどの切り株や残材が見られた(写真28)。洪水以降は伐採が禁止されており、あたりに多く見られるサワグルミの稚樹はその後侵入したものと思われた。今回、雲南省の原生の渓畔林を見ることはできなかったが、このような山奥で択伐された二次林を見れただけでも幸運であった。幸いなことに、この渓流には砂防ダムなどの構造物が設置されていなかった。このまま放置すれば、将来、老君山自然保護区の誇るべき景観にもどるであろう。
 その後、紅豆杉の記念植樹を行った。河川敷の氾濫原でこの夏の暑い時期に植栽しても活着するか不安であった。桃花村では経団連が資金援助している森林文化村および三和法正林実験所の開所式を行った。このような式典の際には、爆竹を鳴らすのがしきたりらしい。

 8月6日の午前中は麗江市内を見学した。麗江は少数民族ナシ族の造りあげた町で、象形文字のトンパ文字を使い、独自の文化を持っている。町の美しさとこれらの文化的背景によって1997年に世界文化遺産に登録された(写真29、30)。

写真29 トンパ文字を流暢な英語で解説する
写真30 四方街で踊るナシ族の婦人

 午後は、玉龍雪山麓の標高2770mの湿原で草花を観察する。この湿原では、牛が放牧されておりその食圧が現在の湿地草原を形成してきたものと考えられた。この湿原のあちこちに、青刺尖というとげのある樹木の稚樹が数多く植栽されていた。この実はジュース、漢方薬として使われ、家畜の侵入を防ぐ生け垣としても植えられているそうである。日本でも多くの湿地や湿原が耕作地や放牧地に変えられ失われたが、雲南省でも同じ現象が起ころうとしている。この湿原には、花が房状についているサクラソウ(Primula vialii)、白いラン類(Platanthera sp.)、渡邊先生が新種ではないかと言っているキタダケソウ(Callianthemum sp.)の仲間などが咲いていた(写真31)。周辺の山は、歴史的に人為の影響によって現在の景観が作られてきたものと考えられる。山の中腹から上はウバメガシ類の萌芽林になっており、燃料や薪炭材として繰り返し伐採されてきたことが予想された。近くでは炭焼きの煙が上がっていた(写真32)。


  写真31 湿地のサクラソウ類

Primula sp.
Primula vialii
Platanthera sp.

写真32 炭焼きの煙
写真33 中日森林生態学検討会


 8月7日は、中国科学院西双版納熱帯植物園昆明分部で中日森林生態学検討会が開催された。渡邊定元森林施業研究会雲南視察団団長をはじめとする中国側5人、日本側5人の研究発表が行われた(写真33)。内容については今回は省略したい。

 最終日の8月8日は、雲南省林業科学院を表敬訪問する。この研究院は47年の歴史があり、6つの研究所を持っている(林業・保護・熱帯林業・林産等)。ここには2つの雲南省重点実験室がある。一つは森林植物絶滅危惧種であり、もう一つは林業の応用研究を行っている。樹木園はここと、西双版納にある。試験場(演習林)は西双版納・大理・広南県の3カ所に設置している。大理では、名産品の胡桃の試験地が設定されている。全体で272名の研究者がおり、教授35名、助教授85名、講師86名で18名が学位を持っており、56名が修士を持っている。研究内容としては雲南松・思茅松の育苗、また樹木の3、4種類の病気の研究も行っている。経済林の研究としては、クルミやクリの品種改良、またアメリカのクルミの栽培試験も行っている。絶滅危惧種の研究としてはモクレン科の樹木の研究、その他に木材の利用、健康薬品なども扱っている。用材としては北米スギ、ユーカリの試験を行っている。
 つぎに、中国科学院昆明植物研究所を訪問する。中国科学院の植物研究所は北京と雲南の2カ所にある。植物園は雲南・広州・西双版納の3カ所にある。今回は時間が取れなかったので植物園の中をマイクロバスで通り抜けるだけであった。この研究所の中には、国家重点実験室があり、私たちは植物化学与西部植物資源持続利用国家重点実験室に指定されている高等真菌化学研究組の劉吉開副研究所長に研究室の案内をしていただいた(写真34)。実験室は広く、最新の機器が整然と整備されており、多くのテクニシャンが分析業務に携わっていた(写真35)。この研究室では多くの重要な論文を執筆しているとともに、数々の特許も取っていた。

写真34 劉吉開副研究所長による説明
写真35 近代的な研究室
写真36 地衣類の標本が保存されている1階の標本室
写真37 標本を閲覧する研究者



 写真38 標本を閲覧する渡邊団長 

 次に植物研究所標本館の見学を行った。標本館は北京と雲南の2カ所にあり中国全土の標本を保存している。1階は地衣類などが保存されていた(写真36)。標本は移動式の整理棚に保管されている。数千種類の標本が保管されており、これらの標本の多くは少数民族が山から取ってきたものを市場などで買い取って標本としたものである。標本は、コンピューターに写真やデータが管理されており、これとは別にスライド写真も保管されている。標本庫の横には、閲覧できるように机と椅子が準備されている(写真37)。2階は離弁花類が保管されており、今回渡邊先生は四川樺(Betula szechuanica)の標本を実際に閲覧された(写真38)。植物標本リストには15000種が登録されており、厚い本で3冊分になる。これらはインターネットでも調べられるようになっている。
 日本においては大学の分類学教室も過去の遺物となり標本も失われていると聞く。山のように貯まった標本が整理されずに段ボール箱に詰め込まれた状態の博物館も見られる。それに対して、システム的にしかも多くの研究者と予算を投じて標本管理を行なっている中国にとって、この地道な積み重ねは将来の科学研究のバックボーンになることは間違いあるまい。日本の研究予算がこれらの基礎的な研究分野にも振り分けられることを切に望む。
 
最後に、今回の視察の計画から旅行中の通訳まで一手に引き受けていただいた和愛軍博士に心から感謝いたします。また、渡邊定元団長をはじめ、9日間の苦行をともにしていただいた団員の皆様、楽しい旅をありがとうございました。それから雨期にもかかわらず、好天気が続いたことにも感謝感謝!

第6回日韓合同森林生態セミナー旅行記

                              横井秀一(岐阜県森林研究所)

 第6回日韓合同森林生態セミナー(The 6th Korea-Japan Joint Seminar on Forest Ecology)が,2006年6月29日〜7月3日,韓国済州島で開催されました。この日韓交流セミナーは,1999年から続いています。前々から,参加したいと思っていましたが,日程でダメだったり,踏ん切りが付かなかったりで,行けずにいました。今回が,初めての参加です。実質3日間,さらにそのうち1日は朝から晩まで研究発表という日程でしたが,隣国の森林を地元研究者の解説付きで見ることができました。筆者にとっては,初めての国際交流ということもあり,いろいろと勉強になりました。ここに記すのは,このセミナーの旅行記です。

 まずは,済州島の概要から。済州島は,韓国最南端の島です。緯度は,高知県や長崎県と同じくらいで,韓国の中では,最も気候が温暖な地です。「韓国のハワイ」と呼ばれる韓国内でも人気のリゾート地で,新婚旅行で訪れる人も多いという話です。日本人や中国人の旅行者も,多く見かけました。いくつもの韓流ドラマのロケ地だそうですが,ドラマを見たことがない筆者は,その地に立ったという感激を味わうことはありませんでした。

6月29日(木) 済州島に集合

 昼頃,済州国際空港に日韓両国の参加者が集まりました。日本からの参加者は,13人です。まずは,空港のレストランで遅めの昼食をとりました。いよいよ,本日程の始まりです。期待がふくらむとともに,一抹の不安が頭をよぎります。ここで,韓国側のスタッフから,「セミナー期間中は,英語でいきます」とのアナウンス。「おいおい,そんなこと聞いてないぞ」と,一気に不安が膨張。実は,韓国の参加者は,日本への留学経験を持つ人が多いということを聞いていたため,日本語で会話ができると気楽に考えていたのです。しかし,考えてみれば,アジアの片隅の2国間とはいえ,研究者を主とした国際交流。情報交換や意思疎通のための共通言語は,やはり英語になってしまうのでしょう。

 済州国際空港は,済州島北部の済州市(Jeju-si)にあります。セミナーの期間中,われわれが滞在するのは,南部の西帰浦市(Seogwipo-si)です。この日の行程は,済州市の済州特別自治道民俗自然史博物館と三姓穴(済州を建国した3人の男が,この地に現れた聖なる場所)の見学,島を縦断しての西帰浦市への移動です。

 民俗自然史博物館には,済州島の地史,自然,人々の暮らしとその歴史が展示されていました(写真1)。そこにあった蝶の標本を見ると,名前のわかる蝶−日本の種と同種か近縁種と思われる−が数多くいました。こうしたことからも,この地と日本の生物地理的な繋がりが想像できました。


写真1 博物館の野外展示。黒豚は済州島の特産。

 三姓穴には,耽羅(たんら:済州島の古い呼び名)国の建国神話がジオラマとアニメーション映画で紹介されていました。今でこそ大韓民国という国に属していますが,ここへ来て,この島の独自性というものを強く感じました。園内には,スダジイやイスノキなどとともに,ソメイヨシノの古木がありました。済州島にはソメイヨシノが多いということで,多くが日本が統治していた時代のものだそうです。統治時代のいやな思い出から,ソメイヨシノが嫌いだという人もいるそうです。日本人として,ちょっと耳の痛い話でした。

 ところで,ハイノキ科の樹木タンナサワフタギの「タンナ」は,この「耽羅」のことです。今回,このことを教えてもらうまで,知りませんでした(丹那トンネルの「たんな」しか自分のボキャブラリーになかった)。無知を反省。

 その後,一行はバスで西帰浦市へ向かいました。この日は,午前中は曇り,昼頃からは雨が降ったりやんだりでしたが,このバスに乗っている間は,雨が本降りでした。周りの景色は雨で煙り,バスの窓には水滴が。外が見えないため,何となく移動しただけの印象でした。島を北から南へ縦断しているという実感も,ありませんでした。

6月30日(金) 研究交流の発表会

 国立山林科学院暖帯山林研究所(西帰浦市,写真2)にて,研究交流発表会。丸1日,発表会。しかも英語で。どちらかというと物見遊山的な感覚で参加した筆者には,ちょっとつらい1日でした。ただ,この日は,朝から荒天で,とても外を見て歩ける天候ではありませんでした。結果的には,これで良かったと納得することにしました。


写真2 国立山林科学院暖帯山林研究所。

 研究発表に先立ち,暖帯山林研究所を紹介するビデオを見せていただきました。なかなか良くできたビデオで,この研究所が何を目指した研究を展開しているのかが,よく理解できました。このビデオを見て,済州島ではスギが重要な造林木であることを初めて知りました(再度,無知を反省)。

 研究発表は,全部で18題。以下,発表題名と発表者を紹介します。

Session 1. Vegitation Change & Climate (Chairman: Dr. OSUMI, Katsuhiro)

1. LIM, Jong Hwan: Global Warming Related Decline of Korean Fir Forest in Mt. Hall, Korea

2. OOI, Nobuo: Vagetation History since Ma8 of Osaka Group (ca. 500,000 yrs ago), Based on the Palynological Research of Cores from Offshore of Kobe, Japan

3. KONG, Woo Seok: Phytogeography of Korean Native conifers

4. KATSUKI, Toshio: Distribution and Habitat Factor of Picea koyamae and P. maximowiczii

5. KIM, Sun Hee: Study on the Flowering Times of the Woody Plant Species in the Hongneung Arboretum, Seoul

6. OZAKI, Emi: Stand Structure and Species Composition of a Chamaecyparis Obtusa Plantation Invaded by Broad-leaved Trees

7. CHUN, Jong Hwa: Landcover Change of Jeju Island & Change Detection of Abies koreana Stands in Mt. Halla

Session 2. Biodiversity & Environmental Change (Chairman: Dr. KONG, Woo Seok)

8. PARK, Chan Ryul: Comparison of Breeding Bird Community between Gurihara Satoyama of Japan and Boryong Biosoop of Korea

9. SAKUMA, Daisuke: Effects of Climatic Conditions on Cryptogamous Flora

10. KWON, Tae Sung: Determinants on Species Richness of Butterfly in Korean Peninsula

11. ITO, Hiroki: An Estimation of Carbon Capture Ability in a Secondary Forest

Session 3. Disturbance & Ecosystem Management (Chairman: Dr. LIM, Jong Hwan)

12.OSUMI, Katsuhiro: Present Situation of Thinning in Japan; Is It A Tool for Forestry, Environment, or Politics?

13. LEE, Sung Gie: Examination on the Obtaining of FSC for Sustainable Forest Management

14: KURATA, Mari: Evaluation of New Thinning Method

15. KIM, Taeho: Rate and Process of Bare Patch Denudation in the Subalpine Grassland of Mt. Halla, Jeju Island

16. SEKI, Takeshi: Mechanical Damage on Abies mariesii trees Buried below the Snowpack in a Subalpine Coniferous Forest in Northeren Honshu Island

17. LEE, Young Geun: Post-Fire Recovery of Vegetation in East-Coast of Gangwon

18. SUZUKI, Wajiro: Effects of the Deer Proof Fence on Regeneration of Tree Species at the Sainoko Forest Reserve in Nikko, Central Japan

それぞれの発表時間は,質疑応答を入れて20分間。18題で,正味6時間の発表会でした。どの発表も,パワーポイントによるスライドがうまく,かつ,きれいに作られていました。これが,言葉で理解できなかった部分の理解を,かなり助けてくれたと思います。

 昼食は,セミナールームにて,韓国版ホカ弁。味付けはやはり韓国のそれでしたが,とくに違和感なく,おいしくいただけました。お昼休みの間は,うまい具合に雨が上がっていましたので,研究所構内を散歩しました。スギやヒノキのクローンバンク(写真3)があり,改めて,済州島におけるスギとヒノキの重要度を認識しました。他には,モミ(Abies firma)やタブノキのクローンバンク,チョウセンゴミシの栽培棚,苗畑などがありました。


写真3 暖帯山林研究所にあるスギのクローンバンク。

7月1日(土) いくつかの林を見学

 この日最初に訪れたのは,この5月にFSCを取得したというHannnam Exp. Forest。この試験林の管理目標は,「持続的な管理に焦点を当てたモデル林の構築」と「森林の遺伝資源の保全と遺伝的に改良された樹木種子の生産」です。主な試験林分として,採種園(250ha),暖温帯における木材生産のモデル林(350ha,写真4),生物多様性の保全と長期生態調査の試験林(591ha)があります。


写真4 スギ人工林の間伐展示林。

 ここでは,スギ人工林と広葉樹二次林を見ることができました。スギは,持続的に管理していく木材生産林の主要樹種に位置づけられていました。他には,アカガシやクヌギが木材生産を担う樹種だということです。こちらでも,スギ人工林の間伐にはいろいろと課題があるようで,間伐で材を持ち出すかどうかが問題になっているという話がありました。広葉樹二次林の主要樹種はコナラで,その林床にはユズリハが目につきました。そのほか,多くの樹種が日本にあるもので,異国の地にいるという感覚はありませんでした。

 スギにしても広葉樹にしても,その樹高は,総じて低いものでした。見た中で最も成長がよいと思えたスギ(写真5)でも,65年生で樹高22mほどにしかなっておらず,その頭は既に丸くなっていました。ちなみに,この樹高は,岐阜県では地位級4(岐阜県の地位級は5区分)に相当します。30年生ほどだと思われるコナラやクヌギの樹高も,多くは10m前後,高くても13〜14m程度でした(写真6)。このように樹高が低いのは,土地の生産力が低いことはもちろん,海からの風の影響もありそうだと感じました。


写真5 この試験林で最も成長の良いスギ人工林。



写真6 試験林内のコナラ二次林の外観。

 試験林内をバスで移動しているとき,ちょっと気になる林分を見かけました。30年生にもならないスギ人工林で,1伐2残の列状間伐が行われ,伐採列に広葉樹(樹種は不明)が植えられていたのです。広葉樹植栽木は,半分以上が枯れているように見えました。これは,何なのでしょう。こんなことまで,日本と同じことをやっているとは思いませんでした。日本での施業を参考につくった試験地なのでしょうか。その真意を聞くことはできませんでしたが,ちょっと悲しくなりました。

 スギといえば,済州島ではミカン畑が1〜2列に植えられたスギに囲まれています。防風林として仕立てたものだと思います。

 昼食に石焼きビビンバを堪能した一行は,次なる目的地に向かいました。着いたのは,茶園の観光施設。お茶に関する展示を見て,抹茶ソフトや抹茶ドリンクを楽しんだ人もいました。単なる途中の寄り道かと思いきや,次の見学地の駐車場に,ここを利用したようです。

 目的地へは,歩いて10分ほどで到着しました。そこは,ゴッチャワリ(1cm〜1mくらいの石があるところ)に残された平地林でした。石のないところは農地にされ,平地林は少なくなったそうです。バスでの移動中に放牧地を多く見かけましたので,農地にならなかったところも放牧地されたりして,平地林が減少したのでしょう。「数少ない平地林は,生態学的に重要なものであるが,ゴルフ場開発の危機にさらされている」との説明を受けました。これら平地林は,50年ほど前に伐採され,再生した二次林だということです。

 見学した平地林は,霧雨に煙るアラカシ萌芽林でした(写真7)。広い荒地に,島状に残った林という印象です。荒地と感じた部分は,放牧地のようです。アラカシの樹高は6〜8mで,ここも,生産力の低い土地のようです。林内は真っ暗で,林床には,シダ(イタチシダか?)が少し生えているだけでした。林縁には,低木状のアキニレやトックリイチゴが目立ちました。他に記憶に残った種は,わずかに生えていたイチイガシ(韓国では済州島にしかないそうです),何だこれはと皆が目をとめたハリグワ,これも馴染みがないアオガシです。タラノキが生えていたので,韓国でも食べるのかと聞いてみました。ナムルにして食べたり,水にさらしてコチジャンをつけて食べたりするそうです。


写真7 アラカシ二次林。

 次いで訪れたのは,済州島南西部の海岸部。草原とクロマツ植林地を眺めながら歩いていく途中,右へ行くか左へ行くかの選択を迫られました。右へ登っていく道は「デインジャラス」,左へ行くと「一杯やれる」と言うのです。日本人参加者は,皆,迷わず(?)右の道を選びました。傘もさせない強風の中,雨に濡れながらついた先は,断崖絶壁の火口壁でした。起伏のあるなだらかな地形,草地にまばらに生える低木状の風衝クロマツ。どこかの高原かと見まがうような景観でした。この後は,結局,休憩がてら「一杯」に向かいました。ホヤ,サザエ,ナマコ(どれも刺身)とチヂミをつつきながら,マッカリ(韓国のどぶろく)をいただきました。冷えた体が温まり,ベリーグッドでした。

 この日最後の見学地は,山房寺(写真8)のある山房山という岩山。ここの解説版には,「山房山の山頂部には,スダジイ,ホオノキ,ヤブニッケイなどからなる暖帯林が原型をとどめている」とありました(そこまでは行きませんでした)。久々に対面したイヌビワが,海が近いことを語っています。岩にへばりついて生えているクヌギ,盆栽以外では目にする機会が少ないイワシデなども印象的でした。


写真8 山房寺。ここにもトルハルバンが。

7月2日(日) 晴れて漢拏山に登山

 朝,ホテルの窓から漢拏(ハルラ)山が見えました(写真9)。初めて目にする,生・漢拏山です(この朝までずっと天気が悪くて,一度も見ることができませんでした)。このまま天気が悪く,行けないかもと半ばあきらめていた「今回のセミナーの目玉・漢拏山登山」に行けそうです。皆がワクワクしているのが,伝わってきます。


写真9 ホテルの窓から望む漢拏山。

 ホテルを8時40分に出発し,管理事務所に着いたのが9時15分。この先の登山口までバスで行かせてもらうよう交渉したらしいのですが,それは却下で,事務所の車でピストン輸送してもらうことに。筆者は,最後の車に乗るつもり(この付近の植生を見たかった)で,車道を歩き始めました。この辺りは,標高約1,000m。アカマツの混じるコナラ林の景観は,日本で見る二次林のそれと同じでした。歩きながらメモした樹木名を羅列しておきます。イヌシデ,アカシデ,ガマズミ,ミズキ,ヤマボウシ,エゴノキ,タラノキ,ユズリハ,本家本元(?)のタンナサワフタギ,コムラサキ,イボタノキ,イワガラミ。

 全員が登山口についたのは,9時40分。南西側から登り(3.7km),北西側に下りる(4.7km)ルートを歩くようです(写真10)。このルートは,山頂への登山道が閉鎖されているので,山頂には登れないとのことです。ちょっと残念。この辺りのアカマツは,樹高25mほど。昨日の試験林や平地林よりは,生産力が高そうです。歩き始めてすぐ,モンゴリナラが出てきました。このモンゴリナラの樹皮は,まるでミズナラ(写真11)。東海丘陵で見たいくつかのモンゴリナラもどきの樹皮(コナラっぽい)とは,ちょっと違う感じです。他に目についた樹木は,アカシデ,イチイ,ムシカリ,カナクギノキ,ヤマアジサイ,ミズキ,アズキナシ,サワシバ,ヤマボウシ,カマツカ,タンナサワフタギ,ハリギリ,ズミ,ナナカマドなど。本州中部地方の冷温帯下部,ちょうどコナラからミズナラに入れ替わるあたりの植生と同じでしょうか。日本の山を歩いているような感覚です。


写真10 登山ルートを説明するLim氏。



写真11 モンゴリナラの樹皮。

 しばらくして登山道が急になり始めた辺りから,チョウセンシラベが目につくようになってきました。さしずめ,ウラジロモミが混じるミズナラ林といったところでしょうか。ちなみに,ここが済州島だからチョウセンシラベとモンゴリナラなのであって,形態的にこれらを認識して語っているわけではありません(筆者の力量不足のため)。

 歩き始めて1時間ほど経ち,標高1,500m付近になると,低木(イボタノキ,コゴメウツギ,イヌツゲなど)が混じるササの群落になり,視界が一気に広がりました。振り返ると,海に向かって緩やかに広がる斜面に,いくつもの火口丘が見え,島全体が火山で成り立っていることを実感します(写真12)。あちこちに,ヤマボウシの花の白が見えます。ちょうど花時ということも手伝っていると思いますが,かなりヤマボウシが多いという印象を持ちました。


写真12 漢拏山中腹からの景観。笠型の山(右)の白い点々は,ヤマボウシの花。

 キャラボク群落やダケカンバやオオヤマレンゲ,イチイ(キャラボクか?ちゃんと区別できない),モンゴリナラが混生するチョウセンシラベ低木林(写真13)を抜けると,草原になりました。見渡すと,島状にキャラボク群落やチョウセンシラベ群落が分布しています。周囲の景色を眺めながらゆっくりと木道を進み(写真14),本日の最高地点(1,700m)の避難小屋に到着したのは11時45分でした。われわれの隊列は,歩き始めてすぐに長くなり始め(この時点で,隊列とは言えない),最後尾が避難小屋に到着するまでに,45分を待ちました。


写真13 標高1,600m付近のチョウセンシラベ低木林。



写真14 草原の向こうに見える漢拏山山頂。

 この日は,天気のいい日曜日ということもあり,たくさんの登山者がいました。誰もが軽装で,このルートはハイキング気分で気軽に登れる山ということなのでしょう。避難小屋では,カップラーメンが飛ぶように売れていました。ちなみに,私たちの昼食は,韓国海苔巻きでした。

 ゆっくり休んだ後,緩やかな道を歩き始めました。こちら側の斜面は,ササが多いように感じます。1987年まで放牧が行われており,それが行われなくなってササが増えたということです。さらに,温暖化によってササが増えたという説もあるそうです。途中,水文観測をしている試験地を見せていただきました(写真15)。水量の変動は大きく,雨が降るとすぐに反応が表れるという説明でした。


写真15 水文観測の解説をするKim氏。

 しばらくすると,再び落葉広葉樹林(写真16)に入ります。登りに通った林よりも,シデ類,とくにイヌシデが多いように感じます。どんな撹乱によって成立した二次林かと,皆それぞれに思いをはせながら(たぶん),下山していきました。バスが待つ駐車場の横には,ビジターセンターが設置されていました。最初の予定では,ここを訪問することになっていたのですが,登山が休館の日曜日にずれたために,寄ることができませんでした。その代わりということで,りっぱな漢拏山の写真集が一人ずつにプレゼントされました。


写真16 モンゴリナラ,イヌシデ,カスミザクラなどからなる落葉広葉樹林。

7月3日(月) 解散

 長かったような短かったようなセミナーも,最終日になりました。この日は,カヤの原生林(観光ガイドにも載っています)を見学した後,空港で解散という予定です。しかし,筆者ら中部国際空港組は,フライトの関係で,早く空港に行かなければなりません。立ち寄った暖帯山林研究所で一行と別れ,タクシーで空港へと向かいました。天気は,再び悪くなっていました。

 ちょうど日韓セミナーが開かれた時期,東シナ海から西日本を通って本州南岸に延びる梅雨前線の活動が活発になり,西日本を中心に大雨となっていました。九州に近く,おまけに海に囲まれている済州島も,すっきりしない天気が続きました。そんな中,1日だけでも晴れて漢拏山に登れたのは,本当にラッキーだったと思います。不安定な気象の中,私たちが最大限に楽しめるようにと日程を柔軟に調整してくださった韓国側のスタッフに,心から感謝します。この旅行記には書きませんでしたが,夜は夜で歓待していただきました。日本側の参加者の方とも,楽しく過ごさせていただき,また勉強もさせていただきました。すべてをひっくるめて,日韓の参加者のみなさん(写真17),ありがとうございました。


写真17 7月2日の夕食前の記念撮影。

IUFRO 異齢林研究集会(Uneven-aged silviculture research group “Natural disturbance-based silviculture: Managing for complexity”)に参加して2

ポストコングレスエクスカーション ”北アメリカ広葉樹林の択伐に関する長期試験“

                                        水永博巳(静岡大学農学部 森林資源科学科)

 前号で長池氏から、カナダ ケベックのRouyn-Noranda で開催された標記ワークショップの本会議の内容についてご紹介があった。この雑文は、その会議終了後のポストコングレスエクスカーション(5月18日から21日までの)の紹介である。このエクスカーション参加の動機は、広葉樹林の択伐について、これまで収奪的択伐の現場か、あるいは萌芽更新の広葉樹林更新はみた事はあっても、実生更新をねらった広葉樹林の択伐が事業ベースで行われている現場を見る機会に恵まれなかったことにある。また次回ワークショップ開催でどのようなエクスカーションを企画するか参考にしようという下心もあった。
 ところで私は雨男だ。数年前、乾季のタイで調査期間中車が通れないほどの雨を降らせたし、その後も海外での調査期間は雨にたたられることが多く、来日した海外研究者を案内するのが私の番になるたび土砂降りというオマケまでついている。今回のエクスカーションも例外ではなく、期間中ずっと雨にたたられた。この雨の中、朝8時から夜11時まで、森にいるか、移動の車中か、飯を食っているか、とエクスカーションとしては少々タイトなスケジュールが展開された。その内容を時系列的に紹介したい。
 
 18日 エクスカーションの参加者は10名、ノルウエイ森林研究所2名、エストニア大学3名、アウバーン大学(USA)2名、USDA(オレゴンーUSA)1名、Ljubljana大学(スロベニア)1名、それに私である。一方ホストは、Jean-Martin Lussier, Steve Bedardにキーノートスピーカーでもあったニューヨーク大学のRalph Nylandの3人であった。総計13名は5月18日17時にワークショップが開催されたRouyn-Norandaを離れ、モントリオールの北西250kmにあるMont-Laurierへ向かった。夕食もはさみながらの6時間のドライブでホテルについたのは12時を回っていた。
 
19日: 広葉樹林、針広混交林の択伐試験
 この日は、Sainte-Veronique村(Mont-Laurierから50km南東)のMousseau研究―教育林3600ヘクタールで15年間の広葉樹selection system(択伐)試験を視察した。この試験地を設定したZoran博士の丁寧な説明があった。彼は退職後にも関らず、 ケベックシティから現地まで来ていただいた。博士とNyland教授は旧知の仲らしく、老戦友達が旧交をあたためているのをみるのはすがすがしかった(写真1)。


写真1:左Zoran博士 右Nyland教授

 この3600ヘクタールの試験林は、試験地設定に先立って植生分類がなされたという。大きく3つの植生タイプに分かれる。丘陵地頂上のSugar maple と Iron wood (Ostrya)で構成される林、斜面中腹のSugar maple、Yellow birchで構成される林、湿地沿いのYellow birchと針葉樹が混交する林である。それぞれはさらに2から5つの亜タイプに分類されるらしい。
 この林は15個のコンパートメントに分けた15年回帰年での択伐施業がベースとなっている。そのなかにさまざまな試験地が散在している。
 まず頭にいれておきたいのは、材の価格で最も高いのはYellow Birchであること、そして施業の評価は. Yellow Birchがどれだけうまく更新しているかにかかっていることである。もともと天然更新施業にはあまりなじみのない私にとって、カンバ類の更新目的の施業自体ものめずらしく、しかし「広いギャップ作って放置しておけばうまくいくんじゃない」との短絡的な先入観を持ちながら、最初の試験地へ向かった。


 Sugar mapleを中心とする広葉樹林の施業

 ここはSugar maple が優占する林であったらしい。1985年から1986年にかけて、ほぼ断面積伐採率30%のSingle-tree selection cutting(単木択伐)がなされた。設定20年後の状態は一目瞭然、対照区ではSugar maple の稚樹のみがめだちYellow Birch がほとんどないのに比べて、択伐地ではYellow Birchの稚樹の豊富さが目についた(写真2)。択伐後の15年後のデータでは稚樹(Dbh>1.1cm)密度が対照区の25-40倍、全稚樹の10-20%占めたことを示している。この成功は種子の結実年を考えた伐採と適切な地掻き処理のおかげである。

写真2:Yellow Birchのsapling(矢印)
写真3:幹曲りのYellow Birch

 Single-tree selection cutting は一般的に耐陰性の強い樹種向きの施業であり、Yellow Birch(彼らはこの種の耐陰性をintermediately shade-tolerantに区分していた。先駆種の多いカンバの中にあっては耐陰性が強い種とのこと。)には少し大きめのギャップのpatch cutting(群状伐採)が必要だろうということで、直径30m程度のギャップをあけた施業地に案内された。ここではたしかに、Yellow Birchの旺盛な更新がみられたが、そのほんどが雪のクリープによる幹曲がりを生じていた(写真3)。彼らはこの雪害をギャップの生成が原因であると推測していた。


 針広混交林

 Balsam fir, red spruce, white spruceとYellow Birchが混交する林でやはり30%のSingle-tree selection cuttingが1987年に行われた。しかし、結果はおもわしくない。案内された場所ではYellow Birchどころか針葉樹の稚樹もみつけることができない。原因はこの森林の指標植物であるViburum alnifoliumの繁茂にある。施業的にはラウンドアップの使用などが行われているときくが、その現地をみることができなかった。またこの森林に出現するトウヒのwhite spruceやred spruceは枝が垂れ下がるタイプのblack spruceとは異なり、伏状更新は期待できないらしい。
 この植生タイプでも、patch cuttingがなされていた。直径10m、25m、35mのギャップ試験地を設けた。このうち25mギャップの二つの試験地を視察した。一つのギャップでは、Yellow Birchはほとんど見られずSugar mapleの稚樹が優占する群落になっていた(写真4)。これは別に両種の耐陰性が逆転したわけではない。次のプロットを見てその原因を確認。フェンス張りのその試験地では確かにYellow Birchが旺盛に更新しているのである(写真5)。これはWhite-tail deerのYellow Birchに対する嗜好性がSugar mapleより高いこととギャップ創出が鹿寄せ効果を持つことによるという。そしてSingle-tree selection cuttingのほうがシカを寄せないという彼らの見解である。

写真4:patch cutting後のSugar maple稚樹
写真5:シカよけフェンスとYellow Birchの稚樹

 ここでの施業試験地では安直な教科書的図式、ここでは半陽樹の更新=ギャップの創出という概念にとらわれた森林管理では失敗することを思い知らされた。また、陰樹に区分される種でさえ群状伐採を考える癖のある私に警鐘をならしてくれた。ある場合には雪が、ある場合には鹿が(ギャップの影響であるとする真偽は未だ私自身は判断できていないのだが)、更新とギャップ創出施業の関係が単純でないことを教えてくれた。
 またNyland教授の指摘、「たとえpatch cuttingでYellow Birchが成立したとしても、そうした純林状の群落、それが森林の成立としては自然なのかもしれないが、は枝下高の制御が難しい。Yellow Birchと共にやや成長の遅い耐陰性の大きい種を共に生育させることで、枝下高を高めることが出来る」という指摘は、忘れてかけていた「副木(仕立て)」という言葉を思い出させてくれた。煩雑な業界用語は未整理なロジックの証拠とばかり無視してきたが、便利な言葉の中にあった自然観や技術感をも切り捨ててしまうところだったと愚かさに気づかされた次第。
 
20日: 過伐採後の広葉樹林の修復
この日は午前中のみの視察。Mont-Laurier を出発し2時間ほどthe Franche Lake experimental sitesで、衰退林のリハビリテーションを見た。ここは65年前には皆伐を20年前からはdiameter limit cutting(ふさわしい日本の言葉を見つけることが出来ない。熱帯のマラヤシステムのような伐採をイメージすれば良いかもしれない。すなわちこのシステムは直径以上の個体は原則全て伐採するというニュアンスが強く、本来の択伐とは一線を画す。)こうした伐採が続いた伐採過多の林でのリハビリテーションがターゲットであった。
この林の問題点は、蓄積量の不十分さ、林分構造の不均一さ、一方で良質の成熟した個体もある点、稚樹密度も多様で潅木による被圧も大きい点、があげられ、施業要件としては、施業コストの安さと多様な条件に適応できるような柔軟性が同時に求められる点があげられていた。そして、伐採跡地の更新という目的より蓄積量を増やすための更新が心がけられているそうだ。
 このような不均一な林には、場所に応じたきめ細かい施業が必要となる。ここでは、その判断を請け負った会社の作業オペレーターが行うとのこと。オペレータには選択可能な施業オプションをしめしておき、非常に簡単で明確な次のような決定基準を徹底させている。” Do the right thing at the right place at the right moment and in the right way”
 とはいっても、具体的な判断基準はあり、図のようなフローで施業が選択されている。オペレーターは採用後1ヶ月間の森林官つきっきりのトレーニング後一人立ちし、その後定期的に評価がなされるとのこと。研究者は施業効果の立案と評価に関っている。なお、地掻きはハーベスターのヘッドの改良型で、半径2mほどの地掻きをスポット状に行っていた(写真6)。

写真6:スポット状地掻き処理後の更新
写真7:Cowboy treeというよりこの木の場合Walking tree?
写真8:American beechの若い林

 特に目新しいわけではないが、研究者と森林官、森林官と作業実行者の間の連絡関係が非常にうまくいっており、研究レベルでの提言が作業実行者にきわめてスムーズに移されるなどのシステムに嫉妬を覚えた。そして森林研究者として現場に還元してこなかった自分を反省した。同様の反省をどれだけの日本の森林研究者がしなければならないのだろうか?実践的森林生態研究、現場に近い造林学研究に思いをよせたとき、実を捨て理に走りやすい日本の造林研究者の傾向を(自戒も含めて)痛感した次第であった。
 なお、写真7は、日本でも良くある、CWD上の更新である。彼らはこのような木をカウボーイツリーと呼んでいた。根の形を足に見立てている。そのネーミングにシャッターを切る。

午後はカナダーアメリカの国境通過を含め9時間のロングドライブだった。Newcombにあるニューヨーク大学の実習林施設のthe Huntingdon Experimental Forest Stationに到着したのは11時近く。湖畔沿いのこの宿舎はHuntingdon氏の狩猟用ロッジが寄付されたものであるだけあって、トロフィールームが充実していた。心地よい上品なトロフィールームで皆静かに就寝前のアルコールを楽しんでいた。

21日 Ralph Nyland教授
 Huntingdon Experimental Forestの広葉樹林での問題は、American beech林(写真8)の問題である。広葉樹林の伐採後、American beechが旺盛に更新する。樹高1m以上のAmerican beechの起源の95%はルートサッカーによるものであるという(写真9)。また鹿の嗜好性の高いYellow Birch、white Birchは消失しやすく、sugar mapleも大きな被害を受ける、被食圧が低いAmerican beechは残存しやすい。ところが、このAmerican beechは胸高直径が20cmから30cmに達した頃に病気により枯れるらしい。このため、若い段階のブナ林が継続することとなる。そこで、Nylandはこの林を取り扱うためのスローガン”Shoot deer, Poison beech, Treat the right”を、何度も繰り返した。

写真9:American beechのルートサッカーを説明するNyland教授
写真10:Birch類の更新に成功した様子

 ある場合には皆伐(保残木)と除草剤(ラウンドアップ主体)によるブナの枯殺とシカ用ケージの組み合わせ、ある場合には択伐と下刈りの組み合わせで、Birch類やsugar mapleの更新に成功し、後者では2000-3000本の樹高1m以上の稚樹が成立していた。
 この日は雨の中数多くの場所にストップした。あまりのストップの多さに、参加者の多くが辟易していたのも指摘しておこう。低レベルの学生と同じで何回ストップするのかの賭けがジョークになるほど、後半は参加者の集中力が切れていた。
 しかし一方で、そのストップの多さにNyland教授の頑固な森林施業に関する想いを十分に見て取れた。「リタイアしたら森林研究をやめるという発想がわからない、、」という彼の言葉には迫力があった。
 熱意の彼に感謝と共に別れを告げ、再び国境越えて、解散地のモントリオールへ。最後の食事を終えてホテルへ着いたのは12時近くであった。
 
 広葉樹林の天然更新施業の先進地であるこの地域でも、課題は動物害と競合植物であったことに、妙な安心感を覚えた。
 しかし競合植物の程度に大きい違いがあるいっても、これを日本林業界が天然更新技術開発をサボる言い訳にするわけにはいかないだろう。ただ、ここで行われていた更新ターゲット種は全て風散布型の樹種であった。シードレインという解決すべきもう一つ大きな問題があることを思うと、やっぱり、サボリたくなる??



<編集後記>

地方の零細土建屋のオヤジ(建設業の社長)と話す機会があった。山また山のこの地域に、産業といえば「土建業」しかない!と主張する社長のその脇で、地域おこしのNPOの職員が、「それとてジリ貧、いつまで続くか」と異議を唱える。「それじゃ、ブナ林や林業でどうやって食っていく?」と、いつものパターンで論議が続く。この土建屋さん、元々は、山持ちで、素材生産業者、その後、国有林の林道の請負事業で、事業を拡大、今日の建設業に至ったという。「ブナ林はパルプ会社に騙されて伐採され、一生懸命、育てたスギは金にもならない」と嘆くことしきり。「でも、駄目だ、駄目だという前に、工夫とか、努力とかがあるのですかね?」と恐る恐る聞いてみると、「確かにそうした面はあるが・・・」、「しかし、今はゆとりがない」と。どうしてゆとりがある時に、新たな方向を模索が出来なかったのか?!とバブル時代を思い起こす。帰り際、「林業では俺にも意見がある。今度じっくり話そう」と言われた。俺も、それまでに現実的な提案を考えなければ(狢)。

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