木霊 (TARUSU)
森林施業研究会ニュ−ズ・レター  No.36 2007.03.06.
Newsletter of the Forest Management and Research Network


第12回森林施業研究会シンポジウム(日本森林学会大会関連集会)

「強度間伐」で勝負をする? シンポジウムのビラがあります(PDFファイル294KB)

今回のお題は、いよいよ話題の強度間伐です。施業研究会が取り上げるからといって、一面的な批判に終ることはありません。「やるべきだ」「やらざるを得ない」「もう少し考えよう」「やってはいけない」といった様々な立場からの議論を、ディベート形式をとりながら深めたいと思います。演ずるのは以下の4名。だれが善玉か仇役か、考えるのは皆さんです。

 趣旨説明               代表:鈴木和次郎

 1. 強度間伐は難しい(技術論として) 岐阜県森林研究所・横井秀一
 2. 強度間伐はできる(技術論として) 琉球大学農学部・谷口真吾
 3. 強度間伐は問題だ(政策・経営論として) 森林総合研究所研関西支所・大住克博
 4. 強度間伐でいこう(政策・経営論として) 山口県林業指導センター・山田隆信第

場所:九州大学 理学部2号館K会場

日時:4月4日 9時〜12時

 

特集:国有林は何が変わり、何が変わらなかったのか

−自然保護運動からの視点−

写真1:伐採され、土場に集められたブナ(青森県下北半島)

自然保護の現場から見続けた国有林

望月達也(花巻のブナ原生林に守られる市民の会)

私が事務局を担当している会の名前は「花巻のブナ原生林に守られる市民の会」といい、1988年5月16日に結成され、来年は20周年を迎えます。

「守られる」は、この地に宮沢賢治がいたからです。花巻市西部のブナ等天然林の激しい伐採が進むなか、発足当初から市や県を巻き込み、営林署を窓口として旧青森営林局や林野庁までも直訴を重ね、5年後の1993年には最後の砦の「禁伐」を勝ち得ました。しかしその間も奥山のブナ林の伐採は止まらず、むしろ「早く切っちまえ」というような大規模な面積の伐採が横行しました。

 当時は、クマゲラが病魔を止める特効薬だったこともあり、まるで宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩のように、西にブナの伐採計画(栗駒)があれば行ってクマゲラを探し、南に大規模林道問題(朝日)あれば行ってクマゲラを探し、北にスキー場拡張計画(岩木山)があれば行ってクマゲラを探し、というように駆けずり回っていました。

 やがてもうだいたい切る所がなくなったこともあり、白神山地に代表されるように森林生態系保護地域ができ、病魔の進行もほとんど納まりました。そして国民の理解を得ようと、林野庁は、ソフト部門に力を入れるようになり、一部で民間との連携体制を構築しました。また、拠点防衛では間に合わなかったことから、花巻のブナ原生林に守られる市民の会と、岩手クマゲラ研究会が提唱した「グリーンベルト構想」を利用し、当時の青森森林管理局のN氏が中心となって、「奥羽山脈樹林帯構想」が出来ました。こういう背景もあり、一時、ブナの伐採対策として作られた自然保護団体も役目を終えたかと思われました。

 しかし、クマゲラは、伐採や心無い研究者やカメラマンなどの影響もあり、主な生息地である白神山地で数を減らしています。いま、クマゲラが津軽海峡を越えて渡っているか否かが大きな問題となっていて、渡っているのであれば本州でいなくなっても移送なども含めて復活する可能性がありますが、渡っていなければ「エゾクマゲラ」と「ホンドクマゲラ」に分けることになる可能性が高くなります。つまり亜種レベルで異なることになります。そんなこともあり、渡りの時期に津軽海峡で調査を始めて5年が経ち、また、北海道と本州での生態の相違を検証したり、下北と津軽半島での天然林の状況調査を重ねてきました。


写真2:天然林の伐採後、損傷を受けた小径木が残るのみ(青森県下北半島)


写真3:天然林を切り開く、伐採・搬出用の作業道(青森県下北半島)

 そして一昨年の秋、下北半島で天然林の分布調査をしていて、林道の奥で伐採され山積みされたブナを見つけたのです。その後は、次々と天然林の伐採情報が入ってきました。その中でも道南の檜山半島の伐採現場は悲惨なもので、生態系という命の連鎖を見事なまでにズタズタボロボロにしていました。かつて東北の山々を襲い蹂躙していった、さながら悪魔の復活でした。(ここでは越境伐採も行われ、これが日常的に行われていた可能性が指摘されています)

 さらに下北半島からも情報があり、キノコ採りの人たちにまぎれて奥地に入ると、ここでもすさまじい伐採が行われていました。民主党の議員が現地視察を実施した折に同行し、森林管理署の署長に「青森県のレッドデータブックでニホンツキノワグマのランクは?」と尋ねたところ「知りません」「クマタカは?」「知りません」と言っていました。

林野庁は変わったようでも、実のところ現場では木を切ることしか出来ないのだと痛感しました。もちろん、クマやクマタカを見つけていたから質問したのです。

 いったい国有林はどこに行くのでしょう。

 このままでは間違いなく「悪者」で終わってしまいます。

 口では「森を若返らせる」とか「母樹保残施業」とかいっても、結局はこの国の貴重な原自然とそこにある生態系をろくな調査もせず破壊しているのですから。もっとも現場の方は可哀相な気がします。家族、とりわけ自分の子には誇りが持てないでしょう。説明がいつか言い訳だと解かってしまう時が来てしまうと思われるからです。

 いま、国有林内の天然林を環境省に移管しようという動きが活発化しています。今後、せめぎあいが続くと思いますが、この大きなムーブメントを機会にいろいろなシュミレーションができ、結果として国有林が真の国民の財産となることと、自然度の高い森はそのままの姿で未来の子どもたちに託せるようになることを願っています。



写真4、5:伐採が予定されている天然林(北海道渡島半島)

天然林伐採問題・林野庁の動向・葛根田(かっこんだ)ブナ原生林を守る会の活動

白藤力(八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会事務局長)

葛根田ブナ原生林を守る会の活動

私たち守る会はこれまで葛根田国有林内にあるブナ原生林の伐採反対運動(開発者・国有林)、国見スキーリゾート計画反対運動(同・佐藤工業と三菱重工と雫石町)、岩手山麓山岳観光道路(奥産道)建設反対運動(同・岩手県)を展開し、いずれも中止撤回という大きな成果を獲得してきた。

そして葛根田川源流部6640ヘクタールは、その内4748ヘクタールが森林生態系保護地域に指定され、その周辺の1730ヘクタールは禁伐ゾーンなどの設定による不伐の森になったのである(保護地域と禁伐ゾーンなど不伐の森計は6477ヘクタール)。なお私は葛根田川源流部の設定委員会設定委員とその線引きなどを検討する小委員会小委員として委員会に参加した。


写真1:岩手県の豊かな自然環境を象徴する岩手山


写真2:葛根田のブナ天然林

これらの活動によって、岩手県盛岡市西方の原生林地帯において、千五百m前後の山が18、大きな川や沢が14、面積にして一万ha以上のブナ林が伐採や開発から免れた。秋田側の玉川源流部も含めれば一万六千ha以上の不伐の森が八幡平山系に出現したことになる。これらの成果が、マスコミと県内外の世論を巻き込んでではあるが、ひとつの市民運動によって実現したというのは特筆に価すると評価されている。

 もちろんこれらの成果は、多くの人々の直接間接の支援とそれを支える県内外の世論があったのであるが、その中には心ある森林労働者や営林署関係者なども含まれるのである。

 当会が呼びかけ、東北規模の実行委員会が結成され、葛根田のブナ原生林を舞台にして1990年に開催されたブナ全国集会盛岡大会は、岩手県のマスコミも大会の準備過程を含むほぼ1年間にわたって膨大なニュースを伝え、県民世論を盛り上げ、北海道から九州に及ぶ全国から700名を超える人々が集まって三日間開催されたのであるが、その参加者の中にはかなりの林業関係者も含まれていたのである。青森営林局から参加した10名ほどの方々は大勢の参加者とその熱気に驚いていた。

これまできびしい反対運動を展開してきた当会が、2002年から盛岡森林管理署(以前の営林署)と協力して岩手山の森の再生に取り組むことになったため、県内外の世論に反響を呼んでいる。マスコミも「対決から協力へ」「官民協力で岩手山の森を後世に」などと大きく報道している。


写真3:葛根田川、その減流域にブナの天然林が広がる


写真4:葛根田川部の森林生態系保護地域

 

林野行政のふたつの画期

私の目から見てこの20年間に起きた林野行政の画期は、二つある。

林業と自然保護に関する検討委員会報告

ひとつは1988年12月に提出され、原生的森林保存の緊急性と森林生態系保護地域設定を訴えた「林業と自然保護に関する検討委員会報告」である。林野庁はそれに基づいてそれまでの略奪的なブナ林伐採政策を原生林保護政策に転換し、知床、白神、葛根田川玉川源流部など大面積の保護地域を全国二六ヶ所に設定した。

この保護地域は理念や設定委員会の作り方や運営の仕方や線引きをめぐる攻防や画一的な入山禁止措置など多くの問題を含んでいるのであるが、全国各地で怒涛のように展開されたブナ林保護運動の大きな成果でもあったのである。ただし保護地域以外では貴重なブナ林の伐採が続いていたことを忘れるべきではない。例えば山形県の金目川源流部や新潟県の三面川源流のブナ林伐採反対運動などがあるのである。なお保護地域設定といっても、それらは反対運動が展開された地域にほとんどが限られているのであり、そのような動きのなかったブナ林は大部分が人知れず消失してしまったのである。私たちはそのような廃墟の上に形成されてきた日本の山岳自然を今見ているのである。

抜本的改革

もうひとつの画期は、それからちょうど10年後の1997年から1998年にかけての一連の国有林の抜本的改革である。この改革は、1998年に制定された「国有林野事業の改革のための特別措置法」などに示されている。この頃国有林経営は事実上破綻状態に陥り、累積債務は3兆8000億円にもなっていた。その内2兆8000億円は一般会計(国民の税金)で補填し、残りの一兆円は50年かけて国有林が支払うということに決められたのである。

ブナ林保護運動は20年も前から、独立採算制は廃止し、累積債務は一般会計で全額補填し、その代わり国有林は新しいスタートを切るべきだということを主張し、全国の保護団体と共に林野庁と交渉したこともあるが、まったく反応がなく、ただ聞き置くという態度だったのであるが、20年後の結果はそのようになってしまったのである。但しその補填は全額ではなく、すなわち3兆8000億円ではなく2兆8000億円だったこと、その結果一兆円の累積債務が国有林に残されたことが、思い切った新しいスタートを切ることが出来ずに、抜本的改革と言うには程遠い事態が進行し、依然として単年度収支均衡をはかるための経営優先の天然林伐採などが継続するひとつの要因になっているのではなかろうか。

行政の画一性と市民サイドの役割

行政の主な任務は法と条例の誠実な執行にある。そのため行政には保守性と画一性が不可避的に付きまとう。行政はもともと創造的な仕事は苦手なのである。そのうえ専門知識が必要となる場合も多い。それらを克服する方法としてしばしば検討委員会や諮問委員会が採用されるのである。

行政サイドの委員会にはふたつの型があると考えることができる。行政支援型の委員会と独立型・提案型の委員会である。支援型も提案型も必要なのであるが、日本の委員会はそのほとんどがこの支援型であるところに問題がある。いわゆるイエスマンの委員会と揶揄されているのはこの委員会のことである。そこでは行政の自立性も自己責任も明確ではなく、委員会や委員の役割も不明確である場合が多い。

このように考えると、行政それ自体に新しい展開を期待しても、もともと無理な場合が多いことがわかる。市民サイドとしては自立性と緊張関係を保ちながら、批判的なあるいは場合によっては対決や協調をしながら問題を提起しつづけ、国民世論を形成するという困難な課題に取り組むしか方法がないのであり、そうした方法が、憲法が保障する民主主義的ルールなのであり、1998年に成立したいわゆるNPO法の精神でもある。


写真5:岩手山を貫く奥地産業開発道路計画の反対運動の一環として自然観察会が開かれた


写真6:森林管理署との協定に基づく森づくり活動

 天然林伐採反対署名運動

天然林が今なお伐採されているというニュースを聞いた。北海道のエゾマツ、ドドマツ林、青森下北半島のヒバ・ブナ混交林、秋田の天然スギ・ブナ混交林、木曽の天然ヒノキ、高知の魚梁瀬スギ林などである。

そして天然林を救う全国連絡会を発足させ、天然林伐採反対の全国的署名運動を展開し、衆参両院議長と内閣総理大臣に提出するのだと言う。

これまで為されてきた署名運動は、知床の森を守れ、白神のブナ原生林を守れ、八幡平の葛根田川源流部のブナ原生林を守れ、などというというふうに個々の森林を取上げ、提出先も林野庁・環境庁・地方自治体・開発会社などの伐採行為に影響力を行使しうる行政機関であったのに対して、この署名運動は、問題の緊急性という点では共通であるが、天然林という一般的な角度から取り上げ、内容的にも行政改革的提案を含み、呼びかけ人には保護団体関係者だけでなく登山家や多くの著名人が参加し、提出先も総理大臣と国会という議会制民主主義が働く政治部門である点に特徴がある。

天然林伐採について

天然林伐採について、私は全国の動向はほとんど知らないが、盛岡周辺の奥山の天然林の現状から見ても、おそらくもはや切ることを許さない状況にあると推測している。

盛岡市の隣の雫石町の奥山には、かつて鶯宿スギといわれる天然スギがあったのだが今ではどこにあるのかもわからない状態である。又ヒバとブナの混交林なのだろうか、人知れず広がっている美しい森もある。そこは20年前に広く伐採されてしまったのだが、尾根筋を中心に今でも一定の広がりを持って残っている。昨年の秋、久しぶりに行ってみると、ブナの紅葉が陽光を浴びて透きとおるように輝き、しかも青々とした天然針葉樹に一層引き立てられて美しかった。この森は山菜取りのシーズン以外には訪れる人もなく、この森の価値や美しさを知る人もないかのようにひっそりとしている。この森のこれ以上の伐採が進まないよう願っている。そのほか早池峰山麓に広がっているアカエゾマツの天然林の動向も気にかかる存在である。

 

なお、天然林とは人工林に対する概念で、人工林が植林によって作られた森林を意味するのに対し、天然林は、植林によらずに自然に生成した森林と説明されている。したがって天然林には、原生的森林だけでなく、噴火や山火事のあとに自然に生まれた森林や、人為的伐採のあとに自然に再生した森林も含まれることになる。署名活動の趣旨は、天然林の内でも残り少なくなった原生状態の天然林や伐採すると再生困難なあるいは遺伝子源保存のための貴重な天然林を念頭に置いているものと考えられる。

 

天然林保護行政のあり方

署名運動のもうひとつのテーマは、「天然林を林野庁から環境省に移管し、環境省に天然林課を設けて、天然林保護行政は環境省が遂行するべきだ。もはや天然林保護行政を林野庁には任せるべきではなく、林野庁は人工林だけを所管し木材生産に専念するべきだ。」というものである。

環境省が担当する天然林課というのはなんとなくイメージしにくいのであるが、国有林は現在、統廃合と人員削減によって予算も人員も極端に少なくなり、そして又林業の展望もないままに借金一兆円を50年かけて返済しなければならないという苦境に陥っている。その現状と天然林保護の緊急性を考えると、わかりやすいひとつの提案であり、天然林保護政策を前進させるための緊急的な措置あるいは経過的な措置として考えれば、ひとつの選択肢であるかもしれない。

移管される天然林の範囲であるが、署名運動が提起しているのは、森林生態系保護地域を含む現在国有林内にあるとされる天然林461万ヘクタールを環境省に移管せよということであるから、その範囲は明確であるように思われる。

 

新しい森林基本法制定の必要性

現在の林業基本法は、林業経営を基本にした法律で、生態系・環境・山村崩壊・森林破壊が進む今日の地球の森林の危機の問題、そして又地球の森食い虫と批判されている日本の問題がまったく視野に入っておらず、そこからは森林行政の新しい方向は生まれようがない。

そこで問題をより根本的に考え、天然林・人工林を含む森林政策の全体が、様々な観点からのより総合的で根本的な転換の必要性が主張されている。この主張は森を支える社会作りの提案でもある。そうした観点から、林業基本法に代わる新しい森林の基本法を制定するべきだという提案が各方面からなされている。

この原稿を書いている最中に岩手日報朝刊(2007年2月20日)は、「全国2600の集落消滅の危機−400カ所は10年以内に−過疎地衰退歯止めなく」という衝撃的な見出しで国土交通省の過疎地域集落調査結果を一面トップで報道している。これによれば東北地方にある過疎地域集落数は12727あり、その内10年以内に消滅するのは65、いずれ消滅するのは340だという。中国地方、九州、四国はもっと多くが消滅し、北海道・関東や中部・近畿その他の地域でもそれに匹敵する事態が進行するという。

大正世代や昭和初期世代の方々が生存しているうちに、そして又戦前戦後の山村経験者や林業労働者が元気なうちに、何かをはじめなければと思う。日本の英知を結集して、新しい森林の基本法(あるいは森林の保護宣言とか山村保護宣言みたいなもの)を制定する動きにも注目したい。そのためには研究活動や市民活動や生態系を考えた林業の実践などを含む日本各地の森林を支える様々な取り組みの経験がもっと蓄積されることが必要である。今日の先進国の政治的潮流と経済システムは欲望の体制である。それが少しでも克服され、やがてそういう大きな転換が日本と地球にもたらされる日がはたして来るのだろうか。


写真7:岩手山森づくりの一環として取り組まれる樹木名木札活動


写真8:冬季調査活動中の筆者

 

岩手山森づくり協定と岩手山の森づくり

私たちは、岩手山の多様な森と自然を後世に伝えるために、そして又岩手山の森が多くの人々によって支えられるために、2002年末(12.13)、岩手山を管理する林野庁盛岡森林管理署と森の再生に関する協定を締結した。その名称は「岩手山における森づくりと自然保護活動に関する協定」(略称・岩手山森づくり協定)である。

対象地域は、岩手山を東西南北に取り囲む7500haという広大な森である。標高も山麓の180mから山頂の2038mに及んでいる。そこにはオオシラビソ林やブナ林などの原生的自然だけでなく、カラマツやアカマツなどの針葉樹人工林や広葉樹林などの多様な自然が広がっている。

協定は、その名称や目的などを含めて、当会と盛岡森林管理署との意見交換の到達点を明文化したもので、岩手山方式とも言うべきオリジナルな協定である。行政作成型あるいは行政主導型の協定ではなく、双方の主体性・自立性の尊重と双方の創意工夫によって作成されたものである。それが一定の曲折を経て林野庁によって承認された。一般的包括的協定であるところに特徴がある。双方にとってひとつの大きな試みである。そこには様々な問題提起が含まれている。この協定を基礎にして、具体的なプランを立て、場所を探し、実行に移すのである。もちろん双方の主体性は最大限尊重される。

もうひとつの森

守る会は1994年に、「はるかなるブナの森」という本を自費出版し、その中のエッセーで私は次のように書いたことがある。

『ブナの原生林が絶滅の危機に瀕しているから残さなければならない。これは文化的な要求だともいえる。現世代の後世代に対する道徳的な責務だともいえる。(中略)。

ところで森林には「原生的森林」のほかに「生活や生産と結びついたもうひとつの森林」がある。たとえば里山とか二次林といわれる森林である。この森にも自然がある。80年代から今日までの私たちの運動は、原生的森林からの、そのまた一部の森からの、ささやかなアピールにすぎないのである。

「大部分を占めるもうひとつの森」は、どのような問題をはらんでおり、そしていつ、どのような経過をたどって甦るのか。それをだれかが問わなければならない。』と。

そして今、岩手県の自然の象徴であり、詩人石川啄木によって「ふるさとの山」と歌われ、宮沢賢治が思索をめぐらした岩手山において、「大部分を占めるもうひとつの森」の問題にとりくむことになった。「ブナ原生林」から「もうひとつの森」への取り組みは、私たちにとって自然な流れでもある。

現在、「ふるさとの山のすそ野にその土地固有の風土が育てた自然の森を作ろう」と呼びかけながら、生態系と市民参加をキーワードにした自然観察学習の森づくりに取り組んでいる。

はたしてこの取り組みによって地球規模の森林再生運動の一翼を担うことができるであろうか。今後の推移に注目していただきたい。

なお、2006年5月に、「岩手山の森づくり−ふるさとの山のすそ野に風土の森を育てましょう」という小冊子を発行した(B5版64ページ)。4月初めに増刷予定。希望者は、当会まで。

八幡平の葛根田ブナ原生林を守る会

〒020-0064岩手県盛岡市梨木町4−30(白藤方) tel fax 019-651-1760

  kakkondagawa@hotmail.com   http://morioka.cool.ne.jp/kakkonda/

 

続・主張する森林施業論<1>

人工林の再生に特効薬はあるのだろうか?

大住克博(研究会事務局)

展望を失った人工林管理からの脱却

現在の国内の森林そして林業の置かれた困難な状況には、正直なところ技術者の一人として途方にくれるのを感じます。価格の低迷からくる林業の不振、山村の過疎と山林労働者の減少、そしてその結果として放置される人工林。先人の多大な努力と投資によって築き上げられてきた針葉樹人工林を、この先、社会の中でどう位置づけ、どのように管理していけば良いのでしょうか? 展望は、なかなか得られません。

そのような状況の中で、針葉樹人工林から脱却していこうという動きが盛んです。その一つは、管理の主目的を木材生産から公益的機能の発揮に移し、社会から資金を得て水源林・環境林として整備していこうという動きです。そして、もう一つはより消極的な目的によりますが、今後維持管理できなくなるだろう奥地などの人工林を天然林化させることで、人手をかけなくても自律的に維持される「介護のいらない」森林に変えていこうというものです。どちらの場合も多くは、天然力を利用して広葉樹を導入し、天然林に近い構造を持った針広混交林あるいは広葉樹林に誘導することが想定されています。

 

容易ではない広葉樹林化

では、そのための施業技術は整備されているのでしょうか? 一般的には、強度の間伐や択伐といった抜き伐りを行い、林の中を明るくすることで広葉樹が芽生え育ってくるという道筋が描かれています。しかし強度の抜き伐りは、台風や雪による被害を引き起こしやすいとして、長年、林業技術の中では慎重に扱われてきました。また、天然力により次代の森林を作る天然更新法は、20世紀初頭に恒続林思想の影響を受けて以来百年の間、多くの研究と試行が重ねられてきましたが、現在までに広葉樹について事業規模で実施できるような信頼性の高い技術体系が確立しているのは、伝統的な薪炭コナラ林などの萌芽更新を除けば、北海道のカンバ類ぐらいのものでしょう。

 広葉樹林への転換は、関東南部から近畿・中国にかけての西日本では、より難しいものになると思います。強度の抜き伐りのリスクは、台風の頻度が高いこの地帯で一層高まるでしょう。さらに天然更新については、暖温帯は冷温帯と異なり、カンバ類のような風で種子が遠くまで散布される高木種を欠いていることが大きな障害となります。いっそ四国や九州のような暖温帯の中心部に行けば、カシやシイ類などの耐陰性が高い常緑樹の稚樹がしばしば針葉樹人工林の林床に進入することが知られていますが、暖温帯もこの地帯まで来ると、常緑高木種の進入は旺盛ではありません。したがって人工林を転換するといっても、具体的にどんな種からなるどんな高木林に持っていけるのか、なかなか想像がつかないのです。

現実にこの地帯でもっとも一般的な広葉樹高木は、コナラやアベマキなどのナラ類でしょう。しかしナラ類は種子が重く、風で広範囲に散布されることもありませんし、ホオノキのように前世代の種子が土壌中に温存されていることもありません。したがって、広い針葉樹人工林の真ん中に、これらのナラ類が進入することは容易ではないと思います。運良く芽生えたとしても、成長にはかなりの明るさを必要とする樹種なので、強度間伐程度の疎開では、その後育っていかないでしょう。コナラがだめなら、ケヤキはどうでしょうか? ケヤキはしかし、川沿いや急な岩石地に限られた立地を持つ樹種で、山地全域で天然更新を期待するのは無理でしょう。クリはクリタマバチが出てしまいます。サクラ類やカエデ類もナラ林の主要な混交種ではありますが、観光地の植栽ならともかく、それらだけで安定した林分をつくるとは思えません。西日本の暖温帯で一般的にみられる広葉樹といえば、他にはミズキやコシアブラ、ソヨゴ、あるいは伐採跡に盛んに発生するアカメガシワやカラスザンショウなどが挙げられます。しかし、いずれも基本的に亜高木種であり樹高が低く寿命も短いので、それらが生えたとしても、スギやヒノキにくらべて安定的で公益的機能の高い森林を形成したとはとてもいえません。

さらに加えて、最近ではシカやサルなどの食害も大きな問題でしょう。費用をかけて保護柵等を設置しなければ、たとえ稚樹が芽生えたとしても、あっという間に全滅してしまいます。このように考えてくると、針広混交林化・広葉樹林化は技術的に手詰まりの感が深いのです。

広がりを見せる新たな管理手法

 私のような従来の林業技術者が手をこまねいている一方で、新たな管理手法の提案と実践が、林業・森林管理の現場や市民活動の間で急速に広がりつつあります。筆頭は、言うまでも無く鋸谷式間伐でしょう。これは、福井県の多雪地帯において、主としてスギの人工林を低密度で管理し、より雪害に強い健全な森林に仕立てていくために編み出されたものです。鋸谷式間伐には、低密度管理以外にも将来まで残していく木の選定を優先する選木法など、重要な考えが盛り込まれています。さらに評価すべきは、それらを初心者でも戸惑わずに実行できるような、行き届いたマニュアルとして示していることです。従来の間伐指針の多くは、密度管理図の対数グラフで示されるような数値情報を中心に置いたもので、馴染みのない人には取り付きにくい上に、数値で示された間伐指標を実現するためには、どのように間伐木を選定していくべきかといった具体性に乏しいきらいがありました。鋸谷式間伐マニュアルの平易さと実用性は、この点で画期をなすものでした。

しかし私は、鋸谷式間伐自体には一定の評価をしますが、最近、それが多雪地帯における人工林低密度管理法という本来の姿ではなく、強度間伐手法、針広混交林化手法として流布していることには強い疑問を抱いています。低密度管理とは、林分が若いうちから間伐を繰り返し、常に少なめの本数で育てていくことであり、一度に大きく本数を減らす強度間伐とは、結果の本数は同じでも、間伐後の林分構造、そして間伐効果や気象害に対するリスクが全く異なります(図参照)。さらに問題なのは、鋸谷式間伐法には更新技術の裏づけが無いことです。林に伐採で穴を開けて明るくするだけで、随意に広葉樹林が成立するという図式を全国に当てはめるのは、前段でお話したように楽観に過ぎます。あくまで多雪地帯の低密度管理手法であった鋸谷式間伐を、人工林の広葉樹公益林転換手法として全国に当てはめるのは、行き過ぎだと考えます。

技術不信が生みだす新手法への過剰な信頼

 鋸谷式間伐は、なぜこれほど草の根レベルで広まったのでしょうか? 私はその優れたマニュアルに加えて、そこには人々の既存の林業技術に対する不信があるのだと思います。もはや現状を解決する能力の無い既存の林業技術者には任せておけない、放置され高密度化した人工林を一刻も早く救わねば、という切実な思いを抱いた人々にとって、「強度間伐」による「広葉樹林への転換」という道筋を示してくれる鋸谷式間伐は、きっと救世主と映ったことでしょう。

 新しい考え・手法をカリスマ的に受けいれるという同様な傾向は、潜在植生を至上とする植樹運動にも感じます。もちろん、以前は木材生産のためのスギやヒノキ、あるいは公害に強いことを取り柄とする外国産の樹種の植栽がもっぱらであった国内の緑化方式を、生態学的情報に基づいたものに変えるべきだと宮脇昭氏が提唱されたことには、実に大きな意義があったと思います。

 しかし、この運動が社会に広がる中で、少し硬直化してはいないでしょうか。生態緑化においては鎮守の森、特に関東以西ではその照葉樹林をお手本とし、シラカシやタブなどの常緑広葉樹の植栽を柱に据えます。しかし最近の研究では、その鎮守の森の多くは、実は明治以降に植樹され整備されたものであったことが明らかにされつつあります。他方、私たちになじみが深かったもう一つの郷土の自然・里山の落葉樹林などの二次的生態系の価値は、生態緑化の流れの中で軽視されてきたのではないでしょうか。歴史的にも面積的にも、日本の風土は里山林のような二次的な森林と強いつながりを持ってきたはずです。再生する森林の目標を潜在植生に置くのは、常に正しいとは限らないでしょう。さらに生態緑化では、数種の常緑樹種が植栽に重用される中で、地域ごとの植物相の特徴や、植栽による遺伝子撹乱の問題なども無視されがちであったと思います。

時間をかけて観察し、考え、議論しよう

 森林は場所により歴史により多様です。また、関わる人々の森林に対する思いも様々なはずです。したがって、一つの手法をカリスマとして無条件に受け入れてしまえば、あるいはそれを万能薬であると拡大解釈してしまえば、昔、木材生産力の増強のみに走った時代と同様な間違いを、再び繰り返しかねません。それらの手法を一つの教科書として参照しながらも、それぞれの場所、状況に応じて、解釈し直してあてはめていくべきだと思います。

樹木は長い寿命を持ち、森林は長い歴史の結果として形成されていきます。今、私たちが一つの型で森林管理を行えば、それはその後、半世紀、いや一世紀以上の間、大きな影響を残すでしょう。ですから、実行の前にまず森林をよく観察し、あわてずに十分考え、議論していただきたいのです。私たち「既存の」林業技術者も、そこに加わりたいと思っています。

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筆者追記:この小文は、特定非営利活動法人・森づくりフォーラムの機関紙3月号に寄稿したものですが、森作りフォーラムのご好意により原文に図などを加えて転載しました。

 

 内容の多くは昨年の強度間伐特集と重なりますが、今回の記事で私が注意を喚起したいと思っていることは、強度間伐や広葉樹林化そのものではなく、林業界(特に政策担当者・技術者)の外で、燎原の火のように上記のような新たな手法が広まりつつあるということです。インターネットで検索すれば、あまたの記事が出てきます。いわく「**技術を知って目からウロコだった」「**さんの話を聞いて、元気をもらった」・・・。

 もちろん、上記のような新手法のカリスマ性や技術的な不完全さを指摘することは容易であり、それも必要なことだと思います。しかし、私たち技術者・研究者がもう一つ考えなければいけないと思うのは、このようなカリスマの出現を招いているのは、実は私たちの不十分さではなかったかということです。市民の持つ森林・森林環境再生に対する切実な思いを、きちんと受け止め理解していたか? 林業・森林管理者として、真にビジョンを持ちそれを鍛え、自分の言葉としてきたか? 現在持っているビジョンや技術を、社会に伝えようとしてきたか? いくつかの試みはあるとは思いますが、状況を見れば、やはり人々の心に十分には響いていないのだと思います。私自身も全く何もしてこなかったなぁと感じます。

 では、私たちも資料や情報をかき集めて「カリスマ」に対抗できるようなストーリーを提供すれば良いのかというと、そこにも大きな問題があると思います。強度間伐や針葉樹人工林の広葉樹林化は重要な選択肢ではあるものの、判断に供する情報もデータも不十分で、技術的に未完成であることはこれまでたびたび論じてきたとおりです。それを振り回せば、私たちも結局五十歩百歩ということであり、結果として「プロである」林業者・森林管理者への不信を増すだけに終るでしょう。

 私は、プロの技術というものが備えるべき条件の一つに、それが解決できる能力(効能書き)とともに、その技術の信頼性、限界(注意書き)もきちんと示されていること、があると思います。ことに林業技術は結果が出るまでに時間がかかり検証が難しいので、このプロ意識を強く持たないと、技術者もただの素人集団になりかねません。

 カリスマ性の高い新手法の流布に対して私たちがすべきことは、まず、自然条件(+社会条件)に多くを依存する林業・森林管理技術のできること、できないことを誠実に示し、社会に伝えていくことだと考えます。(了)

<編集後記>

「美しい日本づくり」の「美しい森林づくり推進国民運動」なるものが業界筋で進められようとしている。内容はと見ると相変わらずの人工林の間伐推進、その理由付けも木材生産から国土保全、水源涵養、生物多様性の保全、温暖化対策などなど、従来の森林整備事業同様、代わり映えしない内容。これでは林野予算獲得の方便と受け取られても仕方がない。「美しい日本」がどういうものを指すのか定かではないが、「美しい森林」と言うのも漠として判らない。かつての豊かな日本の自然環境を誇った天然林は、戦後の林力増強を目指す拡大造林によって急速に失われ、針葉樹人工林へと転換していった。しかし、その人工林造成に求められた木材生産は、環境重視の施策の中で行き場を失っている。一方、天然林資源の略奪的な林業からの脱却を謳い、「持続可能な森林管理」が目指すとしながら、相変わらず局所的に辛うじて残された天然林は、今なお伐採の憂き目にあっている。いったい、「美しい森林づくり」とは何か?政策立案者に問いたい。「道徳心がなくなった!」「親を、目上を尊敬しない自己中の若者が増えた」と嘆く「美しい日本と私」の世代が、彼らに何を伝え、何を残したのかを考えて欲しいものである。「美しい日本」を潰し、「美しい森林」を壊した反省なくして、「美しい日本」の再生など夢物語ではないかね?タヌキ(ムジナ)寝入り、狢の夢、そして寝言・・・・(狢)

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