木霊(TARUSU) 森林施業研究会ニューズ・レター No.72 (2019年10月)

Newsletter of the Forest Management and Research Network

・「目標林型」をテーマにシンポジウムを開催(予告)
・蒜山合宿「大人の演習林実習」報告
・蒜山合宿「大人の演習林実習」感想

※ 感想を追記(2019年10月29日)

「目標林型」をテーマにシンポジウムを開催します

第24回森林施業研究会シンポジウム

日本森林学会の最終日に、関連研究集会として実施している森林施業研究会のシンポジウムについては、例年通りの開催に向けて準備を進めているところです。

日 時:2020年3月30日(月) 9:00~12:00
場 所:名古屋大学東山キャンパス(愛知県名古屋市)
テーマ:「目標林型」を考える(仮題)
内 容:次世代の森づくりが進む中で、技術者の間で話題になることが多い「目標林型」について、論議をしていきたいと考えています。

※詳細は決まり次第、ウェブサイトに掲載します。

 

蒜山合宿「大人の演習林実習」報告

取りまとめ役 小山泰弘(事務局長)

Ⅰ:はじめに

施業研究会の一大行事である合宿。日が出ているうちは森林に入って、現場を見ながら、議論を重ね、暗くなったところで出席者が抱える課題や悩みを打ち明けながら、深く掘り下げるセミナーを開催するというスタイルで、20年にわたって実施してきた。今年度の合宿は、開催希望が2か所となり、企画担当者と話をする中で、2回とも同じスタイルでは面白くないとの意見があり、8月に開催する蒜山合宿は、「おとなの演習林実習」と題し、普段とは異なるスタイルでの開催となった。

大人の演習林実習と聴いても、純粋な林学出身ではない私なぞは、そういう授業がなかったものだから、「大人の」が付かない演習林実習に参加したという記憶もない。とはいえ、学生時代を思い返してみれば、泊りで森林に出かければ、夜通し「あーでもない」「こーでもない」と、学生同士や先輩、時には教員を交えて、酒の勢いにも助けられながら、あれこれ議論を繰り返していた記憶しかない。その時に何を話題にしていたのかをはっきり覚えていないけれど、その時の記憶が底流となって、今の私の血肉になっているようには感じている。

それだけに、学生時代に帰って、林業の基本的な問題について、じっくりと青臭い議論をすることというのは、魅力的である。しかも舞台が鳥取大学蒜山演習林宿舎。演習林の宿舎と聴けば、辺地にあって、世間から隔絶されたイメージしかない。今どきの言葉で言えば、「電波の届かない」世界。確かに、電波状態がそれほど良くない環境におかれ、普段の仕事を完全に忘れて昼間から議論を酌み交わす・・というのは、仕事に追われる私とすれば幸せな世界。

そう思った人が多かったのかどうかは定かではないが、お盆明け早々の8月下旬に蒜山に30名以上の猛者が集結した。

鳥取大学蒜山演習林の宿舎(岡山県真庭市)

大山を背に集合写真(鬼女台展望休憩所)

今回のスケジュールは、いたって簡単で、宿舎到着後から退去までの3泊4日の間、1回あたり2~3時間のセミナーを6回実施。初日の夜から最終日の午前中まで次から次へと立て続くセミナー。さすがに一日中、議論ばかりしていては疲れるということで、半日ほど観光を兼ねた周辺の自然を散策した。

とはいえ、外に出れば出たで、現場を見てしまうことからやはり議論が噴出。後述談ではあるが、室内のセミナーではなく、現場の議論が一番疲れたという意見も聴かれるほどであった。

演習林内に設定された間伐試験地の見学

今回の合宿報告については、現場議論は総て割愛し、6回に分けて実施したセミナーの概要を、それぞれの担当者から報告してもらうこととした。現場で何を見て、何を感じることができたのかは、参加者だけの特典として記録にとどめておきたい。
 
なお、今回の合宿に際し、家族の動員も得て、衣食住から会計管理のすべてまでを請け負っていただいた鳥取大学の大住克博教授に深く感謝する次第です。

ということで、ここからは、各記録者によるセミナーの内容報告。

各報告では、事務局側で指定した1名をキースピーカーとして用意し、テーマに沿った中身で話題提供できる参加者を、参加者の中から事前に募り、これをもとにフロアの参加者と総合討論を行うという形を取った。総合討論を含めた全セミナーの司会進行を私(小山)が担当したため、それぞれの記録に関しては、参加者にお願いして整理していただいた。

なお、セミナーの中で話題提供された内容に関しては、当人の発表を聴いた記録者の感想であり、必ずしも話題提供者の意図と沿わない可能性もある。次から次へと比較的クローズドな環境の中で展開されている議論であるため、事前にスライドを準備していたとしても、その表現には当日の熱量が多く反映されており、それを聞いた記録者による報告であることを了解していただきたい。


Ⅱ:記録者によるセミナー報告
セミナー1「施業と科学」

記録 櫃間 岳(国際農林水産業研究センター)

セミナーでは以下の4題の発表があり,その後総合討論が行われた。合宿の皮切りとなる本セミナーの狙いは,現在の森林施業が抱える課題をセミナー参加者に共有させることにあったと思われる。その課題とは,研究・行政・林業現場の3者間で,意識や情報の共有が乏しく協業ができていないことである。

1)「施業と科学」主旨説明・基調発表・・・山川博美(森林総合研究所九州支所)

最初に山川氏から,このセミナーの主旨説明となる基調発表があった。森林施業の裏付けとなる技術は「経験的技術」と「科学的技術」に大きく分けられると述べた。経験的技術は,属人的な知識や技能の蓄積から発達するが適用範囲が限定される。一方,科学的技術は生物学や気象学等から理論的に標準化されたもので,一般化が比較的容易である。森林施業は経験的技術に基づくところが非常に大きいが,科学的に技術を検証したり知見を付加したりして,経験的技術を科学が高度化することが必要であると指摘した。しかし,昨今,技術的裏付けの前に政策などが先に動き出し,研究が後追いになるケースが多々あることや,研究成果のアウトプットの仕方が課題であると述べた。

2)以前の早世樹造林はなぜ失敗したか?・・・糟谷信彦(京都府立大学)

早生樹造林が注目されている昨今の状況を踏まえ,過去にも同様の取り組みがあったこと,そこで得られた教訓が活かされていないことを指摘した。1962年に始まった「合理的短期育成林業の確立に関する試験」について,1971年および2000年の報告書および金澤(1993,筆者注:原典確認できず)の発表について言及し,森林施業に関して長期かつ大規模な科学的データを組織的に取得することの難しさを指摘した。さらに,日本におけるこうした長期試験のデータが十分に整理されていないため,その経験を森林管理の実務に活かすことが難しいことも指摘された。

3)なぜ林業の現場・政策が非科学的になるのか? とある技術者の一考察・・・須崎智応(関東森林管理局)

須崎氏はまず,人工造林の技術体系はある程度完成されていることを指摘した(筆者注:これは山川氏が先に発表した「経験則」に基づくものである。)その上で,現状からさらに省力化するには,下刈り等の作業を完全自動化する装置・機械などの大幅な技術向上を待つしかなく,当面は実現困難だろうと指摘した。一方で,作業体系の工夫や新技術の導入により省力化や低コスト化をめざす取り組みは絶えないが,技術的な裏付けを持つものは少なく,言わば「科学的根拠の乏しい期待」であると指摘した。須崎氏はその要因を,
 1)林業が産業として長く停滞し関係者が思考停止状態にあるために,地道な努力を続ける意欲が薄れていること,
 2)林業は結果が得られるまでに長期間を要するため,施業開始の段階でその妥当性が十分に評価されない特性がある
の2点にあると推測した。

4)森林林業における研究と現場・・・内村慶彦(鹿児島県)

内村氏はまず,過去の林業研究者の経験談や自身の行政経験から,研究の成果が特に補助金の配賦方針を中心とした林業施策に活かされていない現状を述べた。その要因として,補助金の申請に伴う事務手続きが複雑すぎて現場の要請/作業実態に合致していないこと,補助金の適用規格が厳格かつ本質的でなく,本質的な技術(論)を必要としないばかりか技術論の発展・発達を妨げる働きをしていること,を指摘した。一方で,研究者は試験の意図や研究成果を現場に十分に伝えておらず,それも林業の研究と現場の意識の乖離の要因であるとした。これらの問題を解決する案として,研究者が成果の普及や施策への適用に向けて,積極的に行政や現場に働きかけること,作業従事者や研究者の裁量を増すことで,現場での試行錯誤が促され,彼らの技術向上の意欲が高まることが重要だと指摘した。

5)総合討論

総合討論は施業研究会事務局の小山氏の司会で進められた。

まず,主に内村氏の発表に応対する意見として「研究者と現場は相互の努力により理解しあえるが,研究と行政の相互理解は期待できるだろうか?」という問いが出された。すなわち,行政施策の策定や実行には自然科学以外の影響が大きく,科学的妥当性に乏しい施策が排除できないというものである。しかも林業は,ある取り組みが最終評価を受けるまでの期間が長いため,施策がすぐに評価されにくいことも複数の発表者からの言及があった通りで,そのことも妥当性が強く問われない一因であろう。

また,現行の補助金は手段(行為)に対して支払われるため,その実効性や費用対効果が問われにくいという指摘もあった。求められる結果が達成された後に報奨金のような形で支払われる制度や,使途を限定しない補助金制度があれば,経営者が自らの判断と責任で施業に取り組み生産性や効率の向上が期待できるのではという意見も出された。

研究者側からは,得られる研究成果から確度の高い提言をすることは難しい一方,現場からはそうした提言が求められるという指摘があった。これに対して,「最適な」施業技術は諸条件により異なるため多様であること,提供が可能かつ求められる提言とは「~をしてはいけない」という抑止的な内容であるべきだ,との意見が述べられた。

さらに現場の状況をふまえた意見として「森林技術の向上の必要性が高いことは確かだが,それ以前に解決すべき課題としてシカによる食害がある」という指摘がなされた。すなわち,シカが苗を食べてしまえば育林技術をいくら向上させても森林が成立しないため,行政によるシカ対策が技術論の前提にあるという指摘である。

6)筆者の意見

施業計画や補助金制度などの施策に科学的根拠が乏しい理由には,過去の技術体系の整理・理解が不十分であることが大きいと思われる。すなわち,

・研究者の責任。研究者個人でなく,研究組織として長期的に記録・検証する仕組みが弱い。
・行政の責任。技術専門家がいない。過去の事例の理解不足,勉強不足。
・現場の制度の問題。経験のある作業員・専門家の裁量が乏しい。作業経験から生まれる意見が汲み上げられにくい。経験則が科学的な普遍性をもつ技術に発展しない。

今後は研究,行政,林業の現場の各々の立場から,知識と技術を持った技術専門家を育てる制度づくりが一層重要だと考える。そのためには,教育制度の充実や産学官の相互交流が必要であるし,施業研究会の活動も教育および情報交流を進める一助となることを期待したい。

セミナーの様子

 

セミナー2 自由報告

記録 今井正憲(京都府森林技術センター)

今回の合宿では、テーマ別にセミナーを応募したが、テーマに沿わない内容についても発表したいとの意見があり、この時間では8題の自由課題のうち4題を実施した。

1)森林経営における路網整備のあり方について・・・中谷和司(飛騨市森林組合)

「適切な森林施業を行うにためには、適正な路網整備が必要である」-これに異論を挟む余地はない。しかし“適正な路網とは”何かと問われると答えに詰まってしまう。森林施業の現場では、作業道の幅員や勾配などの数字上の基準を満たしていても、基準の上限ぎりぎりの勾配やアップダウンが多く走行しにくいなど、使い勝手が良くない路網も珍しくない。報告者は、自らの経験に基づき“適正な路網”の定義を示してくれた。それは、タワーヤーダが設置でき、丸太を積載した状態でフォワーダが安全に走行できることである。これを実践するには、森林施業と路網整備を一体的に捉えて、行おうとする森林施業の内容と方法、手持ちの林業機械の性能を熟知しておく必要があると指摘した。現場管理者には、理論と現地の条件をベースに感覚として作業状況をイメージできる能力が求められる。森林組合での豊富な経験に裏付けされた報告であった。

2)智頭町芦津財産区の自伐型林業経営・・・山本福壽(杣人塾)

智頭町芦津財産区は1,200haの森林を有し、このうち600haが人工林である。ここでは、定年退職者を中心に「自分たちの山は自分たちで守る」の信念の下、自伐型の林業経営が展開されている。報告者もメンバーの一人として参画しており、そのエネルギッシュな活動を紹介した。定年退職者、林業の素人、自伐型と聞けば、体験型の森林整備活動をイメージしてしまう。ところが、智頭町芦津財産区のメンバーの活動は本格的な林業事業体にそのものである。各種の技術講習や研修を受講し、チェーンソーを使いこなし重機を自在に操り作業道の開設を進め、実際に木材を生産し黒字経営を実現している。その技術と事業規模は海外からの研修生を受け入れるレベルにまで達している。全国各地で生産森林組合の存続が厳しくなる中で、新たな林業の担い手としての可能性を感じさせられる報告であった。今後の活動の持続には、グループを立ち上げた初期メンバーの第二のリタイアに備えた後継者づくりが必要であろう。

3)台風被害林の今後について~インフラ周辺森林の被害対策と活用~・・・志方隆司(京都府立林業大学校)

森林は防雪林、防風林、飛砂防備林などの例を見るように道路や鉄道を気象害から守ると同時に、車窓からの景観づくりの役割を果たしている。しかし、その沿線の樹木が強風や豪雨によって倒れるとインフラに被害を及ぼし、人々の生活に大きな不便をもたらす要因にもなり得る。平成30年9月に近畿地方に襲来した台風21号では、京都市北部を中心に広範囲に風倒木被害が発生した。その一部は、観光や住民の足として親しまれている叡山電鉄鞍馬線を直撃し、運転再開までに50日の期間と多額の経費を要した。鉄道敷と森林は管理者が別々で、普段は森林の管理のあり方や費用負担について両者が協議することもなかった。大の鉄道ファンである報告者は、この度の台風被害を通じて、ともに被害者である両者が相互の存在を意識し情報共有を密にする必要に目覚め、協力して最適な森林整備を考える契機にしてほしいとの願いを込め、叡山電鉄の運転席から撮影した動画を披露し聴衆を魅了した。

4)非林業県の製材事情とSMC等について・・・村井敦史(富山県農林水産総合技術センター/木材研究所)

国際商品である木材は年間を通じて輸入され競合関係は複雑である。さらに、需要者側は工場を計画的に稼働させるため、定時・定量・定質の原木供給を必要とし、地域産材の供給側も対応に迫られている。報告者は、富山県が全国唯一の北洋材輸入県であることを貴重な記録写真を示して振り返るとともに、現在も県内の製材業が加工している原木の90%は県外から供給されており、製材業と地元の山とのつながりが希薄であることを紹介した。また、富山県が国の「効率的なサプライチェーンの構築支援助成事業」のモデル地域に採択され、2019年から実施している域内流通体制づくりの取り組みについて考察した。この中で、従来の木材流通調査は、地域の木材相場に影響力のある大口需要先に目が行きがちであるが、富山県内の製材業の実態を明らかにするには、ある程度広域での中・小規模を含めた製材業の実態及び経営者の経営方針の調査が不可欠であると指摘した。近年、多くの県が域内の製材工場での県内産原木の取扱量を増やすことに躍起になっている。その一方で、県内産原木の特徴や材質を生かした加工に強みを持つ中・小の製材工場の存在も重要であることを認識させられた。

セミナーの様子

 

セミナー3 技術者論

記録 小山泰弘(長野県林業総合センター)

司会進行の役目の中で記憶している内容のみを紹介する。

1) テクノクラートと森林管理・・・山本伸幸(森林総合研究所)

日本の近代化は、産業革命によって発展した西洋の科学技術を取り入れ、国力を増大させていったことに端を発すると言われている。これを支えてきたのが、テクノクラートと呼ばれる技術官僚である。山本氏は、技術者論のきっかけとして、近現代の森林管理におけるテクノクラートの位置づけと役割を整理された。当日は、氏が書かれた林業経済学会誌「テクノクラートと森林管理(林業経済研究62(1)p17-27)」の内容を中心に話された。印象的だったのが、1960年代までの日本の林業技術を支えてきたのが、国有林の林業技術者であり、国有林技術者が現場の経験と周囲の知恵を融合して森林管理を進めてきたことである。技術を社会に役立てたいとの素直な願いを奪う戦争や高度経済成長などの急激な社会変化の中で、現在は埋没しかけているという指摘もあった。民有林を担当する林業普及指導員として勤務する私としても、どのような技術者としてこの先を過ごせばよいのか?すぐには答えの出ない時間だった。

2) 森林計画の樹立の主役は技術者であってほしい・・・大洞智弘(岐阜県森林研究所)

森林法の改正により地域の森林をどのように考えていくのかの基本は市町村が樹立する森林計画にあるとされている。しかしながら、市町村には林業の専門技術を持った技術者が確保されていることは少なく、現実には、県が樹立する地域森林計画が底本となることが多い。とはいえ、実際に計画を策定していくと様々な疑問が生じることが多く、県が樹立する地域森林計画の樹立に携わった経験をもとに、どのように現場で活きる計画にしていくかの苦労について話された。氏が指摘していた中で記憶に残っているのは、「計画を立てる段階での調査の中で感じた内容を計画書の書きぶりとしていかに反映させることができるのか?」という点。杓子定規に「この時はこうすればよい」というマニュアルであれば、だれでもつくることができる。現場で活きる計画にするためには、現地の森林を観たうえで、技術的な視点から言葉を調整することこそが大切であると指摘していた。

3) 林業アカデミーからみた林業・人材育成・確保について・・・小菅良豪(にちなん中国山地林業アカデミー)

鳥取県日南町が設立した1年生の林業専門学校。中山間地である中国山地において、林業現場で力となる現場作業員を育てることが目的。林業現場での人材不足が、林業の崩壊につながることを危惧して人材育成を進めている。一年という期間でどこまで、どのような人材が育成できるのかという問題とともに、林業に従事してくれるような人材が輩出できるのかという議論が多く展開したが、氏は、小中学校への営業を展開し、小学校であれば「毎年5日程度は森に行く」機会を作り、5年生の教科書にある林業の単元へ誘導させることと、中学校であれば「地元学」のひとつとして取り組んでいる実態が報告された。

3件の報告を終えた議論のなかでは、過去(山本氏)から現在(大洞氏)、未来(小菅氏)とつながる技術者像をどのように考えていけば良いのか、そこに研究者や行政がどのように関わっていけば良いのかを考える時間となった。


セミナー4 生産林経営と生態系管理

記録 糟谷信彦(京都府立大学)

セッションの概要というよりも心に留まったことのメモ書きみたいになったことをあらかじめお詫びしておきます。

1) 自然環境に配慮した生産林の経営と持続的な生態系管理―沖縄島北部やんばる地域での検証―・・・谷口真吾(琉球大学農学部)

沖縄島北部やんばる地域での検証事例として、効率的な伐採収穫方法(一定量の収穫量の確保と低コストな方法)と環境に配慮した収穫伐採方法の両立を目指した試験伐採の実施事例(「やんばる型森林業」)が紹介された。尾根部と斜面下部谷壁面から谷底面にかけて、もとの森林を残した伐区として、斜面の山腹部のみの小面積を伐採し、伐採後にはできるだけ早期の再森林化をめざして、天然更新や人工更新を効果的に組み合わせる施業の考え方が示された。

2)複層林試験地から見る40年の功罪-つくば複層林試験地より- ・・・須崎智応(関東森林管理局)

関東地方の2カ所の国有林での複層林試験結果が紹介された。受光伐を繰り返すと下木への被害が蓄積し,また現状ではモザイク状(群状)が最もよいとのことであった。

3)北海道で目指す天然更新を活用した森林施業・・・石橋 聡(森林総合研究所北海道支所)

北海道の天然更新施業について紹介がなされた。北海道内ではササの高さや積雪深がさまざまであるので,地域ごとに施業方針を変えたほうがよいとのことであった。トドマツ林で上層木を切ると同種の前生稚樹の多くが枯れてしまうので,保残木がある方がよいとのことであった。

4)森林資源の循環利用を担う木材産業・・・長池卓男(山梨県森林総研)

中村(2004)によれば,施業技術の適用によって公益的機能の向上を確認できるわけではなく,いいところ資源収奪に伴うマイナス影響の最小化が実現できればよい。また,伐採地は生物多様性を保全するが,これからはシカの影響も込みにして考えていかないといけない。

5)総合討論

今回ほかのセッションでもたびたび出てきた「研究」と「行政」の対比の中でいうと,谷口氏の事例は「研究」から「行政」への貴重な提言,石橋氏の事例は双方向のやり取りのある事例といえるが,須崎氏の事例はそのどちらでもない,との指摘があった。

6)母樹密度及び地表処理がコナラ天然下種更新に与える影響・・・沼宮内信之(日本森林技術協会東北事務所)

本セッションに先立ち、この日の昼には戻らなければならない日林協東北事務所の沼宮内信之さんが、自由発表として、報告いただいた。岩手大学滝沢演習林で行った母樹保残法によるコナラの天然下種更新試験地の調査結果から、母樹保残法によるコナラの天然下種更新は、更新面に200個/㎡以上の種子落下があることと、丁寧な地表処理が必要であるが、更新は集中的で単純に母樹を残しただけでは林分全体への波及が難しいことが報告された。さらに、択伐を行ったコナラ林ではコナラ実生による更新がうまくいっていない傾向が観察されていた。

 

セミナー5 社会の中の林業(一部自由発表を含む)

記録 長池卓男(山梨県森林総合研究所)

久しぶりの施業研合宿参加。様々な立場からの多様な議論の重要性を再認識した、8月26日夜の部の報告です。

まずは、「自由発表」の部。豊田信行氏(海岳森林技術士事務所)は、2018年秋に愛媛県全県を対象にして1平米あたり4点の密度で取得されたLidarデータを用いて、育林的な林分構造解析への利用可能性について発表した。高田弥生氏(京大大学院)は、北山林業の現状について報告し、「産業」としての立て直しが急務であり、生業を支えるための新たな森林管理のあり方を構築する必要性を発表した。

続いて、「社会の中の林業」の部。小山泰弘氏(長野県林業総合セ)「まじめに考える『ほじょきん』」芳賀大地氏(鳥取大)「林業助成と正義」が発表された。

小山氏からは、「個人の山になぜ補助金を?」という問いから始まり、林業での補助金導入の歴史的経緯が説明された。「水源涵養造林補助規則」により、水源涵養に起因する公益的機能の発揮と、昭和恐慌に起因する山村住民の雇用確保が目的として補助金が導入された。それが、「山村の生活保障」と「森林の公益的機能維持」のための補助金として現在も継続されていることを示した。

芳賀氏からは、これまでの日本林業は林業助成が前提とされているが、林業助成の正当性についての検討は十分かと問い、「一般市民に示せる、林業助成の正当性」について、「1.林業助成の正当性」「2.林業助成の在り方」「3.環境効果の適正化」の3点から論じられた。「1.林業助成の正当性」では、何を基準とし助成によってどこを目指すのかによって正当性は異なり、雇用の確保や幼稚産業保護の意味合いが他産業よりも林業に助成することで効果が大きい場合は正当性があるとした「2.林業助成の在り方」では、山村経済の維持振興としての「過疎過密の是正」、「所得の再分配」、「地域に住み続ける手段」に対して、林業は他産業よりもその手段として効率的であるかが問われるとし、産業全体への助成に正当性は薄いとした。「3.環境効果の適正化」では、環境効果として正の外部経済があれば助成する社会的利益となるが、森林の多面的機能のほとんどは林業由来ではなく森林由来であり、むしろ天然林の方が人工林よりも効果が高いのではないかと論じた。したがって、何を基準にするかにより、その適正化は変わる。総括として、林業によりその効果が左右するとされる温暖化防止効果が大きければ助成は擁護されるだろうが、林業という産業全体への助成に正当性はなく、林業に固有の価値を認める場合であくまで個人の自由を認める上で正当性は認められるだろうとした。したがって、林業助成は無条件の正義ではなく正当性は個人・地域・時代によって左右され、森林に複雑性と不確実性があることから明確な評価は困難であることを含めて地域における林業の意味を問い続け、制度も含めた検証姿勢に正義があるだろうとまとめた。

小山氏と芳賀氏を通じた全体の質疑の中では、「薬が切れる前にどのようにするかの議論を」「投資の基盤整備としての林道への補助金」「成長阻害要因としての補助金」「手段への補助金ではなく結果への補助金へ」「正論を言い続けることの重要性」などの意見も出された。国の森林環境税・森林環境譲与税は、国会を含め、研究者や納税者を交えた大きな議論もなく導入された。ますます公的資金が導入されるのだからこそ、「問い続けること」そして「議論すること」が森林・林業、そしてそれに携わる私たちには求められるのだろう。

 

セミナー6 なぜ林業をするのか?

記録 石橋 聡(森林総合研究所北海道支所)

1)改めて林業を考えてみる・・・横井秀一(岐阜県森林文化アカデミー)

冒頭、横井氏からの「林業の成長産業化には違和感があり、賛同できない」との主張から始まった。日本林業の目指す方向だろうか?、今の政策で実現可能?、誰のための成長産業化?、皆さん本気ですか?

まず、横井氏は日本林業に潜む病巣を何点かあげた。「林業不振の原因の錯誤」として「安い外材におされ木材価格が低迷」は内在する原因を見ず、外因のせいにしている。「政策のミスリード」、現場をわかっていない補助金、補助金政策に妄信的について行く業界など、現場を知る者には深く頷ける指摘である。また、国の政策として主伐による増産を主導しているが、経済原理を無視していないか?現状、シカ被害の対策など再造林には経費がかかるのに、なぜ主伐するのか?さらに「業界の倫理観の欠如」には考えさせられた。所有者の利益にならない作業、生態系機能を低下させる作業、持続可能性を保証しない更新等々、もっともな指摘である。教育と技術力の向上は必須である。

何をもって「林業」というのだろう。村尾(2019)は近代林業を「生産機能」「環境機能」「レクリエーション機能」を発揮させる営為としているが、横井氏は日本は林業の概念が狭く、林業を林産物生産それも針葉樹人工林に偏向している、と指摘した。

なぜ日本に林業が必要なのだろう。「代替材があるのにあえて木材を使う意義はあるのか」「国産材を使う意味があるのか」「林業活動が本当に防災/環境機能に役立つのか」「所有山林の林業で生計を立てていないなら林業を継続する意味はない」。横井氏から投げかけられた疑問は、改めて考えなければならないことばかりである。

横井氏はさらに疑問を述べた。林業の経済的恩恵を森林所有者、林業事業体、木材関連産業の事業体が等しく公平に利益を受けているのか?公正なのか?

以上、横井氏の発表を振り返ってみたが、いずれも深く考えさせられる問題提起だった。

セミナーの様子

2)タイのチーク人工林における密度管理試験およびUAVを用いた材積推定手法の開発・・・櫃間 岳(国際農林水産業研究センター)

本発表では、タイにおけるチーク人工林についての研究プロジェクトおよびその成果の紹介とチーク林業と比較しながら日本林業の課題が検討された。

まず研究プロジェクトとその成果の紹介があった。チーク人工林は全世界の人工林面積の2%を占めるが、アジアにおいては小規模所有者が多く、技術的・政策的支援を必要としていることから、研究プロジェクトが進められている。その成果として、タイ北部に植栽したチーク人工林における間伐の効果の検証結果とUAVを用いた林分材積推定手法の開発について紹介された。チーク人工林の生産性は中南米で高いが、アジアでは低くその向上が課題である。チークは国際的にみると人工林としての生産性は低いが、伐期は30~40年と短い。また,チーク材は耐久性が高く加工もしやすいため幅広い需要があり,材価は高い。このチーク材と比較してスギ材はその輸出量は増加傾向にあるが、低質、安価なものが輸出されており、国際的な競争力は低いといわざるを得ない。育成に補助金が投入されている材が梱包材など低位な利用にとどまっていることは残念である、とした。

日本で林業をやる意義はどこにあるのだろうか。櫃間氏は上位目標として「炭素固定、水土保全、生物多様性」、「長期的な安定供給、生産の持続性」を掲げた。また、地域目標として「山村振興、文化・経済の多様性」を掲げ、そこでは生産流通におけるコスト意識や需要の見極め、創出が必要であるとした。筆者もこの意見に賛同する。前発表で問題提起された内容の答えにもなっていた。

3)「林業の成長産業化」と「木材産業の成長産業化」・・・長池卓男(山梨県森林総合研究所)

最初に長池氏から「林業の成長産業化」と「木材産業の成長産業化」は相容れるのだろうか?との問題提起があった。成長産業とは成長率の高い産業であり生産性を向上させて利益率を高めることを目標とする。木材を生産する「林業」と木材を木材製品に加工し流通させる「木材産業」は両者ともに少ないコストと多くのベネフィット(高付加価値量の確保)を目指すという点で共通しているようにみえる。しかし、少ないコストという点でみれば、林業は「低コスト林業」の実現に努力しつつ「高く売りたい」願望がある一方、木材産業は「木材の低価格の購入」すなわち「安く買いたい」願望がある。つまり相容れないのではないか。林業・木材産業の付加価値額でみると、2016年には林業は木材産業の10分の1程度である。長池氏はこれまでの林業政策を見る限りでは、林業の成長産業化は木材産業の成長産業化のためにあるのではないか、とした。

また、長池氏は冨田氏の「ESG投資時代の持続可能な調達」を引用しながら、林業・木材産業の今後の方向性を提起した。ESG投資とは、従来の財務情報だけでなく、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)要素も考慮した投資のことを指す。持続可能な調達とは、責任あるサプライヤーからの調達、持続可能なモノを調達である。これらを軽視すると評判リスクなど様々なリスクが発生し、投資引き揚げなどにつながっていく。ESGは企業の取り組みのプロセスであり、SDGsはその取り組みのゴールである。林業、木材産業はこの動きを軽視できない。

最後に長池氏は「なぜ、何のために、誰のために我々は林業をするのか?」として、林業には多くの税金が投入されているが、その使われ方に納税者は納得しているのだろうか?と問題提起した。林業を経済活動の一環としての産業として考えるか、税金の地域への還元事業として考えるか。納税者の負託とは?長池氏も示していたが、同じように多くの税金が投入されている農業と比較しつつ考える必要がある。

4)総合討論

以上3件の発表の後に「なぜ林業するのか」というテーマについて活発な意見交換が行われた。ここでは議論の内容を踏まえた筆者の考えを述べてみたい。

筆者がフィールドとしている北海道の関係者の間でよく語られることは、北海道で林業が産業として成り立たないのであれば、本州以南では無理ではないか、ということである。育林や伐倒搬出に高性能林業機械が使える緩傾斜地の多い北海道に対して、本州以南のほとんどの地域は急傾斜地である。また、北海道では天然更新の活用も可能性がある。さらに、以前はトドマツ、カラマツとスギの価格差は大きかったが、現在は大きな差はない。まだ実現に課題は残っているが、林業の産業化は十分可能と考えられる。一方、今回の議論を踏まえ、本州以南において多くの税金を投入してまで林業を行う意義を筆者なりに考えてみた。一つは意見の中でも出ていたが、国土管理の観点から地域に人々が生活し住んでもらうこと、もう一つは資源戦略の観点から一定量の木材資源の自給を確保しておくこと、である。地域への税金投入の内容、方法については再考するべきではあるが、本州以南においても林業を行う正当性はあるように思う。もちろん、どこもかしこもというわけにはいかないであろうから、本州以南でも林業を産業化できそうな場所と地域維持の場所は区分されていくべきと思われる。前に北海道では林業の産業化は可能と述べたが、北海道内でも昔は林業で栄えたが今は見る影もない町がみられる。それぞれの地域に応じた税金投入のあり方の検討が必要であると強く感じた。

最後に今回の蒜山・大人の演習林実習は筆者にとって大変有意義な催しでした。運営を担当された皆様、特に鳥取大学の大住様、芳賀様に深く感謝いたします。

 

Ⅲ:そのほかの記録

今回の合宿では、宿舎のまわりにある蒜山高原と、それを端に発する鳥取大演習林、さらには鳥取西部を代表する大山の見学が行われた。このうち、火入れによってその環境が維持されている蒜山高原に拡がる半自然草原の見学に際し、蒜山のおひざ元である真庭市役所の増井大樹さんから真庭市の林業木材産業についてとして、市の森林・林業政策の概要が報告され、市町村における林業生産額が全産業中20%を超えるなど、林業が基幹産業として機能していることなどが報告された。

蒜山高原に拡がる半自然草原

説明に聞き入る参加者

また、せっかく蒜山にまで来たのだからと、合宿終了直後から1泊2日のオプショナルツアーが敢行され、大住さんの案内で数名が参加した。訪れた現場は、2年前の合宿でも訪れた島根県太田市の小豆原埋没林、広島県庄原市の54年生コウヨウザン林分(日本最古のコウヨウザン林)、釜峰山アベマキ遺伝資源保存林、帝釈峡の石灰岩植生の4箇所であった。帰りの列車の時間が迫る中、かなりの駆け足ではあったけれど、岡山県真庭市の蒜山高原から、鳥取県米子市の大山を見学し、オプションでは島根県と広島県にも足を踏み入れるという中国地方を一気にめぐる旅となった。


Ⅳ:おわりに(小山の感想に変えて)

長い議論によって進んだ合宿を終えて、一息ついてから振り返ってみると、全国各地から35名もの多くの参加者が「ただ青臭い議論をする」ためだけに蒜山に集まってきた背景には、「林業技術における技術力の低下」に関する率直な焦りが大きかったのではないかと感じている。

多くの議論を通じて感じたのは、現在様々な形で展開されている山林作業の一つ一つに対して、「本当にこれでよいのだろうか」という疑問に対して、「それがベストとは言えなかったとしてもベターな選択である」と林業技術者である私自身が、胸を張って言えるのだろうか?という疑念である。

確かに、林業はすぐに結果の出ない産業であるため、自分が植えて育てた木がどのように大きくなり、結果としてどのような木材が生産されたのかを確認することは極めて難しい。運よく、自分で植えた木が収穫に至ったとしても、その時の反省を次の施業に活かすことは、それこそ無理である。とはいえ、戦後の拡大造林によって、全国各地で歴史上あり得ないレベルで大量の木が植えられ、今日まで育ってきたことは事実である。温故知新ではないけれど「数十年前に植えた木が予想通りに育ってくれたのかどうか」は、これだけの時間を経た今だからこそ分かることだと思われる。それだけにもっと数多くの現場を見て、冷徹な評価を加え、自分たちの歩みを反省しつつ、それまでに培った技術を活かしながら、新たな目標を立てていくことが求められる時代に来ているのかなとは感じている。

そういう意味で考えると、技術力の低下を懸念する仲間と、これからどのように歩んでいかなければならないのか?また、重い十字架を突き付けられたような感覚に襲われている。


参加者の一人である中岡氏のウェブサイト(森の自由人)にも報告が掲載されている。

 

蒜山合宿「大人の演習林実習」の感想

参加しての感想

大石橋拓也(鳥取大学大学院)

全体の感想としては、外でのことについては、先輩方が色々と意見や改善点を挙げてらっしゃるのを見ていて、これまで大住先生と調査の際や演習の際に試験地を見に行って居た時に色々教えて頂いていましたが、受け身というか知識量が少ないのもあって深く考える事が出来ていたとは言えないのを実感して、反省しています。

討論については、正直私にはわからないということが分かったという所が本当のところで、難しい話が多くて考えさせられたのと同時に、知識もついていかなかった部分があります。初日、二日目と現場と行政の間の話で、社会に出ていないので大変さはともかく、わからない所は大きかったのですが、補助金を林業に投入する以上技術者が社会に対して説明責任を果たすところは実際大事であると思います。しかし、技術者でも行きすぎたような方もいらっしゃると思いますし、知識のある行政のストッパーが必要なのかなとは思います。ので、ある程度対等に意見できる関係を構築していくべきなのかとは思います。ただ、発言が行政側から睨まれるような状況では、片側が強くて知識の共有といった両者を上手く繋げる部分を作るのは難しいのかなとは思います。

三日目四日目と、森林の保全を建前としている中で、実際伐採を増やす方向に動いている林業に補助金を投入することに正当性があるのか、そして林業は森林に必要なのかというのがありましたが、やはり他の産業としても景観の維持が必要な地域や経済の大きな部分を林業が占めているような地域は技術の進歩や維持は必要と思いますし、林業は無くせないと思うので、補助金も正当性があると考えます。ただ、補助金を本来必要でない人に不当感があるから交付するとか、本当によい森林を作るのに必要な間伐や施策なのか説明できないままに全国一律として、その森林の影響を受けない人に税金の徴収を行うとか、伐採するとか、必ずしも正当性を説明できない部分がこれからも増えていくとしたら、保全というメッキが剥がれた際に林業はそれこそいき行かなくなるだろうとは思います。

本当に現状取り巻く情勢が厳しい中で、色々な方がいて意見が飛び交って議論できる施業研究会は本当に凄い所だと思います。なので、秘密結社のような団体として強大になって頂けたらと思っています。


許容量オーバーの2019蒜山大人の演習林実習

中谷和司(飛騨市森林組合)

感想を問われて一言、「疲れた(脳と胃と)」。

指定テーマ(5)と自由テーマ合わせて22課題の発表と議論、昼夜それぞれに聴いたし言い(半分くらい)もした。プラス酒で疲れないわけがない。数年前、当研究会の存在を知り参加したいと常々思っていたが、日程が合わず一憂していた。当研究会への初参加は、今年3月の新潟でのシンポジューム(正しくは、前日の総会)で、その時今回の合宿を知り予定を開けていたが、何か別件が入らないか心配だった。案の定2件バッティングしたが、丁重にお断りして、いざ参戦だ。

さて、今回の合宿は、セミナー中心であることは承知していたが、22課題はさすがに多くどの発表も議論しかけたら終わらないなか、小山さんの進行よろしくすべての日程を終えることができた。個々のテーマについて言い足りないことは多少あるが、全体を振り返ると「私たちは、林業の現状を客観的に捉えたうえで、何をするのか、しなければならないのかを、原点に立ち返って再考しようという趣旨」だと感じた。

最終日のテーマ「なぜ林業をするのか?」 印象に残ったキーワードは、「いま巷で行われているのは林業と呼べるのか」と「林業の成長産業化」‼ なるほど、投資による利益をトータルでみれば赤字になるだろう。それでは、産業としての体を成していないし、成長産業化の前に産業化が先だろう。そう捉えると今の施策は、木材産業の成長化が目的ということが腑に落ちる。いずれにせよ補助金がなければ、成り立たなくなっていることは確かだ。

このテーマ(なぜ林業をするのか?)は、避けては通れないと思うがちょっと重すぎる。議論すればするほどネガティブな方向へ向かっていくし、だれも明確に答えられない。林業と一言でいうものの、いろんなことと複雑に繋がっていることに他ならないことはご存じの通りで、結論は相当の時間を費やしても出ないだろう。ところが、暗いイメージのまま終わりかけたとき、若手の誰か(にしておく)が「好きだから」と。私は、その通りだと思ったし、そうとしか答えられないなあ。特段、整然とした理由が無くてもいいのでは。

(少し脱線)ある人が、その問い(なぜ林業をするのか?)の「林業とは何か」を問うてきた。あなたは、何と答えるでしょう。「目的達成のための手段」と答えた人もいる。私の答えは、「生き抜くための愛おしい存在」。その2つの答えは、次元の違う話しでまったく噛み合っていない、要は言葉の定義の大事さを訴えたかったとのこと。それはその通りで、今回の発表の中でも見え隠れしていた。

(本線)言葉の捉え方は、その人の立場や信条、心情によって様々な答えが返ってくると思うが、ここに参集した皆様は、少なからず林業に関係したことを行っていて、本当は研究が好きでたまたまテーマが林業だったかもしれないし、好きなことをする手段の一つが林業だったのかもしれない。林業が目的なのか手段なのかは人それぞれで、それよりも長年或いはこれからも続けたいと思うのは、やはり好きだからではないかと思う。そして、ここに集まった方や都合により参加できなかった方々も含め、現実に満足しているわけでもなく、過去には戻れないなかで、未来に目を向けてより良くして行きたいと思っていることは確かだ(多分)。

では、何をするのか、しなければならないのか? 今の私としては、林業が好きだということは確かで、これからも今までの知見(あまり深くはない)をもって社会に貢献できればと思っている。一言で言うならば「森林を起点とした地方創生」である。市町村の総生産額に対する林業の占める割合は如何ほどか。真庭市は24%だった気がするが驚異的な数字で、飛騨市においては0.4%で岐阜県の殆どの市町村は1%未満である。各市町村においての産業としての位置づけは、人員配置を見てもわかるように低いことが察しできる。そのなかで、関係者だけで林業振興を訴えても、首長や住民には伝わらないし、施策としても主体性が持てないのが現状であると思う。

国や都道府県は、専門組織をもって林政を行っているが、市町村にすれば「林業」は一つの手段でしかないことや位置づけもあまり高くない。この現状を踏まえ、何事にも対処すべきなのではないかと思う。具体的には、森林の強みである公益的機能を林業にこだわらず各種施策に利用することで、言い換えれば森林を介して観光や健康福祉、教育などを展開していくということ。市町村の課題である地方創生の下、すべてのことに対して手段として森林を絡めることで、地域に貢献で位置づけも高くなるのではないかと思う。

皆様の意見を聞く中、いろんな思いが頭をめぐり許容量オーバーで整理がつかずじまいだったが、時を置いて思い返すとこんなことかな。感想というよりは、持論になってしまったが、合宿での自炊は気分転換になってとてもよかった。これぞ合宿。段取りをしてくださった大住先生に感謝、そして皆様に感謝です。ありがとうございました。何と居心地の良い研究会でしょう。

演習林の食堂で自炊

 

感想

山野大樹(茨城森林管理署)

ぼんやりと生きて、なんとなく仕事をしていた私にとって、実習の4日間はひたすら頭の中をかき混ぜられるような感覚で過ごしました。と同時に、いかに自分が勉強不足であるか(知識、考え方)痛感しました。それなのに(考え方や知識、技術と経験がなく、受け身であったのに)最終日のセミナーで変なことを発言してしまい、申し訳なく思っています。

林業が続く(続けさせる)ことの意味、そう問われて国有林の職員であるのに自分の言葉で答えられないという事実ともどかしさを初めて認識し、自分自身のことなのに衝撃を受けました。林業とはそもそも何なのか、なぜ自分の仕事があり、どのような意味があるのか?論理的に果たして自分は答えられるのだろうか?そして何より自分は林業をどう思っているのか?いくつもの問いが合宿の余韻として残り、未だ答えは出せていませんが、仕事を続けていく上で問い、考え続けなければならないと思っています。

 

だれが、どうやって?

小山泰弘(長野県林業総合センター)

8月に開催された蒜山合宿終了から1カ月半ほど経過した10月上旬。知人の誘われて、霧ケ峰高原の一角にある踊り場湿原を歩く機会があった。ヤチボウスが浮く湿地の脇は、一面のススキ原。5人ほどの仲間とともに、ススキの海を楽しみながら、マツムシソウやリンドウがちょっとだけ咲き残る草原を散策した。


実は、このススキの海は、数年前まで定期的に火入れが行われていたところ。ところが、2013年4月に実施した火入れで、予定していた10haをはるかに上回る220haに延焼し、湿原のヤチボウズも焼いてしまった。踊り場湿原が国の天然記念物だったことや、延焼範囲が大きすぎたことなどが影響し、この年を最後に火入れが中止。以来、霧ヶ峰での火入れは止まったまま。

それから6年。真っ黒に焼けた火災跡地は、一面のススキの海となり、一見するととても美しい。しかし、ススキの間には被圧された草花や、被圧を逃れて成長しようとするアカマツなど、遷移の力が感じられる。森林化が進むのは食い止めたいとして、地元では樹木の伐採だけは行っているとのことであるが・・・・。


火入れと採草利用によって育まれてきたはずの霧ヶ峰が徐々に遷移している姿を観るにつけ、8月に見た火入れを続けている蒜山との違いが鮮明に感じられた。草原を維持しようとする蒜山が素晴らしくて、そこまで維持できなかった霧ヶ峰がダメだというつもりはない。ただ、火入れを中止して6年が経過し、草原にはススキの枯れ草が堆積し始めていた。草原に枯れ草が堆積したらどうなるのか?ススキ草原がそのまま維持されることは少なく、早晩樹木が侵入して森林化していくことは明白であろう。森林化が進めば、蒸散により土壌は乾燥側へと傾き、湿原は乾性化し、天然記念物として守ってきた湿原の未来は暗澹たるものがある。そう考えれば、霧ヶ峰でもある程度の火入れが必要なのでは?との想いで散策していた。

ところが、同行者の一人から、「なぜ?わざわざ火入れまでして自然環境を維持しなければいけないのだろうか」との疑問が呈された。彼の見解では、「人口が減少し、生活スタイルが変わる中で、草地の利用は無くなっている。確かに希少となってしまった動植物の保全のために、草地を残すことへの意味は分かる。それでも、苦労してまで、自然の遷移を止めるために作業を続ける意義はどこにあるのだろうか?」ということである。

霧ヶ峰のような半自然草原がここ100年の間に激減し、希少な風景になっていることは認めるし、半自然草原の雄大な景観が観光資源として優良であることもわかる。それでも現実問題として、霧ヶ峰の中心にある大きなドライブインは春から営業ができず、今年度の営業を断念したとの新聞記事が掲載され、観光資源としての経済性にも疑問が出てきている。彼の話を聴きながら、「大きな火入れをして草原を維持する目的な何だろうか?」「観光資源として優良であるとするならば、たとえ限界集落になったとしても続けることなのだろうか?」という単純な疑問が首をもたげてきた。

この疑問が浮かび上がった瞬間に、わざわざ木を植えるのは何のため? 育った木を伐るのは何のため? 所有者が管理できないからといって市町村が肩代わりするのは何のため?・・・等々

蒜山合宿での議論が走馬灯のように駆け回り・・・「林業も同じではないか!」

さて、私たちはどこに進めばよいのだろうか?しばらく、頭の奥底で考えていく課題なのかもしれない。