木霊 (TARUSU)
森林施業研究会ニュ−ズ・レター  No.38 2007.08.08.
Newsletter of the Forest Management and Research Network


2007年森林施業研究会現地検討会(新潟合宿)への参加を!


(写真:歩道入り口から苗場山ブナ天然更新試験地を臨む)

 2007年度の森林施業研究会現地検討会は、9月下旬に新潟県湯沢町・南魚沼市を会場として開催されます。現在、関東森林管理局中越森林管理署の協力の下、準備を進めております。中越森林署(旧六日町営林署)管内には、ブナ林の天然更新施業の技術開発を目指し、設定した大規模な試験地(苗場山ブナ天然更新試験地)があり、1967年の設定より今日まで40年間の長期にわたる試験・調査が行なわれてきました。こうした試験を通じ、ブナ林の天然更新施業の標準的な施業法である皆伐母樹保残法(後の漸伐法)が提案され、国有林を中心としたブナ林施業に広く取り入れられ実行された歴史的な経過があります。しかし、このブナ天然更新施業については、過去に施業の成否や事業の是非をめぐる論議があり、また、施業後地の取り扱いが今後の大きな課題となりつつある。そこで、今回の現地検討会では、その原点ともなった苗場山ブナ天然更新試験地の40年後の実態に触れ、論議する中で、ブナ林施業の技術的総括と今後の方向を探りたいと考えます。

一方、新潟県中越地方は、日本有数の豪雪地帯で、拡大造林後のスギを中心とする人工林は、その過酷な自然環境の下で、当初期待したほどの成果が得られていない現状にあるとされる。多雪地帯のスギ人工林の実態を見る中で、何が造林地の成否を決定し、現実林分に対し、今後どのような対応が求められるのか、多雪地帯の人工林施業のあり方を検討する機会を設けたいと思います。

現実の森林は、施業の歴史的所産であり、現状の把握と過去の取り扱いの検討なくして、将来の施業方針は立たない。いざ、苗場山ブナ天然更新試験地に、豪雪地帯のスギ人工林に踏み込もう!

日時:9月26日〜28日(2泊3日)
場所:関東森林管理局・中越森林管理署管内(新潟県湯沢町、南魚沼市)
   苗場山ブナ天然更新試験地など

テーマ:(1)ブナ林の天然更新施業をどのように総括するのか?
    (2)多雪地帯の人工林施業の課題と将来

協力:関東森林管理局・中越森林管理署

参加申し込み:森林施業研究会事務局に別紙用紙を送付  f-segyo@ffpri.affrc.go.jp
申し込み締め切り 9月10日厳守
問合せ先:長池卓男(山梨県森林研究所)TEL: 0556-22-8006
     大住克博(森林総研関西支所)TEL: 075-611-1357

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参加申し込み用紙

参加者氏名:

所属:

連絡先(TEL, e-mail):

宿泊の希望(○印で)  26日泊      27日泊

交通手段 鉄道 自動車 その他(       )
その他、意見や希望

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大西洋上でスギが大事にされている島:

アゾレス諸島‐サン・ミゲル島のスギを訪ねて

福井昭一郎        

e-mail:fukui06@ybb.ne.jp
 (前・(社)日本森林技術協会)
〒197-0802 東京都あきる野市草花733-5(自宅)

在勤中、『林業技術』『森林技術』編集等で皆様には大変お世話になりました。定年を迎えた昨年、あの8月の森林施業研究会のハードでエキサイティングな中国・雲南省森林視察へ参加させていただき、俄然海外の森林にも関心が出てきました。体力と資金があるうちサン・ミゲル島へは再訪もと思っています。ご関心ある方ご連絡ください。(2007年7月)


写真1:サン・ミゲル島西部のSete Cidades地区にあるカルデラ湖。
アゾレスを代表する観光名所となっている。大方がスギ林。湖岸の集落の奥地は牧場。

 ■アルメイダ教授らと再会■

6月10日にアゾレス諸島(ポルトガル国の特別自治区)のスギ(Cryptomeria japonica)視察から帰ってきました。諸島最大のサン・ミゲル島にある首都ポンタ・デルガダに5泊して、2001年に来日したとき面識を得たリスボン大学のアルメイダ教授とカール・ファリア研究員、サン・ミゲル島の森林資源局のジョージ・ベルリーク氏ら3名と再会を果たしました。

 この期間は、今年のIUFRO森林バイオテクノロジー学会の国際大会がポンタ・デルガダ市で開催され、アルメイダ教授は大会委員、また彼ら3名はポスター部門の共同発表に臨むので、アゾレス訪問にあたっては私らも大会に登録するようにとのアドバイスを受け、厚かましくもジャーナリストとして登録した次第です。大会参加により、大会事務局が宿泊の手配をしてくれ、イベントや夕食パーティー、ランチなどで3人とは毎日顔を合わせることができました。日本からは、林木育種センターの2名、森林総研4名、王子製紙2名、日本製紙1名、理化学研究所1名の研究者が参加発表しています。(今回視察は、日本林政ジャーナリストの会・前会長の高田浩一氏と同行しました。)


 写真2:IUFRO森林バイオテクノロジー大会・発表ポスターの前で。
(左から、発表メンバーのC.Faria、M.H.Almeida、J.Bereriqueの各氏。彼らは2度来日している)

 彼らのポスター発表は、アゾレス諸島に生育するスギの由来について日本のスギとの比較についての予備試験とその考察(東北・関東・関西・九州の4ブロックのものとの比較検証、また韓国スギとの比較も行っている)で、韓国産スギとの対比にも新たな進展があったとの報告です。アゾレスのスギ研究では最新のもので大いに関心あるのですが、専門の報告なので今難渋して解読中です。

■アゾレス諸島とサン・ミゲル島の概要■

 9つの火山の島からなるアゾレス諸島は、北緯36〜39度、西経24〜31度に位置し、ポルトガル本土からおよそ1,700km離れた大西洋上にあり、うち最大の島サン・ミゲル島には温泉・カルデラ湖があります。サン・ミゲル島は、最標高1,100m、東西70km、南北最大幅16kmの細長い島で面積76,500ha(東京都の1/3ほどの大きさ)、人口は13万人ほど。島は温暖な海洋性気候で年平均気温は17℃(夏場は20℃・冬場14℃)、年平均総降水量は、1,400mm(降雨期は10月から翌年3月にかけて多い)。


写真3:サン・ミゲル島地図。東西約70km、島の西部にカルデラ湖、南側海岸の黄色マークの都市が
ポンタ・デルガダ市。東部のPico da Vara山岳地帯に、天然林保護区(2,000ha)がある。


写真4:アゾレス諸島の9つの島。サン・ミゲル島は東の位置に。

 主産業は、牧畜と酪農(土地利用では山麓一帯が広く牧場に利用されている)で他の農林業から抜きん出ています(ワイン生産のブドウ畑や、パイナップル農園もあり、お茶の栽培も行われている)。林業は、後述しますがスギ林業中心で、製材工場は島に数社あり、ほとんどがスギ材を挽き、内装板材や天井梁を製品化し諸島での消費のほかポルトガル本土へ出荷しています。


写真5:アゾレスの典型的な山間景観である牧場とスギ林(手前はスギ伐採地)

 アゾレス諸島は、火山・火口湖の景観や温泉、海洋観光などでヨーロッパでは海洋リゾート地としても知られています(首都ポンタ・デルガダには、ポルトガル本土の主要都市からのジェット機が運航、首都近郊は専用自動車道が整備されていて、市内には、3つ星・4つ星ホテルが9ホテルもあります。今回の大会(約200人が参加)この島で開催されたのも頷けます。


写真6:ポンタ・デルガダ市内中心部

 ポンタ・デルガダの街並みは広場や車道、生活道路はレンガサイズの石が隙間なく敷つめられ、市街地中心には石造り・レンガ造りの行政府建物やメイン教会(S. セバスチオン教会)と広場があります。隣接する海岸通りには現代的なモールやオフィスビル、レストランなどが並ぶ商業・繁華街地区がありますが、多くのビルは伝統の石造り・レンガ造りの白壁、また民家は白壁と橙色の屋根瓦に緑のドアとほぼ統一されていて整然と建ち並び、また教会も多く点在していてポルトガル本土の都市雰囲気が漂っていました。市内の市場を覗くと、鮮魚屋さんには蛸もありました。滞在中に食した地元産チーズは絶品でIUFRO大会のお土産の一つにもなりました(1kgのチーズ塊)。ワイン、ビール、パンも美味です。

■サン・ミゲル島のスギ視察■

 発表の合間をみて連日3人が我々を半日コースの観光地(島西部にあるSete Cidades地区のカルデラ湖や温泉地)やスギ生育地、島一番の製材所など案内してくれました。IUFRO大会中日には島巡り1日観光ツアーが組まれていましたが、我々は、これとは別に島内を巡るスギ視察ツアーを用意してもらうことになり、日本を出発する前から連絡を取り合っていた森林総研林木育種センターの渡邉敦史・栗田学氏とこの話しを知って急遽ツアー変更した森林総研の津村義彦・松本麻子両氏の総勢6名がアルメイダ教授ら4名の案内で、2台の車に分乗して島のスギ視察にでかけました。以下、島内のスギの報告です。

[スギ生産林]:標高400〜800mのところで植栽されている。アゾレスでは30年伐期の計画でDBHは30cmほどに成長している(資料では、成長量は20m3/haを超えるとある。今問題になっているのは、スギ林に根腐れを起こすナラタケ菌Armillariaによる被害と風害の対策といわれていて抵抗性品種の出現が待たれているとのこと)。島には70年生を超えるスギ林は稀とのことで、現在生育している林分は3世代以降に当たるものだという。多くは企業・個人などの民有林。行政は、放置荒廃した牧場などにスギ植栽も行っている。

サン・ミゲル島のスギは今や人工林の6割を占め、現在12,500ha分布生育しているとのこと(今回のポスター発表での数値である。以前『林業技術』報告(1999年)ではサン・ミゲル島10,600ha・アゾレス全体で15,075haと報告されていたので、その後サン・ミゲル島では1,900ha増加しており、アゾレス全体では17,000haを超えるものとなる。ちなみに東京都多摩地域のスギ林面積は、20,700ha)。


写真7:サン・ミゲル島のスギ林 3,000〜4,000本/ha植栽。間伐も行われている。
中央は風倒被害跡地ですでにスギが植栽されている。


写真8:サン・ミゲル島のスギ林の前で(筆者)

[牧場の草地を守る防風林]:スギは牧場の防風林や境界林、牧場内の凹地・小沢地形の侵食防止林として至るところで目にする。アゾレスでのスギの導入・造林へのきっかけは島特有の強風に強く成長も早いというスギであったといわれている。牧場とスギとの出合いが今の島の主産業を支えてきたものと思われる。


写真? サン・ミゲル島の牧場とスギの防風林


写真10:サン・ミゲル島の中央部標高900m付近から北側の大西洋を望む
(手前は風衝地にある牧場と下方のスギ林。島の土地利用が一望できる)

[スギ伐採現場]:島では、数ha規模の皆伐が行われている。跡地にはまたスギが植栽されているが、最近、行政府により急山腹のスギ伐採跡地には島固有樹種の植栽も始まっているという。



写真11,12: スギ伐採現場 こちらの急山腹(写真12)には、島固有樹種が植栽されるとのこと。

[森林資源局の苗畑]:島東部のフルナスの町近郊にあるアゾレス森林資源局の苗畑。スギの1年生苗床(推定25m×100m)、2年生の苗床(推定25m×100m)で草取りが行われていた。小区画の苗床ではほかにマツ(日本産ではない)やツバキも育苗されていた。こんなに広い苗畑は日本にない、とは同行メンバーの感想。現地のスギ植栽はすべて実生苗である。現在年間200万本のスギ苗が生産されているとのことで、さらに増産の計画が進められている。



写真13,14: フルナス近郊の森林資源局苗畑。 スギ1年生苗床と道を挟んで左に2年生苗床
(上の写真13)。中間地点からの撮影なのでこの2倍の規模になる

[5年目を迎えた産地試験地]:アゾレス諸島では現在の3世代を迎えるスギ林分に菌害(Armillaria菌:根株を腐朽させる)と風倒被害が増加しており、これらへの抵抗性と耐風性をもつ苗の検証試験が行われている。またアゾレスの島々のスギの個体群の遺伝的背景を探るべく、母国スギ(日本の4つのブロック(東北・関東・関西・九州)の自然集団となんと韓国産スギも加わっている)との比較検証試験も行われている。今回のIUFRO発表では、ここでの試験データがもとになっている。


写真15:スギ産地試験地にて 5年生で樹高3m超の生育をしている。(手前は津村氏と栗田氏)

[最大規模の製材工場]:サン・ミゲル島中央部にあり、ポンタ・デルガダ近郊にある。扱う材の9割はスギ材。この国の建物建築は、壁は、ブロック、レンガ造りなので柱材・柱丸太の使用はなく、木材は主に内装板材や天井梁組材に使われる。運ばれてきたスギ丸太の直径は40cm前後・年輪幅は6mm前後で10mmになるものもあり、全体に早生の感じ。この工場(乾燥施設あり)で生産された板材製品を手に持った感じは日本のスギと比べて軽量に感じた。ここでは7m長さのスギ材(断面は厚さ5?幅14?)を挽いていたが、湾曲しているものもみられた。この工場では30名ほどが勤務していたが、伐採・運搬部門も含めて従業員は60〜70名抱えているという。視察した日の工場はフル活動中であった。サン・ミゲル島でのスギ材生産は、53,000m3になっているとの報告。



写真16〜19:サン・ミゲル島では最大のブランコ製材所を視察。壁板材、フローリング材、天井梁用角材等を生産している。ベンツ製トラック(新車)が運んできたスギ丸太(16)。工場内:2ラインが自動製材化(17)。製品:年輪幅に注目(18)。経営者のブランコ氏は、敷地内にスギ内装の事務所・リビング・キッチンのモデルルームを建築中(19)であった。同氏は、スギ円盤も室内インテリアに組み入れていて、スギへの思い入れは大きい。 

[島東部のピコ・ダ・バラ天然林特別保護区(約2,000ha)]:島東部の奥地Pico da Vara山岳地(1,103m)にあって1988年に指定され保護されている。当保護区には、ヒイラギ(ilex perado ssp. Azorico)、月桂樹((Lourus azorlca)、ヒマラヤスギ(Juniperus brevifolia)などの生育やノスリ類などが生息している。眺望箇所からの展望は隣接してスギ林が迫っていた。(『林業技術』685号(1999年4月号)でカーラ・ファリアさんらが寄稿された記事には、植民が開始された15世紀頃には、Juniperus brevifolia、Picconia excelsa D.C.、Rhamnus Lactifolius L heritierやその他の樹種の森林があったと記述されている)。


写真21:ピコ・ダ・バラ天然林特別保護区。1988年島の最標高ピコ・ダ・バラ山(1,103m)
一帯に設定された(1,982ha)

[スギ花粉症問題]:訪問して気になっていたことを聞きましたーアゾレス諸島にスギ花粉症問題は起きているのかと。応えは、「無し」。海岸線までわずかな距離しかなく島特有の強風が常時あるので、花粉は四散して海へ。島の住民には話題にもならないとのこと。日本では、森林の研究者でも花粉症にかかる人がいると話すと大いに笑っていました。

[トピックス:教会とスギ]:ポルトガル国の祝日には教会のフェスタ行事も含まれています。6月7日(木)は、教会フェスタの日で、官庁・学校・商店も休日になっていました。明日サン・ミゲル島を離れ帰国することになるので、祝日とは知らず、お昼に大会会場からお土産など物色しに街中へ出かけましたが、店はすべて閉店ばかりで、中心広場に出るとメイン教会のS.セバスチオン教会でミサが行われており、一般者も中へ入れるとのことで私も中へ入れてもらい、教会の荘厳な雰囲気に初めて触れることとなりました。

 夕刻になって、この教会の裏通りあたりを通ると、なにやらパレードがあったようで楽器をもった人たちがたむろしていて、通り(車道)の中央にスギの葉が敷詰められS.セバスチオン教会の方へ続いています。教会正面玄関近くまで来ますとスギの葉の上に色とりどりの花びらがまかれ、教会の正面玄関階段まで続いていました。昼間のミサの後、司祭のパレードがここを通ったと思われます。思いがけずこの光景を目にすることができ、アゾレスへ渡ったスギが市民権を得ているのだな、とあらためて思った次第です(翌日ポンタ・デルガダ空港の出発ゲート待合ロビーでアゾレスの紹介のTV画面が流されていましたが、司祭のパレードがスギの葉ロードを歩いているシーンも出てきました)。



写真21,22 スギの葉ロード S.セバスチオン教会(主教会)玄関から約200m続いている(6月7日夕刻)。

■アゾレス諸島へのスギ導入の経緯■

 先のカーラ・ファリアさんらが寄稿した記事には、15世紀にポルトガル本国からの植民が始まって以来、島の森林資源は、建物や土木資材、農地・牧場開拓や燃料として切られていき、18世紀には枯渇したということです。森林の壊滅は、降雨や島の強風も加わって土壌の流出・浸食にさらされ、これらの防止に森林の造成が必要と気づき、Pinus pinaster AitとCedrusが導入され、以降、成長力の早い外来樹種導入が進んだとあります。

 日本のスギは19世紀の中頃に最初は鑑賞樹としてサン・ミゲル島に持ち込まれたとのこと。その後は、スギが他の導入樹種と比べて耐風性があり、また成長スピード大きく島の造林樹種として他の樹種を凌駕していったとのことです(1934年以降はスギの単一植栽体制が確立していたとの記述)。第二次大戦時期は伐採跡地への再造林の規制が緩和され、森林面積が急速に減少(1951年にはサン・ミゲル島面積の5%にまで激減)したことから、再びスギを中心とした造林が始められ、現在の姿になっているそうです(サン・ミゲル島面積の29%が森林。スギは森林の5割を占めている)。

■明治期における日本とヨーロッパとの樹木種子の交流■

 19世紀中葉といえば日本は幕末から明治の時代に当たります。明治政府はさまざまな分野で欧米先進国との交流を図り産業振興、国威高揚に努めました。林学・林政畑でも多くの留学生が送り出されました(明治年間で延べ83名)。またこの時代にはヨーロッパでは明治期だけでも5回万国博覧会が開催され、毎回山林局も出品しています。このうち明治17年の英国エジンバラ万国森林博には材鑑や伐木運材模型などの林産物1,100余種を出品したとあります。この万博がきっかけでフランスのナンシー森林高等学校に留学していた高島得三のはからいで留学先の校長ら5名が、大日本山林会へ入会した(明治21年)などの交流も生まれています(大日本山林会報・81号の会務記事)。

 これらの時間・空間のどこかで日本産樹木種子がヨーロッパに渡っていたのかなとの思いも膨らんだりして、明治期の文献・刊行物など探していたところ、そのものズバリの史料が見つかりました。『駒場農学校等史料』(安藤圓秀 編 東京大学出版会1,168p 昭和41年刊)です。タイトルには出ていませんが「山林局樹木試験場(別注参照)」・「東京山林学校」の史料も300ページにわたり編纂されていて、この中に、明治14年(1881年)6月に、ポルトガル政府(横浜領事館)からの要請が外務省を通して農商務省にあり、同年12月山林局(樹木試験場)が全国から樹木種子を集め、農商務省が外務省へこれらの樹種を納付したとする一連の公文書(4文書)とともに納付した全樹種のリスト(スギを含めて116種。材鑑や乾さく葉も含めると146樹種)の記録がありました。面白いのは途中の経過で、外務省からの依頼に、農商務省が山林局においてかねて調査している有用樹種140-150種を用意したいと回答(7月)していたことに対し、同年9月に外務省から農商務省に対し、その後山林局から音沙汰ないとの催促の文書も一緒にありました(種実が実るのは秋に多いのに。それでも山林局は12月までに何とか116種までそろえて外務省へ納入しました)。


写真23:『駒場農学校等史料』(安藤圓秀 編 東京大学出版会)

写真24:「葡国ヘ本邦樹木種子見本送付ノ件(明治14年12月)」(同書より)


写真25:送付された樹種リスト(同書より抜粋)(スギ、ヒノキ、クロマツ、アカマツ、ツバキ、ヤマザクラ、クヌギ、ヤマハンノキ等の樹木種子116種が掲げられている。116種の送付種子は追記欄に掲げた。)

 日本からポルトガルへスギを含む樹木種子が送られた時期は、アゾレス諸島へ海外樹種を導入していた時期とも符号しています。当時ポルトガル政府へ納付された日本産樹木種子がその後どういう経緯でアゾレスへ入ったかは不明です。また当時は、ポルトガルばかりでなくフランス、英国、ドイツ等とも交流の事跡がありますので、新しい事実が見つかるかも知れません。ポルトガルへの日本からの樹木種子送付の内容は、『林業技術』711号(2001年6月号)で報告していますので、こちらをご覧ください。

注)樹木試験場:明治10年内務省地理局山林課の施設として、東京府下、西ヶ原に設置された。明治14年農商務省へ移管。明治15年隣接地に山林局山林学校(東京山林学校)が設置され樹木試験場は山林学校に付属することに。明治19年東京山林学校は駒場農学校と統合され東京農林学校となる(東京大学農学部の前身)。

■アゾレス諸島(サン・ミゲル島)のスギ見聞を終えて■

 今回訪問の印象として、アゾレスのスギが島民に評価されてきた理由の上位には、島の主産業となっている牧畜・酪農業にとって欠かせない牧場の防風林の存在(良質の草地・牧草の形成)があったとものと思います。なんといっても牧場主のスギへの信頼が島への受け入れを容易にしたのではないかと思われます。次に来るのが、山腹の保全への貢献、火山性の土壌、島特有の強風にも耐え標高800mまで生育可能なスギは島の守護神として島民に受け入れられたことでしょう。スギは山腹の保全に大きく貢献し、観光地にもなっているカルデラ湖や集落の水源・飲料水を守っています。木材の生産はこれらの後に続くものと思われます。植栽は、3,000〜4,000本/ha、間伐が行われていますが、間伐は用材目的というより健全な林分保持の観点からにみえます。建築構造材の生産が主目的となっている日本のスギと評価の視点が異なっているようです。しかしながら、アゾレスの研究者や技術者、林業家、製材業者に日本の構造材として使われているスギ材の緻密さを見てもらうとまた別の反応があるかなとも思っています。

 アゾレス諸島へのスギ導入の歴史と島の生態系との関わりなどについては、今後論じられていくことと思いますが、日本のスギの生命力には驚かされます。

 アゾレスにおける現在のスギの研究推進は、狭い島々の中で世代を重ねてきたスギ林分に発生している菌害への克服と風倒の軽減がメインのようです。アルメイダ教授らの1998年7月の初来日および2001年6月の再来日は、多様な遺伝子を抱える母国日本のスギを知るためでした。これらの成果は、今現地の産地試験地で検証が行われています。

島の活力源ともなっているアゾレス諸島のスギについては、もっと広範囲の日本との交流が望まれます。

追記:1.アルメイダ教授らが来日したとき鑑定用に持参したスギ穂から育った苗が林木育種センター苗畑(茨城県・日立市)で順調に生育しています。今回訪問では、渡邉敦史室長、栗田学氏から、同苗畑で育っているアゾレス産スギの成長写真とそのDVDが贈呈されました(写真26)。


写真26

2.1881年、ポルトガル政府からの要請で、日本から送られたスギを含む樹木樹種リストや送付の経緯等の史料の紹介記事は、英文レポートで土産の一つとしました。ほかに日本の木造住宅の棟上時の写真など。

3.明治14年(1881年)12月、日本からポルトガルへ送付された樹木種子(116種・掲載順・樹木名は、記載のまま表示)1.ヒノキ、2.サワラ、3.ビャクダン、4.スギ、5.クロマツ、6.アカマツ、7.テウセンマツ、8.ヒメコマツ、9.モミ、10.ツガ、11.マキ、12.ナギ、13.イテウ、14.カツラ、15.ホヽノキ、16.ヒバ、17.コウヨウザン、18.アラヽギ、19.カヤ、20.イヌカヤ、21.コウヤマキ、22.ムロ、23.イブキ、24.フジマツ、25.イヽギリ、26.アヲギリ、27.シナノキ、28.ツバキ、29.ナツツバキ、30.コブシ、31.ヲガタマ、32.ヤマグルマ、33.シキミ、34.フサザクラ、35.ウリカエデ、36.トチ、37.ムクロジ、38.センダン、39.チャンチン、40.トベラ、41.サイカチ、42.ネムノキ、43.サカキ、44.モッコク、45.カラタチ、46.カヘデ、47.カラスノサンセウ、48.キワダ、49.ニガキ、50.ヲヽバマユミ、51.ケンポナシ、52.ウルシ、53.ハゼ、54.ヌルデ、55.エンジュ、56.イヌエンジュ、57.ウラジロノキ、58.アヅキナシ、59.ヤマザクラ、60.ウハミヅサクラ、61.ウシコロシ、62.ナヽカマド、63.ナシ、64.ズミ、65.エゴ、66.ハクウンノキ、67.マメガキ、68.カシヲズミ、69.アセボ、70.リョウブ、71.シャクナゲ、72.イス、73.ハリギリ、74.ミヅキ、75.イヌツゲ、76.モチノキ、77.ヒイラギ、78.トネリコ、79.シホヂ、80.イボタ、81.キサヽゲ、82.キリ、83・クスノキ、84・ソヨゴ、85.タモ、86.アブラギリ、87.ツゲ、88.アカメガシワ、89.ユヅリハ、90.ケヤキ、91.クワ、92・ヲヽナラ、93.シイ、94・クリ、95.ハンノキ、96.ミネバリ、97・ヤブニクケイ、98.ムクノキ、99.エノキ、100.シラカシ、101.アカガシ、102.ウハメガシ、103.イチイガシ、104.マテガシ、105.カシワ、106.クヌギ、107.ナラ、108.ヤナギ、109カハヤナギ、110.ハコヤナギ、111.ヲニクルミ、112.ヤマハンノキ、113.サワシバ、114.イヌシデ、115.ハワクルミ、116.ノブノキ。

4.アゾレス(サン・ミゲル島)では、日本起源のアジサイ(3〜4種類)が行き先々の至るところで咲いています(街中の通りや道路沿い、民家の庭、公園施設などに植えられている。道の両側をアジサイばかりで植え込んだアジサイ街道もある)。


写真27,28

サン・ミゲル島観光ポスターにはアジサイが遠景のスギを抑えて大きく写っていて、観光ガイドブックや絵葉書にも堂々と顔を出しています。ポンタ・デルガダ空港の土産売り場には、アゾレスの文字と共にアジサイの絵柄が入った置物や壁掛けが並べられているのをみますと、島の人たちは、アジサイはアゾレスを代表する花として扱っているように思えて、アゾレス諸島訪問の1つの土産としました。島には、ツツジやツバキも時折見かけました。島の中央北部ではお茶の栽培も行われていて、茶畑は列状で日本の景観ととてもよく似ています。                    

[2007年7月13日]

<編集後記>

 社保庁で、電算化に伴い年金記録の原簿の一部が破棄され、大きな問題となった。国有林もまた、機構改革に伴う局署の統廃合の際に、大量の書類が廃棄される事態が発生した。その背景の一つとして、こうした書類の重要性が、十分に認識されてこなかったことがあげられる。言うまでもなく森林の育成、管理は少なく見積もっても、50〜60年、長ければ100年を超える。したがって、林分の過去の施業履歴などを知る上で、こうした森林の施業管理に関する情報は、長期にわたって保存・管理することが望まれるが、こうした認識は薄い。国有林では、書類ばかりでなく、事業ごとに多量の写真が撮影されてきた。百聞は一見に如かず。写真による情報はきわめて大きい。この写真の破棄を恐れて、ある廃止直後の事務所に電話を入れたことがある。結果、一歩遅く、全てが焼却処分された後だった。年末の大掃除の際に、環境整備と称して大量破棄が行なわれてしまった。年齢の行った国有林職員が、廃棄されそうになった古い書類(造林台帳や伐造簿など)に気が付き、取り戻したケースも聞く。笑い話にもならない。私の所属する動物園でも、古い書庫にしまわれていた書籍の処理の話が持ち上がり、処分本の中に、田中芳男著、服部雪斎画の有用植物図説(全3巻1891年刊行)が含まれていたのには驚いた!ものの価値がわからないというのは恐ろしいことだぞ!(狢)。

 

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