木霊 (TARUSU)

森林施業研究会ニュ-ズ・レター  No.54  2012年7月18日
Newsletter of the Forest Management and Research Network


目次

林業において歴史とは何か。

第16回森林施業研究会シンポジウム

「林業の歴史に学ぶ ~未来のために過去を活かす~」の報告

石川 実(愛媛県林業研究センター)

 第123回日本森林学会大会の関連研究集会のひとつとして、平成24年3月29日(木)9時00分~15時30分 宇都宮大学国際学部E棟1151教室において、シンポジウムは開かれた。やや狭いかと思われた約80席の教室が「満員御礼」となり、補助いすや立ち見が出るほどで、約100名の参加があったと思われる。話題提供は以下の7題で、その概要を報告する。

1. 人工林施業の指摘展開と今日的課題   熊崎 実(元岐阜県立森林文化アカデミー)

熊崎先生
講演中の熊崎先生 

(1)森林に刻まれた林政と林学の貧困・・・森林の現実の姿は森林がどのように取り扱われてきたかを忠実に反映する。この四半世紀のあいだに管理放棄の森林が広がり、わが国では「良い山をつくる」という視点が失われている。

(2)育成林業を生み出した日本と中央ヨーロッパ・・・育成林業が成立した共通の背景として、良質な天然林材の枯渇、森林の過剰利用による荒廃、木材価格の長期的な高騰、かなりの長期にわたる社会経済の安定、木材資源の確保を目指す社会的な合意があるとされた。

(3)スギ・ヒノキ林業の成立と多様な施業方式・・・スギ・ヒノキが超優勢木として点在、古代から木造建築物がつくられ、建築材としてスギ・ヒノキの価値は不動のものに、天然生の巨木は伐り尽されたが、近世に入るあたりから、スギ・ヒノキの材価が高くなり、人工林が各地に造成された。戦前までに造成された各地の人工林では、地場の要求により、植栽密度、間伐方式、伐期など地域差が大きく多様であった。

(4)木材価格の激変にとまどう戦後の人工林施業・・・1950-70年代、密植短伐期、施業の画一化が進んだ。1970-90年代、木材の品質による価格差拡大、外材輸入増加で、量産型短伐期林業成り立たず、小角材狙いの良質材施業が台頭してきた。1990-2010年、良質材市場消滅、国際的な並材市場での激しいコスト競争にさらされる当面の問題として、再造林費が捻出できず、伐期が延ばされているが、長伐期の仕立て方になっていない。また、ドイツ・オーストリアの林業と日本との違いとして、ドイツ・オーストリアの特徴は、成熟した森林資源基盤、張り巡らされた林道網、基礎的な森林保育の励行、製材工場の大規模化と原木の大量集荷体制、木質バイオマスの徹底したカスケード利用であるとされた。

(5)短伐期林業の台頭と長伐期林業の苦悩・・・短伐期林業が成立する条件として、伐期平均成長量が大きいことや収穫と更新作業の能率が高く低コストで実行できることが挙げられた。長伐期林業の収益性は、地代部分はおろか育成費も回収できなくなってきており、保続生産の基盤整備と安い更新費用が経営存立の条件であるとされた。

(6)これからの森林施業をどうするか・・・木材加工技術の進歩により並材から長大材や無節集成材ができるようになり、目標とする生産材を見据えた保育形式は無用になったのではないか? 伐期を長くして大径材を生産しても単価に跳ね返ってこない。長伐期のメリットは更新の回数が減るということなのか? 収穫のあとの更新が施業の最も重要な決め手となる。森林組合等が小私有林を団地化して一括施業する方式が提案されているが、これと平行してドイツやオーストリアタイプの中小規模林家を積極的に育成すべきである。一番玉林業から脱却し、製材用材と一緒に出てくる低質材の出口として、地域熱供給プラントや低質材の集積基地が重要な役目を果たすことになるとされた。

2. 秋田天然スギ択伐施業史にみる理想と現実   太田 敬之(森林総合研究所)

 大正末期から昭和10年くらいまでを対象とした事象で、秋田営林局管内の秋田天然スギ林で「択伐施業」が行われていたが、どのようなことが「実際に」おこなわれていたのかを検証された。択伐施業を行うようになった背景は、皆伐・再造林を行っていた中で、造林費がかさんだり新植がうまくいかなかったりしたことで、自然の力で省力的・経済的な更新が求められ進められたからである。スギの天然下種更新面積が、昭和元年から急増したことや秋田天然スギに関する研究も1920年代に急増していることも挙げられた。大正末期から昭和初期に秋田スギ林の「択伐論争」があり、推進派としては、寺崎 渡・岩﨑準次郎の両氏、批判派としては、和田國次郎・中村賢太郎の両氏であったが、推進派の寺崎 渡、岩﨑準次郎の両氏により、択伐指導が進められた。寺崎氏は、天然更新により更新木を育成するというもので、材積比では全層択伐が取られた。岩﨑氏は、小径木ほど本数の多い「法正林型」を理想年として、材積比では上層択伐が取られた。岩﨑は、スギの更新は天然力に頼るべきで、なるべく人手をかけないほうが良いとの考え方から、林床処理はしない方法であった。択伐後のスギ稚樹に期待した施業は、各営林署からの報告で、「スギの実生が多く定着し、旺盛な成長をしている」という報告は皆無で、更新に失敗していた。ところが、現場からの声では、「択伐後発生する稚樹や前生稚樹を放置して順調な成長を期待するのは至難であるので手入れ刈りの必要を痛切に望む」とあり、現場の声を疎かにした施業で残念な現実であった。

3. 択伐林施業の失敗の歴史から学ぶ長伐期人工林施業の展開-将来木施業の択伐理論展開-   渡邊 定元(Φ森林環境研究所)

渡辺先生
渡辺先生

(1)択伐林施業の失敗の歴史から学ぶ施業技術・・・天然林施業による森林劣化の主な要因は、高い伐採率と更新の不確実性への技術的対応の欠如であり、前者は経営技術の改善により解決できるし、後者は、個々の種の更新に関する生活史の解明によって確実な森林の再生が可能となるとされた。

(2)放置人工林の列状間伐による健全化・・・放置人工林解消の対策として、静岡県において、防災水源かん養路網を用いて、列状間伐を行った事例を紹介された。劣勢木に活力を与え諸害に強い健全木に導くというもので、D2Hの歪度の推移により間伐効果と間伐時期が確かめられ、個体管理はD/H比、歪度、着葉量によって評価され、経済的に収益性が高められ、林木を長期にわたって品質管理する方途を導いた。

(3)中層間伐と将来木施業・・・中層間伐により同齢択伐林を造成することは、高蓄積・長伐期人工林経営の必須技術とされた。内容は、初回間伐からの経済性の確保、長期にわたる高収益の確保、列状間伐と組み合わせ人工林林床での目的樹種の更新する非皆伐による育林体系の構築である。さらに中層間伐は、将来優良木に誘導する将来木候補木の選定へとつながる。将来木候補木とは、通直で無欠点であること、継続的に肥大成長が見込まれる着葉量が覆い個体、病中獣害を受けていない個体、樹高成長に応じ13mまでの枝打ちを行える個体とされ、ドイツ・オースリトアの将来木施業の選木基準の「バイタリティ(樹冠の大きさ、幹の大きさ)、質(真っ直ぐな木、枝が細い)、配置」とは似ているようで、異なる選木基準のようである。将来木は、100年で200本/haを目標とするとされた。この本数は、着葉量が十分にあることを前提に決められたものである。

(4)スギ・ヒノキ人工林における天然更新技術・・・自然林の更新メカニズムを人工林の森林整備へ応用できないかという方向性のもと、同齢林を天然林に近い林型に誘導できないか、人工林の林床で望ましい天然更新ができないか、森林所有者に利益をもたらし国の助成なしでも将来展望ができる森林経営ができないか、を目標に掲げた施業案の紹介であった。列状間伐によりコケ植物が繁茂し発芽床となり、中層間伐等により更新床づくりを行い、中層間伐の繰り返しで若木バンクづくりをおこなうというものである。

4. 大正初期における国有林経営から明日の森林施業を考察する   平野 辰典(関東森林管理局山梨森林管理所)

 大正初期に国有林(茨城県にある笠間事業区)で作成された施業案編成説明書に基づく歴史的実証分析、林業に関する史料の要約と解題を目的に行われた研究内容であった。笠間事業区の主要樹種は、アカマツが大部分を占め、生産された木材もアカマツが大部分を占め、スギ・ヒノキは少数であった。笠間・益子町の陶窯業とは深いかかわりをもち、燃料としてアカマツ薪材が供給された。林産物の運搬には、鉄道が使用され、木材・木炭・薪ともに東京方面へ運ばれていた。この鉄道網の発達により、森林資源の利用が加速され、森林を酷使し続け地力が衰退していたのではないかとされた。このように、森林資源の利用形態は、時代背景や経済状況に大きく左右されており、施業案は、当時の国有林における組織事情が垣間見える重要な資料とされた。

5. 長く行われてきた調査の引継ぎ~さらに長く~   正木 隆(森林総合研究所)

 演者がかかわってきた長期研究の内容を、過去から残された調査データ、資料を解きほぐしながら、大変な苦労の末、調査地を探索し復元した経験から、調査の引継ぎの重要性を説かれ、調査地状況や研究成果を紹介された。

 今後、調査地、調査データ、資料をどう未来に引き継いでいくのか・・・現在では、調査地位置はGPSを利用し位置データを残していること、調査データはデジタルファイルで残すだけでなく、必ずプリントアウトして残すこと。そして、長期間の調査により、短期間では見えてこなかった森林の動きが見えてきた事例として、ブナの種子の豊凶、天然更新、長伐期施業においてスギでは成立本数をどのくらいにすればよいのか(スギ限界密度200本/ha・・・経験則を裏付けた)等が挙げられた。

6. 江戸の巨木林を再現する   小山 泰弘(長野県林業総合センター)

 私たちが普段見ている森林は、林分の発達段階モデルで云うところのどの段階であろうか?成熟とか、老齢段階とはどんな森林だろうか?という疑問から、取り組まれた内容であった。

 それは、島田汎家文書(長野県下水郡箕作村(現在の栄村)の名主を努めた島田家の文書群)を翻刻(ほんこく)し、江戸時代にあったと思われる巨木林を推測するものである。取り上げた文書は、御林(おはやし)木数(きかず)寸間(すんけん)目通(めどおり)書上帳(かきあげちょう)[文政4年]で、そこに記された樹種名、本数、長さ、目通廻から、毎木調査データとして集計することができ、位置、面積も特定できた。文書には、張り紙や修正があり、訳あり気な内容、年の違う書上帳を見比べると、今で云う「コピー&ペースト」されたと推測される数値も??? とはいえ、集計値のざっと平均直径60cm、成立本数500本/ha、胸高断面積合計240m2/ha、そんな森林が13.49haあった。この数値は信じられるだろうか?という疑問も出るが、年の違う書上帳から、確からしさを求めて整理すると、最大直径ブナ150cm、ナラ210cm、トチ210cmがあったとされ、天然記念物クラス、世界遺産クラスの森林であったことは間違いなく、この森を丁寧に解釈することが出来ると、日本の森林の姿に迫ることができるかもしれないと、大いに興味の湧く内容であった。

7. 古い資料はあなたの役に立つ!   泉 桂子(都留文科大学)

(1)古い資料が教えてくれたこと・・・東京都水源林の報告書や施業案からは、広葉樹林は水分を多く消費すると考えられていた。鹿妻穴堰土地改良区の行政文書からは、水源林(岩手県雫石町)では、1927年から経営を開始するが、当初奈良県の吉野から大量に苗を買い付け、鉄道により輸送していた。これは、吉野ブランドが東北の地まで轟いていたことは興味深い内容である。東京大学演習林1905年の施業案からは、針葉樹一斉林の造成が至上命題であったと推察された。このように、古い資料には、当時の施業に対する歴史的事実や理念が詰め込まれていて、教えられることが多い。

(2)古い資料は誰のものか・・・(文献)「レンブラント」でダーツ遊びとは--文化的遺産と公の権利—から「自分の所有物でないものが壊されたり、どこかへ持ち去られたりした場合に、我々が何かを失ったという感じを持つのは、何故であろうか」と引用され、「森ほど公なものが他にあるだろうか?」とされた。「高知営林局は、情報公開法の施行に伴い史料はすべて廃棄」されたが、前橋営林局の国有林史料は、2007年9月に福田首相が誕生し、首相の地元でたまたま関心をもったことから、国立公文書館へ一括移管され、保存に一定の道筋がついた。ただし、第1級の地方史史料であるにもかかわらず、国の機関に移管されるのはどうかと、地域で活用できる道を開くべきであると。このように、行政的に見て価値が低いと判断される史料(学術的判断ではなく)は廃棄される可能性が高いとされる。

(3)古い資料活用・保存の取り組み・・・岩手大学図書館に出来た小繋文庫の内容を紹介された。小繋文庫とは、小繋事件の裁判記録ほかを保存している。これは、裁判記録は、公判後数十年を経過すると廃棄対象となるため、廃棄せずに保存しておこうという取り組み事例である。

8. コメンテーターによる講演のとりまとめ   大住 克博(森林総合研究所関西)

 林学とは、科学と歴史が融合する学問と考えられるが、最近どうも歴史が弱くなってきており、歴史をもっと重要視すべきではないかという今回テーマ設定の理由を説明された。前半の4講演は、現在の森林の状況は如何なる歴史的経過で形成されてきたかというもので、日本林業は一番玉林業から離れられなかったこと、法正林にとらわれた択伐林施業であったことなど、結果を見届けにくい森林施業では、ある思考の枠組みに囚われやすい歴史があったとされた。思想が施業技術で主役を果たすこともあったし、思想に偏りすぎた施業は、しばしば技術を置き去りにした。だから・・・、歴史を冷静に回顧することが必要である。後半の3講演は、歴史をどのように学ぶかをテーマとし、様々な歴史的資料がもつ可能性を示したし、見えない世界が見えてくることもあるが、解釈は慎重にしなければならない。と、7つの講演のポイントをまとめられた。

9. 全体討議

 過去の人が作ったものを使って研究しているのだから、施業研究会あたりが試験地利用を募ってみたらどうかとか、大学に歴史をやるポストは是非とも必要であるという意見があった。学生さんの意見としては、古いデータの重要性を感じるが・・・、継続研究で続けることが目的となると意味を持たないのではないか。これに対しては、新しいデータを付け足すという考え方ではなく、新しい切り口を持つという考え方であれば、大いに意味があるとされた。特定の試験地データから言えることだけでなく、歴史から得られることも付け加えられると大きな成果となるのではないか。コメンテーターから「歴史に学ぶ重要性は理解できただろうか?」という問いが投げかけられていたが、・・・雰囲気は分かるが基本的情報が足らないので、なんとなく理解できたというところではないだろうか。

 

森林施業研究会シンポジウムの感想

歴史に学んだ後は未来に向けた議論を

図子 光太郎(富山県森林研究所)

  今回のシンポジウムでは、かつて行われた研究のデータや調査地を掘り起こし、新たな視点や手法を加えることによって、課題解決に導いた事例を数多く拝見することができました。そこから導き出される結論は、明快、かつ説得力に富んだものであり、長期の森林動態をみる方法として、むしろこちらが正攻法なのではないか?という印象すら持ちました。過去の調査地やデータをうまく現在と結びつける手法は、もっと積極的に取り入れられるべきだと思われますし、新たに試験を始める場合にも、将来の研究者がいろいろな形で利用できるように設計しておくことが重要であると痛感させられました。一方、熊崎氏の人工林施業を中心とした林業史の解説は、海外の林業との対比を交えながら、的確な分析により日本林業の現状と問題点を見事に浮き彫りにしており、この話を聞けたことは個人的に大きな収穫でした。木質バイオマス利用に関する氏の講演は何度か拝聴していましたが、このような歴史観・林業観に基づく考えであることを知り、大いに認識を深めることが出来ました。

 今、現場に目を向けると、森林・林業再生プランのもと、素材生産を目的とした間伐が積極的に進められています。作業路が敷設され、プロセッサやフォワーダが慌ただしく動き回っている様子をみると、林業がかつての活況を取り戻しつつあるようにもみえます。しかし、目標とする林型や伐期すらも明確でない施業が、持続的な林業経営を可能にするとも思えません。熊崎氏は「現在の日本林業の衰退は、林政の貧困に他ならない」と述べられました。では、現在の政策は本当に日本林業を再生へ導いているのか、そしてこの流れによって将来どのような森林が形成されるのか、林業関係者であれば誰しも大いに関心を持つところでしょう。当研究会は、これまで様々な林業地を訪ね、ついには過去にも遡り、森林管理や施業について検討を行い、知見を集積してきました。次回の研究会では、この流れの先にある将来の森林やそれをよりよい方向へ導くための施業のあり方について議論できることを期待しています。

「林業の歴史に学ぶ ~未来のために過去を活かす~」 感想

井上 真理子(森林総合研究所多摩森林科学園)

 森林科学の学会で、林業を題材に「歴史」に学ぶという、人文社会との境界領域と思われるテーマでのシンポジウムが開催されるというので、参加しました。施業研究会の「まだ林学をやっている」のキャッチコピーからは、時代錯誤を(いい意味で)自負されていることを感じますが、会場は開始早々からほぼ満席で、熱気に包まれていました。時代は、施業に関心が向いている様子を感じました。

 7名の講演者の方々から、今後の林業の施業を考える題材として、これまでの施業の歴史から学んだ情報提供が行われました。歴史に学ぶアプローチの仕方は実にさまざまで、択伐施業を行われた経過の生態学的な検証、国有林の施業案の記録をもとにした検証、古文書から読み解く江戸時代の森林の姿の復元、さらに施業実践の事例発表もありました。今の人間が知らない過去の話だけではなく、かつて林分調査をしてデータがある試験地を復元して、長期的な変遷を追うといった、試験地調査の歴史の発表もありました(内容に誤解があったら申し訳ありません)。

  林業は、実験をして結果を得るのに長い期間がかかるので、改めて歴史に学ぶことの重要性を感じました。「林学」は、実践現場をもつ実学です。歴史や現場に学ぶ姿勢は、これまでの取り組みを総括し、チェックし、改善するという、PDCAサイクルそのもので、学問が社会に役立つ最先端ともいえます。また今後方針を決めるには、価値観が伴った検討を行う必要があり、生態学の知見と共に、人文社会などの知見や、関係者間での連携協力も不可欠です。発表の中で、「今は先が見えにくい不確実な社会であり、正確な将来展望を示すことが難しく、林学からはせいぜい妥当性を示せるか」といった発言があり、とても印象に残りました。

 私は、「森林教育」を研究テーマとしており、施業研究との関連性が薄いと思われがちですが、関係性は強いと思っています。これからの森林や林業のあり方を技術で示すのが施業研究であれば、未来における森林との関わり方を語るのが森林教育ではないかと思います。これからの林業技術者の育成も、森林教育のテーマです。その意味では、森林施業研究会での知見を、これからも大いに学ばせていただければと思っています。森林科学の中で、「林学」をどう位置づけるのか、施業研究会の取り組みに、とても興味があるところです。

 最後に余談になりますが、シンポジウムの会場では、後ろで立ち見をしていた人に、研究会の運営者の方が空いている席を探して案内されていました。参加者に気遣いをされる方々が企画している、人間味あふれる会が、面白くない訳がありません。この研究会の良さを感じた一幕でした。

「念願の施業研究会に参加しました」

大矢信次郎 (長野県林業総合センター)

 2年前に現所属に配属になってから施業研究会の存在を知り、今まで大変関心を持って活動や出版物を見させていただいておりましたが、今回、念願のシンポジウムと前夜の懇親会に参加させていただきました。

 皮肉にも、最も身近な存在で最も頼りにしていた先輩である小山泰弘さんが異動するというタイミングと重なってしまいました。もっと早くから一緒に参加していれば良かったと、今更ながら後悔しております。でも小山さんは、これからも引き続き参加されると思いますけどね!

 さて今回のシンポジウムでは、古い資料から過去の森林の姿や施業の実態を再現したり、大先輩方が築いてきた試験地を復元して、新しいデータも得ながら過去のデータを活用するという手法についてご講演いただき、大変興味深く拝聴いたしました。森林・林業に関する研究というものは、1年や2年ではなかなか結果が出にくいものが多く、私が携わる針葉樹人工林の間伐や更新の課題についても、長い期間のデータの積み重ねが必要です。自分も今、我が上司が過去に苦労して設定した試験地とデータを引き継がせていただいており、その幸せを改めて感じた次第です。

 また、自ら設定した試験地で、結果が得られるのは5年先、10年先というものはざらにあるわけで、自分がずっとかかわっていられればそれはとても嬉しいことですが、異動や定年退職で職を離れねばならなくたった時に、如何に次代に引き継いでいくか、ということも常に意識して研究を進める必要があると、改めて感じました。

 秋の現地検討会を楽しみにしております。

 

寄稿

「法正林」の考え方-森林施業研究会シンポジウムに参加して

比屋根 哲(岩手大学)

はじめに

 第16回森林施業研究会シンポジウムのテーマは「林業の歴史に学ぶ」で、私の本来の専門である森林施業史研究がそのまま扱われる内容であることから、喜んで参加させていただいた。また、本シンポジウムのサブテーマは「未来のために過去を活かす」であった。歴史学者の故高橋磌一は歴史学を学ぶ意義について「厳しい現実の空気を吸いながら、国民の信頼と付託にこたえ、現在をいかに意義あらしめるか、現代の歴史のなかで如何に生きるかという問題として、私たちは歴史学を学んでいくのだ」と述べている(高橋磌一「歴史学入門」合同出版,1981年)。本シンポジウムのサブテーマは、私たちは歴史を単なる興味だけから眺めるのではなく未来を展望するために探求するのだという、本来の歴史学の立場が無意識のうちに表明されていると感じた。まずは、主として造林学分野の研究者がこのような歴史的な視点に関心を持ちシンポジウムを企画された森林施業研究会スタッフの皆様に敬意と感謝の意を表したい。

 そもそも、最近の森林学会関連の集まりで、森林の歴史をテーマにシンポジウムがもたれること自体が珍しいが、今回は同時に開催された林業経済学会のシンポジウムでも近代林学の歴史に焦点が当てられ森林の保続思想について議論される等、再び歴史に注目が集まっているようにも感じられる。このことは、「森林・林業再生プラン」に基づく林業の新政策の登場と何らかの関係があるかもしれない。そんなことを考えながら、シンポジウムの報告を聞かせていただいた。

 シンポジウムの感想はいくつかあるが、そのうち当日の話題で少し気になった「法正林(思想)」について、コメントしたいと思う。

法正林(思想)の是非について

 今回の報告の中で私が最も興味を持って聞いたのは、太田氏の「秋田天然杉択伐施業史にみる理想と現実」である。私も、以前に施業案説明書の分析から戦前期秋田営林局のスギ択伐作業の展開過程について検討したことがあるが(比屋根・尾崎「東北森林科学会誌」14巻2号,2009年)、太田氏の報告は過去の森林データを駆使し、より緻密に分析したもので非常に興味深かった。ただ、気になったのは質疑の中で秋田のスギ択伐作業の中身に関わって法正林(思想あるいは考え方)がやり玉に挙げられた点である。

 シンポジウムで太田氏が法正林について言及されたのは、大・中・小径木の林木配置モデルをもとに択伐の方法を論じた岩崎準次郎の考え方に関してであったように記憶しているが、法正林はもっと別の意味で森林経理学の支柱的考え方であったと私は理解している。それはともかく、シンポジウムでは戦前期の秋田国有林の択伐について、その失敗の原因の1つが法正林(思想)にとらわれていたことがあげられていた。しかし、この点で私は別の見解を持っている。

 法正林とは何か。厳密な定義は森林経理学の教科書を参照いただくとして私の理解を述べると、法正林はもともと皆伐作業級の中で輪伐期を設定し、時間的、場所的に秩序づけられた森林構成の理想状態を想定することで、毎年あるいは一定期間(分期)ごとに一定の収穫が得られるように考えられたモデルである。森林経理学では、皆伐作業だけでなく様々な作業種のもとでの法正林のモデルが研究され、択伐林の法正状態についても検討された。択伐林では、皆伐等の伐区式作業の場合のように林齢で法正状態を想定することは困難である。とくに天然林では細い木と太い木、高い木と低い木で樹齢がほとんど変わらない場合が珍しくなく、林齢で法正状態への誘導を考えることには無理がある。そこで注目されたのが林分構造で、理想的な択伐林型を直径分布で表わし、現実林型の直径分布をみながら理想状態に近づけるように伐採をすすめる方法が考案された。本シンポジウムで渡辺定元氏が紹介された定山渓国有林について、私は大学院生時代、たしか第二次大戦末期に編成された御料林定山渓事業区の施業案説明書の中に膨大な森林調査データと直径分布のグラフが掲載されているのを見たことがある。そこには、現実の直径分布のグラフに理想的な直径分布のグラフを対置した図が描かれていたように記憶している。残念ながら、当時の定山渓営林署で閲覧したその説明書はその後どうなったのか、いまではわからない。

 話を元に戻して、法正林とは本当に間違った考え方だったのだろうか?元帝室林野局の計画課長であった島本貞哉氏は、かつて次のように述べていた。「林学の進歩、発展にともなって、このような実在もしない、また到底実現もできない幻想的、観念的な法正林思想を金科玉条として収穫経理を行うことは有害無益である、という痛烈な批判が生じてきた。…ところが、法正林思想の是非、利害の判断はそれほど単純ではない。…1つの目標を設定し、この目標に到達するために、各種の生産手段を時間的に、数量的に、場所的に規整して事業を推進し、生産力を最高度に発揮できるように秩序だてることは、林業経営ばかりでなく、あらゆる企業経営において必須なことである。この意味において、御料林が法正林思想に立脚して、理想林を想定し、…生産量を増大し続けたことは、それなりに評価されるものと思われる。御料林経営で示されたこの歴史的実績は、法正林思想そのものはむげに否定できないことを実証しているといえよう」(御料林技術資料刊行会編:樹海を育てた日日,1978年)。

 私は以前、大学の森林経営学の講義で、法正林について上記の島本氏の考えを受験勉強を例にして学生に語ったことがある。「皆さんが高校3年生の時に受験対策として、たとえば英語と数学の問題集は夏休み中にここまで終えておく、といった計画を立てたことがあるだろう。そして、その計画は無残に達成できず終わった経験があるかもしれない。しかし、だからといって当初に立てた計画は全く意味がなかっただろうか。その計画があったからこそ、夏休みが終わった時点で自らの達成度が確認でき、今後の対応も考えられたのではないか。計画とは、何としても実現しないと意味がないというものではない。それに向かって突き進むしっかりとした目標を定めること自体に意義を見出すことができるのだ」と。

  法正林思想に大きな弱点があったことは私も十分に認識しているが、以上のように全面的にその意義を否定できるものではないと確信している。さらに言えば、現在、私たちは法正林を超えるだけの、将来の明確な森林の姿を描くことができる理論を持ち合わせているだろうか。法正林の考え方を止揚する理論を構築する課題を担うべき森林経理学が、その後も森林科学の中で衰退の一途をたどったことは誠に残念である。また、そう言う自分自身は何もできなかった無力さを痛感させられたのが、今回のシンポジウムであった。

  戦前期、秋田国有林の択伐作業の思想的功罪としては、法正林思想よりも当時日本に移入されたメーラーの恒続林思想のうち、造林費の節約に好都合だった天然更新論のみを意識的に利用したことのほうが大きかったと思う。ちなみに、同じころの北海道御料林では天然更新補助事業を積極的に展開し、海外から移入された考え方をつまみ食いすることなく、現場主義の施業が行われたことは高く評価されてよいだろう。もちろん、これは皇室の財産林であり、国民に威厳を示す必要があった御料林経営だからこそできた話ではあるのだが。

おわりに

  シンポジウムの最後に、泉桂子氏は「古い資料はあなたの役に立つ」と題して講演された。確かに、かつての森林施業の方針や実態を記録した施業案説明書や林班沿革簿をはじめ、当時の証言をまとめた記録等は今日の森林施業を考える上で大変役立つもので、急速に失われつつある史料の保存を是非とも考えてほしいと願っている。しかし、残念ながら現存する史料だけでは過去の施業の実態を十分に解明することはできないであろう。この点で、先に紹介した歴史学者の高橋は「史料が残ろうが残るまいが、全体の認識を組み立ててこうであったに違いないというところまでつき進んでいくもの、これが歴史学だろう」と述べている。幸い、森林はそれ自体に歴史が年輪や林分構造等に刻印されており、人々が作った史料を補完するデータを森林そのものから得ることができる。いろんな手法を駆使して、森林科学にふさわしい森づくりの歴史学が確立されていくことを期待したい。

編集部よりお知らせ

 先号のニュースレターの現地検討会の記事について、参加者より変更に関する意見とコメントを頂きましたので、以下のように変更を行うと共に、コメントを紹介いたします。

・記事の変更点(変更の部分に下線をしています)

1. 写真の説明文

「中野林業(黒滝村:下村氏の山林) 説明:大西さん」 を 「中野林業(黒滝村槇尾の山林) 説明:大西さん」 に変更

2. 作業道の説明

「2番玉まではチェーンソーで枝は払い、3番玉以上はハーベスター」を「2番玉まではチェーンソーで枝は払い、3番玉以上はプロセッサー」に変更

3. 感想のところ

「作業道は幹線と支線の区別がないことから」 を 「作業道は幹線と支線の道幅に区別がないことから」に変更

コメント(要旨)

・「吉野スギの銘木(磨き丸太用)の枝打は昔は7.5mくらいまで、最近でも長伐期大径材仕立てのものでは5m近辺まで枝打を行うことが多い」

 

上記の変更点については、後日、先号のニュースレターの記事を変更したいと思います。

<編集後記>

 宇都宮でのシンポジウムは昨年度開催予定のシンポジウムのリターンマッチとなった。ほぼ同じメンバー、同じタイトルでの講演が行われ、教室いっぱいの人に参加していただいた。今回の聴講者の傾向として、経営などの分野の研究者が多く参加していたことがあげられる。施業研は造林分野の人が多く集まるが、今回のニュースレターの感想のように広い分野からの意見をもらうことにより、施業に関する理解も深まるものと思う。「施業研は自分の研究とはあまり縁がない」と感じている方、是非一度、施業研の現地検討会やシンポジウムへの参加を。

 

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