木霊 (TARUSU)

森林施業研究会ニュ-ズ・レター  No.58  2013年12月27日
Newsletter of the Forest Management and Research Network


目次

森林施業研究会 現地検討会(北海道定山渓)の報告

北海道合宿記録 -1-

宮崎大学農学部森林緑地環境科学科   今岡 成紹

 森林施業研究会第16回現地検討会が、2013年9月5日から9月7日の日程で、北海道定山渓において行われた。大学や国、県の研究者や、技術者、学生などの総計20名が参加した。また、現地見学では、道内の研究機関の方々も一行に加わった。以下に、検討会の概要を報告する。

空沼国有林にて
空沼国有林にて

9月5日

 参加者は三々五々、定山渓温泉渓流荘に集まった。
 食事会のあとのセミナーでは四人の方が講演をされた。

 最初の講演は、森林総合研究所北海道支所所属の石橋さんによる、翌日の奥定山渓国有林見学についての事前説明だった。

 まず、北海道の森に関しての簡単な説明があり、翌日の見学地の事前説明に移った。

 奥定山渓における天然林施業の主な考え方は:

 である。

 資料に沿って、施業指標林・ダケカンバ更新地・造林試験地などの説明を聞き、期待に胸を膨らませた。アカエゾマツ、トドマツ、ダケカンバなど、各樹種個別の特徴を挟みながらの説明であったので、大住さんが、『本州では天然更新といえばもっぱらブナの更新だが、北海道では個々の樹種の性格をきちんと研究してきた歴史がある』と言われていたことを思い出し、感銘を受けた。

 二つ目の講演は森林総合研究所東北支所所属の櫃間さんによる、東北地方での低コスト再造林の取り組みについてだった。東北地方における造林事業の、再造林~保育時のコスト低減を目的に多面的な検討がなされた。
具体的には、下刈の労力削減のための伐植一貫作業の必要性、コンテナの各規格の損得、近赤外による種子精選の可能性などである。
質疑応答で、コンテナ業者の現状についての質問に対して、『今、業者は発注されてから苗を作っており、競争がなく技術の成長性が低い。現在、コンテナ苗は品質が悪くても買ってもらえる状況』との回答があったことが印象に残った。

 三つ目の講演は関東森林管理局森林技術・支援センター所属の須崎さんによる、シカの個体管理を目的とした、銃の所持方法の説明(許可のとり方、管理の仕方)だった。
「シカの個体管理のために銃を所持する」というのは、考えたことがないとは言わないまでも、その手段については調べたことはなかったので、実行している人の話を聞いて驚いた。しかし、『昔は、銃は有害鳥獣を駆除するための「農具」として扱われていた』という話を聞き、真面目に考える段階に来ているのだろうか、と思った。

 また、『暗視スコープなど、シカのハンティングを効率良くする方法はあるが現在の法律では禁止されている。警察は人命が第一なので、シカのリスクと所持者が事件を起こすリスクを天秤にかけて、拒否するだろう』ということを聞き、そのうち警察に対して、シカ問題を解決するために説得するような状況になるのだろうか、とふと思った。

 最後に渡邊先生が、北海道演習林の所長であった時の話をされた(※二日目に本格的な講演をされたので詳しくはそちらにおゆずりします)
自分の勉強不足のため話から想像できなかったことも多々あったが、航空写真でアカエゾマツを判別して、仲間と焼酎を一本賭けた時のエピソードを楽しそうに話されていたことが特に印象に残った。

9月6日

 二日目は、石狩森林管理署長の野口さんをはじめとする北海道森林管理局のみなさん、森林総合研究所北海道支所の研究者の方たちと合流し、奥定山渓国有林を見学した。7か所の見学地を回り、渡邊先生や石橋さんから解説を聞いた。

1.天然林施業体系を確立する為の施業指標林

 まずは、施業指標林を2か所訪ねた。ここでは、天然林施業体系を確立する為に、施業の記録とその後の林分の推移のモニタリングが長期にわたって行われている。

 どちらも回帰年は15年で、一回に20%前後の伐採を入れている林分である。一か所は、蓄積がもともと500m3/haを越える高蓄積の林分で、最初の択伐後に大径木の枯損がでたため蓄積はしばらく横ばいだったが、3回目の伐採を経て上昇傾向となった。もう一か所は、蓄積がもともと300m3/haの林分で、形質不良木の伐採により保残木の蓄積が上昇した。ここでは、下層の針葉樹も良好に育っていた。笹の繁茂によって天然下種更新が阻まれるため、これらの後継樹は植栽されたもの、とのことだった。

 エゾマツは更新を主に倒木更新に依存するらしく、現地でも直線状に天然更新したエゾマツの大径木が見られた。切株上に更新している個体も見られた。ただし、これらは択伐施業が入る前の原生林時代の倒木更新木であって、択伐を繰り返すと倒木がほとんどなくなってしまうため、現在はエゾマツの進界木は減少傾向にあり、トドマツを主体とした林分に変化しているとのことだった。

施業指標林内にて
施業指標林内にて。奥に並んでいるのが原生林時代の倒木更新木

2.漁入りハイデ植物群落保護林

  ここでは、累石風穴によって局所的に気温の低い地帯ができており、標高800mほどにも関わらずエゾツツジ、ハイマツの高山植物が生育している。現地では、やはり高山植物であるゴゼンタチバナやリンネソウが観察でき、話題になった。

 風穴が何か所か見られ、私も手をかざして温度を確かめたが、思った以上に冷たい空気が吹き上げて来ていて驚いた。

 付近の岩石露出地にはアカエゾマツの天然更新林が観察できた。アカエゾマツは菌類に弱く、腐食の少ない岩石地帯で更新する、とのことだった。


風穴からの冷気
風穴から冷気が感じられる

 

アカエゾマツ
周辺にはアカエゾマツが天然更新している


3.レーキドーザーによる地掻き

 昼食後には、樹木の天然更新の促進を目的として、40年前にレーキドーザーによる地掻きを行った場所の見学をした。地掻き前の状態はダケカンバの母樹が点々としか存在しない、鬱蒼と茂った笹藪だったようである。

  しかし、地掻きによる更新補助によって見渡す限りのダケカンバ林が成立していた。ダケカンバ以外は、ミズナラ、キハダ、バッコヤナギ、タラノキなどが生えているとのことだった。『笹が多いところでは撹乱しないと更新しない』ということが良く理解できた。また、ダケカンバやハリギリなどはフロアリングなどに利用する、ということを知り、広葉樹の用途についてもっと勉強したいと思った。

40年生のダケカンバ
40年生のダケカンバ林

4.高寒地造林試験地

 ここでは、高標高の厳寒地において、疎林を針広混交林へ誘導するための方法として、林冠下へのトド、エゾ、アカエゾマツの植え込み試験が行われていた。

  三条植、巣植えの経過を見ることができ、上木の保護効果がみられた。しかし、トドマツは枝枯れ病、アカエゾマツは雪害による被害が多いとのことだった。

巣植えされたアカエゾマツ
巣植えされたアカエゾマツ

5.アカエゾマツ植栽による二段林

  トドマツは、苗木がないことや枝枯れ病にかかることから、アカエゾマツやエゾマツが造林の材料として注目されている。

 ここでは、ダケカンバ主体の天然林に、アカエゾマツが2回に分けて植栽され、二段林が成立していた。

アカエゾマツ二段林
アカエゾマツの二段林

6.亜寒帯針葉樹林帯カンバ類二次林 遷移促進施業試験地

  高寒地での造林方法を考えた時、地掻きによってカンバ類二次林を成立させられるが、高寒地造林試験地で見られたとおり、裸地への針葉樹の植栽は不成績となる可能性が高い。そこで、すでに成林したカンバ類二次林の保護効果のもと、トドマツ・エゾ類を植栽し、現植生であるカンバ類との混交林へ早期復帰させる方法が考えられ、ここで試験が行われていた。

 先行研究で「エゾマツが最も高寒地造林に適している可能性がある」という知見があったため、エゾマツに期待が寄せられていたが、現段階の結果としては、エゾマツよりトドマツとアカエゾマツの方が、成長が良いそうであった。
この原因に関して、『エゾマツは植林時に冷蔵庫で苗を管理していたにも関わらず芽が出てしまい、その後に植林したときに芽が枯れて新しい芽がでた』ということや『一番早くに芽がでるので、シカに食われた可能性がある』といったことが議論された。

伐開ラインを入れたあとに植栽
ダケカンバ林に伐開ラインを入れた後植栽された針葉樹

7.火入れ地ごしらえによる天然下種更新

  山から降りた後、最後に火入れ地ごしらえによって笹を焼き払うことで天然更新が図られた場所を、国道のガードレールから遠巻きに見た。1963年に火入れが実施され、現在はダケカンバ林が成立していた。当初トドマツも天然更新したが、その後消滅した、とのことだった。

 周囲刈りや、ウォーターポンプなどの火が燃え広がる方法についての説明もあった。

≪今回の現地検討会を通しての感想≫

 今回の検討会では、経験なしに伝達可能な『知識』でなく、高密度路網を作る技術、選木の技術、大径木を伐る技術など、経験を必要とする職人的な『技術』の必要性を感じ、『持続的な森林管理』の奥深さに圧倒されて、しばし言葉を失う程の刺激をうけた。宮崎からフェリーで2日かけての移動だったが、森林を森林科学でなく林学として学ぶことの大切さに気づくことができ、参加して本当に良かったと思った。

 

北海道合宿記録 -2-

関東森林管理局 吾妻森林管理署   蛭間 敦子

 夕食後、開催された2日目のセミナーは、4名の方が下記の内容を発表された。

9月6日(金)

 3日目は空沼国有林を案内していただいた。空沼国有林には「簾舞 学びの森林」があり、観察コースと学習コースという2つの散策コースが整備されている。以前は林業技術者の研修や学術研究の場として利用されてきたが、近年は市民参加による林業体験や自然観察会が活発に行われている。(詳しくはパンフレット「簾舞「学びの森林」体験活動プログラム」に載っている。北海道森林管理局のホームページから 森もり!スクエア→森林の図書館 で検索できる。)

 今回は「簾舞 学びの森林」の2つのコースも利用させていただき、下記の箇所を見学した。

  1. 高齢人工林の複層混交林への誘導試験
  2. ヨーロッパトウヒ人工林内におけるトドマツ樹下植栽、ハリギリの天然更新
  3. 空沼天然林施業実験林(第8号区画地)
  4. 空沼天然林施業実験林(第9号区画地)
  5. 空沼天然林施業実験林(第16号区画地)

1. 高齢人工林の複層混交林への誘導試験

複層混交林への誘導試験

 この試験地は林野庁から研究課題として提案された「トドマツ、エゾマツを主とする天然林施業の基礎的試験」の対象試験地としてのちに追加された場所で、小柳造林地と呼ばれている高齢人工林内にある。この造林地は、明治末期の開拓地の火入れが原因となって生じた山火事跡地に大正初期から昭和初めにかけて、トドマツ・エゾマツ・ヨーロッパトウヒ等が植栽されたもの(現在の樹齢は約100年)で、大面積にわたって成林した成績良好な造林地として知られている。

 林内に入ると、樹齢約100年のトドマツの堂々とした姿に見惚れ、天然林内にいるのではないかと錯覚してしまった。林内に生えている広葉樹も大きく、歩いているのがとても心地よかった。説明のときに「人工林にみえない人工林」とおっしゃっていたが、まさにその通りだと感じた。


トドマツ・エゾマツの高齢人工林(ササが天然更新を阻害している)

 


エゾマツ(枝と枝の間が1年で成長。天然だと最初は成長が抑制され、急にのびる。枝と枝の間が等間隔なのが人工的。)


倒木更新(エゾマツなどトウヒ属は倒木更新。天然だとまとまって生える。)

2. ヨーロッパトウヒ人工林内におけるトドマツ樹下植栽、ハリギリの天然更新

 ヨーロッパトウヒの樹種転換を図るためにトドマツを樹下植栽し、林内にハリギリが天然更新していたため、間伐率の違いによるトドマツとハリギリの成長経過を観察している。ヨーロッパトウヒは当時、安かったからという理由で選ばれたらしい。ヨーロッパトウヒの材積伐採率15%より36%と高い方が、トドマツ、ハリギリともに直径成長が大きい傾向がみられ、ハリギリの残存率も高い。
 ハリギリはトウヒ人工林内での更新が多く、天然更新が多く見られるのはどこかでハリギリの黒く熟した実を食べたカケスやツグミといった鳥がヨーロッパトウヒの枝に留まり糞をして種子が地面に落ちるためだと考えられている。また、ハリギリは地下茎を切ると根から個体が伸び、クローンを作ることも出来るが成長は実生よりも悪い。


ヨーロッバトウヒの種子(左はリスが囓ったエビフライ型の種子。右は囓られていない種子。)

 ハリギリの種子は鳥に、ヨーロッパトウヒの種子はリスに運ばれることから、この森林には様々な動物が住み、樹木の更新の手助けをしていると感じた。

3. 空沼天然林施業実験林(第9号区画地)

 天然林において林分構造に応じた施業を事業規模で実験するとともに、その結果を経営に活用することを目的に設定された実験林である。ここは、幅50m、長さ600mの帯状皆伐地とその両側に設定された幅60mずつの保護帯および残りの漸伐実行区域からなっている。

<保残区>

施業調査区の対照とするため、無施業状態での観察を目的に設定された。過去に施業が行われておらず原生植生を示している点で貴重な箇所である。設定以来、林分材積は500m3/ha弱でほぼ横這い状態であり、約8割をエゾマツ、トドマツが占め、そのほとんどが大径木である。倒木更新のほか大径木の枯損のあとに形成されたギャップに広葉樹も更新しており、近年立木本数が増加傾向である。

<漸伐区>

 伐採方法は札幌式漸伐(簡易漸伐)といわれるもので、漸伐の予備伐、下種伐、後伐を1回の伐採で代用する方法である。選木はトドマツ30cm以上、エゾマツと広葉樹は40cm以上を対象とする径級伐採により行われた。伐採率は搬出支障木もあわせて、材積で66%である。また、更新補助作業として除草剤の散布トドマツの植込みが行われており、近年蓄積と立木本数の増加が著しい。

4. 空沼天然林施業実験林(第16号区画地)

 天然林において林分構造に応じた施業を事業規模で実験するとともに、その結果を経営に活用することを目的に設定された実験林で択伐実行区域である。第1調査区、第2調査区ともに当初林分はトドマツ、エゾマツの大径木を主体とする一斉林型に近い状態で、択伐後の天然更新が不良だったため、エゾマツ、トドマツを植栽した。エゾマツが樹下植栽に向いているかは、ここから発信されたらしい。

  <第1調査区>
材積伐採率51%。エゾマツをha当たり6,000本植栽した。下層のエゾマツ植栽木の生育は良好である。


  林内の様子(ササがない)

  林内の様子(ササがある)

 エゾマツやトドマツは集団で生えるとササを抑制するため、下層にエゾマツ、トドマツを植えた箇所ではササがほとんど無かった。徐々に林内を明るくすると、ササが入ってくる。森林の上層木が広葉樹になると、下層の植生がササになるところが多く、地かきをすればカンバ類は侵入してくるが次につながらない。


林内の下層植生(風倒木の後に広葉樹がたくさんあったが、シカが食べてしまった。フッキソウやコブシなどシカが食べない種類が多い。)


林内の植生(ヤチダモ。幹周272cm。林内で目立っていた。)

 

 

<第2調査区>

 材積伐採率43%。トドマツをha当たり6,000本植栽した。下層のトドマツ植栽木の生育は枯死も少なく、良好である。


林内の様子(トドマツは樹皮の色が白いので明るく感じる。)

 
林内の下層植生(イタヤカエデ、ミズナラ、ハリギリの稚樹があった。広葉樹は樹齢2,3年生まで耐陰性が強い。)


樹冠の様子(トドマツの下は暗く、広葉樹は樹高30cmくらいまでしか成長できない。)

 今回の検討会は北海道の国有林における天然林施業を当時、施業を実行された渡邊定元先生の話を聞きながら見学することができ、本当に貴重な経験だった。実際に携わっていた方の話を聞くと、当時の様子などが想像しやすく、現在の森林を見るときも当時の様子を想像しながらいつもと違った視点でみることができた。

 お忙しい中、現地の案内をして下さった渡邊定元先生、石橋聡氏にお礼申し上げる。

 

「貴重な史料の探し方」外伝

林学文献におけるアナログ検索のすすめ-その1-     森林総合研究所 太田 敬之

1. はじめに

 2011年1月の森林施業研究会ニュースレターNo.53において、筆者は「貴重な史料の探し方」という駄文を掲載させていただいた(お暇があったら見てください)。森林管理局や林業文献センターなどで古い文献を簡単に探す方法を紹介したのだったが、「効率的に探す」ことに力点を置いたためにインターネットの便利さを強調しすぎたのではという反省もある。

 私が学生の頃や入省したての頃、インターネットが普及していない時代には、暇を見つけては図書室に行き、雑誌の目次を眺めながら論文を探したものである。目的の論文と同じ冊子に掲載されていた別の面白い論文を発見した経験はある程度の年齢以上の方であればお持ちだと思う。また、現物の冊子からは論文以外の情報も入手可能だ。大臣、営林局長などの寄稿を見れば当時の世相というものが見えてくる。林業の盛んな時期には雑誌の正月号には企業からの年賀広告が数十ページも掲載され、戦後間もないときは紙の質が極端に落ちたり、印刷機を使えずに手書きの冊子が発行されたりするなど、ダウンロードではわからない情報も直に伝わってくることもあるのだ。

 インターネットは文献検索において大変便利なものである。最近ではいくつかの学会誌ではPDFファイルによる論文のダウンロードが可能になり、図書館・図書室に行かないで論文が簡単に入手できるようになってきた。そのためか、昔に比べて研究所の図書室には人影がずいぶんまばらになった気がするほどである。インターネットの文献検索では英文誌が先行していたが、和文誌でもCiNiiなどのサイトが充実してきており、それは多くの研究者の利益にかなうものと考える。しかし、あえて強調しておきたいがインターネットは文献検索においてけっして万能ではない。

 本文は「インターネットに頼らず、直接図書室へ行って文献を探すこと」の重要性に気づいてほしくて寄稿したものである。「今時、そんな非効率なことはしない」という方は多いと思うが、実はCiNiiなどの検索サイトで論文を検索する際に、多くの雑誌が検索対象に入っていないということをご存じであろうか。

  具体的な話をすれば、筆者は秋田天然スギの研究をしているが、秋田営林局の発行していた雑誌「林曹会報」「蒼林」に掲載されていた論文はCiNiiでは検索できない。また、日本林学会東北支部会誌に発表した私の報文も引っかかってはこない。インターネットに頼っているだけでは、少なくとも和文誌のかなりの情報を見落とすことになるのである。
筆者は森林総合研究所の所属であり、その図書室には国内有数の森林に関する雑誌が所蔵されている。そこで、そのうちCiNiiで検索可能な論文の掲載されている雑誌数が年代とともにどのように変化してきたのか、調査を行うことにした。

2. 対象とする雑誌と調査方法

森林総研の図書室では膨大な量の雑誌を受け入れており、すべてを調査対象とすることは困難である。そこで日本十進分類法(NDC)で650(林学)に分類される雑誌(以下、z650)のみを調査対象とした。z650は主に造林に関する雑誌が多く、他の分野の雑誌で非常にメジャーなもの、具体的には「日本生態学会誌」「森林立地」などの学術誌や木材・林産関係、経営関係などの多くの雑誌もここで外れていることはご承知いただきたい。
森林総研資料課の協力により、z650に属する雑誌のリストを入手したのだが、タイトル数は929もある。ただし、「発行元の名称が変更になった(○○県林試が○○県林業センターに変更など)」などの理由で実質的には同じ雑誌というのもかなりの数、存在する。このうち、「論文(和文)の検索が可能か」を調べるので、論文が掲載されていそうにないタイトルのもの、和文誌でないものは、調査対象から外した。具体的には「事業報告」「年報」「統計」といったものや、1946年以降に発行された中国、台湾、韓国の雑誌などである。
この結果、最終的には約500タイトルの雑誌が調査対象となった。

これらの雑誌に掲載されている論文がCiNiiで検索可能かどうか、以下の方法で確認した。

  1. CiNiiの「論文検索」で「詳細検索」を選択
  2. 「刊行物名」の欄に雑誌名を入力(場合によっては「出版者」で再確認)
  3. 「検索」を押し、「検索結果」に論文が表示されるかどうかを確認する。検索された論文はその発表年を記載する。

 雑誌の中には発行期間の途中から検索に引っかかってくるようになったものがあり、その期間がわかるように記録をした。

 つまり、調査対象の雑誌は森林総研の図書室に入荷されたもののみ、雑誌はz650だけ、雑誌タイトルによる筆者の独断で、論文の検索方法も客観性に欠けるところが多いことは重々承知である。それでも全体的な傾向を知ることができ、同様の調査を行った人もいないと思うので、何らかの参考にしていただければ幸いである。

3. 調査結果(総論)

 では、今回の調査結果をまず見ていただこう。図中の赤い部分が「掲載された論文が検索にかかった雑誌の数」、水色は「論文が検索されなかった雑誌の数」である。グラフの縦軸は「雑誌のタイトル数」なのでご注意を。ある年に論文が10個検索されたとしても、同じ雑誌に掲載されている場合は、その年のタイトル数は1である。

 以下、図中の赤い部分を「検索可能雑誌」、水色の部分を「検索不可雑誌」と呼ぶ。

 ご覧になって 、「水色が多い」というのが、大方の人の第一印象ではないだろうか。この水色部分が「森林総研の図書室にはあるが、インターネットでは検索できない」雑誌の数なのである。

 特に1940年代あたりまでは「CiNiiではほとんど検索できない」状況にあることはおわかりいただけると思う。ちなみに森林総研図書室に所蔵されている雑誌(z650)のうち、最も古いものは1881年、初めてCiNiiで検索可能な論文が掲載されるのは1900年である。

 1881年に発行されていた雑誌は「林学協会集誌」であり、1884年に発行が終了している。その後、「林学会雑誌」が1886年、1887年の2年間のみ発行されており、現在の「日本森林学会誌」の前身である「林学会雑誌」の発行が始まるのは1919年、森林を総合的に扱う学術誌の発行はかなりの難産だったようである。

 多くの方が古い雑誌の代表として思い出す「大日本山林会報」は1882年に発行された(最初のタイトルは「大日本山林会報告」)。現在も「山林」として発行は継続している。1900年にCiNiiで検索可能な論文は大日本山林会報のものであるが、その後1905年に1報だけ検索されるだけで、継続的に論文の検索が可能になるのは1949年からである。

 1900年までは総タイトル数は1か2であったが、1933年には57を数えるまでになっている。一方、同じ1933年に発行された雑誌のうち、検索可能雑誌数はわずかに3つ。林学会雑誌(現在の日本森林学会誌、)、北海道帝国大学農学部 演習林研究報告、九州帝国大学農学部演習林報告である。このうち最も古くから継続的に論文が検索可能なのが1915年から発行が続いている北海道大学演習林報告(1915年当時は東北帝国大学農科大学演習林研究報告)である。

 1940年くらいのところで一度、雑誌の総タイトル数が大きく落ち込み、また増加していることもおわかりいただけると思う。この大きな落ち込みは、やはり第二次世界大戦の影響であり、各都道府県で作成していた、主に「○○県山林会報」という雑誌や旧日本領(特に台湾で多かった)の雑誌がすべて廃刊になったためである。
1950年代に入ると検索不可雑誌だけでなく、検索可能雑誌数も増加してきた。戦後、新たに増加した検索可能雑誌は大学の演習林の研究報告が主で、各地に県立の林業試験場 ができはじめ、その一部も検索可能雑誌となっている。1978年から1981年には検索可能雑誌数が28→36→38→43と急増している。これは新たな雑誌が増えたのではなく、各県林試の研究報告に掲載されている論文がこの年代あたりからCiNiiで検索可能となったためである。
1995年近辺が雑誌タイトルの総数のピークであり(この年、131)、その後タイトル数は減少に向かう。ただし、減少しているのは主に検索不可雑誌であり、検索可能雑誌の数の減少はそれほど急ではない。

 さて、主に検索可能雑誌を中心に説明をしてきたが、検索不可雑誌にはどのようなものがあるのか、例えば「○○県の森林について、古い資料を調べたい」という場合にはどのような雑誌を探せばいいのか、ということの説明をしたい。しかし、扱う雑誌数が膨大なことと、ページ数や締め切りの関係もあり、それは次号以降に行いたいと思う。

最後に

 次号以降に説明が続くのに「最後に」を書くのは奇妙なのだが、次号以降の記事を読んだ方がこのページを読み返してくれるかどうか不安なので、先に結論を記載しておきたい。

 まず、筆者はCiNiiに感謝こそすれ、おとしめようなどという意図はけっしてないことを最初に述べておきたい。筆者はCiNiiを頻繁に利用しており、特に今回雑誌の名前を調べる際にはCiNiiの「継続前誌」「継続後誌」という機能をフルに使用させていただいた。最近は「○○大学演習林報告」「○○県林業試験場研究報告」という雑誌がタイトルを変更し、どこの地域の雑誌なのか検討もつかないようなタイトルに変わっている例が散見される。新たな雑誌名を探す際にこの機能は非常に有用であった。

 何より「無料で」これだけのサイトを利用させていただけるのだから、文句などとんでもない話であろう。問題があるとすれば、インターネットだけで論文検索が十分だと考える側である。CiNiiの得意なところ、不得意なところを把握して、CiNiiも利用しつつ直接図書室で探すことの重要性にも気づいていただければと思う。

 次に論文を掲載する雑誌の側への注文だが、CiNiiへの掲載が行われていない雑誌では「目次の電子化」をお願いしたい。CiNiiでは検索不可でも例えばYahooなどの検索エンジンから、どの地域でどのような研究が行われたのか知ることができれば、論文を探す手間も大いに省けるものと思う


 最後に、本稿の作成には森林総合研究所資料課のご協力をいただいた。この場を借りて感謝を申し上げたい。

次号に続く

訃報:福井昭一郎氏

 元・日林協編集部次長福井昭一郎さんが8月24日お亡くなりになりました。福井さんは長年「林業技術」誌(現・森林技術)の編集に携わってこられましたが、本会の趣旨や活動には草創期からご関心をお寄せいただき、林業技術誌への活動記事の掲載や、本会関係者の同誌への寄稿・投稿にあたっては、大変お世話になりました。本会の活動が広く知られるようになる大きな機会を与えていただいたことをありがたく感じています。

 ご退職後は会員として本会にご参加いただいたほか、海外の山岳や森林の視察にも積極的にお出かけになっていらっしゃいました。その中で大西洋の孤島、アゾレス諸島を旅され、そこで地球の反対側で発達したスギ(日本からの移入)林業について‐日本ではほとんど知られていなかったのですが‐見聞された貴重なレポートを、美しい写真とともに本会のニュースレター(38号)にご寄稿いただいています。

 今回、福井さんへの追悼の意をこめて、福井さんと共に林業技術(森林技術)誌の編集にあたっていらっしゃった日林協の吉田功様に、福井さんの思い出や、同誌編集への思いをつづっていただきました。拝読して、良き読者となり、また良き投稿者となることで、福井さんらが力を注いでこられた同誌を盛り立てていくことができればと、あらためて感じた次第です。合掌。                (大住克博)

福井 昭一郎氏
アゾレス諸島の70年生スギの前で現地技術者らと(2007年6月)



クワタの人   日本森林技術協会 吉田 功

 印刷業界では活版印刷がかつては主流でした。印刷されるべき文字を一つひとつ文選し,所定の場所に埋め込んでいくのです。図版はハンコと呼ばれるものを作成し,やはり埋め込みます。では何も印刷されない部分はどうしていたのかというと,クワタが埋め込まれていました。文字の突起部分がない,つるりとした,決して印刷されることのない「活字」です。

 文中で1字空けたいときには「全角クワタ」を差し込みます。主題や小見出しのように,字間を少し空けたい場合には,「半角クワタ」や「四分クワタ」などで調整されました。活字を差し込むのは手作業なので,誤って天地左右が逆になったり,句読点などが対称に入れられてしまうこともありました。活字が磨り減った「欠け字」がそのまま入れられてしまうこともままあったのでした。

 当時の校正者は,これらの起こりやすい「誤植」事情を承知して仕事に当たっていました。冊子「林業技術」(現,森林技術)の元編集者,故福井昭一郎さんは,そのような校正技術に精通し,皆様にご執筆いただいた原稿に校正ミスがないよう慎重の上にも慎重を期すタイプの人でした。小生は尊敬の念を込めて,福井さんを「クワタの人」と呼ばせていただきたいのです。

 福井さんは昭和20年,福岡県のお生まれで,鹿児島大学農学部林学科のご出身です。卒業後は日林協に入り,昭和40年代~平成10年代にかけて「林業技術」の編集に携わりました。この間,一時編集を離れましたが,およそ40年に渡って1度の欠号も出すことなく勤め上げた功績は,私には最大のものだったと思えます。退職時にこのことをお話しすると,「ありがとう,私もそれが一番の思い出なんだ」と仰っていました。渡邊定元先生をはじめ,この研究会の皆様には,今も変わらずにご執筆いただいておりますが、非常に義理堅い面を持っていた福井になり代わり,皆様には改めて御礼申し上げます。 

 さて,編集者としての晩年に福井がこだわっていたのが「森林施業研究会」です。編集者には「編集勘」というものがあります。おそらく福井さんの編集勘がそうさせたのではないかと思いますが,学会終了翌日に開催される各種研究会の中でも特に注目し,現地検討会にも何度かおじゃましておりました。集う方々は「志を持っておられ,現場を現場で学び,現場を現場で考える意欲に旺盛な方々ばかりだ」と,よく聞かされました。

ところで私は,昭和60年代から福井とともに編集に携わってきた者です。当時は〇〇大学農学部林学科ないしは専攻で名称がほぼ統一されていたと記憶しています。文部省の意向もあったようですが,学科名が後に多様化し,学会自体,林学会から森林学会になりました。「実学」と「科学」,いずれの方向を目指すのか議論がかなり交わされたと承知しています。日林協は少し異なった理由から団体名を同様に変更し,冊子名が「林業技術」から「森林技術」へと改題されたのは平成16年8月号からでした。「森林施業研究会」の設立は,これらと前後してのことでした。大きな波と呼応していたことには,深い意味合いがあったであろうことが容易に想像されるところです。

私は,実学はもともと科学を応用しており,また,科学は実学の中から多くのヒントを得ていた,と思うのです。もし林学と森林科学に比較すべきそれぞれの特色があるとすれば,林学は個別性(特殊性)を指向し,森林科学は一般性(共通性)を指向している,と考えることが出来ると思います。両者は実は表裏一体なのだとも考えられます。また,表裏一体の関係が強化されることで厚みが増し,各方面からの要請にも一層応えられる体系が出来上がっていくのではないかと思います。

一方,林学を森林科学とすることで,林学の一種の遠心的拡大を目指したのではないかと思われます。しかし,当時私が抱いた不安は,林学の核心を失うようなことがもしあれば,むしろ縮小の道しか残されないのではないかということでした。経営や世の中の要請にも多分にかかわることですから,もう少し経過観察が必要で,いずれ歴史認識・分析が登場するのを待たなければならないように思います。福井さんと「森林施業研究会」の話をする中で,私はそのようなことに思いを巡らせてきました。


 現在進行している事柄は経過観察が必要ですが,過去の事柄は文献を参照し体系付けることが可能です。「林業技術」誌は,そのような目的の一端を担うべき冊子の一つだと思えます。ところが,紙媒体のままでは広く皆様に閲覧願うにしても,現代では不便をかこっていることは事実です。そこで,少なくとも日林協会員の皆様には制限なく参照していただけるようにと考え,バックナンバーのアーカイブをウェブサイト上で公開していこうと準備が進められています。日林協の石塚理事が推進役となり,来年度のできるだけ早い時期には実行される予定です。

 明治時代初期から続き,川合玉堂の題字を表紙に冠する「山林」誌の,1/2強の発行期間にしかならない「林業技術」誌です。それでも大正時代から続き,通巻860号に及んでいます。膨大な作業が必要です。これには,元林野庁勤務,森林総研の総務部長を経て日林協の編集部長においでいただいた,村岡哲而さんのお力が絶大であったことを申し添えねばなりません。村岡さんは本会退職後,将来のアーカイブ化を見越しておられたのでしょう,「楽しみながら作ってみたい」と言われ,長年こつこつと仕事をしてくださっていたのです。村岡さんの編集勘だったのでしょうか。皆様がパソコン上でアーカイブをご利用いただくとき,ここにも一人,クワタの人がいることに思いを馳せていただければ幸いです。
クワタに徹した福井さんの残された誌面が,再び多くの方々のお役に立つ日が近づいています。あと半年というところで,この8月下旬,「遠くへ」取材の旅に出かけられてしまったことが,本当に残念でなりません。

<編集後記>

  今年一年を振り返るというニュースがテレビで頻繁に見られる時期がやってきた。東京オリンピックの招致の成功、東北楽天の優勝などが大きなニュースと言うことになるのだろう。仕事に関することでは、今年の4月から林野庁が一般会計に完全に移行したということがあげられるだろう。一つの変化としては、今までは国有林だけで開催していた発表会や検討会などに県や民間と合同のものが増えたということがあげられるかもしれない。東京五輪の誘致が成功したのは「オールジャパン」での取り組みがあげられるらしいが、森林行政に関していろいろな所属の人達が集まることによる波及効果に期待したい。

 

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