木霊(TARUSU) 森林施業研究会ニューズ・レター No.67 (2018年3月)

Newsletter of the Forest Management and Research Network

・「早生樹」をテーマにシンポジウムを開催します
・森林施業研究会島根合宿の記録・・・事務局長 小山泰弘
・第一級の自然植生がそこに~隠岐オプショナルツア~・・・長野県林業総合センター 小山泰弘
・森林施業研究会島根合宿参加者の感想


「早生樹」をテーマにシンポジウムを開催します

第22回森林施業研究会シンポジウム

テーマ:早生樹は林業の救世主になり得るか?

日 時:3 月 29 日(木) 9:00~12:00
場 所:高知大学朝倉キャンパス 共通教育棟1号館 127講義室

内容:昨今、早生樹造林の機運が高まりつつある。各地で、地域に合った早生樹の探索、その造林や育苗の試験が試みられ、植林も行われ始めている。はたして早生樹は、林業界の救世主となり得るのか。このシンポジウムでは、早生樹造林に関する研究事例の報告をいただき、早生樹造林の可能性や課題を議論したい。

話題提供(敬称略):
 1.「早成樹造林」とは何だったのか・・・・・・・・垰田 宏
 2.熊本県におけるセンダン育成技術の開発・・・・・横尾謙一郎(熊本県林業研究指導所)
 3.有用広葉樹としてのオニグルミの可能性・・・・・陶山大志(島根県中山間地域研究センター)
 4.早生樹としても期待できる次世代スギ精英樹・・・江島 淳(佐賀県林業試験場)
 5.総合討論:早生樹造林を考える


森林施業研究会島根合宿記録

事務局長 小山泰弘

平成29年10月4日から6日にかけて、「埋没林とたたら製鉄を支えた森林の現在とこれから」と言うテーマで実施された第20回の森林施業研究会島根合宿。島根大学の高橋絵里奈先生が幹事をとして尽力いただき、島根県中山間地域研究センターの陶山大志専門研究員などの協力により実施した。

舞台となった島根県は、製鉄を支えた炭の供給地として栄え、現在も製紙用のチップの生産が盛んということで、全国的に見ても広葉樹林の比率が高い。しかし、歴史をたどってみると出雲大社には48mの高さの本殿があったなど、大径木を使った文化もある。こうした島根の魅力をまとめた2泊3日の合宿では、早生樹やコンテナ苗などの新技術を開発している島根県中山間地域研究センターを拠点に、島根大学三瓶演習林、森林整備センター水源林整備事務所の事業地や、この地に遺された埋没林も見学。北海道から沖縄までという全国各地から訪れた参加者が、過去の森林を想像しつつ未来の森林づくりを考える時間となった。

なお、参加者のうち一部は、隠岐の天然林を巡るオプショナルツアーにも参加。こちらについては、合宿本体とは別にレポートをお届けする。

三瓶山をバックにした今回の参加者(於:島根大学三瓶演習林)

10月4日「埋没林に触れる」

集合場所は、島根県中部にある三瓶山の北麓に位置する「三瓶小豆原埋没林公園」。初日の目玉は、この埋没林。

1:三瓶小豆原埋没林

4000年前に発生した三瓶山の噴火に伴って、三瓶山の北斜面が崩壊し、大規模な土石流が発生し、大量の流木とともに生育していた立木も埋められた。その後、噴火に伴う火砕流が堆積、さらに火山灰なども堆積したことで谷が埋められ、立木とともに地下深くに沈んだ場所。

1983年にこの地区で圃場整備をする際に、地中から木が発見され、その後の調査で多数の埋没樹が埋められたことがわかり、現在は土を取り除いた状態で公開されている。生育当時の状態をそのまま観察するため、施設は地下に存在し、地上の入り口から地下13.5mの地盤までが掘られ、この中には切り口直径1.5m、高さ12mに達するスギをはじめとした埋没樹の幹が、生育当時そのままの状態で保存されている。地下に残る巨木のスギや、混交して生育していた直径60cmほどのトチ、ケヤキ、ムクロジ、カシの姿に一同唖然。合宿のハイライトの一つとなった。

地上から覗く埋没林

幹を移設し地下深くに根元だけが見えるスギ

2 島根県中山間地域研究センター

初日の夕方、予定時刻を大きく過ぎて到着した島根県中山間地域研究センター。木造で緩やかな弧を描いた半円形の施設の一角にある研修ホールへ入り、島根県の森林林業の概要と中山間地域研究センターでの研究内容が紹介された。

島根県中山間地域研究センターで説明を受ける参加者

初日のセミナー

森林施業研究会合宿では、昼は現地を回りつつ夕食後にセミナーを開催するのが定番。今回も初参加者を含め2日間で6名の発表が行われ活発な議論が展開された。

セミナーの様子

初日の発表は次の3課題

 〇新規有用広葉樹としてのオニグルミの直播く造林の可能性
   陶山大志(島根県中山間地域研究センター)
 〇愛知県でのコンテナ苗木生産
   前田臣代(前田樹苗園)
 〇ドイツの森林事情
   横井秀一(岐阜県森林文化アカデミー)

10月5日「島根の林業の今を知る」

3 島根県中山間地域研究センター

翌日の午前中は、島根県中山間地域研究センターの施設見学。中山間地域研究センターは、農業試験場の高冷地試験地に地域課題を研究する地域研究部門を加えで発足し、その後林業技術センターと畜産試験場の一部機能を統合、さらには県有林事務所も統合したという中山間地域の課題に特化した全国唯一の研究普及機関。

県の林業関係はこの機関が集約し、県の農林大学校を併設していることもあり、林業関係の試験研究や研修はかなり充実。施設内には、高校生と開発したイノシシの捕獲檻や、全国のメーカーが開発した獣害防止柵の見本など、中山間地域で問題となっている獣害対策の成果や、小径材をトラスで組んだ梁を作成するなど、多様な試みを見ることが出来る。

トラス梁の耐久試験

また、近年普及しているコンテナ苗木生産技術の改良や、センダン、コウヨウザンといった早生樹の育成にも力を入れており、コンテナ苗木の生産については参加者も強い関心を寄せていた。

コウヨウザンのコンテナ苗育苗試験

その後、構内の試験林へと移動し、コンテナ苗木で育った苗木の植栽試験地を見学。印象的だったのがことごとくノウサギの被害を受けているコウヨウザン。他の樹種はそれほどひどくなく、雑灌木もほぼ食害を受けていない中で、選択的にコウヨウザンがノウサギに加害され丸坊主になっている姿に一同唖然。

4 広葉樹萌芽試験地

中山間地域研究センター構内の視察を終えた一行は、島根大学三瓶演習林へと向かう途中で、中山間地域研究センターが実施している萌芽更新試験地へ。ナラ枯れによりコナラなどの被害がまだまだ続いている島根県でも、広葉樹の更新は課題となっており、萌芽更新の試験を行ったとのこと。

事業実施から5年が経過した現場で意見交換。スダジイやアカガシなどの常緑広葉樹は50年生を超え、直径30cm以上になっても萌芽更新が行われるが、落葉広葉樹では萌芽しても5年後の残存率が低い傾向は全国と同様の結果に。しかし、この場所ではヤマザクラやウワミズザクラ、コナラの幼稚樹などが林床に残っていたことで着実な更新が観察された。

広葉樹の更新試験地

5 いきなりオプション(島根県立三瓶自然館)

山の中で現場を回る森林施業研究会の課題はやはり昼ご飯。本日は、三瓶地区の肉100%使用というご当地名物の「三瓶バーガー」。初めて見る三瓶バーガーに心惹かれつつも、お店の目の前が「島根県立三瓶自然館」。ココには、昨日見た小豆原埋没林から移設されたスギの巨木が展示されていると言うことで、昼食中の話題がこの博物館に。

参加者の強引な熱意に負けた幹事の高橋さんは、島根大学の施設を30分繰り延べる配慮をしていただいた。このおかげで、ごく短時間ではあるけれど、急遽、三瓶自然館「サヒメル」の自由見学が実現。三瓶自然館「サヒメル」は、三瓶山の自然や島根の自然を紹介した非常に優れた展示施設で、半日は欲しいところではあるけれど、限られた時間であることを理解し、とにかく昨日の興奮をもう一度とばかりに、参加者ほぼ全員が自然館に入場し、三瓶埋没林の展示コーナーへ。

そのままの状態で保存されている埋没林公園とは異なるものの、展示物としての迫力は満点。しかも、埋没林の形成過程を示す資料や展示も充実しており、両方を見学できたことで埋没林への理解が増した。

移設展示された埋没スギ

6 島根大学三瓶演習林

三瓶バーガーの昼食と三瓶自然館の見学を済ませた一行は、近くにある島根大学三瓶演習林へ。ここでは、演習林の部門長をされている山下多聞准教授の案内で、事務所周辺の多根団地と獅子谷団地を見学。多根団地では学生実習として毎年少しずつ植栽しているスギの造林事業地を見学するとともに、獅子谷団地では、山下先生の専門である森林土壌を見るために掘られた3mの土壌断面を見学。谷部と尾根部に掘られた土壌の違いを観察したほか、獅子谷演習林内で広葉樹林の長期動態を観測するために設定した1haの調査区を見学。この調査区ではナラ枯れによりコナラ等の立木が枯損して、森林の動態が変化していることから、ナラ枯れによる植生遷移の影響なども雨の観測を含めて検討されていた。

学生実習で植栽している植栽試験地

広葉樹の長期動態観測地

2日目も夜はセミナー

2日目の現地見学が終了し、再び島根県中山間地域研究センターへ戻ったところで、夕食。前日は別の会議で出席できなかったセンターの田部農林技術部長さんからあいさつをいただき、夕食後は前日に引き続いてセミナー。

本日は、次の3題が実施され、施業研究会らしく多岐にわたる話題提供となった。

 〇モウソウチク林の広葉樹林化について
   豊田信行(愛媛大学)
 〇生物多様性の高い亜熱帯での林業を考える
   谷口真吾(琉球大学)
 〇知身貴亭眺望西北図に見られる江戸末期の山林景観
   小山泰弘(長野県林業総合センター)

2日目の夜ということで、参加者同士の交流も進み、23時の消灯時間を守りつつも、跡名の時間を充分に楽しまれていた様子。

10月6日「たたら製鉄の歴史の今」

7 森林整備センターの拡大造林地

合宿最終日は、朝から雨模様。これでは現場へ行くのが難しいのでは?との予測を裏切り、この程度の雨ならば現場へ行きましょうということで、森林整備センター松江事務所長さんの案内で、森林整備センターが昭和53年に契約した雲南市吉田町の造林地へ。

50年伐期でヒノキを中心にスギも植栽した現場はたたら製鉄で栄えた御三家の一つである田部家の関係者が所有する345haの山林。たたら製鉄の時代を経て、製紙用チップ生産のために広葉樹を萌芽再生させてきた山林に由来するということで、針葉樹を植栽するのは歴史的に初めて。こういう拡大造林が島根には多く、近年でも毎年500haの造林が行われておりこのうち300ha程度が森林整備センターでの植林。今回は新規植栽地ではなく、間伐地を見せてもらった。

森林整備センターの事業地見学

8 たたら製鉄に触れる

出雲地域で採取できる砂鉄を用いたたたら製鉄。これを行うためには、大量の炭が必要と言うことで、たたら製鉄を行うためには、山林を大量に保有することが必要だった。たたら製鉄の御三家と言われる田部家は、最盛期には島根の自宅から他人の土地を踏まなくても太平洋の土佐まで行くことが出来るとまで言われた大規模山林所有者。

この田部家の繁栄を感じられるのが、田部家住宅の周りにある田部家土蔵群。JR西日本が運行する高級寝台列車「瑞風」に乗車すると見学できるという「田部家住宅」と、その手前にある土蔵群を見ながら、全国で唯一現存するたたら製鉄所が残されている「菅谷たたら山内」へ。

ここには実際に鉄づくりを行った「高殿」が残されていたが、製鉄所の地下には小舟と言われる部屋があり、たたらを行う場所の土が少しでも湿っていると製鉄が出来ないため、地下の空間で炭を焼いて土を乾かし、その上でたたら製鉄を行っていたとのこと。製鉄で炭が必要とは思っていたけれど、製鉄を行う前段階で土を乾かすためにも必要と言うことで、改めて製鉄に大量の炭が必要だったことを理解。

高殿の内部

この「菅谷たたら山内製鉄」の見学を最後に2泊3日の合宿は無事終了。ここまで来たらスギの天然林があるという隠岐へ行きたいというオプショナルツアー参加組を残し、帰路へとついた。


今回の合宿では、一癖も二癖もある雑多な想いで参加する参加者を丁寧にまとめ、集合解散場所がバラバラな参加者一人一人が出来るだけ困らないような移動経路を考え、現地間の移動では、10台以上に連なる長い車列をコントロールしながら、ほぼ予定通りに見学を済ませるという絶妙のスケジュール管理をしていただいた高橋幹事と、私たちが快適に過ごせるように研修施設を開放していただくとともに、視察研修の現地案内から食事の手配まで広くご配慮いただいた島根県中山間地域研究センターの皆様、また視察にご協力をいただいた島根大学の皆様や森林整備センターの皆様、見学先でご案内戴きました皆様に感謝申し上げます。



第一級の自然植生がそこに~隠岐オプショナルツア~

長野県林業総合センター 小山泰弘

1 はじめに

「島根に来るなら、隠岐のスギはみておいた方が良いけど、さすがに遠いから本体ではなくオプショナルツアーで企画したらどうなの?」と鳥取大学の大住さんから提案をきっかけに、森林施業研究会の隠岐オプショナルツアーが実現した。

離島である隠岐に行く船の時間にあわせて、雨が降る中、施業研究会を最後まで参加せずに閉会の少し前に抜けだし、松江駅から連絡バスに乗って高速艇に揺られ島後の西郷港に到着。参加した7名全員が隠岐初上陸というとてつもなく不安な我々に助け船を出してくれたのが、「隠岐ユネスコ世界ジオパーク推進協議会」の岡田美耶研究員さんと澤野元気企画員さん。

大学院時代に川渡で草地生態を研究していた植物の研究にも心得がある岡田さんと、隠岐諸島の一つである西ノ島出身で、町役場から派遣されている郷土愛にあふれた澤野さん。ジオパークと言われると、地質や地形関係の視察は多いけれど、植物関係の視察は初めてに近いとのことで、植物だけでなく地質や地形も堪能できる良いツアーになりました。

隠岐初心者の我々をガイドしていただいた岡田さんと澤野さんに感謝しつつ、時系列を無視して、今回の見所を整理して見ました。参考までに最後に今回の日程を追記しておきます。

今回のメンバー(撮影:荒木眞岳氏)

2 樹齢云百年の天然杉がいくつも

「隠岐でスギを見てみたい」という我々のリクエストに対し、まずはジオパークのガイドにも掲載されている主要な天然杉を観察。島内を横断する県道の脇には樹高2m付近で株立ちとなっている推定樹齢600年の「かぶら杉」を皮切りに、「岩倉神社の乳房杉(ちちすぎ)」、国の天然記念物に指定されている「玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)」の八百杉など、名前が付けられた巨木に触れてきました。でも、森を走っていると、人工林の合間にふと巨木が顔をのぞかせるなど、天然杉には案外簡単に出会うことができる。

圧巻は樹齢800年といわれる大山神社の御神木となっているスギ。天を突くように通直に伸びた樹形は、樹冠も健全で800年とは思えない若々しさがあり、太さと美しさのどれをとっても天下一品。このほかにも人工林の合間に巨木が残されているところがあるなど、車窓から森を見ているだけでも天然杉が見られ、これだけでも大満足。

翌日にはなったものの国の天然記念物に指定されているも見学。この杉は島根県一とも言われる巨木で、目通り周囲9mと言われ、1000年以上の樹齢とのこと。島内で見せていただいた中では、頂部が枯れた老齢樹形を呈しており、これだけが典型的な老齢樹形となっていたが、そのほかのスギはまだまだ若々しいものが多く、屋久杉に限らず、スギの長寿性に改めて認識した次第。

かぶら杉 大山神社 乳房杉 八百杉

 

3 島後の最高峰周辺に拡がる天然林

周囲211kmのほぼ円形で、隠岐諸島最大の島である島後。大きな島だけに高い山もあり、最高峰は607mの大満寺山。しかもこの周りに天然杉が残るというので、乳房杉の脇から登山開始。案内いただいた岡田さんに依れば、「頂上まで普通は40分。」とのことで、「小雨が舞う中での登山だから時間が掛かっても60分。」と言う説明だったが、拡がる天然林に時間を忘れる一行。

登山口付近からサワグルミやカツラが林立し、イチイやスギの針葉樹にウラジロガシなどの常緑樹も混じる。冷温帯樹種と暖温帯樹種が同居していることから、普段は冷温帯樹種にしか縁のない私だけでなく、九州で常緑樹を見てきた山川さんや荒木さんも違和感を覚える。

しかも、それぞれの木が大きいため、直径40cmを越えるアオダモなど普段の生活では目にしないサイズの木がどんどん出現するため、ほとんどこれは何だ?の世界。目の前の低木も、枝葉を触ってわかるとは言え、アオキやツルマサキに混じってチャボガヤやハイイヌガヤが見られ、多雪地の植物と暖温帯の植物が混生。積雪を聞いてみれば、せいぜい数十センチではないかとのことで、さらに困惑。

標高500mを越え、尾根に上がると、一面のヤブツバキに混じって、直径1mを越えるようなイチイが点々と。岐阜県でイチイの研究に従事したこともある大洞さんの眼が輝く。さらには、アケボノシュスランやツチアケビにも遭遇し、足並みは遅くなるばかり。

イチイの直径を測る大洞さん ツチアケビ


40分の山登りに2倍に時間をかけて歩く一行に案内役の岡田さんは呆れ顔ではなかったと思ったが、私たちにとってみればこの森は垂涎の世界。当初は、大満寺山から峠を経由して鷲が峰に登り中谷駐車場に下る予定だったが、山頂から峠におりてきたところで雨脚が強くなり、外で食事をとるのが難しいことと、思いの外時間が掛かると言うことで、鷲が峰登山をパスして車で中谷駐車場へまわり、中谷駐車場の脇にある休憩所で昼食。

隠岐の最高峰「大満字山」にて

4 天然杉に囲まれる幸せ

今回のツアーでわかった島後最大の森林観察スポットが、中谷駐車場から神原高原へとつながる一角。「隠岐自然回帰の森」と名付けられたこの場所には、隠岐でスギを見るならばココと言える立派な天然杉の林。駐車場周辺の森林は、近年間伐したばかりの人工林で、観光客はここから眺めることが出来るトカゲ岩や屏風岩を目当てに舗装された林道を上がってくるのだが、この日は雨降りで、雲が低く垂れ込めており、霧も巻いて山肌はほぼ見えず、トカゲ岩も屏風岩もちらっと拝める程度で何人か訪れた観光客も「岩が見えない」からとそそくさと引き上げている。

スギを見るならここと言われて歩きだした一行。人工林の中に付けられた遊歩道を、10分ほど登っていくと、小さな谷が現れた。この谷の先がお目当ての「自然回帰の森」。入り口で出迎えるのが、巨大なカツラとスギの巨木2本。よく見るとカツラの奥にはサワグルミの巨木も。ここから尾根に至るまでの斜面は、まさに圧巻。直径1mを越えるスギが見渡す限り広がり、しかもその間にケヤキやウラジロガシ、シロダモ、イチイ、サワグルミ、カツラなどが点在。まさに「小豆原埋没林公園」の現代版。スギの巨木が林立し雄々しく天に向かって勢いよく伸びる姿に興奮する一行。

隠岐自然回帰の森(天然杉の林)

岡田さんによれば樹齢400年程度とのことで、小豆原埋没林の600年以上という年と比べると、「まだまだ若僧」だなあとは思うものの、どこで見ても若々しい樹形でスギや広葉樹が林立しているため、森林の写真を撮影して見ても、とても数百年を生き抜いている大木の森には見えず、人を入れて初めて太さがわかるレベル。後日談で、森林総研がこの場所で調査を行っており、それによると樹齢は300年ちょっととのこと。

天然杉の前で記念写真

針葉樹の天然林と言えば、過去の伐採を逃れた形質不良木が残り、これらの姿から想像することが多かったのだけれど、ここのスギ林は非常に通直で材としても極めて優良な印象。今まで良く伐られなかったなあと感心。通直でここまで立派な天然林に出会えるとは思っていなかっただけに、信じられない思いのまま山を後にした。

5 垂直分布がわからなくなる

隠岐の自然を象徴するのが海岸。

まず向かったのが、竹島まで161km地点となる島後最北の白島海岸。北に伸びる白島崎を望む標高20mほどの遊歩道を歩くと、道の脇にミズナラとイヌビワが混生。海風を浴びて育つミズナラが元気に過ごしている。ミズナラだけが特殊かとおもいきや、その脇にはシナノキ、ハリギリ、さらにはハルニレなどが、ゴンズイやネズミモチと一緒に海岸脇に育っている。

白島海岸(写真左下にミズナラとハリギリ)

こんな場所は島後のあちこちにあるよということで、西の久見へ。久見の集落へと下る途中の「久見の船おろし」と呼ばれる場所で車が止まる。海は望めない標高20m程度の谷であるが、車を止めた対岸の崖を見ると、アカマツとともにクロベやミズナラが。ここはオオイワカガミの産地とのことであるが、オオイワカガミは亜高山性の植物。よく見るとミズナラやクロベの脇に海岸性のトベラが。トベラは海岸にあっても問題がないが、トベラとミズナラやクロベが混生しているのはよくわからない。

久見の船おろし

久見の海岸に下り海岸端の遊歩道へと案内する岡田さん。何を見せてくれるのかと思えば、今が見頃の大陸性のダルマギク。こんな植物は観たことがない。さらに歩を進めて、私たちに教えてくれたのがシロウマアサツキ。残念ながら開花期ではなかったため、ネギの葉っぱが出ているだけではあったけれど、自生しているのは海岸脇。普段の海岸であれば、ハマヒルガオが生育しているような本当に海の脇。この海岸では黒曜石の欠片も落ちていたことから、夕陽の海岸で黒曜石拾いに興じることとなった。

ダルマギク

海岸植生が面白いのは島後の北部だけではないようで、翌日には南部の加茂地区へ。加茂港の脇でその先に浮かぶ松島を眺めると、海岸のすぐ脇にクロベが見える。島の中はオオイワカガミが多いとは言うものの、海を渡る準備をしてこなかった一行は、望遠レンズを駆使するなどして海辺に生えるクロベやミズナラを観察。泳ぐかカヤックで渡ればすぐにつきそうなこの島。もう一度機会があれば上陸してみたいと思った。

加茂の松島(アカマツの隣にクロベが見える)

5 ヤマネに出会う

国の特別天然記念物で本州から九州に分布する日本固有種のヤマネ。実は本土以外に唯一棲息が確認されているのが隠岐。

実は、この私。全国でヤマネを研究している関西学院大学の湊教授と一緒に、山梨県のヤマネの生息環境を調べるため、森林の調査にも協力をさせて戴いている。あるとき湊教授が隠岐でもヤマネの調査をしていると聞き、隠岐のヤマネが棲む森を一度見てみたいと思っていた。

今回、ヤマネの棲息が確認されている島後の森に入れると言うことで、あわよくばと思っていたのだが、湊教授の調査に岡田研究員さんも協力しているとのことで、オプショナルツアーの一行とともに現地を訪れることが出来た。一般的なジオパークガイドには載っていないため、草が生い茂る山の中ということで、林道の手前で車を降り、徒歩で現地へ向かう。林道を歩いていると、スギの倒木が道をふさぐなど、山がどんどん暗くなってくる。

そんな一角にヤマネの調査を行うための巣箱が現れた。
ここですよと教えて戴いた森は、自然回帰の森とは全く異なる二次林。ミズナラやノグルミ、ケヤキと言った落葉広葉樹と、ヤブニッケイやウラジロガシなどの常緑広葉樹が高木層で混交し、その下にイヌガシやヤブツバキを中心とした常緑広葉樹が亜高木から低木層に発達し、林床は真っ暗。

「ここに前回の調査でヤマネが居ました」と言われたので、巣箱をそっと開けてみると、巣箱にスギの葉を裂いた樹皮とコケが溜まっている。これはヤマネが巣箱を使った証拠。もしかしてヤマネが居ないかな?と巣箱を覗いているとヤマネがいきなり顔を覗かせた。
慌てて写真を撮ったためにピンぼけも甚だしいが、確かにクリッとした目のヤマネが写っている。

その後もみんなで観察をしていたけれど、ちょっと顔を出してはすぐに引っ込んでしまうため、なかなか写真に収まってくれることはなかったものの、まさか、ヤマネに出会えるとは思わなかっただけに貴重な体験となった。

ヤマネの生息する林と巣箱 顔を出すヤマネ

 

6 隠岐の林業

天然杉を中心に回った島後ではあったが、行く途中途中で、林業が行われている姿を垣間見ることが出来た。島後の中では西の布施地区で林業が盛んと言うことで、布施地区から最高峰の大満寺山を歩いているときには、麓でチェーンソーを動かす音が聞こえ、林道脇にはフォワーダも置かれており、過去に帯状伐採を行った場所で間伐を行っている雰囲気だった。

隠岐には島後に製材所が一つあるだけだというので、ここで生産された木材がどうなるのかわからなかったけれど、検尺を終えた材が、泊まったホテル脇の桟橋に積み上げられている姿を見て、船で運び出しても居るのだと驚いた。

間伐されたスギ人工林 桟橋に並べられた材木

 

7 今回のスケジュール

上記のように島後の森をグルグルと回り、2泊3日のオプショナルツアーを終えたのだが、最後に今回の日程を整理しておく。

10月6日
14時35分 松江駅前発 フェリー連絡バスで七類港へ
15時45分 七類港から高速船で西郷港へ
16時54分 西郷港着
 西郷港近くのホテルへチェックイン
 隠岐ジオパーク推進協議会の岡田研究員と顔合わせ
18時30分 夕食及び日程打合せ

10月7日 
 8時30分       隠岐自然館前集合
 8時30分~9時10分  隠岐自然館見学
 9時10分       隠岐自然館発
 9時30分       かぶら杉見学(天然スギ)
 9時50分       大山神社見学(天然スギ、ケヤキ)
 10時20分       乳房杉見学(天然スギ)
 10時30分~12時20分 大満寺山見学(スギを含む天然林)・人工林施業地も
 12時50分~13時15分 中谷駐車場で昼食
 13時15分~15時10分 自然回帰の森見学(スギを含む林)
 15時40分~16時20分 白島海岸見学(海岸植生)
 16時30分~16時40分 久見の船おろし見学(海岸植生)
 16時50分~17時30分 久見海岸(海岸植生&黒曜石)
 18時06分 ホテル着
  夕食・宿泊

10月8日
 8時30分 ホテル発
 9時~10時       ヤマネ生息地視察見学(二次林)
 10時10分~30分    玉若酢命神社と八百杉(天然杉とスギの社殿)
 10時45分~11時    加茂の松島(海岸植生)
 11時10分~20分    都万の船小屋(文化施設)
 11時35分       西郷港着
 11時50分~12時30分 昼食
 13時30分       西郷港発 高速船
 15時02分       七類港着
 15時07分       七類港発
 15時40分       松江駅前着 解散

 


施業研究会島根合宿参加者の感想

森林施業研究会島根合宿に参加して
~太古からの人と森の歴史を学び、未来を考える~

鳥取大学大学院農学研究科 修士2年 杉谷華世
鳥取大学農学部生物資源環境学科 4年 一藤基子

私たちは、来春からそれぞれの地で林業技術者となります。「学生のうちに少しでも森林・林業の知見を広げたい」との思いから、今回の島根合宿への参加を決めました。島根県には観光で訪れたことはあるものの、森林・林業についてはほとんど知識がありませんでした。森林・林業の視点から島根県を見て、印象に残った見学場所が2つあります。

1つは、太古の森林の姿を今に伝える小豆原埋没林です。約4000年前に火山噴火によって埋もれ、現代までその姿を残す巨木を見学しました。樹齢は最大で636年だそうで、根が残っていて自立している木もあり大変驚きました。4000年経過した今でも、かつての力強い森林の姿を想像することができました。実際に触れると、生木とあまり変わらない良好な保存状態でした。切ると木の香りもしっかりと残っているそうです。いくつもの奇跡が重なってこの埋没林を見ることができていると思うと感慨深く、自然の偉大さを感じました。

もう1つは、たたら製鉄の歴史が残る、菅谷たたら山内です。砂鉄を木炭で燃やす際に使う土炉が保存されており、映画「もののけ姫」の世界を彷彿とさせ、胸が高鳴りました。たたら製鉄を営むには、砂鉄を含む山肌を広範囲に渡って削り、大量の木炭を確保しなければならず、当時は大規模な自然破壊が引き起こされたようです。まさに、もののけ姫に描かれた「人と自然の戦い」が繰り広げられていたのかもしれません。

見学が終わった後は、懇親会や報告会で参加者の方々と交流する機会がありました。その中で、1人1人が自分なりに森林・林業に活路を見出し、それを多くの人々に知ってもらい、議論を交わし、ブラッシュアップして、また続けていく。このサイクルが未来の森林・林業を考える上で重要であると感じました。授業や参考書で得られる知識だけで満足することなく、様々な地域の森林を見て、森林施業研究会のような場で議論することの意義を学びました。また、大学生活での悩みや就職に関する不安を相談し、多くの方々からアドバイスをいただくこともでき、とても充実した時間を過ごしました。

最後になりますが、合宿の幹事をしてくださった島根大学の高橋先生、私たちに多くのことをご教示くださいました森林施業研究会の皆様および参加者の皆様に、この場を借りて心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。

 

初めての参加

前田樹苗園 前田臣代

今回は神奈川県苗組の小宮氏からのお誘いで、初めて、合宿に参加しました。合宿のスケジュールの中で島根県中山間地域研究センターの見学があったからです。平成27年に中部森林管理局から、コンテナ苗関係資料集を頂きました。その資料集の最初に島根県中山間地域の研究センターの「スギ・ヒノキのコンテナ苗生産の手引き」が掲載されていて、大変参考にさせてもらいました。一度見学に行きたいとの思いがあり、今回実現することができとても嬉しかったです。

私はコンテナ苗生産者として、本格的に行って3年目ですので、まだまだ失敗が多いです。直接播種方式のスギとヒノキを試験していますが、スギは高さ20㎝まで、ヒノキは全く高さが出ず商品にはなりません。今回、ヒノキの1年生コンテナ苗の大きさに驚きました。私の施肥量が少なすぎたようです。いろいろ参考になる事が多かったです。来年の生産に生かしていきたいです。

また、多くの参加者が林業を研究されている方で、興味深いお話を多く聞くことができて、学ばせて頂きました。来年以降もしっかり体つくりをして、合宿に参加しますので、よろしくお願いいたします。本当に、中身の濃い3日間ありがとうございました。

 

無知は楽しい

北海道上川町 平松悠揮

行政職員になってから、わからないことは存在しない(わからないとは言えない)“やるべき林業”に振り回されてしまっている節があり、反省するきっかけとなった。

今回は天然生広葉樹林が大きく取り上げられており、私が問題意識を持っている天然生広葉樹林の取扱いのヒントとなった。ただ荒廃している地域は増えているとご説明があったものの島根県では私の住む冷温帯域よりも更新が多少しやすいのかなというイメージを持った。

造林について、早世樹技術については非常に夢の膨らむ事例だと感じた。特にクルミについては実もおいしいし材もとれる。林業関係者ではない一般の人からするとおそらく森林は動いていないものとして取り扱われると思う。そういう定常的な状態でどのように周りの人にサービスができる場所を作るかを考えることも、みなさんにお世話になっている森林管理(林業)では、重要なことかと思う。

研究会帰りに機内誌をめくっていたところ茶道、弓道、華道などの「道」に関する記事があった。なんとなく林業はこういう雰囲気が強いのではないか。多くの人が通ってきた慣習文化は「道」と書いてあった気がする。科学を柱とする施業研究会でこのような発言はナンセンスかもしれないが参加を通じ、正しい「道」に戻していただいたと思う。

最後になりましたが、皆さま真摯にご対応頂き誠にありがとうございます。とても有意義な時間を過ごすことができました事、たくさんお話しをしていただいたおかげで本当に楽しい3日間でした。

施業研究会参加は無知な立場が楽しい。

 

地下世界の面白さを体感した一週間

長野県林業総合センター 小山泰弘

今から40年近く前、名古屋で過ごす鉄道マニアの端くれだった私にとって、本州の西の端で復活運転をしたSLやまぐち号は子供心にあこがれを感じ、「小郡から津和野へ行ってみたい」と思っており、高校1年の時に萩、津和野への一人旅を計画した。ところが、この計画は当時の様々な事情により実現せず、その後も何度となく島根県への旅を画策するも、ことごとく裏切ら続け、研究職員として仕事をする場合も、冷温帯の広葉樹が研究の中心だったこともあり、西日本には縁がないままだった。

試験場から県庁に移動した2012年。全国植樹祭が山口県で開催されることとなり、林業後継者の担当となった私にも山口県で参加するチャンスが訪れ、す子どもの頃に憧れたSLやまぐち号の勇姿を拝むことができたが、この時点で島根県が本州で唯一の未踏県となってしまっていた。

そして、今回の研修候補地を検討している中で、事務局の私と代表の横井氏の二人とも「実は島根に足を踏み入れたことがない!」ということがわかり、島根大学の高橋先生の手助けもあり、四半世紀の夢が叶った。そんなわけであるから、私は、集合場所となった「小豆原埋没林公園」にたどり着くその以前に、松江駅前に降り立ち、宍道湖の眺めや、日本海、島根の山肌を拝んだ時点で、すでに一定の満足感に浸っていたといっても過言ではない。

一見何にもないように見える埋没林公園

そういう意味で、集合場所の小豆原埋没林公園に着いて写真の光景を見たときには、実は期待外れの印象しか持っていなかった。この写真にある光景を見れば、施業研究会の合宿と言う目的がなければ間違いなく通り過ぎる何の変哲もない広場。ここに入園料300円を支払おうという気分にはならなかったはず。

埋没林と言えば、富山の海底に根っこが残る魚津埋没林や、河川敷に幹が突っ立っている長野県南部の遠山川河床埋没林などは知っていたし、こうした埋もれ木が「神代〇○」として、家具材などに使われていることから、幹の存在も承知していたが、この施設からは期待させるものを感じない。

写真には写っていない地下空間に入って初めて、土石流に流された流木と、その場所に立っていた樹木の神々しい存在に圧倒され、驚いた。直径30m、深さ13mの地下空間にスギ3本、ケヤキ、トチ、ムクロジ、カシ類各1本の7本がタイムカプセルのように皮付きのまま生きているかのような姿で残されており、「太古の森はこうであったのか!!!」と感嘆符を打った。さらに7本の木々を見ていると、トチやケヤキなど今の森では偉そうに立っている広葉樹がスギにひれ伏すように生きており、改めてスギの偉大さを理解した。

こうしてはじまった今回の合宿であるが、たたら製鉄では地下空間で炭を焼いて土を乾燥させたことや、たたら製鉄で広葉樹林の短伐期施業を繰り返してきた演習林の尾根と沢で3mの土壌断面が観察できたことなど、普段はなかなか親しむことがない地下空間の魅力を改めて知ることが出来た合宿だったと思う。

今回の合宿では2泊3日の本体に加えて、さらに2泊して隠岐の島後の自然も体感することが出来た。隠岐は世界的に価値のある地形や地質が存在することで、ユネスコが認定する世界ジオパークの一つになっていることもあり、地形や地質の魅力も豊富で、普段はあまり意識しない地下世界に拡がる地質の旅を感じることが出来た。

海岸で見た黒曜石(中央)

隠岐について最初に案内していただいた隠岐自然館には、海の底から引き上げられたナウマン象の化石が展示され、最終氷期最盛期には本土とつながっていたことを知らされただけでなく、ナウマン象とともに旧石器時代を代表する黒曜石の産地であることも知り、長野県に住むものとして、身近に感じたことは言うまでもない。

さらに、高山植物として身近なシロウマアサツキが海岸近くに生育しているところがあるというので、案内してもらったところ、その近くの海岸には黒曜石の欠片がゴロゴロと転がっており、植物観察のハズが途中から石拾いに変わるなど、植物を求めてあるきながらもついつい地下世界に想いを馳せる旅となった。

とはいえ、今回の合宿では、地下だけを見て楽しんでいたわけではない。三瓶自然館周囲の半自然草原ではマツムシソウやウメバチソウが咲き、懐かしさを覚えつつ、周囲の植生を見るとクロマツとアカマツが仲良く生育しており、三瓶山を見上げるとカラマツの造林地もちらほら。クロマツは植栽したのではないかとのことであるが、これらの種が普通に共存している環境には頭を悩ませた。

さらに、隠岐に出かけたら驚きは増加するばかりだった。海岸沿いにシロウマアサツキのような高山植物が生育しているだけでなく、クロベやミズナラ、ハリギリ、シナノキなど、私が普段見慣れている冷温帯の樹木が、海岸近くで生育している。そう考えると、日本海側だから案外隠岐も寒いのか・・と言うことで済んでしまうのだが、こうした植物に混じって、トベラやシャリンバイ、アカガシなど暖温帯の海岸に自生する常緑広葉樹も元気よく生育しており、対馬暖流の影響で雪はほとんど積もらないとのこと。

教科書で見た植物の垂直分布からすれば、理解できない姿であるが、最高峰が600mを超え、山頂付近でもアカガシやシロダモに混じってミズナラやイチイが生えており、600mの標高差を包括するように山の上から下まで暖温帯と冷温帯が交錯し、時々亜高山性の植物が観られるというのも理解に苦しむ状態。

まさに、百聞は一見にしかずということわざが実感できる一週間となった。海なし県に住む私からすれば、海のある県に行けば海ばかりを眺めてしまう悪い癖があるけれど、きちんと山を見て、山を堪能出来たことがとても良い経験になったと思う。

 

スギの大木に始まり、包丁で終わる ~島根合宿での幸せな5日間~

森林総合研究所 荒木眞岳

1.はじめに

まだ林学をやっている!森林施業研究会。私は、第1回からとは言わないが、過去に開催された森林学会後の研究集会にはかなりの割合で参加してきていると思う。しかし、合宿にはこれまで参加したことはなかった。ごく個人的な理由により、この手のとても楽しそうなツアーは自粛してきたからだ。今さらながら、日本各地の特徴的な森林を観察する貴重な機会を自ら放棄してきたことを非常に残念に思っている。

さて、今年も案内が来た。今回の合宿先は島根だという。実は、山陰・山陽地方は新幹線や高速道路で通り過ぎたことはあっても、(島根県西部の匹見峡近くでゴギ釣りをした以外は)訪れたことがない土地である。しかもテーマは「埋没林とたたら製鉄を支えた森林の現在とこれから」とある。埋没林はピンと来なかったが、たたら製鉄には以前から興味があった。さらに、オプショナルツアーは隠岐の島。田中美佐子の出身地という位の知識しかなかったが、ここで行かねば一生行く機会はないだろう。個人的な理由に目途が立ってきたこともあり、今回の島根合宿に思い切って参加することにした。

2.太古のスギの大木、縄文時代に思いを馳せる:出雲大社~三瓶小豆原埋没林

出雲空港でレンタカーを借り、森林総研の山川さんと一緒にまずは出雲大社に向かう。伊勢神宮は原則20年ごとの式年遷宮で大量のヒノキの大木を必要とすることで有名だが、ここ出雲大社も概ね60~70年ごとに遷宮が行われているそうで、ちょうど平成の大遷宮が終わったところのようであった。二拝四拍手一拝という独特の作法に戸惑いながらも拝礼をすまし、境内を一周すると裏手から高床式の立派な本殿を望むことができた。後から調べてみると、何でも平安時代には本殿は16丈(48m)もの高さがあったとの伝承があるそうで、スギの大木で高床が支えられていたようだ(参考:Wikipedia、出雲大社のHP)。

出雲大社で、神奈川県の小宮さんと前田樹苗園の前田さんと合流し、集合場所である三瓶小豆原埋没林(さんべあずきはらまいぼつりん)へ向かった。埋没林って何だろうくらいにしか思っていなかった私は、いい意味で完全に期待を裏切られた。地上にぽつんとある入口(小山さんの感想文を参照)から地下へ降りて行った途端、スギの大木(根回り約10m、推定樹高約50m)に圧倒された。4000年前の三瓶山の噴火にともなう土石流で埋もれたために嫌気的条件となり、現在まで腐らずに保存されたスギや広葉樹の大木が、何の変哲もない田んぼの下から発見されたという。北米のレッドウッド(Sequia sempervirens)の森にも匹敵する、スギを中心とした巨木の林が縄文時代には日本各地に広がっていたのかと、感動を覚えつつ太古に思いを馳せたのだった。同時に、何千年も連綿と続く人間活動によって、現在の森林や景観が作り上げられてきたのだということを再認識させられた。また、これだけのスギの巨木の供給源が近くにあれば、出雲大社が平安時代には48mあったというのもあながち嘘ではないと思われた。

こうして、スギの大木で島根合宿は始まったのであった。

出雲大社 小豆原埋没林

3.広葉樹林の来し方行く末:島根県中山間地センター~三瓶演習林

かつての林学科の学生は、実習の前にまず剪定ばさみやナタを買わされたものである。そのせいか、林学関係者は刃物に興味を持つ人が多いように思う。さらに、釣り人でもある私は、釣った魚をおいしくいただくために我が家には出刃包丁を中心に10本もの包丁があり、包丁を研ぐのが半分趣味だったりする。そんな訳で、私は今回のテーマの「たたら製鉄」に心惹かれたのである。たたら製鉄と聞くと、「もののけ姫」のたたらを踏む女達を思い出す方もいらっしゃるのではなかろうか。彼女達は、炉に酸素を送るための送風装置である「踏鞴(ふみふいご)」を踏んでいるのである。なんでも、中世のたたら製鉄では4日5晩も交代しながら踏み続けなければならず、大変な重労働であったようだ。

たたら製鉄は大量の砂鉄と木炭を材料とする。例えば、今回の合宿の世話役をしていただいた島根大学の高橋絵里奈さん(実は大学の後輩、大変お世話になりました)が配ってくれた資料によると、近世(江戸時代以降)のたたらでは、三日三晩の一回の操業(これを一代という)で砂鉄10トン、木炭13トン(生木換算で50トン)が必要で、これを年間60回(60代)行ったとすると、膨大な砂鉄と炭が消費されることになる。この炭を賄うために、かつての製鉄の総元締め(鉄山氏といわれる)は広大な山林の所有者でもあった。30年程度の周期で広葉樹林を回していたそうで、おそらく皆伐して萌芽更新させていたと思われるがとうとう確認できなかった。全盛期には島根県内だけで70カ所ほど炉があったというから、山陰地方には膨大な広葉樹資源が存在していたと同時にかなりのオーバーユースであったのではないかと推察される。

明治時代、官営八幡製鉄所ができると同時にたたら製鉄は衰退した。しかし、広葉樹林は残された。その結果、島根県では人工林率が低く現在でも38%とのこと。また、昭和40年代までは炭焼きが行われていたため広葉樹林は細々と利用されていたが、その後その多くは放置され、現在では広葉樹が高齢大径化し、伐採後の萌芽再生力の低下やナラ枯れ被害が問題となってきているそうだ。これらの問題に対応するため、島根県中山間地域研究センターではスギ・ヒノキに限らず様々な樹種のコンテナ苗の育苗法、広葉樹の植栽試験、高齢広葉樹伐採地の萌芽状況の調査などに取り組んでいて、二日目の午前中はこれらの現場を案内していただいた。最も印象的だったのは、一番お世話頂いた陶山さんのオニグルミ愛の深さと、ノウサギはコウヨウザンが大好きだという事実であった。お隣の広島県ではコウヨウザンを植栽しているらしいが、ノウサギによる折損害は大丈夫なのだろうかとふと心配になってしまった。

コンテナ苗を囲んで陶山さんの説明に聞き入る参加者 ウサギにかじられたコウヨウザン

三瓶バーガーをおいしくいただいた後、お向かいにあった三瓶自然館サヒメルを駆け足で見学した。ここでも、小豆原埋没林から伐採したスギの大木が展示されていた。数名の方々は屋外を散歩して植生を観察したり草花を愛でたりしていたようだが(小山さんの感想文を参照)、それよりも私は、近年隣国との間で問題となっている竹島(島根県隠岐の島町に属するそう)でのアシカ漁の展示や、たたら製鉄で必要な真砂砂鉄は花崗岩に含まれており、山陰側の花崗岩は鉄分が多く磁石にくっつくのに対し山陽側の花崗岩はくっつかない、なんてことを勉強して楽しんでいた。

島根大学の三瓶演習林では、3mもの深さの土壌断面や標高500mにある高齢広葉樹林を見せていただいた。ナラ枯れはすごかったが、アカマツは無事のようだった。演習林を案内していただいた島根大学の山下多聞さんは、実は大学の先輩であり、思いがけず20年ぶりの再会を果たすことができた。大変お世話になりました。その後、中山間地センターに戻り、夜には楽しくお酒を飲みながらの報告会もあり、2日目の夜は更けていった。

土壌断面を説明する山下さん

4.そして、たたら製鉄:田部家~菅谷たたら山内

合宿3日目はあいにくの雨であったが、今や我が社と同じ組織になった森林整備センターの松江水源林整備事務所の方々に、ヒノキ人工林を案内していただいた。この林は、たたら御三家のひとつ田部(たなべ)家の所有林(なんと最盛期には約2万5千haとのこと)のごく一部(それでも348ha)と分収契約を結び、広葉樹林あるいはその跡地に昭和53年以降10年かけてヒノキとスギを植栽したとの説明であった。路網密度は30m/ha、今は予算がつかないが以前はきちんと枝打ちもしていたそうで、立木密度がやや高いと感じたものの、よく手入れされた林という印象を受けた。かつてたたら製鉄を支えた広大な広葉樹林の何割かは、このようにスギ・ヒノキ・アカマツ林へと転換されたようだ。昭和50年代は炭焼きが衰退した時期と重なり、また林道開設や造林作業には膨大な人手が必要であったと推察されることから、これらの造林事業は雇用対策の意味合いも強く持っていたのだろう。

その後、松江水源林整備事務所の方の粋な計らいで、たたら御三家のひとつである田部家の邸宅を特別に見学することができた。この邸宅は本来非公開であり、JR西日本の超豪華列車「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」のセレブなお客のみが見学できる場所となっていて、内部の写真はNGであった。田部家支配人に上1500坪、下1500坪の広大な敷地内を案内していただいたのだが、我々アヤシイ一行は、美しい庭園を構成する樹木や草花は何なのか、この伝統的な日本建築の梁は長い一本柱だとか垂木の組み方が建物で異なるとか、そんなところについ目が行ってしまうのであった。普段は上品な客を相手にしている支配人も、我々の予想外の質問に最初は面食らったようだが、終始にこやかな笑顔を絶やさなかったのは、プロだからなのかそれとも変な客を楽しんでいたのであろうか。昭和の時代に国会議員や島根県知事を務めたという23代当主の道楽であった陶芸小屋や、巨大なスギ(だったかな?)の根株をくり抜いて作った一風変わった茶室、伝統的な餅つきの様子を撮影したビデオなどを拝観して田部家を後にした。たたら御三家は、かつては松江藩の財政を支えた資産家であっただけでなく、風雅な都の文化を地方に伝える重要な拠点として機能していたようだ。

田部家の土蔵群。奥が邸宅。

時間が押してきた中、大急ぎで「菅谷たたら山内」に移動した。ここは、もののけ姫のモデルとなったとされるたたら製鉄が操業されていた高殿(鉄の生産施設)が唯一残されている場所で、私が密かに最も楽しみにしていたところである。しかし、残念ながら隠岐の島オプショナルツアーへの参加組はバスの時間が迫っており、後ろ髪をひかれながら早々に松江駅へ向かったのであった。

菅谷たたら山内の高殿 高殿内の炉


ところで、たたら製鉄には大量の砂鉄と木炭が必要だと先に書いた。炭の供給源については説明してきた通りであるが、大量に必要とするため往時の山陰地方でははげ山も多く広がっていたのだろうと想像される。なお、高殿内にあった炭を観察した限り良質である必要はなかったようである。一方の砂鉄の方だが、江戸時代になると鉄穴流し(かんなながし)と呼ばれる方法で花崗岩に含まれる砂鉄を大量に採取したそうだ。風化した花崗岩の山を人間が崩し、その土砂を川に流して途中で何段かの池をつくり、比重によって砂鉄を選鉱したとのこと。かなり大規模に山を切り崩したようだが、祠や墓がある場所は切り崩すわけにはいかず丘として残され(鉄穴残丘)、また切り崩した跡地は棚田として利用するなど、鉄穴流しによって地形が改変されてきたということだ。車窓からそれらしき地形を探したが、菅谷たたら山内の目の前にあった田んぼと丘はそうだったのかもしれない。鉄穴流しによって流出した土砂は下流で堆積して天井川となり洪水をもたらすこともあっただろうし、農繁期に水が濁ったらまずいので鉄穴流しはもっぱら冬に行われるなど気を遣ったようだが、一方で農民にとって農閑期の良いアルバイトだったのではなかったか。脱線ついでにもう少したたら製鉄の話を続けると、もののけ姫では大勢の女たちが踏鞴(ふみふいご)の板を踏んでいたのだが、そのような装置は高殿内で見当たらなかった。このことを質問できないまま菅谷たたら山内を後にしたのが心残りだったのだが、実は踏鞴は中世の頃のもので、17世紀末に1人か2人で踏む天秤鞴が発明され、送風作業が大幅に省力化されるとともに送風能力がアップし鉄の生産性が飛躍的に向上したそうである。さらに、たたら場の神様は醜女で女嫌いであったため、実際には高殿内は一般に女人禁制だったようだ。たたら製鉄について興味を持った読者は、「出雲の國たたら風土記(http://tetsunomichi.gr.jp/)」や日立金属のHP「たたらの話(http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/index.htm)」などを参考にされたい。

ついでに、島根県内を車で移動している間、気づいたことがいくつかあった。一つ目は、今でも枝打ちをしている林を何度か見かけたことだ。次に、ナラ枯れ、マツ枯れの被害がかなり目についた。最後に、結構積雪はあると思うのだが、家屋の屋根がかなりの高い割合で赤い瓦だったことだ。調べてみると、島根県の石見地方で生産される「石州瓦」は日本三大瓦の一つだそうで、独特の赤褐色が有名であり凍害に強いのだそうだ(Wikipedia)。

脱線が長くなったが、このように2泊3日の島根合宿はあっという間に過ぎていったのであった。

5.暖温帯?冷温帯?、そして現実のスギの大木:隠岐の島

さて、ここからいよいよ圧巻の隠岐の島オプショナルツアーに入っていくのだが、このペースで書いているといくらあっても誌面が足りそうにない。そこで、隠岐の詳細については、小山さんのレポート「第一級の自然植生がそこに~隠岐オプショナルツアー~」に譲ることとしたい。

私にとって最も印象的だったのは、やはり「隠岐自然回帰の森」の立派なスギの天然林だ。合宿初日に感動した縄文時代の巨大なスギの林(とまではいかないものの)が、現実に目の前に存在している!と参加者みなで大興奮したのだった。よく江戸時代から伐られずに残されたものだと思うが、何でも北前船から見えなかったからという説もあるそうだ。また、ナンバーテープなど調査の跡があったのだが、なんと私が現在所属している研究室のメンバーの仕業だったというオチまでついた。他にも、暖温帯と冷温帯の樹木が同所的に混生していたり、久しぶりに見るオオイワカガミが海岸近くの崖に生えていたりと、これまでの常識を覆すなんとも不思議な植生に困惑させられた。また、ほんの一瞬だがヤマネを見られたのも思いがけない収穫であった。

冒頭書いたように、田中美佐子の出身地という予備知識しか持たずに隠岐に渡った私は、頻繁に耳にする「ドーゼン」「ドーゴ」の意味がわからなかった。いわゆる「隠岐の島」は大きく島前(どうぜん)と島後(どうご)の二つで構成されていて、島前は火山のカルデラが水没して残された中央火口丘と外輪山が3つの島(3つの町村)となって海に浮かんでいること、我々が見学して回るのは大きな一つの島(隠岐の島町)からなる島後であることを隠岐の居酒屋で初めて知ったのであった。さらに2日間にわたり島後を見て回った結果、植生だけでなく隠岐について色々と知ることができた。例えば、隠岐は良質な黒曜石の産地であり、その黒曜石が中国地方だけでなく新潟県や四国地方の遺跡から石器として出土しており、縄文人が丸木船で海を渡っていた事実が証明されているのは驚きであった。また、島後は、平安時代の由緒正しい神社が多く残され、鎌倉時代初期に承久の乱で敗れた後鳥羽上皇が流された地であり、古い神楽が今でも伝承されているとのことで、文化的にも古い歴史を持つ島であった。周囲を海に囲まれているため海産物は豊富だっただろうし、見てきたように建築用材も山に十分にあるし、水にも困らず平地では米も取れたようだし、酒蔵もあるくらいだから古くから自給自足の豊かな社会が成立していたのだろうと思う。隠岐は一生に一回かと思っていたが、今度は島前の方をゆっくり見て回りたいと思わされたのだった。

対馬も狙われているのか!? 島内のあちこちに妖怪が

6.おわりに

今回の島根合宿ではオプショナルツアーも合わせて4泊5日したわけだが、今では希少種となったヤニ仲間ということもあって神奈川県の小宮さんと4泊とも同室させていただいた。小宮さんも刃物に興味がおありのようで、包丁を求めて帰りたいとおっしゃる。私も、せっかく島根に来たのだから何か1本欲しい、そうだ普段使いの鉈でも買っていくかとインターネットで調べてみると、意外に鍛冶屋は少なく、しかも松江からちょっと離れた安来や奥出雲に集中しているようだった。とてもそこまで行っている時間の余裕はない。そこで、島根県物産観光館には刃物が置いてあるだろうと目星をつけ、隠岐から松江駅まで戻った二人は、皆様とのお別れのあいさつもそこそこにそそくさとタクシーに乗り込んだのであった。果たして、刃物はあった。しかし、包丁ばかりで鉈はなく、がっかりしている私の目の前で、小宮さんは小ぶりの包丁を2本も買われたではないか。はっと我に返ると、我が家で11本目となる八寸の刺身包丁(非常にお買い得だった)を手にしており、帰路に着いたのだった。翌日、新品の包丁を仕上げ砥石でキンキンに磨き上げ、マグロの柵を買ってきてその切れ味に悦に入ったのはいうまでもない。

島根合宿に参加して、スギの大木に始まり包丁で終わるという、とても幸せな5日間を過ごすことができた。この場をお借りして、お世話して頂いた方々に深く感謝申し上げます。さて、冒頭の個人的な理由も解消した今、これまで参加できなかった分を取り戻すべく、こんな楽しい合宿には来年以降も是非とも参加していく所存です。最後に、マグロを切って以来早5カ月、件の刺身包丁は椿油を塗られて我が家の引き出しで眠ったままである。