木霊 (TARUSU)
森林施業研究会ニュ−ズ・レター  No.39 2007.11.15.
Newsletter of the Forest Management and Research Network


『森林施業研究会 第10回現地検討会報告』

― ブナ林の天然更新施業と多雪地帯の林業 ―

上野満(山形県森林研究研修センター)

森林施業研究会の第10回現地検討会(通称:苗場合宿)が、2007年9月26日〜29日の日程で、新潟県中越地方を舞台に開催された。


苗場合宿での現地検討

新潟県中越地方は、脊梁山地を背後に抱え豊富なブナの天然林を有している。そのため当地域を管轄とする中越森林管理署(旧六日町営林署)管内には、ブナ林研究試験地が多く設定されており、ブナ林研究の核心地ともいえる。特に苗場山ブナ天然更新試験地は、1967年の設定より今日までの約40年間、長期にわたる試験・調査が行なわれ、日本のブナ林研究の先駆的な役割を担ってきた。

また、当地方は、日本有数の豪雪地帯である。豪雪地帯のスギを中心とする人工林は、戦後の拡大造林政策を受け、一部はブナ林を伐採することで拡大してきた。しかし、その実態は、豪雪という過酷な自然環境の下で、当初期待したほどの成果が得られず、いわゆる「不成績造林地」生み出すことになった。豪雪地帯の林業は、まさに雪との戦いであったといっても過言ではない。

今回の現地検討会は、苗場山ブナ天然更新試験地の40年後の実態に触れ、論議する中で、ブナ林施業の技術的総括と今後の方向を探る場であった。

また、豪雪地帯のスギ人工林の実態を見る中で、何が造林地の成否を決定し、現実林分に対し、今後どのような対応が求められるのか、豪雪地帯の人工林施業のあり方を検討する場であった。

今回の報告は、そのときの概要を取りまとめたものである。

9月26日

13時30分、「国境の長いトンネルを抜けると・・・」川端康成の『雪国』に紹介された越後湯沢の駅に参加者が集合し、早速現地検討会が始まった。

参加者は総勢48名で、北は青森県、南は宮崎県と全国から参集した。参加者の職種も国、県、大学の研究に携わる人間を中心に、行政担当者や学生など多岐に渡った。

 

現地検討会

最初の現地検討の場は、かぐら・みつまたスキー場上部に位置する、外ノ川のブナの二次林2箇所である。両林分で共通して言えるのは、どちらも薪炭を作るために伐採され、その後成林したブナの二次林ということである。しかし、その林相は全く異なっており、一括くりに「薪炭由来のブナ二次林」というには多少違和感を覚えた。

最初見た林分は、ブナが一本一本孤立状に立っていた。伐採から130年程度たっているということもあり、「これが薪炭由来の二次林なの?」という感じをうけた。

また、一方の林分は、前の林分よりも比較的若く、ブナが株立ちしている。

二つの林分の林相の違いは、その成立が実生更新に由来するものなのか、萌芽更新に由来するものなのかということである。そして、どちらの更新方法により成立するかは、伐採時の前生稚樹の状態や、その後の管理が要因になっているようだ。

参加者の中には、初めて日本海側のブナ林に足を踏み入れた人もいた。最初にこの二つの林を見比べることは、これから始まるブナ林の更新を考える検討会にとって、面白いプロローグとなった。

実生由来
実生更新由来のブナ二次林

 

萌芽由来
萌芽更新由来のブナ二次林

セミナー

1日目の夜は、「ブナ林の天然更新施業と今後の管理」をテーマにセミナーが行われ、7名の方から話題提供があった。
それぞれの発表が、独自の視点からブナ林を捕らえており、改めてブナ林研究の奥深さを感じさせるものであった。

(1)「苗場山ブナ天然更新試験地の概要と成果」小川みふゆ(森林総研)
(2)「タネダス(ブナ種子豊凶調査システム)の概要とその活用」正木隆(森林総研)
(3)「ブナ天然更新試験の成果と施業の歴史的考察」杉田久志(森林総研東北)
(4)「ブナの天然更新がもたらした生物多様性への影響」長池卓男(山梨県森林総研)
(5)「今後のブナ林の取り扱い」岡井芳樹(関東森林管理局)
(6)「南会津支署におけるブナ伐採後更新状況について」中村昌有吉(南会津支署)
(7)「地域遺伝子の保全を目的としたブナ種子と実生苗の地産地消」紙谷智彦(新潟大学)

セミナーは、例年のことながら大変盛り上がり、食事時間を途中に設けながら夜中まで続いた。

 

9月27日

現地検討会

苗場山ブナ天然更新試験地は、ブナの天然更新の手法確立を目指して1967年に設定され、今日まで40年以上,調査研究が進められてきた。ここでの試験をまとめた前田・宮川らの報告は、ブナ林の研究を行う者のみならず、造林・森林生態の研究をおこなう者であれば、誰もが一度は目を通すものである。

当日訪れた試験地から受けた第一印象は、ササをはじめとする下層植生が多いということである。特に、1978年に皆伐した北列の母樹除去区は、未だ階層構造が明確でなく混沌とした状態であった。

今回の参加者には、当時、前田禎三氏らとともに調査を行った方もいたが、だいぶ印象が変わったことに驚いていた。

苗場山試験地のブナの更新状況については、一部ブナ林が成林しつつあるとの報告がある。もちろん今回の訪問で、試験地をくまなく見ることは出来なかったのであるが、母樹保残法が上手く機能したのかどうかの回答を見出すことは出来なかった。

調査地の設定から約40年が経過し、皆伐母樹保残法について一定の評価を下す時期に来ているような気がした。

また、この試験地を訪れて痛切に感じたことは、試験地を維持し、さらに継続的にデータを集積することの難しさである。(当日は、調査杭を見つけるだけで一苦労であった。)

昨夜のセミナーで小川みふゆ氏は、これまでの苗場山ブナ天然更新試験地の調査結果をデータベース化するために、多大な時間、労力、費用が費やされたことを述べた。

当日も、この試験地をどうやって残していけるかの議論がなされた。

指標林

十日町小松原の国有林ブナ施業指標林は、伐採から保育に至る一貫した施業技術の確立を目指し、ブナ林施業の指標として1975年に設定された。この指標林は、母樹と小径木を残し天然更新を図ったもので、周囲のブナ林に比べブナの密度が低く漸伐されている様子が遠目にも伺われた。

しかし現在では、中越署の署員の方もこの指標林に立ち入る機会も少なくなり、近年のデータはないということだ。残念である。

見学は、指標林の対岸の尾根からの遠望であったが、参加者からは、実際にあの林分に入ってみたいとの声もあり、非常に興味を引いた。

樹種更改試験地は、現地に適用する樹種を検証するために、スギやカラマツなどを植栽したものである。しかし、植栽木の成育が悪く、現在ではその姿を消し、ブナの二次林になっていた。

ブナ二次林
樹種更改試験地のブナ二次林

セミナー

2日目の夜は、「多雪地帯の人工林を考える」をテーマにセミナーが行われ4名の方から話題提供があった。

発表者は、それぞれの地で、現地の林業に即した実践的な森林・林業研究を行っている。発表は、豪雪地帯のスギ人工林で、何が問題で、今後どのような対応が求められるのかを紹介し、豪雪地帯の人工林施業のあり方を検討する場となった。

(1)「積雪地帯で林業は可能か?」横井秀一(岐阜県森林研究所)
(2)「山形県のスギ良質材生産における問題点」上野満(山形県林試)
(3)「高密度で高機能・豪雪地帯の人工林における侵入広葉樹の役割」長谷川幹夫(富山県林試)
(4)「中越森林管理署の概要と生物多様性に向けた取組み」中村潤(中越森林管理署)

 

海外レポート

昨日からの、現地検討会とセミナーで疲れた頭を癒すべく、2名の方から、海外の森林を視察した際の様子が紹介された。

福井昭一郎氏(元日林協)は、「アゾレス島のスギ林業」と題しポルトガル領特別自治区 アゾレス諸島‐サン・ミゲル島に移植された日本のスギの現状について報告を行った。

日本から移植されたスギがアゾレスの島民に評価され、島の木材産業を担っている様子や、島の主産業となっている牧畜・酪農業にとって欠かせない牧場の防風林の存在になっている様子が紹介された。

大住克博氏(森林総研関西)は、「トルコの森林植生とオリエントブナ」と題し、トルコ 黒海沿岸の森林について報告を行った。

オリエントブナをはじめ当地の植生やその分布の様子がスライドを多用して見ることが出来た。日本のブナとは違った、オリエントブナのスマートな感じが印象的であった。

 

9月28日

現地検討会

八海山神社の城内口参道杉並木は、林齢200〜300年と推定され、新潟県の文化財にも指定されている。延長410mの参道には、256本のスギが並び、最大のもので幹周6.2m、樹高が30mになる。並木の造成は、1836年に地域一帯が大干ばつに襲われたとき、水源涵養と景観保全のために植林されたものだという。並木自体は神社が所有する林ではなく、国有林になっており、丁寧に管理されている様子が伺われた。

社寺林は、宗教的な意味合いや神社の風致を保つために、その役目を果たしている。しかし、これだけの樹高と直径のスギを育て上げてきたことを思えば、大径材生産や長伐期施業という観点において、社寺林から学ぶべきものは多いように思われる。

八海山神社
鬱蒼としたスギ林に囲まれた八海山神社

六日町森林事務所管内150ね1林小班、同148る2林小班は、群状植栽(巣植え)を行った林分である。

群状植栽は、地拵えや下刈り作業等の省力化、特に多雪・豪雪地帯では、雪圧による根曲がりの回避策とした昭和40年代に広く実施された。

150ね林小班は、標高540mに位置し、昭和54年に5本を一まとまり(ちょうどサイコロの5の目状)に3,000本/haの群状植栽を行った。その後、下刈、倒木起、除伐などを行いながら、平成17年に20%の保育間伐を行っている。

148る2林小班は、標高760mに位置し、昭和53年に同様に群状植栽を行い、下刈や除伐などを随時行ってきた。

両林分の施業履歴は似ているといえるが、現在の生育状況は歴然の差で、148る2林小班の成長はすこぶる悪い。

 

この差がついた理由は、いろいろ考えられるところであるが、標高域からくる積雪量の差と、148る2林小班では、多雪地帯において重要な保育作業である倒木起(雪起こし)を行わなかったことによるものと思われた。

 

ここで施業研究会顧問の渡邊氏から、「この林(148る2林小班)を不成績造林と決めてしまってよいのだろうか?」という質問が投げかけられた。

これに対しては、

「植栽から30年が経過し、通常伐期の60年を考えれば、到底まともな材は取れない。これは明らかに不成績造林だ。」

という意見に対し、

「植栽されたスギは成育途中の段階だ。周辺には立派に育っているスギもあることだし、伐期を長く(長伐期)すれば、ここで不成績造林と決め付けるのはまだ早い。」

との意見も多く出された。

 

議論はヒートアップし、まだまだ続きそうであったが、ここでタイムアップとなってしまった。

150ね1林小班
群状植栽林分(150ね1林小班)


群状植栽林分(148る2林小班)

 

本検討会は、現地検討の場やセミナー会場、懇親会の場においても活発な議論が交わされ、参加者の間で交流を図ることが出来たという点からも、大変意義あるものであった。

最後に、現地検討会の開催にあたり、関東森林管理局 中越森林管理署の諸氏には、現地案内や研究事例の紹介、会場の設営など、多岐にわたり御尽力いただきました。この場を借りて厚く御礼申し上げる。

20年ぶりの試験地
20年ぶりの試験地、当時の写真を手にする長谷川氏(富山県林試)

 

参加者からの意見・感想

あらためて林業とは何か?ということを考えさせられる3日間

大宮 徹(富山県林業技術センター林業試験場)

今回初めて参加させていただきました。そもそもこの分野では初心者で知識も乏しい状態なので、多分に誤謬もあるかもしれませんが、素人ながら率直な感想を述べさせていただきます。

 まず、積極的にブナ林を造る林業が行われているということは、正直、最近まで知りませんでした。ブナを伐ってスギを植えるという一方的な流れの中で、たまたまうまくいかなかったところが自然にブナ林になってしまい、何百年か放置すればもとの森に戻るのだろうというくらいの認識だったのです。そこに至るまで、積極的に人の手をかける余地があるということは考えたことはありませんでした。今回、初日に見せていただいた100年ほどの二次林に、ブナの大径木が林立する姿には圧倒されました。二日目の指標林もやがてはこのような森になるのでしょうか。ぜひ、途中経過がどのようなものであるか知りたいところです。

 苗場山ブナ天然林更新試験地については、当初の頃の話などをうかがっていましたので、とても楽しみにしておりました。何人もの人たちが長い期間この斜面の植生と格闘しながら調査されてきたということには大変感心させられました。これからまた何十年、あるいは百年単位で、もっと見通しのよい森になった時、広大な試験地の一部分であるにせよ、個々の樹木の来歴が分かるというのもすばらしいことだと思います。この研究が継続することを願ってやみません。

 さて、3日間を通して楽しかったのは、渡邊定元先生がことあるごとに発する質問。とりわけ巻機山のふもとのスギ林での質問にちゃんと答えられなかったことがまだひっかかっています。私はあのスギ林は良くない林だと思います。結果がどうあれ、意図した姿と違ったものであるかぎり、人工林としては不成績だと考えます。もちろん、経過に沿って意図するところを変更することは必要なことだと思いますが、その変更が管理上、きっちりと位置づけられていないかぎり(その結果を生かせないような手が入れられる可能性があるわけですから)、現在だけを見て良しとするわけにはいかないと思います。

 そもそも私は最近まで林業というものを外から見ながら他人事として不平を述べていればいいような立場でしたので、立場変わってそれなりの責任が伴った上で自分に何ができるのかを問われることなど想像もしておりませんでした。そんな中、あらためて林業とは何か?ということを考えさせられる3日間でした。また、みなさんの知力のみならず、体力のすばらしさには驚きました。よろけながらついていくのがやっとでしたが、これからもいろいろ学ばせていただきたいと思います。今回はたいへん貴重な合宿に参加させていただき、ありがとうございました。

 

更新完了の基準を決めることの難しさ

蒔田桃代(静岡大学大学院)

現地についてまず1番に目に入ってきたのは、試験地伐採区T〜XとT’〜X’に生育するブナの樹高がまるで違うことでした。T〜XとT’〜X’の違いは、まずT〜Xは試験地設定から10年後の1978年に上木伐採を行ったこと、一方T’〜X’は上木伐採を行わなかったことです。実際林内に入っての印象は、T〜Xは上木伐採によって林床に光が入ったことで、ブナの稚樹よりも低木のムシカリやオオバクロモジ、さらにはササが繁茂することにより、ブナ稚樹が成長を妨げられうまく更新ができていない状況でした。それに比べT’〜X’は、林床には低木のムシカリやオオバクロモジなどもありますがブナ稚樹もそれと競争しており、さらにはそれらより少しぬきんでた樹高10m弱、胸高直径5-7cmほどのブナ稚樹が更新していました。

上木を伐採する時期の違いによって、30年後には大きな違いが出てくることを目の当たりにして、長期調査の重要性や施業一つ一つの重みについて考えさせられました。

 

新潟県苗場山は、日本でも有数の豪雪地帯です。そんな豪雪地帯でも拡大造林の影響で、現在でもブナ林の中にスギ林が残っています。そのスギ造林地の良好な林分とあまりよくない林分を見てきました。

良好な林分は、スギは根曲がりも少なくわりと直立しており、林冠が閉鎖しているため林床植物も少なく歩きやすい状況でした。一方あまりよくない林分は、根曲がり幹折れの樹が多く、林床にも光が届きササなどの下層植物が繁茂し歩くには少し困難な状況になっていました。この違いは、1回の根踏みを怠ったことが原因ではという見解でした。

これらの林分以外で私が見たスギ造林地は、急斜面では根曲がりが避けられないし、保育を定期的に行わないと林床植物が繁茂し幹折れも激しく、重度に荒れ果てたスギ林になってしまうようです。

やはり現状を見ても、積雪地帯の林業は、成林しない、コストがかかる、垂直な樹ができない、冬季は山に入れないなど不利な条件が多いことは明らかでした。そのような中でも、成功している例はわずかにありますが、デメリットが多い以上豪雪地帯で無理にスギ造林を行うよりも、適地適木でより育てやすい場所を選び造林を行うことがベストだと思いました。

 

様々な林分を見るたびに「ここの更新は成功か失敗か」という問いが投げかけられました。成功という人もあれば失敗と捉える人もおり、見方によってその結論はずいぶん異なりました。討論でも出ましたが、「何をもって更新完了とするか」という基準事項の決定は、何年も研究を重ねている研究者にとっても、まだまだ難しい課題であることがわかりました。その原因としては、日本の地形は複雑で場所によりそこに成育する樹種や動物、環境条件の相違があげられます。その場所にあった施業を確実に行うことが更新の成功につながるのではないかと感じました。

 

研究を施業に生かすには?

藤島みずき(静岡大学大学院)

今回とても印象的だったのは、議論の中心が、『実際にどのような施業をしたら、更新が成功するのか?目的とする林分になるのか?』という点であったことです。研究によって明らかになったことが現場で試され、その効果・結果を考えることはとても大切で、絶対にやらなくてはいけないことだと思いました。

天然更新施業について改めて感じたことは、どの場所にも当てはまるような施業法はないということです。これは、さまざまな地形・植生・気象の森林があることを考えれば当たり前のことですが、前田試験地のような大掛かりな試験をして得られた更新技術でさえ、現実には良い結果が得られなかったことには衝撃を受けます。更新完了の基準を決める難しさと、目的とする林を作るためには保育作業が必要なのではないか、ということを感じました。林業はほかの産業に比べて長い年月が必要です。そのために、結果を予測が出来ない難しさがありますが、残された数少ない原生林や失敗・成功した施業林から学び、生かしていかなくてはいけません。なぜ失敗・成功したのかをはっきりさせる事が、簡単なようで意外にやられていないことには驚きました。私は、ブナの生育環境(特に光)と生理的な能力の関係について調べています。今回合宿に参加して、私の研究が、施業をする際に科学的な根拠の一つとなるようにしたいと思いました。

超過密状態
超過密状態で、夜遅くまで続くセミナー

 

「試験地」をいかに存続させ、継続的に調査することの難しさを痛感

池田 伸(関東森林管理局森林技術センター)

これまで何回か施業研究会にはお世話になっています。昨年の三重は足の故障で不参加でしたが、今年は“普段見ることのないブナが見られる”“豪雪地帯の林業は・・”など思いながら森林技術センターから4名が参加しました。

いつもの方々と駅に集合し、“久しぶり”のあいさつ。初日から国有林の車が先導し国有林の職員が現地の入り口での歓迎には同じ国有林の職員として感激しました。国有林の試験地を職員が案内し説明するというのはこれまであまり見なかった光景なのでびっくりいたしました。国有林をいろいろな方に見てもらい、現場で議論して勉強することの大切さは私ども森林技術センターが常に感じていることなのでうれしくなりました。

茨城の人工林しか接していない者にとってブナ(広葉樹)林は大きな参考となったのも事実です。なるほどこれがブナ林か〜と叫んでみました。

ブナの試験地を見て、「試験地」をいかに存続させ継続的に調査することの難しさを痛感しました。試験地をいかに継続させるかという課題は私共森林技術センターが日々抱えている課題です。同時に当時の拡大造林とは、天然更新とはなにか、そして天然更新の難しさ、技術とは何か、国有林の安易な天然更新に対する考え方を強く感じました。

夜のセミナーも中越森林管理署の方々が参加し、話題提供もしてくれました。国有林の職員として施業研究会の場でいろいろな話ができたことは率直にうれしかったです。

スギの間伐箇所・巣植箇所も参考になりました。太平洋側の人工林と豪雪地帯の人工林や林業経営の地域性の違いは正直驚きでした。茨城とわずか200km程度しか離れていないのに積雪5mは想像もつきません。これまでの努力や開発により人工林を成立させ林業経営をしていることには感心しました。ある意味で条件のよい積雪10cmしかない茨城で人工林を作っている私共はもっとよい人工林を作らなければと思ったのも事実です。

私的には豪雪地帯の人工林やブナの試験地・指標林など得るものがありました。あわせて今回の案内・説明にお世話になった地元中越森林管理署の職員の方々に改めて感謝いたします。

 

これを失敗と見るか、成功と見るか?

齊藤 哲(森林総合研究所)

今回の苗場山のブナ林天然更新試験地については、過去様々な機会でこの試験 地のことは耳にしていたが、訪れるのは初めてでした。そのスケールやこれま でかけられた労力などは壮大なもので、実際見学してみて、圧倒される思いで した。ブナ林天然更新については、提唱された天然更新法が現場では十分適用 されていなかったとか、更新基準自体の妥当性など、様々な論点を含んでいるが、実際、研究成果から得られた施業法が現場で十分活用されていない事実は残っている。提唱された施業法自体の妥当性以前に、当時の時代背景に即して現場で実行しうるものであったか、逆に現場ではこうした研究成果を軽視しその場の生産を追求し過ぎたことはなかったか振り返ってみる必要があるように感じました。個人的にはブナ林にはなじみが薄く、十分な考察は出来ません。ただ、試験地自体未だ継続的にデータ蓄積がなされているとのことで、この重厚なデータは将来的に有用なものになりうるような印象をもちました。具体案は未だないけれども。

今回、どちらかというと多雪地帯の人工林に興味を持っていましたが、現地見学は最終日の半日だけで、もう少しあちこち見たかったなというのが正直なところです。多雪地域の造林可能・不適な基準については各県で基準もはっきりしており、しかもその基準はほぼ同じようなものでした。巣植えなどの多雪条件下での造成技術の紹介もありました。今後は、拡大造林期とは異なり不適な立地にまで無理に造林することも少ないでしょうし、問題点は既に不適な条件下に造成された人工林をどう扱うかになるのだろうと思います。最後の見学地で、これを失敗と見るか、成功と見るか?という渡辺先生の問いかけは興味深いものでした。

 

ブナ林をもう一度見つめ直したいと、決意を新たにした

牧本卓史(岡山県林業試験場)

初めて森林施業研究会の合宿に参加しました。正直なところ会の存在自体もよく知らなかった私でしたが、「ブナ林」「天然更新」の文字に一瞬にして心を惹き付けられたのです。

中国山地に点在する貴重な(希少な?)ブナ林は、個々の林分の規模が小さいためか前生稚幼樹が少ないササ型林床ブナ林が多く、更新に明るい兆しが見出せそうな林分は非常に少ないと言えるかも知れません。学生時代にはササ型ブナ林の更新を研究し、岡山県をはじめ全国のブナ林を見ましたが、チマキザサ、ミヤコザサ、イシヅチザサなど背丈の低いササを林床に伴う、とりわけ西日本のブナ林の天然更新は非常に困難だろうというのがその頃の印象でした。中国山地の上部のブナ帯は多くがチマキザサに被われ、一面のササ原に変わろうとしているところが数多く見受けられます。一方で、林床がチシマザサの場合には、幹密度が低いだけに葉群下にいくらかのブナ稚幼樹が出現しますが、今回の現地検討会で渡邊先生が仰いましたように、被陰が続く限り20〜40年生頃までに死んでしまうものが多いようです。こうした弱小ブナ林を復活させたい、岡山県のブナ帯に美しいブナ林を取り戻したいというのが、私の十代の頃からの夢でした。

今回初めて苗場のブナ林を見て、本場のブナの瑞々しさと力強さに改めて触れられたような気がしました。天然更新で原生林と同じ林相に戻せるか、という命題が現地での論議の中にありましたが、岡山県の場合はそれ以前に美しいブナ二次林をいかにして取り戻すか、或いは現存するブナ林にいかにして後継樹を育むかというところにまず大きな課題があるようです。簡単な仕事ではありませんが、今回の現地検討会を活かして、今後の岡山のブナ林をもう一度見つめ直したいと、決意を新たにした次第です。

末筆になりましたが、今回の苗場合宿を企画・実行していただきました山梨県森林総合研究所の長池様をはじめ森林施業研究会の皆様、現地のご案内等に様々なご尽力いただきました中越森林管理署の皆様に、有意義で実り多い体験を与えてくださったことを深く感謝申し上げます。

 

新潟の国有林施業について思うこと

                                            笠原 義人(元・宇都宮大学)

 新潟県一円と福島県会津地方に分布する「国有林経営の大要」(1956年版前橋営林局「管内概要」)は、三国山脈の東西斜面を占める国有林は、奥地林として未開発地域であるが、最近の奥地開発に伴い年々伐採面積が増大している。しかし地形急峻な上、亜寒帯性樹種を対象とした森林だけに施業には相当の困難が伴っている。伐採は漸伐を主とし、地形により択伐を併用して来た。伐採跡地はブナその他広葉樹の天然下種に委ねているが地床植物、特に笹類の侵入が甚だしいので稚樹の発生が極めて不良である。従ってかかる施業は今后廃止し、地形の許す限り皆伐を採用し、跡地は人工植栽による方針に変更した。里山地帯は従来皆伐作業を採用しており、造林地も比較的多くなっている。薪炭林作業については、地元部落の需給関係を考慮し設置して行く方針である」とする。

 新潟の国有林は積雪地帯であり、皆伐による人工林施業はさほど進展はしていない。新潟県下国有林の1956年時点の人工林率は4.8%であったが、1958年に始まる生産力増強計画、木材増産計画、拡大造林政策が全国の国有林で展開したあとの今日、2006年の新潟県国有林の人工林率は9.4%に留まっている。この数値は、隣県国有林の群馬40.0%、福島37.0%、栃木29.2%と比較しても、格段の開きがある。

 また、新潟県国有林総面積28.7万haのうち、79%(22.7万ha)が保安林に、56%(16万ha)が自然公園特別地域に、そして22%(6.2万ha)が保護林に指定され、国有林の8割以上が法指定地域および保護林して制約を受けている。3機能類型別では、循環利用林は4.6%(10,087ha)に留まり、水土保全林は40.7%(88,412ha)、そして共生林が54.7%(118,830ha)と、最も多い(2006年)。

  さて、それでは、新潟の国有林森林施業をどうなるのでしょうか。地域社会に国有林施業は何を貢献できるのでしょうか。

 新潟国有林の伐採量(単位:m3)は、

新潟国有林の伐採量
年度 総数 針葉樹 広葉樹
1982
101,154
52,073
49,081
1995
51,508
42,387
9,121
2000
17,498
16,115
1,383
2005
17,256
16,504
752

資料:「前橋営林局事業統計書」、「関東森林管理局事業統計書」

です。新潟県下国有林の年成長量は、針葉樹10.5万m3、広葉樹9.4万m3です。現在の伐採量は低水準過ぎるように思われます。

 また、前橋営林局(関東森林管理局旧前橋営林局)の職員・作業員数は以下の通りです。

職員 基幹作業職員 常用作業員 定期作業員 臨時作業員  
 
延人員
1995年度
1,034
584
4
53
6,611
2000
711
317
3
29
17,340
2005
553
164
7
28,189

資料:「前橋営林局事業統計書」、「関東森林管理局事業統計書」

国有林地域で地域雇用力を拡大し、地域経済を活性化させることが国有林の役割です。

 そもそも国有林野の管理経営の目標は「国土の保全その他国有林野の有する公益的機能の維持増進を図るとともに、あわせて、林産物を持続的かつ計画的に供給し、及び国有林野の活用によりその所在する地域における産業の振興又は住民の福祉の向上に寄与する」(「国有林野の管理経営に関する法律」第3条)ことにあります。国有森林資源の持続的循環的利活用の促進するためにも、地域雇用力の拡大に責任を持つこと、地域林業・木材加工産業の振興、林業専門技術者の確保育成、国土災害防止・水資源保全・生物多様性との調和、などに取り組むことが国有林関係者に求められているのではないでしょうか。

 

時間はいくらあっても足らない

小川みふゆ(森林総合研究所) 

 苗場山ブナ天然更新試験地のデータベースを宣伝の予定で参加しました。森林施業研究会には初参加で、どのような方が合宿に参加されるのかわからず不安でしたが、集合場所の越後湯沢駅で見知ったお顔をみつけ、ほっとしました。今回の合宿では、管理局の職員の方も参加されており、研究と現場が交流できる数少ない機会であると理解しました。今のところ、自由参加形式で研究者、技術者、行政担当者が一度に会して交流する場所を他に知りません。

 現場では誰かが質問し、誰かが答えるという展開で、熱い議論が繰り広げられました。現場でどのような施業を行ったかについては、自分が関係している試験地以外ではなかなか伺う事がないので貴重な機会でした。個人的には、現場ではもう少し淡々と植物を見る時間があっても良かったかなとも思いました。

 討論会では、これまでの研究や行政について伺い、時間はいくらあっても足らないという感じでした。私としては、杉田さんの発表で更新稚樹に含まれる前生樹の可能性があるというご意見に興味を持ちました。苗場山ブナ天然更新試験地の特に皆伐区の稚樹を、前生樹として疑ってみる必要性を感じました。

 苗場山ブナ天然更新試験地へは3年ぶりの来訪でしたが、見て歩いた範囲では、この間に大きく変化した場所はほとんど見当たりませんでした。伐採から40年が経過して、その変化はゆっくりとしたものとなっているようです。また、1970年代、1980年代と苗場山ブナ天然更新試験地の調査に関わって来た鈴木さんのお話の内容は、データベースの解説で書落としたことも含まれており、解説を改訂する際には盛り込んで行こうと思いました。

 3年間現場を離れており、苗場に対するモチベーションが下がり気味だった私でしたが、データベース構築の過程で知り得た知見については、なるべく早く多くの人が見られる形で公表する義務があると思い改め、帰京しました。

 

ブナ林の天然更新施業−40年目の現地検討−

紙谷智彦(新潟大学)

 1967年,その後の我が国のブナ天然林のあり方を決定づけたとも言える研究が苗場山で始まった.それまで国有林によるブナ林の皆伐天然更新は失敗を繰り返していた.そのために当時農林省林業試験場植生研究室におられた前田先生らが中心となって,皆伐母樹保残法による大規模な実験が開始された.今回苗場山麓で行われた施業研究会の合宿研修は,40年目にあたる苗場山試験地におけるブナ天然更新施業の検証が主要なテーマの一つであった.

 初日の夕方から食事を挟んだ夜の研究発表,また,翌日の現地見学では,このブナ林の天然更新施業に関する話題提供と議論で大いに盛り上がった.宇都宮大学時代の前田先生の愛弟子だった小川みふゆさんは,「苗場山ブナ天然更新試験地の概要と成果」と題して,我が国森林研究の歴史に残る苗場山試験地のデータベースが5つの条件を前提として公開されていることを紹介された.ブナ林の皆伐母樹保残施業を将来にわたって評価するためには,このデータベースを生かした長期にわたる追跡調査が必要だろう.

 森林総研東北の杉田さんによる「ブナ天然更新試験の成果と施業の歴史的考察」は,追跡調査の好例である.杉田さんらは,かつて岩手の黒沢尻で行われた皆伐母樹保残法に関連した施業試験地の33年後と54年後の更新状況を調査された.その結果,ブナを更新させるには低木の刈払いがブナ結実のタイミングと一致している必要があること,また,伐採前から存在した前生更新稚樹の状態が重要である可能性を指摘された.前半の指摘は,これまで発表された更新初期段階の調査結果と一致する.後半の指摘は,ブナが稚樹バンクを形成しうることから,光条件の良い林床に生育していた前生樹が上木伐採後に更新木として成長したことを意味する.

 この前生樹に関して,2日目の現地検討会で鈴木和次郎さんは,苗場山試験地での更新稚樹の調査が後生樹のみを対象としていたわけでは無く,前生樹を含むことが調査の前提であったと話されていた.苗場山試験地の亜高木層あたりまで成長したブナは,明らかに前生更新木であり,上木伐採後の林冠を埋めるだろうことは明らかであった.一方で,後生樹と思われる更新木は限られた処理区にのみ偏っているようであった.

 国有林の皆伐母樹保残による下種更新法では後生樹の更新が前提となっていた.ところが苗場山の試験地では,多くの前生樹が更新木の役割を担っている可能性が高いのである.杉田さんの報告にもあったように更新施業の成否を評価するためには,更新初期段階の調査だけでは十分では無く,数十年を経た後の調査こそが必要なのである.「林学」が長期間を要する研究分野であることを改めて実感させられた苗場山試験地4 0年目の現地検討会であった.

 

豪雪地帯の人工林施業への関係者の努力、地域における産業としての関わりを否定されたような・・・・・

會澤 明(中越森林管理署)

現地検討会お疲れ様でした。

今回の検討成果が、今後の森林施業の確立に寄与することを祈念いたします。

 感想とのことですが、全体としては普段聞くことの出来ない貴重なお話をお聞き出来、大変有意義な3日間でした。国有林における今後の森林施業においても活きてくるものと思います。

 ところで、3日目の最後の会場となった148林班での検討会について感じたことを述べさせていただきます。あの事業地についての施業を、60年という施業計画から見ると結果として失敗だ、という方々の意見には豪雪地帯の人工林施業への関係者の努力、地域における産業としての関わりを否定されたような気がして、正直少々意気消沈といった感じがしました。

 出席された皆さんの、森林施業に関する学問上でのことと言えばそれまでのことですが、成林時における樹間距離、他植物の植生状況等を考えれば森林の機能も十分に果たしており、当地の厳しい自然条件を考えれば私は立派に成功と考えます。

 皆様の今後のご活躍をお祈り申し上げます。

 

集合写真
苗場山ブナ天然更新試験地での集合写真
(写真をクリックすると大きな画像が出ます)

 

<編集後記>

裏木曽のヒノキ天然林を見に行った際、急峻な斜面に張り付くように成立するヒノキ林に驚かされた。遠めに細いと見られたヒノキは林内に入るとそれなりの太さと樹高があり、伊勢神宮の遷宮に利用されるのもうなずける。300年生のヒノキ天然林である。一方、戦後の拡大造林の際に、ヒノキ天然林を伐採し、新植造林された若い人工林が谷筋からはるか頭上の尾根部まで続いている。しかし、国土保全を最大目的として経営管理される当地域にあって、今また“広葉樹林化”の波が現場に混乱をもたらしている。そんな流域の中に、大正期に植えられたヒノキ人工林がある。天然林資源が潤沢な時代にあって、人工造林というは、ササ類が林床に優占する当地において天然更新の難しさを察しての措置だと思われる。しかし、何とも理解できないのが、その一画にある、「古事の森」。「古事の森」とは、自然派作家として有名な作家TW氏が「文化財等伝統建造物の修復のための資材生産」を目的に林野庁に呼び掛け実現したもの。全国8ケ所の国有林内に設けられているのだが、いずれも新植。特別経営時代に植林した高齢級人工林内の樹下植栽、あるいは隣接地への造林が行われ、多くの市民ボランテアがその育成に協力しているという。数100年生の人工林を造成するというのだが、それなら現存する100年生の人工林を伐採利用せず、後100〜200年待てばよいものなのだが、物事は植樹から始まらなければならないようだ。なるほど、100年生の人工林に市民ボランテアは必要としないしね。また、深刻なのは野生動物による食害。裏木曽にしろ、京都の鞍馬にしろ、シカの防護策は不可欠で、まるで卒塔婆の乱立する風景にも似ている。さらに悪いのは樹下植栽で、受光伐実施の際の技術的な困難さが付いて回る。100年生の人工林が現存し、さらに若齢の広大な人工林が手入れ不足で放置され、その隣では天然林の伐採(正確には天然木の伐採)が続いていることを作家TW氏はどのように考えているのだろうか?是非とも考えをお聞かせいただきたいものだ。それともそれは林業技術者が考えることで、作家の考えることではないのかもしれないが・・・・・(狢)。

 

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