木霊 (TARUSU)
森林施業研究会ニュ−ズ・レター  No.35 2006.12.13.
Newsletter of the Forest Management and Research Network


第9回現地検討会(三重合宿)開かれる!

(写真1:伊勢神宮を参拝する合宿参加者)

『森林施業研究会第9回現地検討会報告』

--伊勢神宮の森と尾鷲ヒノキ林業--

櫃間岳(森林総合研究所東北支所)

森林施業研究会第9回現地検討会は、2006年11月1日〜3日の日程で行なわれた。参加者は、国または県で森林の研究や政策にたずさわる人を中心に37名だった。今回のテーマは、伊勢神宮や尾鷲ヒノキ林業という、労働集約的で高品質な木材の生産現場を見学するものである。以下に訪問先ごとの報告を記す。

<ウッドピア松阪>

(写真2:ウッドピア松阪)

 11月1日の午後、最初に訪れたのがウッドピア松阪という木材コンビナートである。ここは松阪市郊外にある41haの事業地で、原木販売から加工、住宅販売までを行ない国産材の安定供給の実現を目指した組織だという。しかし実際には、敷地内だけで原木加工から製品販売までの一貫生産は行なわれていないらしい。ウッドピア松阪の最大の機能は大規模の原木販売および素材生産だと思われた。

 原木市場としての機能は、従来は松阪市内に数箇所あった原木市場を集積したことで大幅に向上したようだ。ウッドピアによると、原木市場の役割は、原木の質による仕分け作業なのだそうだ。敷地が大面積になったことで仕分け作業が効率化でき、取扱量と集客力も増加したとのこと。「ウッドピアには比較的高品質の原木が集まる」との評価が固まっていることから、出荷する林家も「ウッドピアへ高品質材を出荷すれば高い売上げが期待できる」と評価していた。また、素材生産工場として見ても、スケールメリットを活かした効率的な製材および乾燥を行なっていることから、大規模化による機能の向上があるものと思われた。

<伊勢神宮宮域林>

(写真3:伊勢神宮宮域林)

 11月2日の午前は伊勢神宮の宮域林を訪問した。最初に内宮神域の森を視察し、その後、御造営用材生産を目的とする第二宮域林を視察した。

 神域の森は、社殿周辺の93haの森である。シイ・カシ類の暖温帯の広葉樹が大半であるが、大径のスギやヒノキが目を引いた。域内では景観に配慮した管理がなされていることが印象的だった。玉砂利を敷いた参道には多くの参拝者や観光客が歩いていたし、私自身もこの森が非常に心地よく感じられた。そのため、森林をレクリエーションおよびアメニティの場としてとらえる時、この神域の森は一つのモデルとして重要な役割を持つのではないかと考えた。寺社林は宗教的な価値も併せ持つので、通常の森林以上に精神的な癒し効果を持っているかも知れない。しかし、森林を快適な空間として利用しようとする際に は、神域の森で行なわれている森林管理手法から学ぶべき点は多いように思われた。

 次に見学した第二宮域林では、遷宮に必要な用材生産を行なうための択伐施業地を見学した。ここでは、収穫候補とする木を早期(樹齢35年)に決め、この候補木の周囲で受光伐を行なうほか、候補木に施肥をしていた。短期間で良質の大径材を得ようとするこの施業法はとても興味深かった。候補木の選定が早期であるうえに、選定後は候補の変更がなされないため、候補木の選定は非常に困難ではないかと思われた。

<吉田本家>

 11月2日の午後は高速道路で大紀町まで移動して、吉田本家を訪問した。吉田本家山林部は2003年にFSC認証を取得した林家である。4輪駆動車で傾斜のきつい林道を上がって尾根部(標高約750m)の択伐作業現場を見学した。樹齢35〜45年生の林分で利用間伐を行ない、柱材を生産していた。この林分は植栽密度が8000本/haと非常に高い上に若齢期から枝打ちが行なわれているため、材積で35%・本数で10%の択伐を行なっても相当量の良質の柱材が収穫できる。集材には無線自走式の架線集材機を用いて傾斜地での作業に対応していた。吉田本家の山の特徴は、傾斜が急であるにもかかわらず林道が整備されていることで、伐採木を架線で林道に集めた後は市場へ直接出荷できるとのことだった。

 この晩は吉田家が経営するログハウスに宿泊した。とても豪華かつ上品な施設で、屋内にはスクリーンを備えた広間、温泉があり、屋外には池(プールとして使用可)、自炊施設、多目的広場などを備えていた。このログハウスは宿泊施設として通年営業しており、名古屋・大阪等の都市圏からの利用客も多いとのことだった。山林資産を木材生産だけでなくレクリエーション施設としても活用する、吉田家の多角的な経営は興味深い。国有林等でも森林の公益的機能の発揮を謳うのであれば、吉田家の森林経営から学ぶべき点は多いと思われる。

<速水林業>

(写真4:速水林業)

 11月3日の午前、速水林業を訪問した。速水林業は、日本で初めてFSC認証を取得した林家として注目されている。速水林業の森林管理の特徴としては、立木密度が低くし林床植生を残していること、林内の路網密度が45m/haと高いこと、労働者の平均年齢が42歳と若いこと、経営者・労働者が省力化への強い意識を持っていること、などが挙げられよう。FSC認証を得るために特別な森林経営を行なっている印象はうけなかったが、企業価値および商品の認知度を高めるために認証を取得した経営者の先見性は高く評価されるべきだと思った。

速水林業の林の植栽密度も、吉田家と同様に8000〜10000本/haと高く、その後の間伐と枝打ちも早くから丁寧に行なわれていた。過去に丁寧な施業履歴があるからこそ、現在生産される材の質が高く保たれているのだろう。速水林業の資料によると、速水の森林資源は11齢級にピークがあり、それより高齢級にも資源が多く分布していた。このような高い蓄積により、現在の生産量はかなり安定的だと考えられた。今回は高齢級の林しか見られなかったが、機会があれば若齢林も見学したいと思った。もっとも、資料によれば若齢級の成長量は多かったことから、資源生産の持続性にも問題はないようである。

<濱口林業>

 11月3日の午前、引き続いて濱口林業を訪問した。見学した林分は、速水の林とは対照的に立木密度が高く、林床植生が乏しいところだった。ここでも植栽本数は7000本/haと高く、その後の間伐と枝打ちが丁寧に行なわれている様子がうかがえた。ここの林では全般に、直径成長を促すために立木密度をもう少し下げてもよいのではないかと感じた。齢級が進んでからの間伐が成長におよぼす効果について、研究者からも早急にデータを出す必要があると思った。

<全般をつうじて>

 今回の現地検討会全般を通じて感じたことは2つある。1)尾鷲の林業が非常に労働集約的に行なわれているものの、そうした林業が衰退しつつあるのではという懸念、2)林床植生に対するシカの影響が実に大きい、ということだ。

 1)について。日本の林業の特徴でもある急傾斜地での林業は、必然的にある程度労働集約的にならざるを得ない。省力化対策として、路網の整備や機械化の推進が挙げられるが、限界もあるだろう。労働力の量的な確保も必要だが、省力化のためには個々の質も高くなくてはならない。今回見せて頂いた林は、どれも手入れの行き届いたところだった。しかし、それが尾鷲林業の一般的な姿であり、永続的なものとは思えない。移動中の高速道路から眺めたヒノキ林は、どれも間伐手遅れの過密な林に見えた。その理由の一つは、我々が走った紀伊自動車道が新しく山中を切り開いて造られた道路であり、そこを走って見える林は、従来手入れのしにくい奥山の林だったからなのだろう。面積的にはこのような要手入れの林分の方が多いのではないかと思われた。

 2)について。シカが食べるから林床植生が乏しくなるというのは今さら言うべきことでもない。しかし、東北の山しか見ていない私には、紀伊の林床は植物の種類が限られて不自然に感じられ、改めてシカの影響の大きさを思い知らされた。人為を施さないことが自然なのではなく、シカの食害から自然を守るために人間がすべきことがあるのではないかと強く感じた。

(写真5:延々と続く夜のセミナー)

*三重合宿への意見・感想*

地域林業から流域林業に進化する尾鷲林業に日本林業の窮状を打開する活路があると強く感じた三重合宿

谷口 真吾(琉球大学農学部)

 森林施業研究会第9回現地検討会(三重合宿)に参加しました。私は、今年(平成18年)6月30日に兵庫県庁(兵庫県立農林水産技術総合センター森林林業技術センター)を退職し、7月1日より現所属に着任することになりました。兵庫県職員の時代から三重県には学会や地域推進会議等で何度か行くことがありましたが、尾鷲林業地を見る機会は一度もなく、今回、初めて尾鷲林業地帯に入る念願が叶いました。

 合宿を通して実感した尾鷲林業の率直な感想は、「古くからの伝統的な林業が威風堂々と営まれており、その時々の時代の要求に合わせて、産業としての林業がうまく進化している」ということでした。尾鷲といえば、ヒノキの密植集約施業という長い歴史の重みがあります。そして、なんといっても、ヒノキ大径材生産であり、その材は、年輪が緻密、無節で材色の良い心持柱材の生産です。スギの吉野林業地とは異なる生産体系もおもしろいと思いました。

 以前、兵庫県に住んでいた住居近くの新興住宅地で、尾鷲ヒノキの柱材を使った住宅を売り出しているのを見たことがありますが、柱材の材色と材の緻密さが見事に強調され、確かに1ランク上の材品質であったという印象が強く残っています。

 実際に、尾鷲林業地のヒノキ林内に入ると、現山林経営者あるいは経営者の先祖の方々が、この林業地から産地銘柄材である尾鷲ヒノキを生産し、古くから関東・関西をはじめ、全国に流通させて、山林経営の持続と一族、一家の生計を立ててきたという自信と誇りと伝統の息づかいを充分に感じることができました。

 私が林業の世界に足を踏み入れた1980年の中頃は、「地域林業」による林野政策が進められていることを確か学んだと思います。林政学の教科書をみてみると1980年代の前半から地域林業政策ということで、外材に対抗して国産材シェアを拡大するための地域林業の組織化を目的とする政策であったと記されていました。すなわち、戦後の拡大造林によって造成された人工林が徐々に成熟過程に入り、人工林の伐採・収穫を契機に、育林→伐搬→素材流通→製材加工→製品流通のシステムをまとまった圏域で形成していこうとする考え方であったようです。その後、1980年代後半のバブル経済期は、地域林業から流域管理システムの過渡期とされ、外材製品に対抗した低コスト量産のシステム化が模索されました。そして、1990年代のいわゆる「失われた10年」の時代、その時、私は、兵庫県の林業技術者として、兵庫の林業の発展に全身全霊を掛けていた頃でしたが、流域管理システム(林野三法)によって、国際競争に対抗可能な産地づくり、流域林業の組織化が図られました。この頃は、1990年代の初期に提唱された流域管理システムとともに、1990年代の中頃、いわゆる林野三法の成立(流域管理システムの弱点克服策といわれている)とともに、流域林業の政策が広く行き渡った感がありました。当時、流域林業あるいは森林の流域管理の考え方に、かってない新鮮さを感じた記憶があります。そして2000年以降は、循環型社会の形成に寄与するための森林・林業・木材産業に関する基本政策により、現在に至っています。

 尾鷲林業を考えるとき、林政史ならびに林野政策の変遷と照らし合わせてみても、時代の流れとニーズを的確につかみ、先行的あるいは地域事情にあわせて積極的に地域林業→流域林業への進化がなされたことを強く感じます。

 流域にはもともと、河川の上流から筏による下流域への木材輸送がなされた流域に発達した先進林業地のイメージが強くありました。もちろん、流域林業の本質は、先進林業地が発達した流域圏のニュアンスとはまったく異なり、尾鷲林業地のような、国産材の産地形成のための「原木集積圏域」のことです。今回、三重合宿での何か所かの視察地は、流域林業そのもののイメージが描ける行程でした。尾鷲地方の自然的あるいは環境的、人文的な条件が重なり合って発達してきた、横綱相撲のような尾鷲林業地での森林施業あるいは個々の育林技術には、まだまだ学ぶべきところが多くあると思います。

 今後の尾鷲林業の問題点として、産地間の競争力を強化するための斬新で独自の流域林業を展開する具体的な方策の樹立が必要です。少子高齢化によって住宅建築戸数の減少とともに、尾鷲ヒノキの代名詞である無節柱材のような役物の需要増加が望めない状況であることは容易に想像できます。そのために、尾鷲ヒノキの新たな利用用途を開発し、新たな製品開発とともに付加価値を付与して、尾鷲林業のブランドとプライドを守っていって欲しいと感じました。

 末筆ですが、とても有意義な三重合宿のために格別のご尽力をいただいた三重県科学技術振興センター林業研究部の島田博匡さんをはじめ、視察先の現地案内をいただいた担当者の方々には大変にお世話になりました。大変勉強になりました。深く感謝いたします。

森林の見かたや森林に対する哲学といったものを少しずつブレの少ないものにしたい

齊藤哲(森林総研)

 今回,初めて現地検討会に参加させていただきました。

 今回は尾鷲林業地のなかでも優良な森林経営を行っているところを見学させていただきました。また,今回の現地検討会とは別に,高知の山持ちさんのヤマを見せてもらい,お話を伺う機会もつい先頃ありました。いずれの方々も崇高な理念と強い愛着を持って森林を管理し,様々な創意工夫・努力によって経営されているという点,敬服致しました。

 今回最後に山を案内して頂いた濱口さんは,価格低迷で従業員を十分雇えないので,毎日自分が山に出ておられるとのこと。自分の山のどこにどんな木があるかは大体頭に入っているとのお言葉,強く心に残っています。山持ちさんらは,生活のかかった森林経営を通じて豊富な現場経験を基に,哲学・創意工夫が練り上げられているものと思います。

 夜のセミナーでは,目先の収益だけに走っているような国有林現場の問題提起や,「行政サイドのヤマをどうしたいかの熱意が感じられない」といった旨の指摘も聞かれました。その場凌ぎの哲学なき政策(研究も然り)遂行の怖さの一端を見せられた思いがしました。数年で担当が変わる現在の行政では,森林に対する哲学・理念,及びその実現に対する創意工夫が育まれにくいシステムになっているのでしょうか?

 振り返って自分はどうか?行政批判をしている立場ではありませんでした。現在の低迷する林業に対して,有効な研究成果を出せていないどころか,現時点ではそのアイデアすら思い浮かびません。森林に対する哲学も様々な方々の影響を受けて未だにブレ続けています。今回の現地検討会の影響も然りでした。

 しかし,このような場は,私のような者にとっては山を見る目・考えを養う上で貴重なものでした(未だもやもやしたままですが...)。

自分も森林に関する研究に携り十数年が経ち,僅かなりとも論文も書き,多少生意気な口もきくようになってきましたが,人が関わる森林の難しさやそれに対する知識の少なさを実感した3日間でした。

 今後も,山持ちさんや,真剣に森林・林業を考えている方々と交わる機会を出来るだけ多く持ち,森林の見かたや森林に対する哲学といったものを少しずつブレの少ないものにしていきたいと思っています。

最後になりましたが,伊勢神宮司廳営林部さん,吉田本家さん,速水林業さん,濱口林業さんには現場を親切丁寧に案内して頂き,感謝申し上げます。また,今回の現地検討会実施に労力を割かれた,三重県科学技術振興センター林業研究部の島田さんはじめ,主催者の方々にもお世話になりました。ありがとうございました。

伝統的な施業に加え、新しいことにチャレンジすることの必要性を痛感

山川博美(鹿児島大学大学院連合農学研究科)

 今回、はじめて森林施業研究会の現地検討会に参加しました。これまで、実際の施業の現場を見る機会や話を聞く機会がほとんどなかったので非常にいい勉強になりました。

 見学する中で、森林を管理する上で受身の施業ではなく、管理の上での適切な目標を設定(長期的な計画、伐出サイズ、本数など)し、前向きに施業をすることが必要だと感じました。中でも、速水林業さんでは、コストの削減といった低コスト育林に積極的に取り組まれていました。これらの手法は、地域や施業方法によって異なるとは思いますが、そのためにどういうことが必要かを真剣に議論することの必要性を感じました。また、伊勢神宮では、遷宮用の材木の生産に特化しており、必要な材のサイズ、本数を目標として生産しておられました。これらを見たり話を聞いたりして、林業経営も工夫次第ではまだまだ可能性はあると強く感じました。そこで、これまでの伝統的な施業に加え、新しいことにチャレンジすることの必要性を感じました。

 今回の研究会では、先進的な林業経営から従来方式の林業経営、また伊勢神宮といった特異的な林業経営を見させていただき非常に良い機会を与えていただきました。また、今後の適切な森林管理を行っていくためには、森林施業の知識が絶対に必要だと強く感じました。

必ず見てみたかった速水林業と伊勢神宮の森

田川将昭(茨城森林管理署)

 11月1,2,3日と、三重県の尾鷲林業地帯へ行ってきました。滅多に関西方面へは行けないので今回は貴重な現地検討会となりました。

 行くに当たって必ず見てみたいところが2箇所ありました。速水林業と伊勢神宮の森です。前者は、数年前からFSC認証の関係で聞いており、経営・環境等の面からどんな施業をしているのか、非常に興味がありました。

 伊勢神宮へは、以前に一度訪れていましたが、一般ルートのみで、巨木の森があるな、と感じるだけで、宮域林の存在すら知りませんでした。ほかに神宮の森というと、代々木の明治神宮を思い浮かべます、こちらは林業と言うよりは、造園?の観点から森林の時間にしては短期間にあれだけ荘厳な森が、しかも人造の森だということで以前より関心がありました。

<1日目>

茨城から、新幹線と在来線を乗り継ぎ、あっという間に集合場所の伊勢中川駅へ着きました。

 まずは、松阪にある国産材の木材コンビナート ウッドピア松阪へ、東京の木場へ行っても取り扱っている木材の9割以上が外材だという現実の中で、国産材の・・というのだから驚きでした。行ってみると、だだっ広い敷地に木材市場・木材加工工場・事務所などがありました。体育館のような大きな木造建物の中で説明を聞き、その後、場内の見学をしました。土場には、大量の丸太が、はるか遠くまで置かれていました。丸太を太さで選別する機械。片隅には、加工した木材の乾燥機がありました。前は重油等の化石燃料使用でしたが、木材加工の過程で出て来る廃材、木っ端・樹皮等を何かに活用出来ないか、また、年々高くなる化石燃料の代わりはないか、の結果。現在乾燥機は全て、廃材を燃料にしているそうです。バイオマス燃料ってやつですね。場内はきれいになり、余分な燃料代がかからなくなり、効率良くなったようです。

 その日の泊まりは、伊勢市二見にある民宿へ。夜は懇親会兼夜学。各地から集まった参加者からの発表を聞きました。三重県の森林・林業・環境等の概要説明の後、秋田杉の今後の施業の話。鵜縄式間伐や、国有林での森林整備の現状、色々な林業研究会のこと。林業の現場から研究者に望むこと等多くの発表がありました。

民宿のご飯もとても美味しく1日目は過ぎました。

<2日目>

 待ちに待った伊勢神宮の森へ、はじめは、境内の一般ルートを見学。神宮の森は、実際人工林なのか天然林なのかは、わからないそうです。記録が残ってないとのこと。天然のようなところに部分的に植林を繰り返しているとのこと。神宮内には確か3本の川が流れており、そのいずれも、宮域林内から源を発している。

 入口の大きな鳥居。木造の橋が架かっており云十年?に一度橋を架け替えるが、その廃材は、ほかの神社仏閣へ“おふる“として回される。使えるものは捨てずに利用される(リサイクル)とのことです。神宮の職員の方に案内して頂いたのですが、色々細かい所まで教えてもらいとても勉強になりました。

 階段の真ん中に杉の巨木が立っていたり、第一に御神木の保護、禁伐で。台風等での風倒被害に関しては、危険なので、先に伐採したい場合、どれくらいの風速で木が倒れるのか?数字で求められるそうです。

 一通りの境内見学後御造営用材生産の森へ行きました。神宮から、林道をそのまま山奥へと進みました。車でしばらく走り、第一の見学箇所に着きました。ヒノキの胸高の辺りに、白ペンキで一重と二重の線がそれぞれ巻いてあります。これは、今後施業して行く中で、将来残す木と、それ以外の木だそうです。選木育林法でしょうか?

 林内を見て思ったのは、林床の広葉樹が豊かなこと。ここでは、広葉樹は最低限伐らないとのことです。一連の保育作業後、除伐・保育間伐が終わった後はそのままにするそうです。保育作業が終了していれば、ヒノキが広葉樹に負けることはまず無いとのこと。広葉樹は伐採禁止。作業上やむを得ないもののみを伐るだけ。材は、目標径級がそれぞれ決まっていて、それに応じて周りの係っている木を伐る受光伐をしたりしているようです。

 その後車でまたしばらく細い林道をくねくねと登って剣峠という伊勢市と南伊勢市の境まで来ました。この市町村境が宮域林の境となっていて、改めて宮域林の広さを感じました。昔、終戦直後にGHQに、一宗教法人がこれだけ広大な森林を所有するのはおかしいと指摘され、案内しながらこの峠まで来たとき、反対側の海まで見下ろせる山々がみんなハゲ山だった様子を見てからこの指摘は無しになったという話を聞きました。

 宮域林も標高の高いところは保護林になっているとのことでした。今までに約100年生ヒノキ人工林でもすごいと思いましたが、ここは、200年生それ以上の人工林を管理しているということで、広さと林齢と施業方法と、大きな違いを感じました。

 次に、大紀町にある吉田本家山林へ、ここは、速水林業の次に認証を取得した林家です。林道を上がって行くと超密植のヒノキ林。?辺り8千本以上とのこと。この辺りでは普通のようでした。急で細い作業道をどんどん登って行くと見学箇所に着きました。今は利用間伐を繰り返しながら、密度を調整するようです。架線を使った集材です。かなり込んでますが、すっきりとした印象を受けるのは、枝打ちがしっかりされているからでしょうか。枝打ちは基本。するとしないとでは、価値が全然違ってきてしまう、と言ってました。ここまで登ってきた狭い作業道は、枝打ち等手入れ用の道。搬出は架線集材だそうです。作業道端に、椎茸のほだ木より少し大きいくらいの丸太が、積まれていました。こんな細かい材も何かに使うのかなと思っていたら、これは、内装材(階段用)として売るそうです。断面に枝打ちの跡も見られ、きれいでした。良く手を加えたものは、無駄なく利用出来るのだなと実感しました。

 その晩は、吉田本家で経営している宿泊施設にとまりました。2回目の夜学も受けました。吉田本家の林業経営について、吉野林業地での人工林管理、台風による森林災害について、台風被害後の森林その後、再造林放棄地植生とシカの影響、人工林皆伐後の森林再生また利用履歴と土壌環境の関係等、関東とは違った地質・植生があり、関東の常識では通用しない世界もあると感じました。

<3日目>

 そして最終日、速水林業の見学です。速水林業は、最近少なくなった専業林家。着いた途端何か違う雰囲気、ヒノキの人工林というより、公園の入口にいるような、少し日本離れしたような感じでした。説明を受けていたら、大きい丸太を積んだ車が1台停車し、何やら荷台の丸太にホースで水をかけていました。これは、水で丸太の滑りを良くし、土場で急ブレーキをかけて丸太を落とすのだそうです。はじめから興味深いものを見てしまいました。

 その後案内されながら先を行きました。林内は間伐したばかりとのことでしたが、林床がシダ類に覆われているせいか、わかりませんでした。林道脇に沢が一本流れていて、河川敷に、真っ直ぐに伸びた広葉樹の林がありました。崩積土が適地のイチイガシです。これも枝打ちが施されていて、広葉樹なのに真っ直ぐでした。枝打ちをすると枝に余分な養分をとられないため、真っ直ぐになるとのことでした。ナラの枝打ちしたものもありました。

 少し行くと、明るい林に出ました。ここは、ヒノキを皆伐するのではなく、所々パッチ状に木を残す、リザーブウッド(残存木)といい、景観を考えたもののようです。

 次は林内に入り斜面を登りました。登り口には小さな看板で○○の小径というような表示がされていて、木製の階段と所々に木のベンチが置かれていました。ヒノキ人工林というより、庭園を歩いているようなそんな所でした。

 林床の植生はシダ類が緑の絨毯のようにびっしり生え、広葉樹そのものはあまり多くなくポツンポツンと生えていました。人工林内の下層植生に関心があったので、聞いてみると、伊勢神宮のときとは反対に、「広葉樹をあえて残そうということはない。」「ただいつも土壌の浸食を防ぐことだけには配慮している」と言っていました。とにかく今は省力化。無理して広葉樹を伐ることも無いとのこと。

 省力化について作業員と経営者の考え方の違いについても話していました。作業員は、間伐だったらその作業のやり易さを考える。安全にしかもその場の効率を上げるためには、事前に広葉樹等を刈り払ってから作業した方が良いと、しかし経営者は、保育・管理・搬出・販売までの全工程を考えてみると、販売までに、保育は必須だが、それ以外は出来るだけ省力で行きたいとのことでした。要は、土壌の保全を図りながらかつ省力で行くということ。「一に下草、二に広葉樹、ヒノキは特待生」だそうです。いくら広葉樹があっても下草が無ければ浸食が起きてしまう。広葉樹もアレロパシーの関係もあり、下草が生えにくかったりと、やたらに残すものではないと言っていました。

 だからその場所その場所によって、地形も、地質も、環境も何もかも違うわけですから、全てこれが良いという方法はなく、山に良く足を運び観察しここはこれ、ここはこうだからこうしてと、些細なことでも柔軟に考えられる力を養うことが重要なのだと思います。

 後はとにかく間伐だそうです。良いものを残し、悪いものを伐る。でも、悪いのばかり伐っても経営が破綻してしまっては困るので、良いのも悪いのも伐ることが良いのでしょうか?それの判断も場合によるのでしょう。最も、ここのようにより良く手入れされている森林の場合、悪いのもそれなりに良いものなのでしょう。悪い方から伐って行けば常に良いものが維持されているのは、誰が考えても当然です。

 後は、伐期について、長伐期と言いながらも世の中の流れを常に監視し、短伐期を考える必要があると。そのために、自前で苗木の生産もはじめたそうです。そういえばここに来てから、あちこちに挿し木苗の苗床がありました。

 そして最後に、浜口林業山林へ見学に行きました。ここは、一般の林業という感じの林でした。林内ははじめ密植のせいか、林齢のわりに込み合っていて、下草も適宜全面刈払っているということでした。先ほどの速水林業とは反対の趣でした。ここはシカ等が多く獣害に悩んでいるとのこと。目標は、100年の森を残すで、50年過ぎたら利用間伐を繰り返しながら行くそうです。

 3000本植えでは良い山にはならない。最低でも4000〜5000本植えが必要。3年に一度は枝打ちをしながら、不良木を伐って行くそうです。作業道は人が通る歩道くらいの小径。林内で玉切り、皮剥き、水分を抜き軽くしてから人力で搬出するそうです。同じ林業でもその場所・人によってやり方が全く違うのだと思いました。

 あっと言う間の3日間でしたが色々な貴重なものを見ることが出来てとても良かったです。

商品生産とする人工林経営

杜盛(鳥取大学乾燥地研究センター)

 中国内蒙古出身の杜盛と申します。鳥取大学で”あて材形成”に関する研究で学位をとり、現在は鳥取大学乾燥地研究センターで、中国乾燥地樹木の生理生態特性を研究しています。来日した直後、鉄道や道路から見える両側の山が気になりました。中国北方の黄色っぽい山と違って、こんもり茂っている人工林が覆う日本の景色に強い印象を感じました。今回の森林施業現地調査に参加し、三重県における人工林の育成および木材の商品販売についてとても良い勉強になりました。

 中国の林業は、もともと天然林を伐採するだけの林業でした。山の水土流失や農地の砂漠化を対処するため、造林活動を大幅にしてきましたが、商品とする人工林は少ないです。造林から伐採までの施業技術もいろいろと違います。人工林率が高い日本では、樹種と育成目標毎に詳細な生産育林管理図が作ってあり、素晴らしいと思います。また、森林組合と製材工場など事業体を含む松阪木材コンビナートの運営システムにも感動しました。

 今回の見学で、夜遅くまで行った発表会により、参加者達の熱烈な討議からもいろいろと知りました。そして、飲み会を通じて、各地からの研究者と話すことができ、予想以上の成果が達成できました。面白かったです。

(写真6:現地検討、様々な疑問や意見が出された)

よい山づくりとは−森林施業研究会第9回現地検討会に参加して−

中岡茂(森林総合研究所) 

 実は、この検討会に参加する前に、鈴木和次郎さんと和佐英仁さんから間伐指標林の設定について相談を持ちかけられた。国有林を借りて、相当規模の面積で、列状間伐や定性間伐のモニタリングをするというもので、(独)森林総合研究所と関東森林管理局森林技術センターが共同して行うという。しかし、40年生の候補地の林分内容が悪く、立木販売では買い手がつかず、間伐の実行ができないという。

 そういうことなら今全国の国有林で実施している造林費活用型の森林整備事業(略して「造活型」)が、機能向上を目的とするものなので、打って付けではないかと考え、早速関東森林管理局に持ちかけてみた。ところが、素朴な質問を受け、困ってしまった。

(1)このような試験区は、全国にいくらでもあるはず。なぜ今更こんな試験区が必要なのか?

試験の目的は何か?間伐について何がわかっていて、何がわかっていないのか?今回、何をわかろうとしているのか?それがわかると、どんな良いことがあるのか?

(2)木ダネが悪いというが、どうしてこんな林分を試験地に選定するのか?間伐指標林には不適ではないのか?

 これに対する回答を保留したまま、現地検討会に参加した。

 名古屋から近鉄線で松阪へ。余り土地勘のないところだから車窓の風景を楽しもうかと思ったが、市街地、工場地帯、まばらな農地が繰り返し出てくる平坦地が続くだけだった。

 最初の視察は、松阪木材コンビナート(ウッドピア松阪協同組合)で、もともと有数の国産材集散地であった地の利を活かして、市場、製材、内装材、集成材、プレカット、製品検査、木材販売、住宅販売といった木材の流通加工にかかわる異業種が集合して、約40haの敷地に展開している。

 私は、20年ほど前に熊本県の球磨地区にいて、木材の活発な商取引を目の当たりにしたことを思い出した。それぞれ加工製品を異にする専門製材工場が集まって木材団地を形成したり、近隣に所在する多くの木材市場が行う月3回の市売りで活況を呈し、折しもバブル崩壊以前の林産業の最後の輝きがそこにはあった。原木は、地元球磨郡はもとより、熊本、宮崎、鹿児島の各県から集まり、そこから全九州に流れていった。

 その後、林野庁が流域管理システムを提唱したとき、私は疑問に思ったものである。森林の公益的機能発揮ならいざ知らず、狭い流域に木材の流通加工を封じ込めることに。「水は低きに流れ、木材は高きに寄る」実態を置き去りにして、うまくいくはずがない。
 松阪木材コンビナートは、流通加工の入口から出口までカバーするという高度の進化を見せている。薄利多売の一般材でどのように付加価値を付け、山元に還元し、原木の安定供給を得るかが重要であり、それに伝統的な尾鷲林業の高級材を組合せ、松阪ならではの地域性を形成する必要があろう。

 その日は二見浦泊。翌朝早く、曇って日の出は望めそうもないが夫婦岩まで行ってみる。伊勢湾に面する海岸に出て驚いた。立派なクロマツ林が残り、そのマツの樹間から背後に3階建ての木造旅館群が見える。これも立派な拵えである。ここには学生のとき一度来たことがあるが、このような立派なものがあったとは・・・。

 夫婦岩の岩上にはカラスが一羽鎮座ましまし、早起きしてきた善男善女の礼拝を受けている。海岸に迫った崖には、ツワブキの黄色い花がまぶしい。

  二見浦今朝の日の出は見えねども崖にきらめく艶蕗の花

 さて、森林施業研究会の現地視察は、ここからが本題だ。伊勢神宮宮域林、吉田本家山林部、速水林業、濱口林業の4者の施業違いを間伐を切り口として見てみたい。

 伊勢神宮宮域林は、総面積5,446haで、このうち2,354haが照葉樹を主体とした学術上貴重な天然林として保護されている。また、2,901haがヒノキ主体の人工造林地で、式年遷宮に使われる御造営用材生産(1回の遷宮で約1万?(約1万4千本)の丸太が必要)のための施業を行っている。その方法は徹底した肥大成長促進施業で、

(1)将来的に残す木として、胸高直径100cm以上を目標とする大樹候補木と60cm以上を目標とする御造営用材候補木を早い時期に選抜

(2)大樹候補木の肥大成長を促進させるため、枝先が触れる隣接木を間伐

(3)施肥試験

などを行っており、これほどはっきりした利益を優先させない経営目的は伊勢神宮ならではと言えよう。

 次に延べる3社は、いずれも代々の山持ちで、100年生を超す高品質なヒノキ人工林をベースに持続的な林業経営を行っている。経営理念としては、経済性と公益性の両立、地域への貢献等をかかげ、速水林業と吉田本家山林部はFSC認証を取得している。速水林業が日本初の取得者であることは有名である。施業方針は、いずれも5,000本/haを超す密植造林、枝打ちを行う長伐期施業で、皆伐を抑制し、間伐を主体としているが、一般の間伐材とは全く違った高品質材が生産されている。しかし、間伐の手法は3社で微妙に違っている。

 吉田本家山林部で、私たちが見学した50年生程度の林分では、太りのよいものから間伐していた。いわゆる「なすび伐り」である。従業員の安定雇用のために、ある程度収入を上げる必要があるというのがその理由である。私のような国有林出身者には身につまされる話である。この林齢では密度も1,000本/haちょっとに落ちているから、素性の悪い木はすでに除かれており、なすび伐りをしても林分の品質が落ちることはない。

 速水林業の間伐方針は明確である。「悪いものから伐る」のである。3社に共通して言えることだが、B材全盛期になろうとしている昨今、全くぶれることなく高品質材生産に邁進している。これもやはり尾鷲林業の伝統が培った独自の流通・市場の賜物であろう。とても駆け出し林業地の真似するところではない。

 速水林業で感心したのは、イタリア製のハーベスタである。この手の林業機械のほとんどが土木系のベースマシンを改造しているが、これは上から下まで林業専用機として開発されたもので、長大な木材を扱うのに適しているそうだ。従業員の安全のためだそうで、これも国有林人として納得である。

 ただし、省力化のため、全木枝打ちを選木枝打ちに、間伐前の下刈りの廃止を検討しているそうであるが、国有林の場合は、はじめから選木枝打ちであり、間伐前の下刈りなど工種にない。国有林の方が進んでいる部分もあるのだなあ。

 濱口林業は、「尾鷲ヒノキ柱材生産育林管理図」を基本として、植栽、下刈り、枝打ち、間伐作業を適期に行うという典型的な尾鷲林業である。もちろん50年生以降は大径材生産へ移行する。ここの林業作業はすべて請負のようであり、間伐木の選木にも直接雇用の従業員と違った配慮があるように思われた。

 さて、和次郎さんから投げかけられた間伐指標林という命題に立ち返ってみたい。

 伊勢神宮を含めて4社の施業は、それぞれの経営理念・経営方針に基づいた指標となりうるものではなかろうか。そもそも施業は、森林経営者によって百人百様のはずである。他の産業ではそれが当たり前なのに、林業だけはいつになってもお役所主導の準統制経済から抜けきれないのである。

 すばらしいことにこれらの各社の施業林では、幼齢林から超高齢級林までの様々なステージを並べて見ることが可能である。たとえば40年生でこのような間伐をすれば、100年生ではおおむねどのような森林になるかを検証することができるのである。このような面的なそして時間的な広がりを持ってこそ指標林としての意味があるのだろう。

 全国にはまだまだ様々な指標林があるに違いない。尾鷲や吉野といった有名林業地に限らず、造林補助金で作られた3,000本植えの極当たり前の造林地でも、高邁な経営者によって指標にたる施業をされた森林があるはずであり、すでに発掘されているものも多いと思う。これらを再編整理して、広く林業者に紹介すべきであろう。

 和次郎さん達には、どういう経営目的で、誰を対象にした指標林であるかといった基本的な部分を明確にするよう再度検討してもらいたい。

 かれこれ30年も前、私が四万十川流域で森林官をしていたころ、特別経営時代に植林された70〜80年生のヒノキ人工林を伐採した。無間伐林だったらしく、自然淘汰で枯れた木があちこちに見られ、間違えて枯死木に輪尺を当てると枯れ枝が落ちてきた。しかし、丸太は、目詰まりがよく、下枝も枯れ上がっているので高価、おまけに本数・蓄積が多い(最多密度)ので林分全体の収入も高かった。以来、「3,000本植えなら無間伐でもよい」が私の信条であるが、これも一つの施業である。確かに林床は暗く、下層植生は貧困であったが、30〜40度の傾斜にもかかわらず、表土の流失など起きていなかった。外見も決して「かわいそうな山」ではなかった。むしろ手を入れたことにより、かわいそうな山になった事例をその後多く見たが・・・。

 私にとって、森林施業の多様さを改めて認識するよい機会であった。

(写真7:尾鷲林業の光と影)

みえの林業を見た!

静岡県北遠農林事務所 中田理恵

 三重合宿では、木材の生産から流通加工、そして木造建造物までの一連の木材の流れを見ることができ、私にとって林業を改めて考え直すよい機会となりました。

 特に生産目標の違いが、施業の違いを生じ、その結果異なった林相となることは、知識としては理解していたものの、どこか絵空事のように感じていました。今回、伊勢神宮林と尾鷲林業という生産目標の異なる森林で生産された材や木造建造物を見て、ようやく納得できたように思います。

 伊勢神宮林では、20年に一度御社殿を造り替える「式年遷宮」に用いる大径木を短期間で生産するため、将来的に残す木を早い時期に決定し、この木の肥大生長を促進する施業を行っています。伊勢神宮内宮では、胸高直径100cmの材を使った建造物も見学し、こういった建物を立て替えるためにも20年ごとに大径木が必要になることを実感しました。立替で不要となった材は、鳥居や建造物に再利用されるとのことで、長年の疑問が解けました。

 気候、土壌が異なる尾鷲林業では、ヒノキ芯持柱角材生産を目標に、伝統的な密植集約施業により年輪の緻密な完満、通直、無節の銘柄材「尾鷲ヒノキ」を生産しています。植付け本数5,000本から8,000本、枝打ちを行い、弱度の間伐を繰り返す尾鷲地方の林は、大径木育成の伊勢神宮林とは同じ三重県内にもかかわらず異なる林でした。

 伊勢神宮林と尾鷲林業では、生産される材は全く異なりますが、どちらもどのような材を生産していくかという生産目標が明らかであり、目標達成のための施業が導入されています。どちらも1代で目標を達成することは困難であるため、長期に渡る経営理念の継承が行われていました。「なんとなく長伐期」の林を見慣れ、「なんとなく?針広混交林化」が導入されつつあるのではと感じていることもあり、教科書的な事例である「明確な生産目標を持って経営される林業」が新鮮に感じました。

 また、木材コンビナート ウッドピア松坂では、各地で生産された材を選別し、流通、加工していました。木材を商品としてどのように売るか、活用して行くかを考えさせられました。

 三重合宿に参加して、林業は世代をまたぐ長期の仕事であり、森林の将来を見据えた施業が肝要であるというあたりまえのことに気付かされました。そして、身近な地域の林業について、何も見ていなかったと反省しました。この実り多い三重合宿を企画、運営した森林施業研究会の皆様、三重県科学技術振興センターの島田様、大変お世話になりありがとうございました。また御教授いただいた視察先の皆様、参加者の皆様、ありがとうございました。

<編集後記>

 今年もツキノワグマが里に下り、人間との不幸な遭遇が多数発生した。その結果、実に4300頭以上もの熊が射殺されたその背景に、山のナリが悪かったことが指摘された。その一方、こうした山のナリとは関係なく、彼らの生活環境が悪化していることを挙げる人もいる。拡大造林により広葉樹の面積が減り、住処がなくなったとの主張から、最近では人の手が入らなくなった里山が荒れて、野生動物の住処となっているとまで(何となく矛盾するが)。クマが出て、シカが出て、イノシシが出て、サルが出る。それが全て山が荒れたせいだという。しかし、いったい山が荒れるとはどういうことなのだろうか?山が荒れる、あるいは荒廃するということは、森林が破壊、衰退、消失することを意味するはずなのだが、日本に限っては、人の手が入らなくなって、きれいではない状態を指すようである。しかし、こうした状態は森林が自然の姿を取り戻す過程であり、一概に悪いとは言い切れないように思うのだが・・・。新聞・TVなどマスコミは、山が荒れて、自然災害は多発する!水が枯れる、汚れる!クマが出る、シカが出る!果ては花粉症が増加する!と騒ぐが、何でもかんでも森林のせいにし、あたかも人が自然(森林)を完全に管理することが“善”だなどと考えて欲しくないね。もっとも、それをネタに金儲けをしょうとする輩もいるから、人間社会もたくましい(狢)。

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