木霊(TARUSU) 森林施業研究会ニューズ・レター No.69 (2018年12月)

Newsletter of the Forest Management and Research Network

・「低コスト林業」をテーマにシンポジウムを開催
・森林施業研究会「秋田・白神合宿」の記録・・・平野辰典(関東森林管理局)・望月貴治(Φ森林環境研究所)
・合宿参加者の感想

 

「低コスト林業」をテーマにシンポジウムを開催

第23回森林施業研究会シンポジウム

例年通り、日本森林学会大会の最終日に開催します。

テーマ:技術論で考える低コスト林業(仮題)
日 時:2019年3月23日(土) 9:00~12:00
場 所:新潟コンベンションセンター「朱鷺メッセ」(新潟市)

内 容:昨今、下刈り省力化や低密度植栽など育林コストを下げる取り組みが広がっている。そこで、下刈り回数の削減、低密度植栽、広葉樹への転換に関する話題提供を行い、技術的視点から「低コスト林業が目指す林業は、果たして持続可能な林業経営につながるのか?」について議論したい。

※詳細は決まり次第、ウェブサイトに掲載します。


森林施業研究会「秋田・白神合宿」の記録

森林施業研究会秋田合宿記録

平野辰典(関東森林管理局)

平成最後となった森林施業研究会の秋田合宿は「秋田天然スギ林・白神ブナ林をめぐる現地検討会」と題し、平成30年9月22日(土)~24日(月)の日程で秋田・白神で開催された。

秋分の日を挟んだ3連休に開催されたこともあり、30人を超える参加者となった。国有林職員一行の参加を、私がのんびりと申し込んでしまったにも関わらず、別宿でおまけ参加を認めて頂いたことから、私がお詫びとして報告記を書くことになった。

七座山天然スギ林で記念撮影

森林施業研究会と同じく、森林施業に関する技術や知見を学ぶため、国有林職員が中心となり開催している勉強会、通称「コリドー」で以前、秋田スギを訪れているのだが、忙しさを口実に参加を逃してしまった。今回の秋田合宿を逃したら、秋田スギを一生見に行けないような気がしたので思い切って参加することにした。そして、秋田天然スギ林や、秋田スギの施業試験地から何かを得て、今の施業に活かせることがあるのではないかと考えた。

1.上大内沢天然スギ林

ここには、1924年に寺崎 渡が設定した収穫試験地があったが、1986年に試験地が廃止された後、2001年に秋田県林業技術センターを中心としたグループが再測を行っている。約270~280年生、直径階80~100cmになる秋田スギが林冠を形成し、下層は主に20~40cmのトチノキで構成されている。秋田スギの樹齢差は50年ほどになる個体もあり、過去に少なくとも2回は択伐的な利用がされている。また、樹幹解析の結果から100年生以降に10年で1m3ほど成長している個体もあり、現在も秋田天然スギ林としては珍しい純林を形成し、蓄積は2,000m3/haにも及ぶ。

上大内沢天然スギ林

2 仁鮒水沢天然スギ林

「日本一の秋田スギ」としても有名な仁鮒水沢天然スギ林は、樹高50mを超える秋田スギが成立し、「きみまちスギ」は樹高59mにもなる。一般的なスギ人工林では、樹高25mもあれば地位が良く伸びが良い。という印象を受けるので実にその倍以上となる。秋田スギの密度は107本/haだが、胸高断面積合計は104m2/ha、胸高断面積比は98%になるため、もっと密度が高い感覚であった。施業履歴は不明だが、少なくとも1947年以降、伐採は行われていない。その後、1991年の台風19号により風害を受け初めて著しい材積の減少が見られた。また、林床に秋田スギの稚樹は見られず、更新に必要な明るさが十分確保されていないことが分かる。この林分も秋田スギ以外の高木性広葉樹はトチノキくらいであった。

きみまち杉

一日目の秋田合宿はあいにくの雨。つくづく自他ともに認める雨男だなと感じながらも、秋田天然スギ林が成立した理由、高い材積成長を誇る理由、今後の更新等を真面目に考えていた。・・・のは日中だけで、郷土料理のきりたんぽ鍋をつつきながら日本酒を堪能しているうちに、片道7時間の移動疲れも重なり、すぐに寝落ちすることになった。

3 漆畑沢スギ間伐試験地

漆畑沢スギ間伐試験地は1953年の45年生時に設定され(1909年植栽)、強度間伐、中庸度間伐、弱度間伐、無間伐で2箇所ずつ、計8つの処理区(各40×50m)がある。間伐は1957年の49年生時、1969年の61年生時に行われ、1991年の83年生時に台風19号の影響により多少の枯損が発生している。2012年の104年生時に行われた調査によると、立木密度は、強度間伐区では200本/ha、中庸度間伐区では250本/ha、弱度間伐区では400本/ha、無間伐区では510~560本/haとなっており、林分材積は、間伐強度が弱いほど高く、無間伐区では2,000m3/ha、強度間伐区ではその半分程度となっている。この間伐試験地は、100年生を超える林分だが、どの処理区も高い材積成長を維持している。

漆畑沢スギ間伐試験地

林内での議論の様子

4 七座山天然スギ林

七座神社から米代川を挟んだ場所にある七座山は、標高の最も低い位置に分布する秋田天然スギ林と言われている。平均200年生ほどの秋田スギに、80~100年生ほどのブナ、ミズナラ、カツラ、トチノキ等の広葉樹が混交する林分となっている。七座山一帯は、明治時代に入るまで信仰の対象として伐採が禁止され、原生林としての姿が維持されているが、過去に1,200本ほど伐採された記録が残されている。

七座山天然スギ林

5 矢立峠天然スギ林

秋田・青森県境に位置する矢立峠は、江戸時代の伊能忠敬測量隊、長州藩士吉田松陰が通った歴史の道であり、イギリス婦人旅行家のイザベラ・バードが絶賛した秋田天然スギ林であったが、戦後の復興用材等の伐採により、国道7号線沿いの一部を残すのみとなった。現在は、自然散策、歴史探訪等、保健休養の場として利用されている。

矢立峠天然スギ林

秋田合宿に参加する前に、私の中で最も気になっていたのが、秋田天然スギ林が成立した理由だった。現在、主伐・再造林が進む中、いかにして地拵・植付コストを削減するのか。下刈を省略するのか。造林木をシカに食べられないようにするのか。というのが現場に求められている課題となっている。手間とお金がかからない?スギの天然更新についても、過去の事例を調べたり、試験的な取組みが出来ないかを検討する機会が増えている。私はスギの天然更新を語るほど技術と知識が伴っていないため、機会があればご教授頂きたいのだが、今回の秋田合宿では、スギは陽樹であり、他樹種との競争を得意としない。ということを改めて感じた。

私が、現場でスギの天然更新木を見かける箇所は、林道の法面、苔むした岩石地や倒木・伐根の上等、スギにとって都合が良い光環境や水分条件が揃う箇所が多い。その中でも、攪乱により表土が固結したり、他の雑草木が繁茂しにくいような箇所でスギの天然更新木が繁茂しているように感じる。しかし、しばらくの期間は繁茂していても、いずれは消失してしまうだろう。

秋田天然スギ林が成立している林分は、年平均気温は約10℃、年降水量は約1,700mm、積雪は約1~1.5mという気候条件であり、大きな雪害を受けるほどの積雪量ではなく、ちょうど良く雪解け水を供給できるのだろう。そのため、関東で5月頃に心配するような乾燥の被害は少ないかもしれない。推測になるが対馬暖流の影響で土壌中の温度が高いのではないかという意見も出されており、スギの成長を支える要因が他の地域より多いのだろう。また、佐竹藩による留山制度により秋田スギは保護され、住民による伐採は禁止されていた。一方で、薪炭材利用等による広葉樹の伐採は認められ、ササ類まで利用されることもあった。上大内沢や仁鮒水沢のように秋田天然スギの純林が形成されたのは、森林と生活との密接な関わりがあるのではないかと感じた。また、広葉樹で唯一多く見られたトチノキは実を食用に出来ることから、やはり意図的に残されたものではないだろうか。

一方で、スギの他にブナ、ミズナラ、カツラ等の広葉樹が混交している七座山はどうだろうか。信仰の対象とされていたことから、秋田スギはもちろん、他の広葉樹も伐採されなかった結果、広葉樹が混交し複雑な構造をした秋田天然スギ林が形成されたと考えられる。正直なところ、スギの純林を形成している、上大内沢、仁鮒水沢の方が、初めて見たインパクトが大きかった。これは、普段から造林樹種の収穫量を増やすため、質を高めるために森林施業を考えている職業病だと考えている。本来であれば、多種多様なニーズに応えるため、人工林に足りない機能や構造を補うことのできる森林施業をもっと意識しなければならないのだろう。

今回の秋田合宿では、強行日程ながら秋田スギを満喫し、また明日から仕事をがんばろうという気持ちを充電することができた。やはり各地の山づくりを見ながらいろいろな立場の方々と議論することは、自分の中のチャレンジ精神に火を付けるスイッチなのだと感じた。 
最後に、お土産を買うために立ち寄った秋田駅周辺で、ちらほら見かけた秋田美人のポスターにすっかり影響された男性陣は、秋田には美人が多いという話で盛り上がり、帰路7時間の運転の励みとした。


合宿3日目:奥赤石ブナ林木遺伝資源保存林

望月貴治(Φ森林環境研究所)

津軽峠:白神山地の世界遺産地域についての説明

7:30柏木温泉を出発し、岩木山を右手に見つつ、津軽峠へ。9:15津軽峠に到着した。

車窓から望む岩木山

林道沿いにブナが目立ってきたので世界遺産地域に近づいたのかと思ったが、案内役の正木氏より津軽峠の周辺は我々が走ってきた林道を使って伐採が行われたとの説明があり、遺産地域は遠くに見える山だった。正木氏の前夜の発表にあった遺産地域内のモニタリング調査は、調査地への移動時間がかかるため泊りがけで行われているとの説明があった。調査は多数のボランティアに支えられており、募集中とのことだった。他には、青秋林道開設とそれに伴う拡大造林について説明があった。

津軽峠から見える白神山地の世界遺産地域

当初の計画ではここからマザーツリーと呼ばれているブナの見学に向かうことになっていたが、この合宿の20日前(9月4日)に台風21号の強風で折れてしまったため計画が変更になった。この経緯を踏まえ、参加者からマザーツリーといっても単なる切り残しではないか(それほど風倒を悔やむことはない)との一言があり、参加者の笑いを誘った。

林木遺伝資源保存林 奥赤石ブナの森:白神山地の世界遺産地域のブナ林に類似した林を見学

10:00奥赤石ブナの森入り口に到着。

世界遺産地域に到達するには到底時間が足りないので、津軽峠から車で30分ほどの場所ある奥赤石ブナの森を見学した。林内を10分ほど見学した後に、ベテランの参加者から「普通だ。」との声が上がった。樹齢100年ほどらしきブナが立ち並ぶ日本海側の地域に典型的なブナ林が続いていたからだ。老齢木がなく、二次林のような同齢程度のブナが生育している原因について、炭焼きなどの人の手が入った可能性、百年レベルで起こる地すべりなどの土砂移動による攪乱の可能性が議論された。

散り散りになり、各々の視点でブナ林を観察する参加者

林内の移動中には、ブナに残る熊の爪痕やカツラの大木、幹折れしたサワグルミ?の大木があった。20分ほど歩道を進み、渓畔林と平坦な地形に成立したブナ林が隣接した場所に到達すると、参加者が散り散りになって各々が興味をひかれる場所で議論が行われた。私の近くでは、土砂移動現象の規模と頻度がブナ林の成立に与える影響や日本海側のブナの曲げ強度の強さについて議論された。また、伐りたくなる太さと形状だという声があり、研究者から現場作業員まで幅広く参加しているこの研究会の特色を見た。

熊の爪痕を観察

奥赤石ブナの森入口:合宿終了の挨拶

11:15奥赤石ブナの森入口に到着。

林の見学を終えてから、代表の横井氏より合宿の締めの挨拶がされ、今回の合宿の取りまとめを行った太田氏へ参加者から温かい拍手が送られた。事務局長の小山氏より次回の現地検討会について魅力的な見学地の候補が2つ上がっているとの連絡があり、2018年森林施業研究会合宿は終了した。

横井代表による締めの挨拶



合宿参加者の感想

秋田スギ天然林・白神山地視察研修報告書

小森胤樹(郡上エネルギー株式会社)

今回、参加した理由は距離的にそして個人的にはなかなか見に行くことができない、秋田天然スギを解説付きで見学できるという稀有な機会であると判断したため。実際参加して、報告書に書かれている現場を実際に目で見ながら、その報告書に関わった研究者から話を聞くというのはとても理解しやすかった(贅沢な研修でした)。

まず、私の“秋田スギ”というものに対する先入観は、
・日本でも限られた天然スギが生産されていたが、資源が枯渇したので人工林の利用に切り替えざるをえなくなった。
・郡上では50cmを超える大径木の需要先がないという現状だが、秋田は大径木が流通している(天然の良い材でないとダメだろうが)。
・東海木材市場において、スギの大径木は秋田から買い付けに来る業者がいる。
等、なにか同じスギが産地の郡上とは違う世界のようなイメージであった。

また、私にとって天然スギというのは、郡上で言うと石徹白大杉を代表するような如何にも風雪に耐えて、唯一生き残ったというイメージで合った。今回回った中で言えば、七座山はそのイメージに近かった。

初日、上大内沢自然観察教育林は、成り立ちは天然林なのであろうが、天然生人工林と表現したい森林と感じた。暴れ木と一般に呼ばれる、木としては大きいけれど伐っても材にはならないような木がほとんどない。天然林として、荘厳さを感じるというより、人の手が加わって250年経過した森として、美しさを感じた。これは個人的な感覚かもしれないが、林業に携わってきてしっかりと手入れのされた人工林に美しいと感じる感覚がある。そして、驚いたのは樹冠長率である。人工林の手入れにおいて、樹冠長率が3割を切ると生育が悪く、安定性に欠けるようになるという教科書的視点である。ここのスギは、モノによっては明らかに3割切るものもあるが(説明で平均3割と聞いた)、でも250年生きてきている(ただ、その途中経過を見ていないので、今3割以下まで枯れあがり不安定期に入っていると考えるのかもしれないが)。1924年と1948年に間伐が行われ、その後、2001年と2011年の毎木調査のデータから今でも旺盛な成長をしているということが分かったことは、より広く周知されるべき知見だと考える。

国が言う、林齢の平準化のため、皆伐再造林は必要という論法は、今の日本林業の現状において、二つの点でリスクがある。

一つは、獣害への解決策がない中、経営リスクが高い。各地で低コスト造林の実施地があるが方法論として確立しているものはない。わずか8年ほど前までは、長伐期の推進を謳っていた。50年ほどの標準伐期に対して、間伐を繰り返す長伐期化施業に多くの補助金を使ってきた。3~7齢級までの間伐補助に対して、“機能増進保育”という名の補助金ができ、~12齢級(60年生)まで切り捨て間伐ができるようになった。さらに切り捨て間伐がひと段落し間伐面積が頭打ちとなり、間伐面積を維持するには、搬出間伐にも手厚い補助をつけないとダメな状態になった。こうして、現状スギにおいては90年生まで条件を満たせば、間伐補助が出る仕組みが出来上がったと私は理解している。私は、民間事業体において、森林施業計画の時代から補助金を申請して、森林整備をしてきた経験からこの十数年の仕組みの変遷をそのように見ている。

今、再造林を約束すれば、皆伐にも補助金が出る仕組み、当たり前に受け入れているが10年前は考えられないことであった。それが一転して、林齢の平準化のため皆伐再造林は必要となる。これについて私の見解は、平成12年に木材自給率が18%と最低を記録した。その後搬出間伐への補助金が毎年拡充されていく中、国産材の生産量が増えることになる。時期を同じくして、ロシアが原木輸出に対しては関税を80%掛けると言い出す(第一期プーチン政権時)。北洋材利用に偏っていた日本の合板工場が、価格面で競争力が出てきた(つまり材価が下がった)国産材にシフトするというマッチングが起きた。これがその後の自給率増加につながった。

この間、国は国産材自給率を50%目標にする政策を出す。ここ10年の自給率増加は合板(構造用)の自給率増加を受けての数字ため、頭打ちが来る。また、搬出間伐への手厚い補助のため、間伐材が出しやすい林分はこの10年で少なくとも1回、多いと2回の搬出間伐が終了し、しばらくは伐採を行わない。実際間伐面積は減少傾向にある。50%の自給率を達成するためには、当たり前だが山から木材が出てこないといけない。人口減少が始まり、住宅着工率が下がってきていることもあり、国内で消費される木材量も減少傾向にあり、国産材の生産量が伸びなくても、輸入が減る分自給率が微増していくというのがここ数年の傾向である。

長々と書いたが、私が理解する林齢平準化のための皆伐再造林という論法は、間伐では出てこなくなった木材の生産量を増やすには、皆伐を増やしていくしか方法がないということだ。この論法に、標準伐期を過ぎると成長量が落ちるというデータが使われている。よって、250年生のスギであっても旺盛な成長量を維持しているというデータはより広く知らしめるべきだと考える。

250年生のスギ天然林のヘクタール当たりの蓄積を聞いて驚いた。収穫試験地で1756㎥/haである。25%間伐で439㎥/haの収穫がある。今の50年生ぐらいのスギ人工林の場合、ヘクタール当たりの蓄積400~500㎥/haぐらいだろう。250年生との比較はフェアじゃないかもしれないので、翌日に行った110年生の添畑沢スギ人工林の間伐試験地のデータを見てみると、250年生のスギ林が特別ではない事がわかる。無間伐区で2000㎥/ha、中度間伐区でも1500㎥/ha前後、強度間伐区は1000㎥/haほどある。天然林ではない人工林でも同程度の成長過程となっている。

このような旺盛な成長過程は、日本中すべての人工林が同じなのかといえば、そうではないだろう。地力、水分量、気象条件、品種が異なるから。しかし、報告書(添付資料)にも記載があるように、長伐期が可能な林分とそうでない林分の検証をしないまま、出しやすい高齢級の林分が補助金もつかないため、皆伐業者が立木買いし、“天然更新”と言う方法で皆伐を許可して行くことはいいことなのだろうか。多くの市町村は、そんな知識を持つ専門職もいないため、ただ許可を出すしかない。今の状況は、これまでの日本の林政の繰り返しでしかない。対処療法だ。将来どのような姿を目指しているのかはっきりしないまま、進んでいるようにしか思えない。フォアキャストな考え方だ。バックキャストで山を見ていない。

二つ目のリスクは、バックキャストで山を見ているのかと言う点である。ニュージーランド(NZ)のように、人工林は30年伐期で経済的にも自立している林業が成り立っているのならいいだろう。NZの人工林面積は、国土面積の5%でしかない。つまり、人工林が産業として成立する場所はかなり限定的だと言うことである。日本の森林面積は68%、そのうち人工林は40%、よって、国土面積の27%もが人工林となっている。この27%の人工林をどのようにゾーニングして行くのかが重要である。

木材生産に適した立地である場合でも、添畑沢スギ間伐試験地の報告書や正木さんのお話にあったように、長期にわたるデータを取っている試験地が少なく、試験地が時代の都合によって、試験地でなくなったりする。ドイツに視察に行った時、森林官のお話では、100年以上にわたる施業履歴があるので、どのような成長をする林分なのかのデータの蓄積があるといっていた。

単伐期で回す利点がなんなのか。林齢の平準化と言うがなぜ平準化が必要なのか。高齢級ばかりになるとなぜダメなのか。高齢級林が林分の能力として成立しないと言うことを誰がどのように判断できるのか。このように判断基準が曖昧なまま、大規模な皆伐が行われた場合の環境への影響を、林業界はどう説明するのだろうか。

私自身、これらに対して答えを出すだけの知識は持ち合わせていない。ただ今回書いたような危機感を森林総合管理士として、持ち続けているので、市町村の林務職員と意見交換する際は常にこのような疑問を投げかけ続けている。“林齢の平準化のための皆伐の推進”を何も考えずに進めるわけには行かないと考えている。

 

2018年森林施業研究会合宿に参加して

宮本麻子(森林総合研究所)

森林施業研究会の現地検討会には興味を持っていたものの、コアな施業研究をしていない身としては、なんとなく敷居が高いイメージがありました。ですが、今回のテーマは「秋田スギ天然林」。ちょうど関わりのあるテーマでもあり、初めて参加させて頂きました。

スギ天然林と人工林、そして白神のブナ林と2泊3日でまわるにはとても盛りだくさんの内容でした。その中で印象的だったのは、大内沢の天然杉を上野の科学博物館に納めた時のお話で、天然杉を伐採する技術を使って切り出した、という言葉でした。林業には当然それとともに育ってきた地域の技術があり、それらは地域の伝統・文化の伝承にも関わっています。今更ながら人と自然が密接に関わる職業であるということを実感し、当時の施業について思いをはせながら、現場を見る機会を得ました。

夜のセミナーでは、多岐にわたる話題があり、民間、市町村や県、大学等の様々な立場の方々から施業研究に関する熱い議論がありました。普段はなかなか接する機会の少ない業種の方ともお話することができ、研究と現場がざっくばらんにリンクする場として機能しているのを見て、すごく素敵な場だと感じました。参加できて有難かったです。

2泊3日の濃密な合宿を準備をして下さった事務局の皆さま、現地説明をして下さった皆さま、どうも有難うございました。

 

秋田天然スギ林・白神ブナ林をめぐる現地検討会に参加して

尾張敏章(東京大学千葉演習林・准教授)
橋本晋太(東京大学農学部森林環境資源科学専修・4年)

私たちは2人とも、森林施業研究会の現地検討会は初めての参加となります。尾張は本年4月に北海道演習林から千葉演習林へ異動してきました。千葉演習林には林齢100年生を超えるスギ人工林が多くあり、その管理を主な研究課題の1つとしています。橋本も卒業研究において、スギ高齢人工林を対象に調査を行っています。千葉演習林だけでなく、国内の他地域に生育するスギ高齢林について理解を深めるため、添畑沢スギ間伐試験地をはじめ、秋田のスギ林はぜひ訪れてみたいと常々思っていました。今回の現地検討会は私たちにとって「渡りに船」の機会でしたので、ご案内をいただいて直ぐに参加申込みさせていただきました。

1日目はあいにくの雨でしたが、上大内沢と仁鮒水沢のスギ天然林を見学しました。橋本は秋田出身ですが、天然スギを見たのは初めてでした。樹齢>200年生、胸高直径>1 m、樹高>50 mのスギが多数屹立する様子はまさに壮観でした。現地でご説明いただいたなかで、「(樹齢200年を超える)天然林でも成長は続けている」とのお話は大変印象的でした(尾張)。また、千葉演習林に比べて下層植生が豊かな印象も受けました(橋本)。林冠の開空度が比較的大きく、林床が明るいことに加えて、シカによる被食の影響が小さいせいでしょうか。仁鮒水沢では、「きみまち杉」や「恋文杉」など、天然スギの巨木に名前が付けられていました。こうした取り組みによって天然スギに興味を持つ観光者が増え、森林や林業に対する人々の理解が深まることを期待します(橋本)。

2日目の午前は添畑沢スギ間伐試験地の見学でした。ここでも、「スギ人工林は林齢100年生でも未だ発展途上」とのお話が印象に残りました(尾張)。無間伐区と弱度間伐区、中庸度間伐区と強度間伐区の違いがやや分かりにくく感じました(橋本)。また、データによれば設定時の立木密度が各処理区で差があり、処理区間の差が本当に間伐強度の違いによるものか少し疑問を持ちました(橋本)。午後は七座山のスギ天然林を見学しました。ここはスギと広葉樹の針広混交林が形成されており、林冠下ではスギの幼樹も見ることができました。

3日目は白神山地の奥赤石ブナの森を見学しました。昔見た八甲田のブナ林に比べると、ブナがやや細い印象を持ちました(尾張)。また、常緑広葉樹が多い千葉演習林と比べて、森の色の違いを感じました(橋本)。

夜のセミナーでは、森林経営計画について、現場側と行政側の立場からそれぞれお話を聞くことができました。4月から林業会社に就職する者として、自分も現場と行政の間に横たわるすれ違いのなかに身を置くのだろうか、と感じました(橋本)。すれ違いをできるだけ少なくするためにも、現場と行政との間を橋渡しできる人材が必要ということでしょうか(橋本)。

今回の現地検討会では、秋田と青森のスギ林・ブナ林について、様々な現地を見せていただくことができ、大変参考になりました。今後、千葉演習林における人工林管理の研究(尾張)や卒業論文の作成(橋本)に、今回の知見を活かしてまいりたいと思います。最後になりますが、森林総合研究所東北支所の太田敬之さんをはじめ、現地検討会の企画・運営にご尽力いただいた各位に心より感謝申し上げます。

 

百聞は一見に如かず

小山泰弘(長野県林業総合センター)

私がまだ大学生だった時、教育学部に所属する先生に誘われて、ブナの巨木が点在する鍋倉山のブナ林で、毎木調査を行ったことがある。この時、初めてブナの巨木に触れて感動を覚えたのだが、先生は「これは原生林ではない」と言い、「原生林が観たいなら、今度東北に調査に出かけるから、手伝ってくれるなら一緒に来ないか?」と誘われた。

当時は、青秋林道開設に伴う、白神山地におけるブナ林の伐採問題が全国を駆け巡っていた時代。東北地方の立派なブナの原生林と聞けば、頭の中は「白神山地に行ける!」と思い込んでいたが、出かけたところは、白神山地ではなく、山形県の小国町。残念な顔をしている私に先生は、「白神山地なんか見ても、役には立たない。本物の原生林を理解するならば、こういう山を観なければダメ」と一喝。米と味噌だけ持って、数日間山の中を泊まり歩く調査につきあい、人手がほとんど入っていないブナ林本来の姿を堪能させてもらった。これはこれで、今でも役立つ良い経験ではあったが、やはり全国的に話題となっている白神山地がどんな山なのか・・知らないままというのは気がかりだった。

県に就職して研究職に異動し、「ブナの研究をしなさい」と上司から命じられたことがきっかけで、研究対象としてブナを扱うようになり、気が付いたらブナで学位を戴くとことができた。それでも、ブナ林の中でもっとも著名な白神山地を見たことがない・・・というのは、とても気になっていた。

今回の合宿最終日、白神山地の核心部には入れないけれど、一番白神山地らしい景観が見えるということで案内していただいた「奥赤石遺伝子保存林」。学生時代からの憧れの地にやっと立てた私に向かって、案内役の正木さんが、「普通のブナ林でしょ!」とひとこと。まさに、日本海側の天然林でよく見ることができる典型的なブナ林が拡がっていた。

奥赤石遺伝子保存林

世界遺産区域の調査も行っている正木さんによれば、奥赤石遺伝子保存林は、世界遺産区域で巨木が多いところに比べれば若干細いということではあったが、景観的には似ているとのこと。確かに世界遺産区域の調査データ(東北森林学会誌8-2 2003年)を見ても納得。
今回のことで、県内に残るカヤの平高原などのブナ天然林も、白神山地と同程度のブナ林に属することを改めて確認できた。

さらに今回の合宿では、正木さんがイチオシという七座山のスギ林も興味深かった。日本の里山にはもともとスギやヒノキなどの針葉樹があたりまえに存在し、針葉樹の樹冠下に広葉樹が随伴していたのではないか?ということは、昨年の島根合宿で見た小豆原埋没林を見て感じていた。小豆原では、スギ巨木の樹冠下にケヤキやムクロジが遺されていたが、今回、米代川の川端にある七座山では、大木のスギの間にトチやブナが点在しており、まさに同じ光景。

対岸から眺める七座山のスギ林

合宿時に配布された資料を見ると、白神山地も17世紀前半は針葉樹が群生していたのではないかとの見解もあるようで、巨木として君臨する針葉樹の樹冠下に広葉樹が存在する姿は、古代日本にあたりまえの姿ではなかったのか?普通のブナ林だった白神山地の過去がどうだったのかは、私にはまだまだ理解できないけれども、白神山地のブナ林の上に巨大な針葉樹が立っていたとするならば、日本も原生林というのは、私たちの想像する姿とはかなり異なったものではなかったのか?そんな世界を夢見るきっかけとなったまさに「百聞は一見に如かず」を地で行く合宿だったと感じている。