木霊 (TARUSU)

森林施業研究会ニュ-ズ・レター  No.44 2009.05.27
Newsletter of the Forest Management and Research Network


第14回森林施業研究会シンポジウム「技術的視点から見た伝統林業の現状と将来」の報告

中川昌彦(北海道立林業試験場)

第120回日本森林学会全国大会の関連研究集会として第14回森林施業研究会シンポジウムが「技術的視点から見た伝統林業の現状と将来」と題して京都市の京都大学で2009年3月28日に開催され,様々な職場や団体から約120名の参加があった。


(写真1 約120名が参加した京都大学でのシンポジウム)

I 人工林の模範的な育成施業の危機
 最初に代表の鈴木和次郎氏(森林総合研究所)が長期にわたる木材価格の低迷のために育成林業の衰退が進み,日本の育成林業の模範,優等生とされてきた伝統林業でさえも危機に瀕している現状について報告した。このような中で,技術的視点から見た伝統林業の現状と将来について,また大規模専業林家がいかにしてこのような危機に取り組んでいるかを報告していただきたい,として講演者の紹介を行った。

II アテ林業の現状と問題点
 石川県林業試験場の小谷二郎氏には近年のアテ林業の問題点とその打開策について話題を提供していただいた。
 アテとはヒバの能登地方の呼び名であり,アスナロよりも北方に分布している。本格的なアテ造林は江戸時代中期の1780年以降で,大規模な一斉造林は昭和40年代から行われてきた。アテ材は帯黄白色で,強度が強い,耐久性が高い,ヒノキチオールを多く含むため耐蟻性が高い,光沢があるなどの特徴があり,建築材として柱や土台,造作用板,建具に使われるほか,輪島塗の木地にも使われる。
石川県では25万haの森林があり,アテの林地は約1万2千haである。資源量は県内の針葉樹人工林のわずかに13%なので,安定供給が困難であり,アテ材は主として能登地方(能登半島)でのみ流通している。このため99%が能登地方で造林されている。スギは20年前に比べて材価が大幅に下落したが,アテ材は漸減か横ばいである。
 アテ林業の施業法には主として複層林施業とアテ択伐林施業がある。複層林施業では上木のスギの下木としてアテが植栽される。アテは耐陰性が高いが十分な成長を見込むためには相対照度30%以上が必要であり,相対照度10%では成長が悪い。
択伐林施業を成功させるためのポイントは,上木を定期的に収穫して林内を明るくして下木を成長させてやることである。択伐林は放置されると,林内の照度が低下して下木が枯れて,一斉林に近い林分となってしまう。
またクサアテを中心に,胸高直径15cm前後で漏脂病が目立ってきている。そこで漏脂病に罹病していない個体を増殖したり,他の系統を奨励したりしている。
 遅い初期成長を改善するため,大苗の植栽や施肥試験を行っている。また,早期に収入を得るため10~20年生でサビ丸太の生産を行い30年生で柱材の生産を行う試験を実施するなどして,アテ早期多収穫モデルを作製しているところである。
このように近年その技術の伝承が危ぶまれているが,アテ林業存続のために様々な取り組みを進めているところである。


(写真2 能登のアテ林)

III 今須択伐林の現状と未来
 岐阜県森林研究所の大洞智宏氏には,今須択伐林の施業や現状と問題点,将来展望について話題提供をしていただいた。
 今須の択伐林施業は,岐阜と滋賀の県境に近い岐阜県西部の不破郡関ヶ原町今須で行われている。標高は約300m,年平均気温は14℃,年降水量は2,150mm,最大積雪深は37cmである。今須地区の2,500haのうち2,200haが山林で,そのうち1,100haが択伐林である。択伐林は主に海抜400m以下の谷筋や沢筋に沿って発達したが,集落に近い地域では中腹から尾根にかけても存在している。今須の択伐林業は,天然生林の「ぬきぎり」が始まりといわれており,江戸時代末期にはスギやヒノキの異齢多層林が形成されていた。明治時代になり集約的な施業が発達し,明治20年代には択伐林としての技術が確立した。
 昔の今須林業では,伐木と製材を同じ業者が行っていたので,今須材へのこだわりがある施工主や大工の注文に応じて,伐木業者が注文に応じた立木を買いつけていた。ところが現在では製材業者も地域外から材を買うようになり今須材の需要が低下している。このため,大径の上層木が伐採されなくなり,林分蓄積や大径木の本数は増加しているものの,林内照度の不足によって下層木が枯死したり,成長不良になったりしている。また上層木が適度に収穫されないと,下層木が光を求めて幹曲がりが生じ,アテ材が発生してしまう。さらに施業意欲が減退することによって,高所での枝打ちや択伐林での伐倒などを行うことができる施業技術を持つ後継者が不足してきている。
 今須林業を将来どうするかについて,3つの選択肢が考えられる。1つは択伐林を維持せずに一斉林に近い林型へと誘導することである。ただし,林地の浸食防止のために過密なまま放置することはせず,中下層木を伐採する必要がある。2つめは択伐林型を維持することである。上層木をまとめて伐採し,下層木の成長を促す必要がある。ただし,材価が安いために経営意欲が減退しているので,上層木を多めに伐採して作業コストの軽減に努める必要がある。3つめは緊急避難的に択伐林を維持する措置として,形質不良の中・下層木を伐採することである。これは現在材価が安いため上層木を伐りたくないという森林所有者の意向を取り入れて,かつ択伐林型を維持しようというものである。
今須林業の衰退は材価の低迷が大きな原因であり,上記にあげた伐採方法の工夫だけでなく,作業コストの低減につながるような経営的な工夫が必要である。


(写真3 今須の人工林)

IV 北山林業について
 京都府京都林務事務所の岩田義史氏には,北山林業の歴史,問題点とそれに対する取り組みについて話題提供をしていただいた。
 北山林業とは京都市北区中川地域を中心にスギの磨丸太生産を行っている林業のことである。この地域は磨丸太と松茸の生産と,薪の生産でほぼ3分の1ずつの収入を得ている。
 施業は台杉作業と1本仕立て(皆伐高林作業)の2とおりである。台杉作業ではタルキの生産を目的として,下部の枝を4~5本残し梢頭部の他は枝打ちを行う。主幹部を伐り取った後に残された下枝から立状に仕立て,1年半~2年に1回枝打ちを行いながら利用径級に達した丸太から択伐的に収穫する。一方で1本仕立てでは,密植して5年目から強度の枝打ちを繰り返し,通直,完満,無節の優良材を仕立てる。収穫は一斉皆伐による。
 近年,床の間をつくらない家が増え,床柱の需要が減ってきた。また,4寸の柱材の生産を目指した施業をおこなってきた林分では材が太すぎて柱材として売れなくなり,価値が低下している。最盛期には年間12~3万本の柱材,20億円の流通があったが,現在では4万本,2億円程度の流通となっている。このため,一本仕立ての2割程度しか柱材として流通せず,4割以上は低価格でしか販売されない。この低価格な材が京都府外の銘木市に出品されて,「北山スギ」として売られているが,磨きも絞もないため,本当の北山スギのブランド力の低下につながっている。また,天然絞は希少価値があったが,苗木が広まって価値が低下してしまい,天然絞の種類も近年では減ってきている。このようなことから,新規植栽面積が減少して若齢級の林分が減少してきている。
 北山林業を存続させるため,京都北山丸太連合会ではブランドラベルを作成して本当の北山スギのブランド力を維持しようとしている。また京都では市内産材の新築物件に補助金を出して,北山スギの需要を振興している。さらに,川端康成の小説にも登場したように北山スギの美林を維持することで,観光名所とすることも模索中である。

V 吉野林業の現状と未来
 島根大学生物資源科学部生態環境科学科森林環境学講座の高橋絵里奈氏には,吉野林業地帯における長年の研究から,吉野林業の現状と未来について話題提供をしていただいた。
 奈良県は南部と北部で地形が全く異なり,北部は盆地や高原,南部は山岳地帯が広がっている。吉野林業は奈良県東部の川上村,東吉野村,黒滝村を中心に行われているが,これらの地域は山岳地帯ではあるものの,奈良盆地に近く,大阪などへ川を使って木材を流送してきた。吉野林業地帯では,尾根まで大々的にスギやヒノキが植栽されている。
 吉野林業の特徴は,密植,多間伐,長伐期である。昭和初期には植栽密度が10,000~12,000本/haであったが,現在でも5,000~7,000本/haである。間伐は,林冠が閉鎖する10年生前後から枝打ちや不良木の切り捨てを行い,林分を均質に保ちつつ80~100年間に弱度の間伐を10回前後行う。このため若齢期には密管理で初期成長が抑えられるが,林齢30~40年生以降は収量比数が0.7を下回る比較的疎な林分となって肥大成長が促され,年輪幅が約2mmにそろった材が生産される。
 第二次大戦前までは,大きい材をみかん割にして山から持ち出し,板にして酒づくり用の樽にしていた。これは吉野で生産された材には節がなく,くるいも少ないため酒が漏れなかったためである。第二次大戦後は,無節で年輪幅がそろった良材として柱や板に加工されたり,合板の化粧板として使われたりしてきた。
 集約的な施業によって良質な材を生産してきた吉野林業も,1998年の台風災害後,材価が急落し,経営意欲が減退してきている。1990年以降は主伐面積,造林面積も減少し,さらに間伐遅れの林分も出現している。これまでは熟練技術者によって人工林が守り育てられてきたが,山林労働者の減少と高齢化が進み,後継者不足の中いかに技術を伝承していくかも課題である。吉野林業を存続させるためには,付加価値をつけて販売したり,作業の低コスト化を図ったりして,収益性のある生産目標を設定する必要がある。
 古来は修羅(ソリによる運搬),肩上げ(多人数で肩で担ぐ),管流し(河川または渓流で,伐採した木材を1本ずつ流下させる),筏などによって搬出がされてきた。近年,材価が高い時はヘリコプターによる運材も行われたが,コストが高く現在ではほとんど行われないようになった。最近では,作業道の開設とトラックによる材の搬出が行われるようになり,伐出コストの低減が図られることが期待されている。


(写真4 吉野の高齢人工林)

VI 中原林業-270年の山づくり-
 中原林業の中原丈夫氏には,270年続く専業林家として,林業経営の危機にいかに対応すべきかについてお話いただいた。
 中原林業は専業林家として1731年に始まった。昨年は6,800mの作業道を開設し,3,500m3の木材を生産した。日本林業では,間伐手遅れの林分や荒廃した森林,造林未済地などが増加している。しかし,環境保全と経済性の両立を図ることによって健全な森林を育成することができ,中原林業ではまさにそのような施業を展開している。
 中原林業の特徴はゆるぎない施業体系,高能率な生産ライン,高密度な作業道である。まずゆるぎない施業体系として,枝打ちと間伐を繰り返しながら伐期80年~90年の長伐期施業を行っている。25年生で6mまで,45年生では10mまで枝打ちを行う。立木数は25年生時で1ha当たり900本,90年生時には1ha当たり600本となるようにしている。
 高能率な生産ラインとするために,コストダウンを実現し,3人で1日に65~75m3生産している。そのため13mの長材をフォワーダに積み,下土場まで運搬し,造材を行っている。下土場では造材エリアと集積エリアを分けている。8t車にグラップルを用いて15分で13m3の材を積んで運材し,これを1日に3回行っている。作業を行うにあたり,次の工程のためにひと手間かけてやることで,全体の作業が効率よく進められている。
 高密度な作業道の意義としては森林所有者が気軽に山に行けることにより,森林の資産としての価値を見出すことができるし,伐出コストが低減される。山へ行くのに15分,山を下りるのに15分程度の森林作業の生産性を高く保つように作業道をつけている。ただし,山を壊さないことが絶対条件であり,このため3カ条の原則がある。それらは,絶対的な安定路盤の確保,細心にして大胆な集排水,維持管理のしやすさである。将来スギの大径木を生産することになっても同じ作業道を使えるように,0.50m3の高性能林業機械で作業ができるよう,幅員は3.6mを基本としている。ただし100m以内の作業路や傾斜が30°を超える急傾斜地では3.0mとすることもある。道の勾配が3%なら50mに1カ所,5~10%なら30mに1カ所,10~20%なら10~15mに1カ所という細かいピッチで横断排水工を配置している。路盤に片勾配はつけず,フォワーダやトラックでの通行を考慮して道に対して直角に土を盛る簡易な横断排水工としている。実際の水の流れを把握するために,雨が降った時に山に行って排水位置を決定している。また盛土によって作業道を開設する場合には,丸太組工法によって土留めをつくり,作業道の崩壊を防止している。
 日本では木材需要の急増に応えるために,1950年代に短伐期皆伐を想定した大造林時代があった。しかし1980年代になると,材価の低迷から短伐期皆伐型の施業は破綻し,所有者の森林離れを招いた。そこで現在は長伐期への移行時代となっている。しかし,長期的な視点に立って林業を展開している事業者は少ないように思われる。それは,補助金の受給による事業量確保のために,間伐や道づくりを行っているのが大きな原因である。
 21世紀になり,木材生産のための山づくりから,多面的機能を高いレベルで維持することが最大の目的となった。木を植えることに特化した長きにわたる政策が今,日本の森林の最大の危機を招いている。このような中で,約300年にわたり,自然の力に身をゆだね循環可能な林業経営から培ったノウハウをこの荒廃林に覆われた日本の林業に提供することこそ「中原林業の使命」と考える。


(写真 5 中原林業の社員の方々)

VII 総合討論
5人の方々による話題提供の後,総合討論が行われた。
 補助金の是非に関して会場からは,補助金の予算獲得の理由づけにしたがって補助金の制度やキャッチフレーズがあるが,林業経営者や林業普及指導員が中心となってどのように山づくりを行うかを決定し,その方針の中で受給できる補助金を活用していくことで,補助金を受給しつつも目指すべき山づくりが可能となるのではないかという意見が出された。また,国や地方自治体から補助金を受給して山づくりや道づくりをしているのだから,いかにして将来にその成果を返していくかを考えていく必要があるとの発言があった。
 伝統林業が存続の危機に瀕する中,市場における材の需要を考えた木材生産が重要であり,買い手に対する情報発信,高付加価値化できる材への特化,売り方の工夫が必要であるという意見が会場から出された。北山スギのブランド化はまさにそのいい例であろう。中原氏からは,昔から作っていたいいものだからといって買ってもらえるわけではないので,高く買ってもらえるものをつくる努力をしており,例えば6~8m以上の材を高付加価値化して販売しており,材積は全体の2割であるが,収入の4割を稼いでいるとの事例が紹介された。
 一方で伝統林業では高付加価値化も重要であるが,日本の林業全体を考えると高付加価値化できるのはごく少量であり,大量に安価で流通する木材をいかに供給するかを考える必要もあるとの意見も出されたが,これに対しても作業道を整備して森林作業の生産性を向上させ,作業の低コスト化を図ることの必要性が指摘された。
 本研究会の渡邊定元顧問からは,択伐や労働集約的な伝統林業の存続のためには森林作業の低コスト化が重要であり,そのためには作業道を開設して地利級のよい山林とする必要があるとのコメントがあった。作業道の規模としては,10m3積めるフォワーダやトレーラーが入れる道とする必要があるとのことであった。中原氏は,帯状皆伐とか群状択伐による長伐期非大面積皆伐施業をおこなうことで,広葉樹との二段林ができ多様性の高い山づくりを行うことができるが,そのためには作業道の整備が必要であるとの経営理念を述べた。
 最後に大住代表が,日本林業の模範,優等生とされてきた伝統林業でさえも危機に瀕する中,これらにならって林業を展開してきた日本各地の林業も行き詰まっており,これから各地における林業をどのようにしていくかを森林施業研究に携わる方々に考えて欲しいと述べた。

シンポジウムへの意見・感想

北山林業で磨き丸太生産技術を1年間学ばせていただいた経験から

原島幹典(岐阜県立森林文化アカデミー)

森林施業研究会のシンポジウムに初めて参加させていただきました。
 京都府の岩田様から、北山林業の現状について詳細なご報告がなされましたが、私はかつて林業後継者として北山林業で磨き丸太生産技術を1年間学ばせていただいた経験があるため、感慨深いものがありました。
 現在、岐阜県立森林文化カデミーの教員として安定した職を得られましたが、実家のある東京都奥多摩町には、手入れが必要な人工林を所有しています。中でも、もっとも悩み深いのが天然絞り磨き丸太生産林分です。面積的には2ha程度なのですが、投資額は用材林の何倍もかかっているため、経営的には大きな影響をもたらすのです。この磨き丸太の販路が無いまま適寸に達しつつあり、それ以上太らせたくないために過密状態のまま、10年近く放置してきました。数年前には、懸念していた冠雪害にもあい、いよいよ磨き丸太としての販売を諦めざるを得ない状況です。東京に2箇所存在していた銘木市場はとっくに消滅していたので、北山の修行先にお願いして、立木で買ってくれる人がいないか相談していたのですが、北山本場ですら価格の下落が激しく、遠路はるばる東京まで原木を買い付けるような状況ではないことがわかり、八方塞がりとなっております。
唯一の慰めは、地域材を使った家造り活動の中で、数本の磨き丸太を使って喜んでいただけたことです。


(写真 6 冠雪害をうけた北山スギ林)


(写真 7 磨き丸太を使った住宅)

 この厳しい現実を前に、我が身を振り返り、マーケティングの未熟さが致命的であったと感じています。「いいもん作っておけばまちがいない」という北山の師匠や同業者の言葉を信じつつ、リスクも感じてはいたのですが、結局、育成途中で切り替えることはできませんでした。
天シボについては、将来銘木が枯渇するので、その代替え杢板として期待できると言われていましたが、もともと床柱用に特化して選抜されたクローンゆえ、大径材仕立に耐えうるものかどうか、誰にもわからない状況です。
 昭和50年代をピークに全国に広まった北山産クローン苗は相当な数に登り、今それらの森がどのような状況になっているのか、想像するに難くないのですが、その当時(昭和50年代)すでに林業の採算性悪化や後継者難が懸念されている中で、自分にとって現実的な夢を描ける唯一の林業であったことは確かです。伝統・経験に裏付けられた施業技術や撫育思想は、今の私の支えとなっており、林業者であることに誇りを感じられる所以なのだと思います。

私ごとに終始してしまい申しわけありませんでした。
 最後になりますが、北山林業の価値は磨き丸太生産だけではありません。観光地として特有の人工美景観を造り、茶室建築文化の一翼を担ってきたことなども、大きな役割であったはずです。「禅」に繋がる日本文化を象徴する原風景が消えてゆくことに、何も感じないとすれば、もう私達は、いわゆる「美しい日本の私」の心を民族として失ってしまったのかもしれません。「そんなことはない」と信じて、林業の低迷により京都の歴史的文化的価値が損なわれる危機にあることを、今のうちに心ある市民や観光業者に訴え、協力を仰ぎ、一部でも北山林業を持続させることは出来ないものかと勝手ながら思案しつつも、何の恩返しも出来ない我が身の無力さに忸怩たる思いです。


(写真 8 台スギに仕立てた北山スギ林)

地域の大学は何かできるか

大久保達弘(宇都宮大学農学部)

 大学の専門教育課程で地域林業や有名林業地の育林施業体系・技術を講義し始めて数年たつ。市販教科書での有名林業地の施業体系に関する記述は現状を正しく伝えていないのではないかと感じており、教科書との違いを知りたいと思いシンポジウムに参加した。有名林業地が直面する課題に取り組んでいる発表者の生の声は大変興味深く、現実を学生に伝えるための有効な情報源となった。教科書でも取り上げられる有名林業地からの報告は、共通点として生産林としての役割の低下、有名林業地特有の伝統的施業体系、伝統工芸ひいては伝統文化の消失の危機である。森林施業上の課題として主伐(皆伐)の減少、造林面積の減少、要間伐林分での間伐遅れなど一般林業地が抱える問題が、有名林業地でも同様に生じている。要因として労働投入力の減退、後継者不足など産業構造の変化、グローバル化など現代の林業が直面する問題が生じていることが指摘された。有名林業地の最大支援者は川下の消費者であるが、昨今の消費構造の変化は川上の生産者に伝統的施業体系を揺るがすほどのインパクトを与えている現状が報告された。行政担当者の方々からは有名林業地を何とか盛り上げようとする熱意ある言葉が印象に残った。
 聴衆として一番気になるのは将来シナリオと方策である。シナリオとして放置、現状維持への模索が示されたが、復活シナリオがなかなか描けない中新たな用途開拓を含めた方向性が示された。たとえば北山杉での伝統工芸としての林業技術体系の保存やウッドマイレージ運動などが印象に残った。また有名林業地の存続には地域社会のかかわりが重要である。有名林業地には林業技術・伝統を伝えることのできるインフォーマント(“有名林業の達人”)が必ずおり、それらの人々が将来の潜在的後継者である地域の子供達に伝えられることができれば有名林業地の現状維持や復活に向けたシナリオの一つとなりうる。その方策の一つとして地域の学校教育(とくに初等中等教育)を通じた技能・知識の伝承がある。伝承の際、インフォーマントや大人から子供達に直接伝えるのではなく、地域の若者、特に大学生(森林・林業専攻生など)が有名林業地のインフォーマントと潜在的後継者となりうる児童生徒との間に立ってファシリテータとしての役割を果たすことができるかもしれない。地域の大学の森林・林業専門教育機関がこのような機会を積極的に作っていくが重要でないかと感じた。

 

販売まで見通した育林技術・施業体系を

奥田裕規(森林総合研究所)

「技術的視点から見た伝統林業の現状と将来」というテーマのシンポジウムに興味がありました。林業経済学会員の私にとって、非常に罪づくりなテーマでした。本業をサボって、こちらのシンポジウムに参加しました。
色々と考えさせられました。いいシンポジウムだったと思います。スタッフの皆さま、発表者の皆さま、本当にご苦労さまでした。
 北山のような、製材所を通さない、ほぼ最終製品の形まで仕上げてしまう林業は家づくりと直結しているため、販路の縮小に対して、転用等の逃げ道がなく、直に林業経営に影響してきます。
 「技術的視点」の技術は「育林技術や施業体系」を指すみたいですが、その結果、生産された商品が売れなければ何のための技術なのでしょうか。やはり、売り先、需要の先を見通した林業、「育林技術・施業体系」でなければならないだろうと思います。ただ、今の時代に合わないから、北山林業はなくなってもいいという問題ではなく、これからも、博物館のような形ではなく、産業として、「なりわい」として残っていって欲しいと思います。そのためには、北山スギを使った家が建てられていく、山から大工、施主までの繋がりをきちっと作っていく努力が必要だろうと思います。そのためにはどのような条件整備が必要なのかということを考えていかないとだめだと思います。難しくて、簡単には回答が見出せないですが・・・。
 これからもいい企画をお願いいたします。期待しています。

マネジメントプロセスの中に、「手段」としての「森林施業」を位置づけて欲しい

田中伸彦(森林総合研究所)

 施業研究会には、数年に一度くらい、気が向いた時に顔を出している。つまり私は、いわゆる「冷やかし参加者」であり、部外者である。
 私は森林風致計画学、特に観光レクリエーション計画分野の研究者である。森林学会に参加しているので、普通の人よりは、職業者として森林に対して深い関わりを持っているし、縁あって現在は森林総合研究所にも勤務している。従って、林学そのものには深いつながりはある。しかし、私自身は施業研究に携わっているわけではないし、山持ちではないので施業の実践も行っていない。つまり、「飯の種」として施業に関わっていない。このような立場なので、私は施業研究会的には「冷やかし参加者」であり、部外者だろうと自分自身を位置づけているわけである。

 このように自分自身を認識していながらも、数多くの研究集会の中から、わざわざ施業研究会を選んで今年も出席している。動機は「森林施業研究の行方(ゆくえ)」が、どうしても気になるからである。
 施業研究会はいつも多数の出席者がいて、活気にあふれている。産学官の重鎮も参加しているので、貴重な発言を生で聞けておもしろい。この前は、「退職してNPOで施業の実践をやっている風貌の男性が、政策にまで踏み込んだとても鋭い発言をしているなあ」と聞いていたら、造林学の重鎮だったこともある。(現在その人はNPO でも活動しているので、ある意味、私も見立ても正しかったのだが。) 何はともあれ、この研究会は施業技術に関する論理をしっかり持っているので、数年に1度出席して、座学を受けるだけでも自分が大変賢くなったように感じるわけである。

 ただし、自分が賢くなっても、大前提として気になっている「森林施業の行方(ゆくえ)」が見えるようになったかというと、それについては「NO」と答えるしかない。施業研究会の話だけでは埒がかないという感想を益々強くして帰ることになるのである。
 それは何故か? 端的に言ってしまえば施業研究が「手段の学問」であるからだろう。「手段」とは「目的を達するための具体的なやり方。てだて。」のことである(広辞苑)。最終的な目的が曖昧なままであれば、どんなに良い手段があっても適用できない。例えて言えば、どんなに良い薬を揃えていても、病名が特定できなければ処方のしようがないというのと同じ状況だと言えよう。目的が曖昧なまま、手段のとしての施業の議論を行わなければならないのは大変であろう。林政学者に文句の一言も言いたくなるだろう。ただ、このようなシチュエーションは何も林政だけに限らず、オールジャパンの行政一般に言える問題となっている。(この辺の問題構造に関心のある方は、政策研究大学院大学の岡本薫氏の著作が参考になるかもしれない。が、ここではあまり深く突っ込まないでおく。)

 今回の施業研究会のテーマは「伝統林業の現状と将来」であった。要するに伝統林業も経営的に深刻な危機に直面しているため、どんな将来像を描けば良いかが分からないという点が、問題となっていると言うことであろう。ただ、この問題の解答は、「手段の学問」としての施業研究からは、本来導き出せない筋違いのテーマだろう。なぜなら現在ぐらついているのは「施業技術」ではなく「目的の設定」だからである。「施業技術」は1つも揺らいでいない。伝統林業の「目的」がぐらついて、いままでの目的を変えるのであれば「手段」としての「施業技術」そのものを取り替えなくてはならない。その判断は「施業技術」の研究から導き出されるのではなく、マネジメントプロセスの分析の結果、導き出されるものなのであろう。技術的側面だけで解決できる次元を、超越したレベルの話である。
 ただ、今後、施業研究会はこのような問題に対峙しなければならない機会が益々増えると私は思っている。(私は出席できなかったが)以前、森林計画学会とのジョイントセッションを施業研究会では行ったようであるが、議論のすれ違いが多かったというふうに伺っている。そうならないためには、議論の幅をもう少し広げる必要があろう。計画論だけに留まらず、マネジメントプロセス全体に踏み込んだ議論に拡張し、その中で「手段」としての「施業技術」がどの様に位置づけられ、活用されるのかと言うことを、施業研究会全体で認識し、今後の議論をすすめていくことが肝要だと私は考えている。

林業技術の伝承

和口美明(奈良県森林技術センター)

 今回の研究集会では能登、今須、そして北山、いずれの林業地にも共通する問題として「技術を伝える後継者がいない」ことが挙げられました。そして高橋先生のお話にありましたように、吉野林業も同じ問題を抱えています。私は奈良県で後継者の育成に関わっていますので、この問題については十分承知しているつもりでした。しかし高橋先生が示された最近の造林面積の推移を見て、後継者が林業技術を習得する場がなくなるのでは、という危機を改めて感じました。
 林業には植栽、下刈り、枝打ち、選木、伐倒、集材など様々な技術があります。必要とされる技術は樹木の成長とともに移り変わりますが、一年の間でも季節とともに移り変わります。春には地ごしらえや植栽、夏には下刈りやつる切り、そして樹木の成長休止期である秋から冬にかけては枝打ちや伐倒技術が必要です。言い換えますと、一年を通して林業に従事するために、林業技術者は複数の技術を身につけておく必要があります。
 林業界に限らず、技術は知識だけでは役に立たず、現場で実践を繰り返し、何度も失敗を重ねながら身につけるものです。造林面積がここ数年ゼロであるという事実は地ごしらえ、植栽、下刈り、つる切り、紐打ち技術を習得する機会がないことを、そして十数年後には枝打ち、選木、伐倒技術を習得する機会がなくなることを意味します。この状況が今後も続けば、最後にはこれらの技術を次代に引き継ぐことができなくなります。後継者に技術を伝承するためには、若齢林から高齢林まで生育段階の異なる林分が地域ごとにバランス良く存在することが必要不可欠です。昨今、「造林未済地」や「再造林放棄地」といった言葉をよく耳にするようになりましたが、そのことは取りも直さずそのバランスが崩れゆくことを暗示しているのでしょう。
 能登のアテ、今須の択伐、北山の磨丸太、そして吉野の大径材仕立、いずれの林業も長い歴史の中で培われた技術に支えられてきました。これらの技術はもはや日本の伝統技術であり、その技術を絶やすことなく次代へと伝承することは私たち林業技術者の使命であると思います。今回の研究集会に参加させていただいて、改めて気を引き締め直した次第です。
 最後になりましたが、この研究会を開催していただいた施業研究会の皆様、それぞれの林業地における現状をお話しいただいた演者の皆様、ご自身の林業に対する考えや経営方針について貴重な話題をご提供いただいた中原氏に深く御礼申し上げます。中原氏には技術の継承に関するご意見や経験談などもお伺いしたかったのですが、これは次の機会に。

伝統林業の技術の高さと現状の厳しさ

小山未奈(東京農業大学)

今回は前夜祭・シンポジウムとも初参加でしたが、いろいろと刺激を受けました。
 まず、驚いたのは施業研に錚々たる面々がいらっしゃること。それぞれ考えている事は違えど、どの皆さまも林業に対する熱い思いをお持ちなのがひしひしと伝わりました。あれだけ各地でご活躍され、成果を築いてこられた方々が施業研にいらっしゃるのですから、日本の林業はなんとか再生してくれるんじゃないかと思ってしまいますが、なかなか上手くいかない様子を見ると、日本の林業は本当に難しい問題を抱えているのだと改めて感じました。
 一番印象に強かったのが北山林業の話をされました岩田様のお話でした。我が農大のOBということで大変嬉しかったのですが、それ以上に自分がかの有名な北山林業の事を知らな過ぎることに驚きました。
 漠然とこんなものかという程度でしたので、あんなに一本一本丁寧な仕事で仕上げていくこと、それらは科学的根拠のある品質向上のための作業であること、そしてその伝統的な手法がそして現在瀕死の状態であること、岩田様の軽妙な語り口でどんどん進められて行き、改めて知ることの多さに驚きました。
 あれだけ素晴らしい技術が消えてしまう危機にあるということは本当に悲しいことです。
日本にはいろいろな伝統工芸や文化があり、それはどれも同様に後継者不足で苦しんではいますが、細々と若い人達が努力をしているのがよくTVなどで見られます。
でも北山は同じように行くかどうかには不安が残ります。危険な作業であり、かつ収益が確立されているわけでもないという現状。
 岩田様がおっしゃっていたように、林業という産業以外にも「伝統文化」としても残していかなくてはという気持ちは非常に強くなりました。おそらく、これは北山林業に限った話ではないのでしょう。
 しかし、どの伝統文化も「ものづくりへの思い」が根底にあり、「より良いものを作ってその良さを知ってもらおう」という職人の気持ちがなければ伝統技術は継続しないと思います。やはり「木を使ってくれて、よさを理解してもらう」というモチベーションがなければそれはなかなか後継されないのかと思うと、あとは私達の任務かと感じました。北山を始め、アテや吉野にも伝統技術の中に科学的根拠のある(だろう)品質向上のためのワザがありました。私達はそれを検証・実践し、品質のよい材を多くの人に使ってもらえるような努力をしなければいけません。そのためにはカローラの話に挙がっていましたが、均質であり、手に入れやすいものでなくてはという課題もあります。確かに私の収入では北山の柱を使った茶室のある家はおそらく一生かかっても建てられないと思います・・・。
 科学者はサイエンス(真理の追究?)という視点に偏りすぎず、たまには少し離れて社会経済のことを考えながら研究の方向性を定めていかないといけないのだな、と改めて考えさせられました。

 

新興林業地域と伝統林業地域の差異は大きい

中森由美子(和歌山県林試)

 すきま産業を狙えるようなブランド力をもつ伝統的林業地域と新興林業地域では、圧倒的に蓄積してきた内容が違う。抽象的かもしれませんが、森林(針葉樹人工林)に対する誇りや愛着などが長年の風土として培われてきたかどうかの差異は大きいように思います。新興地域においては、このような意識の醸成を欠いたままでも、これまでと同じように先進地の施業を模倣することで、長伐期施業は可能なのかもしれませんが、先進地と同様の材価で取引きされる訳ではない現実に直面した時に、森林所有者はますます山から離れていくのではないかと思います。と嘆いていても仕方がないので、育林分野の課題を現実的に考えると、中原氏の主張にもあった「いかに健全に針葉樹人工林の蓄積を増やしていくか」に尽きるのだと思います。これと同時に、なぜそこを目指すのかを説明していく必要もあるのだということを改めて認識しました。

総会・全国交流会、開かれる!
 森林施業研究会のシンポジウムに先立ち、前夜、京都百万遍近くの居酒屋「しゃらく」で、総会を兼ねた全国交流会が開かれ、各方面から35名もの「会員」が参加した。交流会の前に開かれた総会では、今期で退任する鈴木代表から次期施業研の執行体制の提案があり、満場一致で承認されました。新体制は、代表に大住克博氏(森林総研関西)、事務局長に横井秀一氏(岐阜県森林研究所)、会計に長池卓男氏(山梨県森林総研)、HP担当の事務局に太田敬之氏(森林総研)と櫃間 岳氏(森林総研東北)となります。
 この後、交流会に入り、翌日のシンポジウムの話題提供者5名を交え、各地域、大学、現場などからの参加者の間で様々な論議が繰り広げられました。終了間際には、京都大学名誉教授の河野昭一氏も駆けつけ、その後は綿渡邊顧問など数名の参加者とともに、祇園の街に消えていきました。


(写真 9 交流会の様子)

施業研究会、現地検討会は9月上旬、茨城開催が決定!

 施業研究会の事務局会議で、今年度の現地検討会(合宿)は、9月茨城での開催が決まりました。受け入れ主体は、関東森林管理局森林技術センター(笠間)となります。茨城開催は、2003年開催に続き2回目となり、今回は前回の現地検討を行った筑波山試験地などでの取り組みのその後を検証するほか、茨城県北部で行っている水辺林再生事業や集水域管理試験などを見学する予定です。詳しくは、次号のニュースレターでお知らせいたします。ふるってご参加ください。

 

現場からの報告

千葉 賢史(静岡森林管理署)

 私は現在、静岡森林管理署に森林官として勤務しています。富士山の静岡県側、標高約800~3,200mには12,418haの国有林が広がり、そのうち西麓から南麓にかけての約5,100haを管轄しています。


(写真 10 森林管理署管内の山林)

 まず、森林官の日々の業務についてですが、これについてはニュースレターNo.41で元森林官の縣さんがわかりやすく紹介しています。さらに付け加えるならば、造林請負事業や木材生産請負事業などの監督業務と労務管理業務等も行います。それぞれを簡単に説明しますと、
●請負事業の監督
 もともと国有林には植付け・下刈・間伐等の仕事を専門に行う職員(直営班)がいたのですが、人員削減等により廃止となり、現在では請負業者が行っています。森林官は請負現場に通い、契約通りに作業が行われているか、期間内に実行できるか、安全に配慮しているかなど、事業の確実な実行を監視すべく、現場監督を任されています。
●労務管理
 森林事務所所属職員の年間の業務計画を立て、日々の仕事の指示を出し、勤務実態を記録・報告するなどの労務管理も森林官の仕事の一つです。また臨時雇用職員の労務管理も行っています。
 森林官の業務は森林パトロール・監督・間伐調査といった現場仕事から、総務・経理といった事務仕事まで多岐にわたっており(言ってみれば、小さな商店の店長さんみたいなものでしょうか)、めまぐるしく日々が過ぎていきます。森林官の業務は事務所ごとにその業務内容や量に差があり、私の場合は先にあげた請負事業の監督業務が大半を占めています。
 次に、日々の業務とあわせて取り組んでいる、富士山国有林におけるシカの食害調査についてご紹介したいと思います。
 私の森林官としての初年度は、春は前年度補正予算での間伐の監督、夏から秋にかけては製品生産事業の監督と当年度予算での間伐の監督、秋は次年度事業のための踏査、冬から春にかけては補正予算での間伐の監督と、一つの監督業務が片付いたかと思うと次の監督業務が始まる状態で、監督業務の合間に報告書の作成や間伐調査などを行い、何とかこなすことが精一杯の一年でした。ようやく業務に慣れてきた2年目の春先、樹皮を剥がされた痛々しいヒノキがあちらこちらで目につくようになりました。


(写真11 剥皮被害にあったヒノキ)

 樹皮が根張りから私の頭を超える高さまで剥かれているヒノキが続出、中には長年手をかけて育ててきた80年生を超えるヒノキまでも被害にあっていました。この様子を見て、何か出来ることはないのか、一人では力不足、自分にできることはフィールドに近い森林官の強みをいかして被害をデータとして捉え、人に見せることではないかと考え、業務のかたわらできる調査はないか、森林総研のYさんに相談にのってもらい、ライトセンサスによるシカの生息密度調査とコドラートを設置しての剥皮被害実態調査の2つの調査を試みることにしました。


(写真12 夜間の調査で撮影したシカ)

 シカの生息密度調査により、推定生息密度は10~15頭/km2であることが示されました。環境省が策定した「特定鳥獣保護管理計画技術マニュアル(ニホンジカ編)」において、農林業被害があまり大きくならない生息密度は1~2頭/km2、自然植生にあまり目立った影響がでない生息密度は3~5頭/km2以下との指標が示されていますが、本調査で示された値は、それらの指標に比べ十分高い値を示し、調査地域の生息密度は植生に影響を及ぼす状態にあると考えられました。また、静岡県では、伊豆地域における特定鳥獣保護管理計画が策定され、その計画の中で、伊豆地域の針葉樹人工林における生息密度が14.5±17.8頭/km2(平成16~18年度調査)と示されており、メスジカの可猟化・管理捕獲の実施等により頭数管理が行われています。今回の調査で得られたデータが伊豆地域のデータと同程度であることから、富士地域(鳥獣保護区に指定)においても、頭数管理を検討する段階にあることが考えられます。
 また剥皮被害実態調査により、調査区全体の被害の割合は根張のみ剥かれた被害が15%、樹幹まで剥かれた被害が60%であったこと。剥皮は、地際から20cm程度まで剥かれる被害が多いですが、180cmまではほぼ一定であり、シカの体高(80~100cm)から考えると、地際から剥ぎ上げて体高以上の高さまで剥かれてしまうものもあったことなどがわかりました。しかし、今回の調査地が29年生のヒノキ林1カ所のみと限定的であったため、被害に傾向があるのかどうかを明確につかむまでには至りませんでした。
 調査はまだ始まったばかりで、まだまだ対策を練るまでには至りません。最近になって、どうやらIV~VI齢級のヒノキ林の被害が深刻であることに気がつきました。遠くから見るといきいきと生長しているように見えるのですが、立木のほとんどが樹皮を剥がされており、数年後には枯れるものが続出すると思われます。生き残っても木材としての価値がないであろう、これらのヒノキ林の取り扱いを今後どうしていくのか、検討する必要があります。また、苗木には保護ネットやシカ柵を設置し、立木にはポリプロピレン製ネットを設置してシカ被害から植栽木を守る試みも行っていますが、保護資材の設置にはかなりの費用がかかり、お金をかけて保護する価値があるのかについても、検討する必要があると思っています。
富士山国有林内全体の被害の程度・傾向を把握し、今後の対策を練る材料を得るために、調査を続けていきたいと考えています。

<編集後記>

 今回から森林施業研究会の事務局担当になりました。前職のような洒脱なコメントは書けませんがご容赦ください。
 シンポジウムでは伝統林業地でも後継者不足が深刻な事例が紹介されましたが、それは林学全体についても言えることかもしれません。さらに問題なのは林学には後継者となり得る若手がいるのに、その受け皿があまりに小さいという現実です。就職した時の研究室長の年齢を私はすでに越えてしまいましたが、私の周りには30代の若手すらおりません。試験地データの引き継ぎなどの問題がすでに現実のものとなっています。林学の衰退を招かないためにも次代の「植樹」を急ぐ時期に来ているとの感を強くしています。
 最後にシンポジウムで発表された方、今回原稿を寄せてくださった方に厚くお礼申し上げます。

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